第30話 放火魔
王都の下流地区。
街灯もなく歩く者もいない路地裏に、一人の男が立っていた。
男は指をパチンとならすと、音とともに指先に火花が散った。路地裏に捨てられたゴミに向けて何度も指を鳴らすと、やがて火が付き、少しずつ燃え上がる。
「くくくっ。燃えろ、燃えろ、燃えろ!」
徐々に大きくなる炎を眺めながら、男は笑っていた。
*
「ニャアアア!」
「捕まえたぞっ!」
オレは、猫を追っていた。
猫はオレの生み出した鉄鎖の攻めを躱しきれず、ついに我が手に収まることとなった。
貴族の飼い猫探し、5万ベル。任務完了だ。
「流石です、御主人様!」
「全く手こずらせてくれる。魔法まで使う羽目になるとはな」
猫の周囲に鉄の檻を作り、逃げられないようにすると、檻ごとエミリアに渡す。
「お、重たいです。御主人様……!」
「悪い、車輪もつけよう」
ガラガラと引ける様に車輪と取っ手を追加する。
「それにしても、だいぶ逃げてくれたな。下流地区まで来てしまったぞ」
「……そうですね」
ひとまず報告に戻るとするか。そう考え、ギルド管理局の方向に歩き始める。
歩いている途中で、わずかに人だかりが見えた。彼らは、焼け焦げた建物を眺めているようだ。
「あれは、火事があったのでしょうか?」
「そうみたいだな」
黒こげの建物を見て、ふと昨日のことを思い出す。
「そういえば昨日ハンスに会った時、放火魔が出ると情報を聞いた。下流地区で何件も不審火が発生しているが、犯人はわかっていないらしい」
「放火魔が……!」
エミリアは存外に驚いている様子だ。
「まあ、下流地区ならオレたちには関係なさそうだがな」
「……犯人はすぐ見つかるでしょうか?」
「わからんな。火をつけるだけなら魔法じゃなくてもできる。現行犯じゃないと捕まえられないかもな」
「そうですか……」
「何か気になることでもあるのか?」
「いっいえ! 別に何でもありません!」
エミリアは何か考え事をしていたが、オレは聞き出せなかった。
*
「お疲れさまでした。ヴァレリー様」
「ああ、ありがとう」
オレはギル管で報告を終え、報酬の金貨5枚を受け取っていた。
「どうだ、アルトちゃん。そろそろウチのギルドはランクアップしそうか?」
「残念ながら、全く」
「む! ……何故だ? 大分頑張っていると思うが」
「単純に解決した依頼が少なすぎます。他のEランクギルドの平均人数は10人前後なので、依頼数では離される一方です。
ランクアップは依頼数、稼ぎ、貴族の推薦など、国への貢献度で評価されますから、貴方の猫捕獲も、貴族へのアピールという意味ではよい仕事ですよ」
現状確認、システムの説明、励ましをさらりと行う。流石、仕事のできる受付嬢は違うな。
「エミリア、今日は帰るぞ」
オレはエミリアに声をかけるが、エミリアは依頼掲示板をじっと見ている。
見ているのは、賞金首の情報らしい。
「エミリア?」
「あ、はい! 済みません! ……なんでしたっけ?」
やはり様子がおかしいな。ここはこちらから行動するしかあるまい。
オレは帰り道で、次の動きを考えることにした。
*
オレたちが帰ってきてしばらくたってから、デットが帰ってきた。オレはデットに詰め寄る。
「デット、話がある」
「な、なんだ急に……。近すぎるぞ。もう少し離れてこっちを視ろ」
デットは剣幕に押されて壁にじりじりと追い詰められる。
横に逃げようとするが、壁にドンと手をつきそれを防ぐ。
エミリアはキッチンにいるため、こちらに気付いていない。本人には聞かれたくないな。
そう思ったオレはデットの耳元に顔を近づけ、囁く。
「……明日、オレに付き合え。エミリアのことが気になる」
「くっ、卑怯者……! こんなの、断れないっ……!」
デットは何故か崩れ落ちてしまった。
……こそこそするのはあまり好きではないが、仕方ない。
ここからは天才的行動力を披露してやろう。
「皆さん、食事の準備ができましたよ!」
エミリアが皿に食事を盛って、机に並べ始めた。
「ふっ、エミリアよ。覚悟しておくがよい」
「???」
オレはエミリアに対して、ミステリアスな雰囲気を醸し出すつつ、スープをすすり始めた。
*
「♪〜」
エミリアは鼻歌交じりに町を歩いていた。
「くっくっく、ストーカーに追われているとも知らずにのんきなメイドよのう……」
「よのう……、じゃありませんわ。何をこそこそとしていますの?」
オレはデットを伴い、エミリアを追っていた。何故かルイーズもついてきている。
「最近エミリアの様子がおかしいからな。昨日だって賞金首の情報を一生懸命眺めていた」
「……だからと言ってあまりこういうやり方は感心しないな」
「恐らくオレに気を使って言わないのだろうが、事件に巻き込まれている可能性があるなら無理やりでも首を突っ込ませてもらう」
エミリアを注意深く見ていると、どんどんと王都の端の方へ歩いていく。
このまま進むと下流地区だ。
「下流地区に何の用が……?」
「……」
「お前たち、何をやっているんだ?」
最近聞いた声が後ろからかけられる。振り向くとハンスが立っていた。
「また会ったな。ギル管ならともかく、こんな王都の端で会うとは……。さてはオレをストーキングしているな?」
「どの口で言っていますの……」
「この前放火魔の話をしただろう? 犯人はわかっていないのに被害件数は昨日で2桁を超えた。それを警戒して巡回していたところだ」
成る程、衛兵隊長に選ばれるだけあって、正義感は強いようだ。
「ちょっと、エミリアさんを見失ってしまいますわよ」
ルイーズが声をかけてくる。エミリアは路地裏の方へ入っていった。
すぐに追いかけようとしたとき、その路地の奥から声が聞こえてきた。
「火事だーっ! 建物が燃えているっ!」
「火事!?」
「……行くぞ!」
オレたちは路地裏の方へ走っていた。
*
路地を走っていくと、火の手が見えてきた。アパートだろうか、三階建ての建物が燃えている。
周囲には野次馬が集まっていた。
「まさか、また放火魔か!?」
「ハンス、火事に対処できる魔法使いを呼んできてくれ!」
「ああ、わかった!」
ハンスは踵を返し、大通りの方へ走っていく。
「おい、お嬢ちゃん、危ないって!」
「中に、お母さんが、お母さんがまだ……!」
「おい、エミリア!?」
「!? フリード君、どうしてここに!?」
エミリアは燃え盛る建物に入ろうとして、他の人に止められていた。余程気が動転しているようだ。呼び方が昔に戻っている。
今の会話からすると、母親が中に……?
「む! デット、群衆の中にこの状況で笑ってる男がいる。わかるか?」
「ああ、視えている」
「そいつを捕まえろ。間違っていたら責任を取る」
「わかった。……ルイーズ、来てくれ!」
「わ、私もですの!?」
デットはその男に声をかけようとする。すると、周りの群衆を突き飛ばして路地のさらに奥へ逃げ出した。
……あっちは2人に任せよう。
「エミリア、母親の部屋は何階だ?」
「え? フリード君……?」
「時間が無い、早く言ってくれ!」
「あっ、三階! 三階の一番奥の部屋です!」
「わかった、少し待っていろ」
オレは燃え盛る建物に飛び込んでいた。