ホワイト
白いカーネーション:私の愛は生きています
潤の提案で先に彼の両親と会うことになった。ご両親は田舎で茶葉の栽培をしていて、お兄さん夫婦とくらしているという。仕事の都合で、潤の田舎までいくことができないけれど、ご両親はわざわざ時間をつくってこちらへ来てくれることになった。会う場所は、どこにしようかって潤にきいたら、私の部屋がいいと言った。
「だけど、私たいしたものつくれないよ」
「お茶」
「え?」
「お茶を飲ませてやってほしいんだ。亜紀のお茶ならおふくろも納得してくれると思う。親父はどんな女の子でも大歓迎って人だからな。男ばっか四人の末っ子だからな俺。それにおふくろは、茶の入れ方が粗雑な子だけはやめてくれって俺たち兄弟に常々いってた」
「どうして?」
「きちんとした育ちの子は、お茶くらいきちんといれられるからだってさ。さすが、高良園の娘だよなぁ」
「タカラ園?高崎園じゃないの」
「屋号だよ。高いに良しって書く、あの高良だよ」
私はちょっと自信がなくなってきて、それが顔にでたのだろう。潤は大丈夫と満面の笑みで私の頭をなでた。
「亜紀のお茶は俺だけじゃなくて営業一課の支えですから」
「な、なにそれ。そんなこと」
じたばたする私を潤はぎゅうと抱きしめた。
「いつもおいしいお茶が飲めるからってうちで打ち合わせしたいって人が多くてね。俺もいつもおいしいお茶が飲めるから、はやく亜紀を独り占めしたいんだけどなぁ」
「もう、してるじゃない」
私はうれしくてはずかしくて潤の腕の中でもぞもぞと抗う。
「まだまだ、足りません。俺、自分がこんなに独占欲強いとか思ってなかった。あ、そうだ。来週末、プラネタリューム行こう。特別上映がさ、『銀河鉄道の夜の世界』っていうCG映像なんだ」
「ああ、知ってる。それ、凄くいきたかったの」
「じゃあ、決まりな」
私は無邪気に笑って頷いた。
週末までを楽しみにしながら、仕事をしていた私は迂闊にも資料室で一人になってしまった。そんなときに限って、一之瀬が現れた。しばらくちょっかいをかけてこないと思って安心していたのがいけなかったのかもしれない。
「よう」
一之瀬はやつれた顔にぎらぎらとした目つきで近づいてくる。私は反射的にドアの方へ後ずさった。その先は処分待ちの資料が保管されている。一歩間違えば、閉じ込められると私は思った。
「お前のせいで俺は資料課行きだってさ。叔父も愛人囲ってるのばれて、どっかの下請けに出向命令が下ったって俺を責めやがった。そんなの自分のせいなのにな」
「だったら、あなただって自分の蒔いた種じゃない」
声が震える。それでも、ただ怯えてされるがままなんて嫌だと私は思った。
「俺がまいた種だって?」
冗談だろうとにやりと冷やかに笑う。
「お前の母親が俺の母親にお前を売り込んできたんだぞ。仕方ないから見合いしてやったていうのに、コケにしやがって。腹いせに婚約したっていったら、大喜びだったぞ。その上、式はいつだってしつこいったらありゃしねぇよ。あのババア。だから、一方的に婚約破棄されたあげく別の男に走ったから、慰謝料よこせって言っといたから」
「な、なんでそんなこと」
「なんでも、なにも、お前のせいだろ。見合いの日におとなしく俺にやられてりゃよかったんだよ。そうすりゃあ、なんの問題もなかったのにさ。真面目ぶって断って。飲み会のときは、あっさり高崎とビジネスホテルで一泊して。やったんだろう。あの日。そういう薬いれたからな。熱くて高ぶってさぞ気持ちよかっただろう?」
「……てない……そんなことしてない!潤は何にもしなかった!!あんたといっしょにしないで!!」
私は必死で叫んだ。誰か気づいてと願いを込めて。だけど、飛んできたのはうるせぇっという一之瀬の怒鳴り声と拳だった。思い切り横っ面をなぐられて、私は資料棚に体を打ち付けた。棚の資料がバサバサと落ちてくる。まだ、意識のあった私は出口へ這うように体をよじった。その体に、蹴りが入る。
「お前のせいで!」
何かに取りつかれたように体を蹴りつけられる。それでも私はドアまで這った。そのとき、誰かいるのかと外から声がして、私は思わず叫んだ。
「助けて!」
それと同時に頭に大きな衝撃を受けて気を失った。
気が付くと病院にいた。ぼーっとした意識の中、部屋の外で母の金切声が聞こえた。誰かに文句をいっている。ああ、いつものヒステリーを起こしているんだと私ははっきりし始めた意識をもう一度暗闇に落とそうとした。だが、医者に気がつかれましたねと言われた。
「ご自分のお名前と生年月日がいえますか?」
私はうなずいて名前と生年月日を言った。
「ちょっと待っててくださいね。ご家族の方をお通ししますから」
看護師さんがそういって母と父を病室にいれた。私は涙目になっている母を見て、心配かけちゃったなと思って大丈夫だからと口を開きかけた。けれど、それは罵声に遮られた。
「何てことしたの!婚約破棄なんて、勝手なこと。あたしがどんなにがんばってお見合いさせたと思ってるの。人の気持ちも考えないで!あんたって子は!!怪我だって自業自得よ。あんたが婚約破棄したから、あちらから五百万も慰謝料請求されてるのよ」
「妙子!やめないか!亜紀はけがしてるんだぞ」
「あなたは黙ってて、仕事仕事で家のことなんかほったらかしてるくせに!!」
医者はふっとため息をついて、申し訳ないが出ていってくださいと言った。
「患者の前でそんなに大声をだしたら、体にさわります」
「あたしはこの子の母親です!なんで追い出されなきゃいけないの!」
父は文句をいう母を病室から引きずるように連れ出していった。
「誰か会いたい人はいるかい。会社の人が外でまっているんだが」
「入ってもらってください。経緯を説明したいから」
医者は軽くうなずくと、外で待っていた潤と主任、それにどこかで見たことのあるようながっしりとした体形の四十代くらいの男の人が入ってきた。
潤が不安そうに俺のことわかるかって殴られてないほうの頬をなでた。その手が暖かくて涙があふれて、大丈夫、わかるよって笑おうとしたけれど、無理だった。
「怖かったよな、痛かったよな。ごめんな。守ってやれなくてごめんな」
「潤の……せいじゃない……うっかりしてた私がいけなかったの……ねぇ……泣かないで」
私には潤の涙を見る方が痛かった。潤はごめんといって、自分の涙を拭い、私の涙も指先でそっと拭ってくれた。
「須藤さん、ごめんなさい。切り札の威力が強すぎたわ」
主任はそういって、見知らぬ男性をベッドの側に立たせた。
「はじめましてというべきだろうね。私が社長の伊勢谷郁也です。妹がいつもお世話になっています。このたびはこんなことになってしまって申し訳ない。彼らの処分は、きちんとします。もちろん治療費もすべてお支払します。他にご要望があれば、これに何でも言ってください」
私は、驚いた。どこかで見たと思ったら社内報でみた新社長の顔だった。どうしてと言いかけた私の疑問に主任が答える。
「ああ、あたしたちちゃんと兄弟だから。母はあたしが二十歳になったときに父と離婚したの。あたしは母方の姓をついで、兄は父の方ね。だから、名前が違うけど。あ、言っておくけどコネ入社じゃないわよ。あたしは実力で会社に入ったんだからね」
「単純に自分の親の会社だって忘れてただけだろう。お前の場合」
「まあ、そうともいう」
主任はいたずらっ子のようにくすりと笑る。
「とりあえず、そういうことだからしっかり治療しなさいね。邪魔ものはここで退散」
そう言い残して主任と社長は部屋をでた。
「抱きしめていい?」
「うん」
潤はまるで壊れそうなものを扱うかのように私をそっと抱きしめて言った。
「結婚しよう。本当は週末にきちんとレストランで結婚してくださいってプロポーズするつもりだった。でももうそんなのどうでもいい。お願いだから、俺と結婚して。今すぐ返事が欲しい」
潤はそっと腕を緩めて私をまっすぐ見つめた。
「そんなの。決まってる。私も潤とずっといっしょにいる。結婚しよう。それで、もっともっと幸せになろうね」
私がそういうと潤はやっぱりまぶしそうに微笑んでキスをくれた。
二人だけの誓いのキス。
その後、肋骨のヒビが完治し、顔の痣もきえたけれど右の額には七針縫った跡がのこった。ただ頭を強く打ったけれど脳に異常はなく、一か月の病院生活は終わりをつげた。
「本当に大変だったのねぇ」
そういってにこやかに潤のお母さんは、私の出したお茶をおいしそうにのんでいる。
「こんな可愛い顔に傷がのこるなんて」
そう言ったのは、なぜか一緒に上京してきた潤の義姉の千奈美さんだった。
「まあ、女の子を軽んじてきた罰が当たったのよ。大事な人が怪我するのがどんなに怖いかよくわかったでしょ、潤」
「母さん、頼む。それ以上はいわないでよ」
潤は過去を聞かれることにびくびくしていたので、私はあえて聞いてみた。
「もう、来るもの拒まずよ。そのくせ、全然女心がわからないから、さっさと別れちゃうの。一応、好きでもない子とは付き合うなって言ったんだけど」
「ああ、それ以上なし。俺も反省した。すげぇ反省した。今までの自分に会えるなら、あって殴りたいくらい恥ずかしいことだってわかった。ひどいことしてたってわかったから」
潤が必死でお母さんの言葉を止めようとするなか、こっそりと千奈美さんが教えてくれた。断るのが面倒くさくて付き合ってたのと。
「どうやら潤君はあなたが初恋で最後の恋なんだと思うわ。あなたはどう?」
「私も同じです。潤がいいんです。他の人なんて、無理」
千奈美さんは本当にかわいいわねぇっとうれしそうに笑ってくれた。
「それより、親御さんとは仲直りできたんかい?」
女性陣の傍らでちいさくなって話を聞いていた潤のお父さんは、私にぼそりと聞いてきた。
「まだ、すぐにはむずかしいです。たぶん、母は寂しかったんだと思います。父は仕事人間だったので。最近は少し違うようですが」
「うん、仲直りしようってきもちがありゃあ大丈夫だ。あせらんでええよ」
「はい、ありがとうございます」
私がにこりと笑うと背後から、潤に羽交い絞めにされた。
「この人は俺の大事な人なの。俺が独占するの」
「バカだな。お前、親にまで焼き餅やいてどうする。そんなこっちゃぁ捨てられんぞ」
「ほんとよぉ、あ、もし潤にあきたらうちの養女になればいいわ。潤の籍は勘当してぬいちゃえばいいし」
「ちょっと、何むちゃくちゃなこといってんだよ」
潤はまるで子供みたいに拗ねてて可愛くて、私は思わず笑ってしまった。そして
「大丈夫です。私、潤がものすごく努力家だって知ってますから。それに大好きだから、もう、お返しできません」
そう言ったら、潤は耳まで真っ赤になった。そしてお母さんもお父さんもお義姉さんも大笑いしながら、熨斗つけてあげるわと言ってくれた。