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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第01話 全速飛行は禁止されています

風防(キャノピー)を覆い尽くした異常な発光雲のまぶしさを最後に、黒瀬隼人の視界から「世界」が消えた。


 計器盤の緑色のバックライトも、スロットルレバーの硬い感触も、座席から伝わる機体の微振動も、すべてが唐突に消失した。


 次に隼人の全身を叩き据えたのは、鼓膜を破らんばかりの轟音と、致死的な冷気を伴う暴力的な風圧だった。


「――ッ!」


 酸素マスクの奥で息を呑む。機体がない。射出座席のレバーを引いた記憶もないのに、隼人は上空数千メートルの空中に単身放り出されていた。


 着用しているのは、飛行服と、その上に着けたGスーツ、サバイバルベスト、そしてヘルメットだ。パラシュートは背負っていない。


 真っ逆さまに落下しながら、隼人はパニックになりかける思考を無理やりねじ伏せた。腕と脚を広げ、背中を反らせてスカイダイビングのアーチ姿勢をとる。空気抵抗を増やして落下の姿勢を安定させながら、眼下の景色を確認した。


 太平洋上の訓練空域だったはずの海はどこにもない。視界の下に広がっているのは、果てしなく続く白い雲海と、それを切り裂くようにそびえ立つ赤茶けた断崖絶壁の連なりだった。


(どこだ、ここは……!)


 高度計はない。だが、迫ってくる岩肌を見れば、残された時間がわずかなことはわかる。


 死を覚悟したその瞬間、隼人の視界の端で銀色の閃光が走った。


 太陽の光を反射して輝く、巨大な翼。翼幅十四メートル、体長八メートルはある猛禽に似た『それ』は、空気を切り裂くような速度で隼人の真下へと滑り込んできた。


 羽毛に覆われた流線型の背中。そこに取り付けられた革と金属の鞍が目に入る。


 銀色の竜が、隼人と同じ方向へ急降下し、落下の速さに合わせて相対速度を殺した。直後、隼人の身体は硬い地面ではなく、温かく弾力のある羽毛と鞍の間に転がり込んでいた。


『落ちないで!』


 風音を割って、高く澄んだ女性の声が届いた。


 竜が短く鳴き声を上げると、隼人の身体の周囲を透明な力場のようなものが覆い、肌を刺していた致死的な冷気と風圧が嘘のように和らいだ。


 隼人は鞍の取っ手にしがみついた。銀色の竜は高度を使って少しずつ降下を止め、翼を広げて旋回し、断崖の中腹にせり出した石造りの広い台座――中継台へと滑り込むように着陸した。


 竜の背から転げ落ちるようにして石の床に膝をつき、隼人は酸素マスクを外して激しく咳き込んだ。


「はっ、げほっ……助かっ、た……?」


 震える足で立ち上がり、自分を救ってくれた生物を見上げる。巨大な銀色の羽毛竜。その背中には、複雑なベルトで固定された革製の『標準竜鞍』が装着されていた。


 竜が首を巡らせ、透き通るような青い瞳で隼人を覗き込む。


「あんた、一体どうやってあんな空から落ちてきたのよ」


 声が聞こえた。さっきの叫びと同じ、若い女性の声だ。なぜか日本語として脳が理解していることに戸惑う暇はなかった。


 中継台の奥から、けたたましい羽音が近づいてきたのだ。


 谷底の雲海を割って飛び出してきたのは、後部座席に血まみれの人間を乗せた一回り小さな竜だった。そのすぐ後ろから、コウモリと狼を掛け合わせたような異形の飛行魔獣の群れが五匹、異常な速度で追撃してきている。


「嘘、救難隊が追われてる……!」


 銀色の竜が翼を広げ、迎撃の姿勢をとった。だが、隼人の目には致命的な欠陥がはっきりと見えていた。


「待て! 敵は三方向に散開してる。単独じゃ索敵も射撃も追いつかないぞ!」


 隼人の叫びに、竜がぴたりと動きを止めた。魔獣たちは見事な連携で、右上方、左下方、そして正面から救難竜の進路を塞ごうとしていた。空戦における基本中の基本、多方向からの同時攻撃だ。一対多の状況で、一機の判断力だけで対応するのは不可能に近い。


 竜の青い瞳が、驚きとともに隼人を射抜いた。


「あなた、目がいいのね! 後ろに乗って、私に方向を教えて!」


「乗るって、俺がか!?」


「急いで! あの子たちが殺される!」


 迷っている暇はなかった。隼人は元戦闘機乗りの反射神経で竜の背に跳び乗り、鞍に座って腰と太ももの固定具(ハーネス)を強引に引き絞った。


「乗った! 行けるぞ!」


「背中で感覚を分ける仮契約を結ぶわ。助けに行く間だけ。いい?」


「ああ、頼む!」


「風護膜で風と冷気は防ぐ。でも、急な動きの重さまでは消せないわ!」


 その瞬間、隼人の脳内に『ぶわり』と不思議な感覚が広がった。


 竜の背中を通じて、風の感触、翼の先を撫でる気流の冷たさ、そして救難竜へ向かおうとする飛行意図が、水が浸透するように隼人の意識へ流れ込んできたのだ。言葉による思考は読めないが、彼女の焦りと緊張が痛いほど伝わってくる。これが、この世界の『共感回路』の起動だった。


「風護膜よし、装具よし。出るぞ!」


 隼人は頭を振って自身の情報を整理し、眼下の空域を俯瞰した。救難竜を逃がすには、魔獣の群れの包囲網を力業でこじ開けるしかない。


「右と左の敵は無視しろ。一番足の速い正面の先頭の鼻先へ割り込む! 急旋回はするな、俺の指示で直線加速しろ。合図したら減速して撃て!」


「わかった!」


 銀色の竜が中継台を蹴り、空へダイブした。


 直後、隼人は信じられないほどの加速G(重力加速度)に見舞われた。


「ぐっ……!」


 内臓が背中に押し付けられる。隼人は身体を支え、短く叫んだ。


「加速を緩めろ! 直線のまま、少しずつだ!」


「わかった!」


 背中を押す力が弱まり、止めていた息が戻った。


 速い。空気を引き裂く轟音が風護膜の外で鳴り響き、膜そのものがミシミシと悲鳴を上げている。戦闘機にも劣らない、直線での圧倒的な爆発力。彼女は騎手を乗せた状態で、初めて全速域へと踏み込んでいた。


 共感回路を通して、彼女の翼が気流を完璧に捉え、一直線に魔獣の先頭へと迫っていくのがわかる。


「……そこだ、今だ、減速!」


 隼人の叫びと同時、銀色の竜が巨大な翼を広げて空気を孕み、猛烈な空気抵抗を生み出した。前へ投げ出されるような減速の負荷が隼人を襲うが、固定具がしっかりと彼を鞍に縛り付けている。


 相対速度が急激に落ちたその刹那、竜の意思で魔法の力が編み上げられた。


「いっけえええええッ!」


 彼女の口から射出された目に見えない高圧縮の空気の塊――『風刃』が、高速で直進し、魔獣の先頭の胴体にクリーンヒットした。


 風刃は魔獣を吹き飛ばし、群れの中心に強烈な乱気流を生み出した。予期せぬ速度での割り込みと正確な射撃に恐れをなしたのか、残りの魔獣たちは悲鳴を上げて四散していく。


 血路が開いた。救難竜は安全な高度へと離脱し、遠ざかっていった。


 中継台へと舞い戻った二人は、荒い息を吐きながら崩れ落ちた。


 極限の加速と急減速、そして魔法の発射による魔力の消耗。隼人は鞍の固定具を外し、震える足で石の床に降り立った。ヘルメットを脱ぎ捨て、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。


「はっ、はっ……無茶苦茶な加速だ。怖かった……」


 隼人は膝に手をつきながら、素直な本音を漏らした。だが、ふと口元が緩む。


「でも、君と飛ぶのは、悪くない。楽しかった」


 その言葉に、銀色の竜が嬉しそうに『きゅるる』と喉を鳴らした。


「鞍を外して。そこの留め具から、順に」


 教えられるまま隼人が竜鞍を下ろすと、ふわり、と竜の身体が淡い光に包まれた。


 隼人が目を丸くして見ている前で、巨大な竜のシルエットが収縮していく。光が晴れた後に立っていたのは、竜ではなく、一人の女性だった。


 年の頃は二十代半ば。背中まで伸びた美しい銀髪に、透き通るような青い瞳。動きやすい軽装の衣服を身にまとった彼女は、少し息を切らしながらも、満面の笑みを浮かべて隼人を見つめていた。


「……さっきの竜?」


「うん! 私、リュシア・アルヴェイン!」


 リュシアは隼人に駆け寄ると、その両手をがっしりと握りしめた。


「あなたの指示、すごく的確だった! 誰かを乗せてあんなに速く飛べたのは初めてよ。ねえ、私の騎手になって!」


 突然のスカウトに隼人が言葉を失っていると、上空から重々しい羽音が降ってきた。


 見上げれば、焦茶色の頑強な羽竜が中継台へゆっくりと降下してくる。その背には、軍服のような外套を羽織った壮年の男が乗っていた。


 男は厳しい視線でリュシアと隼人を交互に睨みつけ、低くドスの効いた声で言い放った。


「アルヴェイン。搭乗状態での全速飛行は全騎共通で禁止されているはずだ。――規則違反について、たっぷりと事情を聞かせてもらおうか」

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