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2-2

 決行の晩は、よく晴れていて、月が明るかった。

 アーニアたちの集合場所は、念のため、学院の外の旧市街にされた。


「みな、そろったようだな」とディスタが確認する。

「作戦は予定どおりに行う。なお、これはいつでもそうあるべきことだが、今回は特に厳しく私語を禁じる。相手に〈遠聴〉の力の持ち主がいる以上、そしてその能力がどれくらいまで及ぶのかわからない以上、ここを出発してからの会話は基本的に禁止だ。なにか言葉を交わさなくていけない必要が生じたときも、本作戦を匂わせるような言葉遣いはしてはいけない。いいな」

 全員が黙ってうなずいた。

「ここではまだ大丈夫なはずだが、その調子で頼む」とディスタは笑って言った。

 

 一行の先頭にはディスタ。その後ろにはテテロサとニッケス。次にはオルゴとアーニア。しんがりにはウルトス。

 粛々と目的の寺院へと向かう。

 また、アーニアたちの一行とは別に、十数名の部隊もまた寺院へと向かっているはずだ。

 この別働隊も、国の戦士と学院の魔術師で構成されてはいるが、アーニアたちほどのエリートではない。

 本作戦のカタがある程度ついたところで、合図を待って現場に駆けつけ、魔法者たちを連行する役目を担っている。

 彼らと同行しないのは、まず第一に、その技量は戦闘になった場合、十分なものではないことがある。戦力として一定水準に達していないのであれば、足手まといになるだけだ。無駄な犠牲を出すのも好ましくない。

 また、このような作戦の際には、事前の綿密な打ち合わせも必要だが、これも作戦の性質上、それを知っている人間はできるだけ少数に絞りたい、ということがある。

 くわえて、今回の相手には〈遠聴〉の能力者がいることがわかっている。あまりにも多くの人数で近づくと、事前に襲撃が悟られる危険がある。もっとも、これは少人数であってもさほど危険の度合いは変わらないのかもしれないが、打てる手はできるだけ打っておきたい。

 したがって、別働隊は、寺院のすぐ側ではなく、ちょっと離れたところで待機しており、合図を待ってから動く、ということになる。

 アーニアは、いま自分がいる一行の面々を改めて眺めやる。

 エリートにして、冷静沈着な指揮官でもあるだろう、ディスタ。アーニアのことをいつも目にかけてくれており、頼りになる存在だ。

 テテロサとニッケス。

 ここ数日見せてもらった稽古は見事なもので、また作戦会議に参加する態度についても、根っこのところでは非常な真面目さがあった。

 オルゴは、この手の任務もよくこなす歴戦の治療師で、彼がいれば、仮に不測の事態があったとしても、十分なリカバリーをしてくれることだろう。

 そして、ウルトスという一級の戦士までがついてくれている。

 今回の作戦については、メンバーも状況もまず不安に思う要素はないはずだった。

 けれどもアーニアは、何か胸がざわつくような気がするのを自覚しないではいられない。

 初陣というのは誰にとってもそんなものかもしれない。しかし、アーニアは自分の不安の底にあるものが、それだけではないことを意識していた。

 アーニアは、旧魔法と向き合うこのときが来るのを強く望んでいるはずだった。

 近代魔術を学んだ自分は、そのエリートであることにこの上ない誇りを抱いている。と、ともに、旧魔法や魔法者の存在を実に不愉快に思っている。〈結社〉という組織については、ほとんど憎しみといっていいほどの気持ちを持っていると言っていい。

 旧魔法などというものは、この世から消えてなくなってしまえばいい。

 魔法者などという人種は、ひっそりと隠れて生きていればいいのだ。どうしてそれができないのだろう。

 アーニアは、今回の作戦で旧魔法を「弾圧」することによって、自分がはっきりと近代魔術の一員であることを確認するのを心待ちにしていた。

(それなのに……)

 やはり心の奥底にある重苦しい思いが、少しづつせりあがってくるのを感じる。

 そしてそのほかにもうひとつ、昨日出会った少女のことを思う。

 今日一日、ずっとそうだった。何かにつけて、彼女のことが頭の中から離れない。

(シンカって名前だったな)

 もう、二度と会えないのだろうか。彼女は、たしかそう言っていた。

 アーニアの気持ちがすっきりと整わないうちに、一行は目指す寺院へと近づいていく。

 旧市街の外れではあり、また時刻も時刻なので、めったに人とはすれちがわない。

 周りの建物から漏れてくる灯りと、月の光が、六人の姿に影をつくる。

 寺院はもうすぐだ。

 古い宗派のシンボルのような奇妙な塔のシルエットももうはっきりと目に映る。

 敷地の門が見えてきたところで、ディスタがすっと片手を挙げた。

「作戦を実行する。すぐに行動できるよう用意せよ」との合図だ。

 一行の間の空気が張りつめる。

 アーニアの不安も、目の前の、はじめての実戦の緊張にかき消される。

 エリートとはいっても、研究や訓練と、このような仕事はまったく別だ。

 手が汗でじっとりとしているのを自覚する。

 テテロサとニッケスにとっては、日常の業務のひとつであり、それもこちらの面子と相手の戦力を引き比べれば、楽な仕事にはちがいなかった。しかし、リーダーのディスタの何事にも油断していない慎重な物腰は、彼らにも適度な緊張を保たせる。これは作戦遂行にあたって、実にいい状態だ。心地よい緊張感だ。

 オルゴとウルトスもまた、いま完全に戦いのモードへと移行している。

 すべての事項は、事前に確認してある。いまさら言葉で念を押す必要はないし、また今回は相手に〈遠聴〉の力の持ち主がいることがわかっている。まさか一晩中敷地外のあちこちの音まで拾っているわけではないだろうが、ともかくも用心するに越したことはない。

 敷地の門前についたところで、ディスタは門の状態を確認する。

 当然錠はかかっているが、これ自体はなんの変哲もない、ただの門である。これなら、ちょっとした魔法で破壊できるし、ある程度以上の技量を持つ戦士であれば、得物で叩き壊すことも可能だ。すべて報告通りである。

 いよいよ、作戦の開始だ。

 ディスタは、上げていた片手をさらに大きく上に伸ばし、伸びきったところで少し間をとると、それを一気に振り下ろした。

 

 それを合図に、一行はそれぞれ予定通りの動きを開始する。

 しんがりに控えていたウルトスが、すすいっと門の前に歩み寄り、流れるような動作で剣を抜くと、それを錠前に振り下ろす。

 カキン、と小さな、はっきりした音がして、錠は断ち切られていた。

 この音は、中の〈遠聴〉バスペスに聴こえたと考えておくべきだろう。もちろん、それも承知の上だ。

 オルゴとアーニアが門を左右に押し開くと、ウルトスとニッケスが一気に敷地内に駆け込み、本堂の扉を目指す。

 しかし、門から扉へとつづく最短距離の一直線の道は、ディスタのためにあけてある。正確には、ディスタの放つ魔術のためにだ。

「〈魔術弾〉!」

 速やかに正確に練り上げられたディスタの破壊魔術は、扉に向かって走るウルトスとニッケスの間を通り、彼らを一瞬で追い抜きつつ、狙いを過たず目標に炸裂する。

 炸裂音。

 数発の魔弾が、扉と壁の間、蝶番や錠のかかる箇所を打ち砕いた。

 正確さに定評のあるディスタならではの射撃だ。

 ウルトスとニッケスは駆けつけた勢いのままに、数段の段差を駆け上がり、そのほとんど破れかかった扉を蹴り破って本堂に踏み入る。

 

 一方、アーニアは門を入ってすぐのところに、〈基礎結界〉を張る。

 ここでの仕事はそれほど急ぐ必要はない。あせらず、正確に、それなりの強度をもったものを作ればよい。

 魔術戦では何が起こるかわからない。不測の事態が起こったとき、退却可能な地点として、味方の優れた結界があるかどうかは、まさに生死に直結する。

 アーニアの結界はきわめて強力で洗練されているもので、十分な余裕を持って構成されたそれは、ベテランのオルゴの目から見ても感嘆に値するものだった。

 オルゴは、アーニアが結界を張る側で、あたりに不穏な魔力や人の気配がないか、探りを入れている。彼の第一の役目は負傷者が出た場合の治療だが、その少なくない実戦経験は、状況をチェックし、「何か」を感じ取って、危険を未然に防ぐにあたって、この上なく頼りになる。

 テテロサも同じく、アーニアの側でまわりに気を配っている。

 近接戦闘に弱い魔術師の側に、腕の立つ戦士を配置するのは戦いの鉄則だ。

 今回、相手側にそれほど手ごわい戦士がいるとは考えにくかったが、〈念動〉によるナイフ投げを得意とするラジーという女がいることを聞いている。油断は禁物だった。

 それにしても、とテテロサは思う。見事な結界だ、これほどのものにはなかなかお目にかかれるものじゃない。今回の作戦は、自分が従事した中でも、最高の力量をもったメンバーによるものと言っていいかもしれない。

 

「〈学院〉だ! 旧魔法の集会の現行犯で逮捕する!」と、本堂内にいちばんに乗り込んだニッケスが宣言する。

 急襲に気づいたバスペスが、「扉から離れて!」と叫んでから、ウルトスとニッケスが踏み込むまでわずか十数秒。

 内にいた多くの〈信者〉たちは、何が起こったのか状況を把握できていない。扉近くにいた数名が、はじかれたように、奥へと動きかけた程度だ。

「投降すれば、身の安全は保証する」と、ニッケスにわずかに遅れて本堂に入ったウルトスが言葉を継ぐ。

 ふたりは、堂内をぐるっと見渡す。

 この場合、敵の主戦力となるだろうラジーを無力化しておく必要があるだろう。

 ほか、バスペスの〈遠聴〉は、まったく戦闘向きの能力でないからそれほど問題ではないが、いちばんに警戒すべきは、ここの司教だ。能力は不明だが、それなりに強力な力を持っていると想定した方がいい。

 ほか、この手の集会の常として、ひそかに数名武装した人間はいるだろうが、単純な剣技であれば、自分たちが遅れをとるとは思いにくい。

 ラジーはすぐに見つかった。真ん中やや手前側で怯えた信者たちの中、比較的落ち着いた表情で、こちらに視線を向けている。

 あとは司教だ。

 若く端正な顔立ち――という事前の情報に頼って、ウルトスが視線をざっと走らせた中にはそれらしい男は――と思った瞬間、奥のほうにいた男が、手に持っていた書物を乱暴に破りとって、叫んだ。

「〈硬化〉!」

 それによって、空中にばらまかれた紙の一枚一枚が鋭利な刃に変化する。

 と、同時にそれらは、通常の物理法則を無視した動きで、ニッケスに襲い掛かる。

 ラジーの〈念動〉だ。

 念動によって物を動かす場合、その数と重量が問題になる。ナイフで五本なら、長剣や槍なら一、二本が限度だろう、と考えていたニッケスだったが、この十数枚の硬化された紙の刃には意表を突かれた。

「しっ!」

 と舌打ちとも、気合をともつかない息を漏らして、飛来する刃を撃ち落とす。

 しかし、これだけの数はさすがにすべてをさばききれない。

 撃ち漏らした刃が、ニッケスの手の甲や頬を切り裂く。血がほとばしる。

 重量の軽さもあって、一撃一撃はそれほどダメージは大きくない。だが、急所に深く刺さってしまえば話は別だ。

 それにさらなる問題は、打ち落とした刃が再び浮き上がって襲ってくることだ。通常の武器より、ずっと軽いことをフルに利用した念動の使い方だ。これはやっかいだ――。

 だが。

 ニッケスより、数歩後ろに控えていたウルトスが、いきなり飛び出す。

 目の前に飛び交う刃を、撃ち落さずにかわして、瞬時にラジーとの距離を詰める。

 自分とラジーの間にいた邪魔な男を当身でひとり吹き飛ばす。男は「うぐ!」という声をあげて、横にふっ飛んでいく。

 突如おそろしいスピードで突っ込んでくる戦士に、軽くパニックになったラジーが、懐に持っていた数本のナイフを取り出そうとしたが、その瞬間ウルトスの右足がラジーの右手ごと彼女の胸を蹴りつぶした。

「……!」

 手の甲と、それに肋骨がおれたような音が微かに響いてラジーはその場にくず折れる。

 その瞬間、ニッケスを襲っていた紙の刃はぱたりとその場に落ちた。

 それをちらりと確かめた上で、ウルトスは足元に横たわるラジーを見やると、どうやら完全に気絶しているようだ。

 これでラジーは無力化されたと考えてもいいだろう、とウルトスは判断する。

 学院が旧魔法の取締りを行うといっても、無駄な殺人はもちろん禁じられている。それ以前に、ウルトスも人を殺すのは好まない。

〈念動〉はそれなりの集中力を必要とするというのが一般的だから――それを証明するかのように紙の刃は床に落ちてもう動かない――これだけの怪我を負っていればたとえかろうじて意識が回復したところで、もう満足に術は使えないだろう。

 

 後方で魔術弾を撃っていたディスタが、ようやく戸口に着く。

 一方、ニッケスは、少しほっとした顔で、本堂内にさらに数歩踏み込む。

 ――と、彼はそこで自分に何が起こったのか、わからなかった。

 

 後ろで見ていたディスタにも、一瞬よくわからなかった。

 ニッケスは何かに貫かれたように、身体を硬直させていた。

 いや、貫かれたように、ではない。まさしく、刃らしきものに胸を貫かれて、彼は何が起こったのかわからないまま、意識を暗黒の世界に沈めて、その場に倒れた。

 ごとん、と人が無造作に床にぶつかったイヤな音がする。

 倒れたところの床に、おびただしい血が溜まりだし、その赤い水溜りは大きく大きくなっていく。

(〈ステルス〉!)

 ディスタとウルトスは同時に判断した。

〈ステルス〉=〈自己隠蔽〉自体はものすごく珍しい力というわけではない。

 けれども、いまの襲撃はあまりにも完璧すぎる。通常の〈ステルス〉であれば、目立った動きをする際には、姿を現す必要がある。あるいは、高度なものでも何らかの気配が漏れ出てしまうものだ。なのに、いまのものは――。

 ディスタは牽制のため、堂内には立ち入らず、戸口から数歩下がって、戸口周辺に数発魔術弾を打ち込む。

 ウルトスは、次の瞬間にやるべきことを考える。

 いまは念のため、ラジーの持っているだろうナイフなどを没収するつもりだった。だが、それは後回しでいい。

 ニッケスは――。

 ニッケスの様子を見る。

 身体はぴくりとも動かない。

 残念だが、これは即死だ。オルゴを呼んでどうなるものでもない。だからひとまず後回しだ。

 最優先すべきは、この見えない敵の、いまの動向だ。

 ともかくここはまずい。

 いつ四方のどこから襲ってくるかわからない攻撃には対処しようがない。

 まずは、戸口で体制を立て直すべきだ。そのあと、アーニアの結界まで戻るかどうかは、またそこで考える。

 ウルトスはそう判断すると、剣を振りながら、戸口に向かって駆け出す。

 ニッケスの身体を飛び越え――ちらりと視線を落としたが、やはり絶命しているように見えた――だが、当の敵とは接触しないまま、戸口を目指す。

 ディスタが、戸口周辺に数発魔術弾を打ち込んでいる。向こうも駆けてくるウルトスには気付いている。タイミングをあわせて、ウルトスは戸口に位置どる。

 戸口に一歩踏み込んだところにウルトス。本堂に向き直る。

 その少し後ろにディスタ。

 これで入口は塞がれた。

 敵はおそらくまだここから逃げ出したりはしていないはずだ。

 さて、これからどうしたものか――。

 

(さて、どうしよう――)

 シンカは、目まぐるしく動く状況を前に、必死に頭を回転させる。

 襲撃が、学院によるものだ、ということはすぐにわかった。

 結社が集会を開いている以上、彼らに踏み込まれる可能性は、もちろん常にあるが、よりにもよってこんなタイミングに居合わせてしまうとは。

 シンカは自分の運の悪さを呪いつつも、打開策を考える。

 学院側の襲撃は、文句のつけようもないものだった。

 あの瞬間、飛び出していっても、簡単に返り討ちにあうだけだっだろう。

 しかし、現在、状況はやや落ち着いてきている。

 向こうの戦士をひとり殺ったのは、おそらく司教のタオだ。

 いつの間にか、姿が見えなくなっている。どうやら、彼の魔法というのはステルスだったらしい。

(しかし、これほどまでに完璧なステルスとは)

(どうりで、何かを感じたわけだ)

 タオの立場になって考えてみる。

(彼もどうしても捕まるわけにはいかないだろうな)。

 学院の処罰は、必ずしも苛烈というわけではないが、司教ともなれば極刑、またはそれに準じる罰を受けることは覚悟しなくてはならない。

 それはシンカも同様だ。

 だから、タオはどこかで、脱出のための勝負をかけるにちがいない。

 そのときが、自分にとっても、最後で最大のチャンスだ、とシンカは思う。

 今はまず、焦らず、その瞬間を待つことだ。


 ディスタとウルトスは、このまま入口を固めつつ、ディスタの魔術で敵を片付けることに方針を定めた。そのためにはまず、信者たちに無用な犠牲を出さないようにしなくてはならない。

「さあ!」とディスタは呼びかける。

「われわれに敵対しないものたちは、いますぐこちらから見て右の奥隅に固まれ。そこにいないものについては、身の安全は保証しない!」

 信者たちは怯えていてすぐには動こうとしなかったが、ディスタが、「早くしろ!」と叫んで、威嚇の魔術を一発打ち込むと、みな飛び跳ねるようにして、指定の場所に身を寄せた。

 こうなってしまえば問題はない。

 あとは、広範囲を捉える魔術波を、なるべくこちらに近寄って来れないようにタイミングと方向を按配して打ち込めばよい。威力はそれほど要らないだろう。とにかく魔術波が当たればよい。

 魔力にはまだしばらく余裕がある。これがいちばん安全で確実なやり方だろう。

 そこに横たわっているニッケスは? 

 いや、彼はおそらくもう絶命している。直接、攻撃を当てるつもりはなかったが、もうあまり過度にはこだわってはいられない。彼を助けようと攻撃を焦るのも、もう無意味だろう。

 後ろの三人を呼ぶか? いや、まだそれには及ばないだろう。それに初陣のアーニアを危険な目にあわせることはできるだけ避けたかった。

「〈魔術波〉!」

 ずおん、という魔術ならではの衝撃音とともに、べきっという寺院の床が割れる音がする。どれほど高度なステルスであっても、これに当たって姿を現さないのは考えにくい。

「〈魔術波〉!」

「〈魔術波〉!」

 連続してひびく衝撃音、ときにそれは、固まっている集団のすぐ側にまで届く。じっと息を潜むにはそこが最適なのかもしれなかったが、精密な魔術制御を得意とするディスタの攻撃の前ではそこも安全地帯になりそうにはなかった。

 数発目、ディスタが奥に放った魔術波は、しかし、それまでのような「ずおん」という音を響かせなかった。

 ぎゅいん、という独特の反射音がして、目に見えない壁に当たった魔術の衝撃波が、術者から放たれた経路をそのまま逆に戻る。

 ウルトスは、軌道から少しそれていることと、また、いつ来るかもしれない見えない敵の攻撃に備えていたため、跳ね返ってきた魔術波をなんとかわすことができた。

 しかし、ディスタの防御は完全には間に合わなかった。

 術を放ったあとにどうしてもできてしまうスキと、まさに予想だにしない自らの魔術の襲撃に、防御の瞬間結界がほんの刹那遅れた。

 ばしぃいいん!!とはじけるような音がして、ディスタは思い切り後ろにのけぞると、半分意識を飛ばして、がくりと膝をついた。

「ディスタ!」と思わずウルトスが振り返る。


(いまだ!)

 そのスキをまたとないチャンスと見たシンカは、信者たちの中から跳ね出すと、壇上の上に鎮座している杖に手を伸ばす。

(よし!)

 手にとったそれは、まさにまぎれもなく古代の遺物〈魔導具〉だ。

(間違いない。〈転移の杖〉)

 しかし、それを手にした感慨に浸っている暇はない。

 あの優れた戦士と魔術師を相手にこの場を切り抜けるのはいましかない。

 シンカは、足にぐっと力を込めて、床を蹴り出す。

 一歩、二歩、三歩目でほとんどトップスピードに達した。

 瞬時に、本堂の半ばまで身体を運ぶ。

 魔術師はまだ体制を立て直していない。飛んだ意識が、身体に戻ろうと必死の努力をしている最中だ。

 しかし、戦士の方の反応は早い。

 突如飛び出してきた女を邀撃すべく、すでに戦闘の体勢を整えている。

 

 何か起こったかわからないままに、ウルトスは次の行動を迫られる。

 信者の中から、突如、まだ少女といっていいような女が飛び出してきて、こちらに向かって突進してくる。

 武器は持っていないようだが、剣よりもまだ長い長さの杖を持ってそれを構えている。

(この娘、できる……!)

 戦士の経験で、ウルトスは瞬間的にそう判断する。

 すっと剣を構え直し、邀撃体制に入る。

 ただし、もちろん、見えない敵の方への警戒も怠れない。タイミングをあわせた同時攻撃と見るのがいちばん自然だろうからだ。

 それにしては、この少女があらかじめ武器を持っていないで、壇上にあった杖を取りに跳んだのが少し気になるが。

 ――という間に、ふたりの距離は必殺の間合いに入る。

 ウルトスの剣が、シンカの額を狙って一閃する。

 この状況だ。手加減はできない。ひとりの敵を、一撃で葬り去るべく、撃ち下ろされたその剣は、ガチンという硬質な音を立てて、シンカの持つ杖にはばまれる。

(止めた!?)

 瞬間、ウルトスに驚きが走る。

 剣戟を止めたことに対して。また、自らの持つ愛剣の刃を、古ぼけた一本の杖で止めたことに対して。

 ウルトスは、この杖によほど強力な〈硬化〉がかかっているのかと思ったが、それはそうではない。古代の魔導具の持つ物理的強度は、通常の衝撃に対してはほとんど不壊に近いのだ。

 シンカは、相手の一瞬の動揺を見逃さない。

 剣を受け止めたまま、そのままぐいっ、とウルトスを押し戻す。

 少しだけ、ウルトスがバランスを崩し、一歩、いやわずかに半歩ほど後退する。

 そのスキを突いて、シンカは杖を思い切り突き出すそぶりを見せ、相手があわてて体勢を立て直そうとするところで、すばやく身体を沈め、スタート時のダッシュのように、床を蹴り上げ、ウルトスの横をすり抜ける。

(しまった!)とウルトスが思ったときは、すでに遅い。

 シンカはちょうどウルトスの後ろにいて、いま意識を取り戻しかけたディスタに、杖での強烈な突きを見舞う。

 殺すつもりはないから急所ははずすが、あまり早く意識を取り戻されては追撃がやっかいだ。

 彼女は、ディスタをまたぐようにして飛び越えると、壊れた扉の残骸が残っている戸口を越え、段差を一瞬で飛び降り、敷地の門のあたりを手早く見渡す。

 この状況に感づいてこちらに向かってくる女の戦士がひとり。これもなかなかのものに見えたが、中にいる女ほどではない。

 その向こう、結界の側に魔術師がふたりほどいるようだ。

 いずれにせよ、この寺院は高い壁で隙間なく囲まれている。越えて越えられない高さではないが、越えようとしている間に、魔術師の攻撃の絶好の的になってしまう。

(突破は、正面からするしかない)

 シンカは、さらにスピードをあげながら、まずは目の前の女戦士を相手にするべく、杖を構え直す。

 

 ウルトスは、体勢を立て直すと、門の方を大きく振り返って、アーニアたちに大声で呼びかける。

「アーニア! テテロサ! そいつは強い! 気をつけろ!」


(気をつけるのはあんただよ、背中をがら空きにしてさ)

と見えない男は思う。

 魔術師は崩れ落ち、おそろしい技量をもった戦士は、ついにいま大きなスキを見せている。ここは横をすり抜けるだけでなく、きっちり致命傷を負わせておいた方がいいだろう、と彼は考え、背を向けたウルトスに近づく。

ウルトスは、それをはかったかのように――実際、それをはかっていたのだ――後ろに振り向きざま、疾く鋭く、そして広く大きな円を描くように剣をなぎ払った。

ざくっ、と手応えがある。

しゅーっと血飛沫があがると同時に、見えなかった男がその姿を現す。

(当たりだ!)

 ウルトスが、アーニアたちのいる方に振り返って大声をあげたこと自体は、罠というわけではない。けれども、それを大げさに行い、スキを演出したのはウルトスの賭けだった。

 性格も動きもわからない人間が襲ってくるだろうタイミングにあわせて、必殺の一撃を抜き放つ。歴戦の戦士だからこそ、なしえた発想であり、成立させることができた賭けだ。

 男の顔は、いま自分の身に起こったことを把握出来ていないように見える。

 姿を現した男の顔のつくりは端正で、これが説明にあった、ここの〈結社〉の司教だな、とウルトスは思う。ステルスの力も、やはりある程度の意識を集中する必要はあるらしい。 彼女は、そのまま一歩ぶん近寄って、男にとどめをさしておく。

 生かしておくには危険すぎる力だし、仲間の仇でもある。それにここの支部の司教ということであれば、生きて連れ帰っていったところで、死罪は決まっているようなものだ。本人としても、あれこれ拷問めいた尋問を受けるよりも、ここで死んだ方がうれしいだろう。

 さて、次はあの少女だ。

 ウルトスは、再び外に向き直った。

 

 時間を少し――突入直後にまで戻す。

 

 アーニアの位置からは、堂内で何が起こっているのか、詳しいことはわからなかった。

 しかし、すべてが順調に推移しているわけでないことはわかる。

 もちろん、抵抗は当然予想されているし、戦いになる確率がかなり高いことも理解していたが……。

 ニッケスとウルトスが突入し、ディスタが追いついた。

 ここまではよかった。

 しばらくすると、ディスタが魔術波を数発立て続けに撃つのが見えた。このように魔術波を連続で撃たなければいけない状況はあまり芳しいものには見えない。

 近くにいるオルゴが、「まずい……」とひとりごちた。

 テテロサも、緊張の度合いを高めているようだ。

(私の結界が必要とされる事態がくるかもしれない)

とアーニアは不安に思う。

 とそのとき、魔力がぶつかるイヤな音とともに、ディスタが仰けぞって膝をつくのが見えた。

(ディスタ先生!)

 心中で叫ぶ。

 これは、非常にまずい状況ではないか。

 司令塔えあるディスタが倒れたら、どうするべきか、アーニアにはわからない。

 おそろしいことになるかもしれない。アーニアは、その可能性を考えて心底戦慄する。それだけは――それだけは避けたい。

 そのあとすぐに、膝をついたディスタを跳ねのけて、ひとりの少女が扉から飛び出してくるのが見えた。

 ウルトスの叫び声が届く。

「アーニア! テテロサ! そいつは強い! 気をつけろ!」

 少女は長い髪をなびかせて、一直線にこちらに向かってくる。

 その姿は、まだアーニアにはたしかに誰とはわからない。

 テテロサがこれを迎え撃つべく、走り出す。

 アーニアの側を離れることになるが、アーニアやオルゴとはなるべく離れたところで交戦した方がよい。そこで少し時間をかせけば、彼らの射撃系魔法も間に合うだろう。

 オルゴもそれを察して、早速魔術を組み上げはじめる。ただし、専門でない以上、またある程度精密なコントロールを必要とする以上、少々時間はかかりそうだ。

 アーニアも軽くパニックに陥りそうになっていたが、あわてて我に返ると早速射撃系の魔術の準備にかかる。彼女は、射撃系の魔術もまたよく習得しているのだが、いかんせん結界を維持しながらでは、これもそれほど素早い発動は難しいだろう。

 テテロサと少女が、互いに駆けながらお互いの射程に入る。

 テテロサは思う。

(ウルトスさんをかわしているんだから、おそらく私より力量は上。しかし、得物はなぜかただの杖だ。いいのをもらってもこちらは死なない。相打ち覚悟で全力の一撃をあびせてやる)

 思いどおりに剣が出る。

 正統派にして実戦派の強烈な突きだ。

 だが。

 少女の杖は、その突きのタイミングを知っていたかのように動き、それを横から払う。

 ギイン、という音が響く。

 全力の一撃を横にずらされたテテロサの身体が泳いで前のめりになる。

 

 アーニアは見た。

 その少女が、テテロサの身体を飛び越え、その背中を踏み台にして空をかけるのを。

 まるで、絵のようだった。

 月の光が照らす中に、長い髪が、ばあっと広がるのがシルエットになった。

 一瞬の間の出来事だったが、アーニアには時間が止まったかのように、その光景を見た。

 美しかった。

 昨日の少女――シンカだと、気づいた。

 

 女戦士をかわしたシンカは、そのまま速度をゆるめず門に向かう。目の前の敵は、あと魔術師がふたり。彼らの攻撃を一発ずつかわせばそれで脱出できる。

 まずは、中年の男からの一撃が来た。

 シンプルな魔術弾だ。

 その程度の魔術ならば、〈魔導具〉たるこの〈転移の杖〉は、それを物理攻撃と同じように弾くことができる。

 ぎゅん、という音とともに弾は撃ち落とされる。

 男の(そんな!)という表情。

 あとひとり、最後はあの少女だ。もう距離も近いし、これなら魔術が発動する前に――広範囲あるいは高出力の攻撃などはさすがにこの杖では防ぎきれないだろう――打撃を加えてそれで勝ちだ、とシンカは思う。

 ふたりの距離がいよいよ縮まった。

 呆けたようにシンカの姿に見とれていたアーニアはシンカの顔立ちをはっきりと見る。

 いままで見た中でいちばん美しい少女だ、とアーニアはあらためて思う。

 シンカもまた、この距離ではじめてアーニアに気づく。

(この人――!)

 昨日彼女に触れたときのことを思い出す。

 強烈な危機感が、振りかぶった杖を止めさせる。

 急ブレーキ。

 視線はアーニアの顔の上に落ちたまま動かない。


 アーニアはアーニアで動けない。

(なぜ、ここでシンカが――)

 軽くパニックになる。

 思考も身体も魔術も動かない。

 それでもなぜ彼女があくまでアーニアに打ちかかってきたならば、何かしらの反応をしていたかもしれない。いままさに完成しようとしている魔術波を打ち出すか、あるいは――。

 いずれにせよ、急に動きを止めて見つめっているふたりの時間を再び溶かしたのは、オルゴの声だった。

「何してるアーニア、撃て!」

 その声で、アーニアは思わず魔術波を発動させる。

 魔力が、衝撃波となって、シンカを襲う。

 初速、範囲、そしておそらく威力も、ディスタのものと比べて遜色ない。この距離では、おそらくかわしようがない。必殺の一撃になるはずだった。

 しかし、オルゴの声は、シンカにも防御のタイミングを教えた。

 杖を前に出しそこに力を集中させ、一方で波に対して身体が当たる面積をなるべく小さくする体勢をとり、同時にアーニアの真正面だけはかろうじて避ける。

 魔力がぶつかりはじける音とともに、それが人間の肉体に届き、たしかなダメージを与えた感触が術者のアーニアには感じられた。

 シンカにも、この攻撃はさすがに防ぎきれなかった。

 致命傷ではない。

 何とか意識は保っている。

 けれども、心の焦りの通りに身体が反応してくれない。状況もクリアにはわからないところを見ると、意識にもダメージはあるのだろう、とシンカはぼんやりした感覚の中で思う。

 局面が少し落ち着けば、ふたりの女戦士も駆けつけてくるし、また、ふたりの魔術師も十分に第二段、第三段の攻撃魔術を準備できるだろう。

 それに、あの少女――。

 勝ち目はない、と判断したシンカは、杖を投げ捨てて両手を挙げ降参の意を示した。

 もし魔法者と思われていれば、気絶させられるくらいのことは覚悟すべきだが、これで「この場では」命まではとられまい。

(ただまあ、せっかくだから)

と彼女は、放り投げた杖を見て思う。

(せめて今回の仕事だけは果たしたかったな……)

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