第10話 安心安全な馬車の旅
ギルド管理局を出ると、いつの間にか馬車が待機していた。市内を走っているような普通の馬車よりやや大きく感じる。側面にはリシャール家の紋章であろう、クロスした槍が描かれている。
馬のそばでは三角帽子をかぶった御者らしき男と執事服の男が話し込んでおり、お嬢様は男たちの方に近付いていく。
「お嬢様、護衛を用意できたのですか?」
「ええ。頼りないですけれども、2人だけ雇えましたわ」
ザ☆執事な見た目の男がザ☆お嬢様と話をしている。
執事は頼りないらしいオレたちをじろじろと眺める。品定めされているようで実に居心地が悪い。
「まあ、宜しいでしょう。……馬車と御者は準備しておきました」
「ありがとう、セバス」
どうやら御眼鏡に適ったようだ。それにしても名前まで執事っぽいな。
「何をぼーっとしていますの。早く馬車にお乗りなさい」
「イエッサー!」
「……サーは男性に対して使う言葉ですわ」
ちょっとふざけてみたら、本格的なツッコミが返ってきた。これはなかなかの強敵だ。
オレは先に馬車に飛び乗り、お嬢様に手を差し出す。
「ほら、手を。そのドレスだと乗りにくいだろう」
「……気は利くようですわね」
お嬢様の手を握り、馬車へと引き上げる。
「ありがとうございます、御主人様」
エミリアも同じように引き上げる。
「では、出発ですわ! セバス、留守をお願いしますわね」
「……お嬢様、お気をつけて」
執事は恭しく頭を下げる。
「ハイヨー!」
御者が声を上げ手綱を引くと、馬車が進み始めた。
……その掛け声は必要なのだろうか?
車輪の音とともに、少しずつ執事とギルド管理局が小さくなっていく。結局、視界から完全に消えるまで執事は頭を下げたままだった。
「執事も大変だな。こんなわがままお嬢様の相手をさせられて」
「……聞こえてますわよ」
*
馬車の中は、想像以上に快適だった。長い座席が向かい合わせになった移動用のタイプではなく、馬車自体が一つの個室の様になっていた。
床には絨毯がしかれ、ベッドに一人用の椅子とテーブルまである。お嬢様はベッドに、オレたちは絨毯の上に直接座り込む。
「そろそろ自己紹介でもしませんこと?」
王都をちょうど出たあたりでお嬢様が声をかけてくる。何ということだ、オレたちは名前を名乗っていなかった。急いでいたとは言え、勢いとは恐ろしい。
「オレはフリード。こっちはエミリアだ。こう見えて2人合わせて数百体のゴブリンを屠ったこともある」
「私は屠ってませんけどね……」
数百+0は数百だ。嘘はついていない。
「フリードに、エミリアですわね。覚えましたわ。私はルイーズ・リシャール。宜しくお願いしますわ」
「ルイーズちゃんか、こちらこそよろしく頼む」
「……ちょっと、子ども扱いは辞めてくださらない? 私はこう見えて17歳、立派なレディですわ」
「……17は子供だろう」
「な、なんですってーっ!?」
お嬢様は顔を真っ赤にして怒り心頭といった雰囲気だ。だが悲しいかな、それすらも可愛らしく見えてしまう。
お嬢様は優しい顔で見るオレが気に食わないのか、どんどん怒りのボルテージが上がっていく。
「私の恐ろしさ、思い知らせて差し上げますわ!」
「……ん?」
突然、オレの右手が自分の意志とは勝手に動き出す。そしてなぜかオレの頬を掴むと、横に引っ張り始めた。
「痛ててて。な、なんだこれは?」
「御主人様? ど、どうしたのですか? 急に何を?」
エミリアは急に自分のほっぺをつねりだしたオレを見て引いている。
「いや、突然右手が勝手に。痛てて」
その様子を見てルイーズが嬉しそうに笑う。
「ふふ、どうかしら。私の魔法、『不平等条約』は? この魔法は目に映る人間の体の一部の支配権を強制的に交換しますのよ。自分の腕にいじめられる気分はどうかしら?」
どうやらこれは彼女の仕業らしい。
ほっぺたをつねったぐらいで済んでいるのが可愛らしいが、それを口に出したらまた怒りだしそうなのでやめておく。
……しかし、面白い魔法だ。オレは右手を振ろうと意識してみると、彼女の手がオレのイメージした通りの動きをする。
彼女の言う通り一方的な操作ではなく、あくまで「支配権の交換」らしい。
「……え?」
オレはルイーズの右手を操作し、彼女自身の胸をもみ始めた。
「きゃあぁぁぁぁ! 何してますの、この変態!」
「はっはっは! 仕返しだ!」
「この、バカ、バカ!」
彼女は反撃とばかりに、右手をこぶしに変えオレの頭をがんがんと殴りつける。
「え? え? え?」
ただ一人状況が分かっていないエミリアが二人の顔を交互に見る。
自分の胸を揉みながら騒ぐ少女に、自分の顔を殴りながら笑う男、そしておろおろしているばかりのメイド。
愉快な一行の旅は始まったばかりだ。