「君の未来に、当たり前に私が存在している」
「これ何?」
君の手から名刺を取り机の上に置く。白地に必要事項しか書いていないシンプルな名刺だった。
「さっきの人にもらって」
「へぇ、何話してたの?」
暑さで張り付いた髪を持ち上げて一つに束ねる。首にエアコンの風が当たって気持ちが良かった。
「芸能界に興味ないかって」
「へぇー、え?」
「だから、芸能界入らない?って言われた」
突然の出来事に思わず固まってしまう。その時店員が注文した飲み物を運んできてくれた。愛想よく礼を口にした君に、私は何も出来なかった。
「それってスカウトってやつ?」
「みたい。よく分からないけど、東京はこういう事あるんだね」
平然とストローに口をつけた君とは正反対の反応をする私に、君は不思議がっていた。
「いやいや、中々ないよ?普通ないよ?」
「そうなんだ、僕もちょっとびっくりした」
「こっちはびっくりどころの騒ぎじゃないんだけど」
確かに君の容姿は贔屓目なしで整っている。街中を歩いていても、こんな整った顔を持つ人とすれ違う事はそうそうないだろう。しかし、まさか芸能事務所から声がかかるとは思わなかったのだ。
私はようやく目の前に出された飲み物を口につける。ストローから上がってきた炭酸はほのかにフルーツの匂いをまとっていた。
「凄いじゃん」
「そうかな」
「どうするの?」
「うーん、でも母さんに迷惑かかるかもしれないしなあ」
それに売れるかも分からないのに挑戦するのは難しいと言った君は、自分の事よりも母の心配をした。
君らしいと言えば君らしいだろう。君の家は母子家庭で貧乏なわけでもないが、決して裕福なわけでもない。幸いにも君の母親はバリバリ仕事をする人であったから家計が回っているのだろう。何度も会ったが、優しく元気で前向きな人であった。私には到底なれないであろう明るさを持っている人であった。今回の東京行きも、君の母親が本社に呼ばれたかららしい。家庭も仕事も手を抜かない姿勢は、同じ女性ながら憧れるものがあった。
しかし、それでは君の気持ちがどこにあるのだろうか。君はどうしたいのだろうか。生産性のない事を続ける性格ではないことも知っている。やるからには稼げるようになりたいと思うような人だ。わずか十五歳で決断するのは難しいだろう。
「あおいはどうしたいの?」
「僕?」
君の家庭事情を知っているから、私はあえて君の気持ちを聞いた。
「僕は…そうだなあ」
「別に今弥生さんいないし、言うつもりもないから言っていいよ」
君の母親の名前を言えば、君は困ったように微笑んだ。
「東京」
「は?」
「事務所に受かって作品とか出られるようになれば東京に住めるんだって」
「…そんなに住みたいの?そこまで憧れが…」
「違う違う!確かに憧れてはいたけど、そうじゃなくて」
昔から東京に行きたいと言っていたが、まさかこれをきっかけに住みたいと言うのは想定外だった。東京に住んでいる私からすれば、君はこの空気に合わないだろうしあまりお勧めはしたくなかった。しかし、君は予想もしていなかった答えを返してきた。
「東京に住んだら、よるといつでも会えるじゃん」
「…え?」
「だから、年に三回とかじゃなくて毎日とまではいかないかもしれないけど、よるに会えるから東京に住みたいって思ってたんだよね」
頬を掻きながらストローを回した君の言葉を聞いて、顔に熱が集まっていくのが分かった。
子供の時から君にはいつも驚かされていた。君は平然と素直に思っている事を口に出す。君の見ている未来にはいつも、当たり前のように私が存在する。それがどれだけ嬉しくて照れ恥ずかしい事か。




