25 負けない!
今回から第三章です。本当は第二章でこの話に入るつもりが、長くなりました。
お兄様達が王都へ旅立った二か月後、私は王室に用意された客室にいた。
かつてお母様が王女として暮らしていた部屋だと、世話係がそっと教えてくれた。
調度品のひとつひとつに見覚えのない気品があり、どこか他人の部屋に迷い込んだような、落ち着かない心地がする。
滞在目的は、まず、王太子とのお茶会。婚約者(候補)なので、これは必須らしい。
まったくもって、迷惑な話ですけれども。
それに付随する、お茶会、つまり社交。
アカデミーに入る前に、ある程度の交友関係を作っておくのがセオリー。
お兄様達はここらへんが適当というか、「別に」という感じで、カントリーハウスでお父様の訓練と、家庭教師のお勉強を受けていたけれど。
確かに、お父様の訓練なんて、選ばれし者しか受けられない最上級のもの。
わざわざ王都での社交のために訓練しないとか、選択肢として愚かというか。
レオンハルトが滞在できたのも、ここらへんが深く影響したわけで。
ノートン家の方が、チートなのである。
王都での社交関係や礼儀作法のために雇ったクラリスは、とっても優秀。
よくわからないけれど、ご実家は汚職事件とやらで経済的にはぎりぎりのようで。
血筋は超一流だけど、お金は大事。
お給金は弟のアカデミー入学のために貯めるとか。
そういうことを包み隠さず言ってくれるので、私としてとても楽。
私はいろいろとVIP対応らしい。
フェイ・ドラゴンの卵の件とか、お母様が元王女とか、ちょっと背景が面倒くさくて申し訳ない。
そんな中、私を悩ませていることがある。
胸が千切れそうになるくらいに、切ないこと。
――TKGが食べたい。
これにつきる。
夕陽を閉じ込めたかのような濃密な琥珀色が、穢れの無い輝く米粒の間をとろりと巡り、間を浸食していく。
完ぺきな調和を乱すかのように、漆黒の醤油を落とす。熟成された甘く辛い香りがふわりと鼻腔をくすぐり、空腹が刺激して理性はどこかへ飛んでいく。
迷わず口へと運ぶと、舌の上で弾けるのは、まず、濃厚な黄身のコク。甘い醤油の暴力的なまでの旨味と混じり合い、口の中で大波となって味蕾を侵食するのだ。
熱を帯びた米が卵を抱き込む「幸せ」。
現実を置き去りにして、淑女であることも忘れて、ただの三十路へと戻っていく……。
それがとん挫することを示す手紙が、客室に着いた私の手元に届いた。
今、私はソファに座り、口から魂を飛ばしている。
「セシル様」
側付き令嬢となったクラリスが、私のだらしない格好を窘めてくれる。
「ごめんなさい」
でも、この手紙はしんどい。私は、泣きたい。
レオンハルトの父上から彼の国へ、米の栽培について、栽培技術などについての質問を送ってくれていた。
当然なんだけれど、返事はノーよりのグレー。
技術者を送り出したとして、実がなるまで数年はかかるだろうこと。
まぁまぁな資金が必要になること。
最後、私が五歳だということ。
私のわがままだと思われているようだ。
そんなものにつきあえないというわけだ。
それでもフェイ・ドラゴンの卵を託された令嬢ということで、無礼な対応をするわけにはいかないとなったとは思われる。
なぜなら、手紙とともに、農業方法の本がたくさん届いたからだ。
そして、それは異国の言葉。
気を落ち着かせるためにと、クラリスが王宮の世話係にお茶やお風呂の用意を依頼してくれている。
悔しい。
何が悔しいって。
文字が、読めないことだ。
モブじゃなければ、「ええっ、全ての文字が読める、聞こえる!」てなるのがセオリーのはず。
ほら、私は巻き込まれ追放モブ令嬢だから。
他国の言葉とか、まったくちんぷんかんぷん。
ひどい扱いだ。追放されたらいいとばかりの所業。
クラリスに読めない! と泣きついたら困った顔をされた。
「セシル様、五歳ですでに自国の文字が書けて読めるだけで、すごいことなのですよ」
そういって慰めてくれる。
かもね、かもね、そうかもね。
でも、きっと主役級ならチートが使える。
私がモブなばっかりに、TKGが遠くなってしまった。
「私が、私が、優秀ではないから、このようなことになったのですぅ!」
ぐずぐずと泣いていると、膝をついたクラリスがそっと抱きしめてくれた。
大きなお胸が柔らかい……のではなくて、お兄様達とは違う繊細さがある。
「十分すぎるほど、優秀ですわ。彼の国へは、何度も根気強く訴えてみましょう」
そうだ、そうするしかない。 チートが使えないなら、読めるようになるまでだ。
テーブルの上に積み上がった本の横に、こちらの気疲れを無視したような美しい封筒があった。
見るからに高価な紙に、金の封蝋。嫌でも差出人の見当がつく。
裏面を見ると、レオンハルトの名前がある。
どきん、と心臓が高鳴った。きっと、旅の疲れですね。
封蝋を解いて開けると、流麗な字で歓迎する旨から始まる。
『この資料は王宮で管理すべき貴重なもの。きっとセシルは読みたいだろうから、いつでも滞在ができるようにしてある。世話係にでもセバスチャンにでも伝えれば、すぐに手配をさせてもらうよ』
私の理性が戻ってきた。スンとした顔で手紙を見つめる。
フェイ・ドラゴンの卵と離れられる期間は、二週間ぐらいだとこれまでの実験でわかった。だから帰らなければならない。
だとすれば、王宮への訪問回数を増やすしかない。
レオンハルトは寮に入っているのに、私が王宮に泊まれるのは、王太子の婚約者だから。
婚約者が王宮にいるのに、王都のアカデミーにいる王太子に会わないという選択肢はない。
あの、策士王太子殿下ぁぁぁっ。
私が絶対に攻略してやると思うのを、わかっていたのだろう。
先回りで手配までして、本当に、策士である。
ちなみに。
レオンハルトがアカデミーに入学した話は、新聞一面を飾った。
孤高の王太子が、いよいよアカデミー入学!
ノーテル家の子息と、従兄弟を友人としての入学だ。とても目立った。
それに最初の魔力測定と、属性判定、調整力テストでは、この三人が群を抜いて際立っていたらしい。
エミールお兄様だけでなく、実はユリウスも優秀。ユリウスにはぜひとも私の事業を手伝ってもらいたいので、しっかり勉強をしていただきたいところ。
『会えるのを、楽しみにしているよ』
最後に書き添えられた文章を、気づけば十回は読んでいた。
ハッと我に返って、やっぱり疲れているようだと思った。
お湯が準備される頃には、恐縮するクラリスにも同じものを用意するように世話係にお願いした。
用意されたお湯に入り、旅の疲れを取った。
お茶はとてもあっさりしていておいしかった。飲みながら、本を眺めていた。
本当に、まったく、字が読めない。
何だこれは。
この国と交わらない言語体系ではないのは確か。
ゼロスタートではない、マイナススタートだ。
今日の夕食は部屋で取ることを許された。明日の昼食は両陛下とご一緒する予定になっている。
食事の用意はもう少し掛るだろう。
気分転換をしたくなった私は、探検、じゃない王宮を知るために少し散歩することにした。
ここは自分の屋敷ではない。
ベルを鳴らしてその用件を伝えると、セバスチャンがやってきた。
「お嬢様、お久しぶりでございます。お呼びですか」
「セバスチャン!」
知った顔にホッとはしたものの、ハテナが浮かぶ。
こういう時に来るのは、世話係と護衛騎士では。
でも、桜の木が気になっていたので、ヨシとした。
深く考えるのは、卵と米とポーションのことだけでいい。
部屋から出て、桜の木へとふたりきりで向かう途中だった。
ぞろぞろと集団が、前からやってきた。
こういう時は、身分が厄介だ。自分が譲るべきか、譲られるべきか。
セバスチャンを見上げた時、声を掛けられた。
「お前」
誰ですか、私をお前なんていう輩は!
私は心の中で憤慨しながら相手を見た。
「……殿下におかれましては、ご壮健のことと存じます。ノーテル伯爵家の娘、セシルにございます」
アレクシス・ルシオン、第二王子その人だった。




