「この人生が価値のあるものだと知るまで」
夢を見た。君と手を繋ぎ夏の終わりに空に咲く花を見ている夢だ。夢の中の私は真っ白なワンピースを着ていた。クローゼットの中に入っていた、選ぶのをやめたあのワンピースだった。花は咲き誇り灰は私たちをめがけて降ってくる。隣にいる君はただ、空を眺めていた。場面は変わり私は廊下に立っていた。目の前には鍵のかかった部屋。その部屋の扉を開けていた。それは明け方の事だった。
いつの思い出だろうか。何度も繰り返された夏の思い出だろうか。答えはこの脳に見つからない。だって忘れているのだ。花火を見た事も扉の先も私の記憶には存在しない。毎日ベッドに入る度夢を見た。朝起きたら忘れてしまうくらいの夢だった。しかし、その内容を断片的に憶えている。君が生きていた頃の記憶だ。くだらない内容から分岐点まで、眠る度に見るのだ。君が存在していた頃の日常を。
上体を起こせば隣で君が眠っていた。寝顔まで綺麗だなんて羨ましい限りだ。一緒に住んでいた時はよくこの寝顔を眺めて朝を迎えていた。窓の外を見れば太陽が昇っている。しかし、気温は涼しかった。ベッドから抜け出そうとすれば君の手がそれを阻んだ。起きているのかと思い顔を覗き込んだがどうやらまだ寝ているらしい。机の上に置かれた時計は朝の五時を指していた。
私の腹部に回された君の手をゆっくりと退けて音を立てないよう慎重にベッドから抜け出した。畳に足をつけて伸びをする。君が起きていない事をもう一度確認してから部屋を出た。
夏の朝は嫌いじゃない。正午過ぎになれば異常なまでの熱を発する太陽も、昇ってすぐは温厚だ。眩しいことには変わりないが、風の冷たさが違う。空気を鼻いっぱいに吸えば土と泥と花の匂いがした。独特な、夏の朝にしか嗅げない匂いだった。色にすればエメラルドグリーンとでも言おうか。昔君にそのことを言えば、表現が独特過ぎると言われたものだ。
廊下を歩き鍵のかかった部屋まで足を進めた。風鈴の音がやけにうるさく感じたのは外が静かだからだろう。昨日あれだけ開けようと意固地になって開けられなかったくせに、なぜか私は再びこの部屋の前に来ていた。呼び寄せられたと言った方が正しいのかもしれない。
憶えてないことがある中で、この部屋もそのうちの一つであった。しかし、夢の中で私はこの部屋を開けていた。この部屋は朝、開いていたはずだ。
子供の頃の記憶がそう語っている。明け方、この部屋には鍵がかかっていない。人がいないからだ。この部屋に人がいる時は鍵がかかっていて中に入れないが、朝だけは入れた。私はそこで何をしていたのかはまだ思い出せない。
恐る恐るドアノブに手を伸ばした。金属の冷たさが背筋まで走った。ゆっくりと、ドアノブを回す。
最後まで回った。
右に回りきったドアノブを見て、目を閉じて深呼吸をした。大丈夫だと言い聞かせて心を落ち着かせる。まさか夢に見た内容が、ここで起きるとは思わなかった。もしかすると正夢だったのかもしれない。後は扉を押すだけだ。何度も深呼吸をして目を開ける。君はまだ起きてきそうにない。起きてこなくて少し安堵した。だって、これは私が向き合わなくてはいけない事だ。
ゆっくりと扉を開ける。扉はギィっと古びた音を立て動く。開き切った瞬間、一陣の風が私の視界を攫った。




