14 番外編:鶏舎世話人の祈り(トマス視点)
わしの名はトマス。
ノーテル家のこの屋敷の鶏舎世話人を、もう二十年やっとります。
白状しますとな、去年までのわしは、抜け殻でした。
鶏舎の屋根は壊れ、水場は濁り、臭いは、まぁ、ひどいもんで。
直してくれと執事様に頼んでも後回し。
わし一人では、掃除も追いつかん。
まぁ、たいして卵も産まない鶏舎に価値があるとも思えません。
鶏に罪はないのに、と思いながら、腐りかけの藁を替えるだけの毎日でした。
そんなある日です。
お嬢様が、鶏に追いかけられて、盛大にすっ転びなさった。
終わった、と思いましたな。
わしの首が、物理的にか職業的にか、どちらかは飛ぶと。
何度かの魔獣災害を生き延びましたが、お嬢様のことで死ぬことになるとは。
走馬灯のように人生を反芻しておりました。
ところがお嬢様は、泣きもせず、むくりと起き上がって鶏舎をぐるりと見回し、こう仰った。
「私、ここに通うから」
「ひぃっ」
わしの喉から出たのは、そんな声でした。
甘やかされ放題と噂の末姫様が、この臭い鶏舎に通う。
嫌がらせの新手か、それとも罰か。
――どちらでもありませんでした。
お嬢様は、本当に毎日いらした。
奥様から渡されたという、もっさりした作業着で、つばの広い帽子をかぶって。
掃除の人手を増やし、土を入れ替え、水場を移し、餌を乾いたものに変えた。
わしが二十年、こうしたいと夢に見て、諦めてきたことを、五歳の姫様が片っ端から実現していきなさる。
おまけに、とても賑やかになった。
坊ちゃんたちも、お嬢様に引き寄せられて来るようになりましたので。
「トマス、この餌の配分、どう思う?」
しかも、わしに、聞きなさるんです。
使用人に、意見を。
わしは帽子を揉みくちゃにしながら、二十年分の考えを、しどろもどろに申し上げました。
お嬢様は、うんうんと聞いて、良いと思ったものは即座に取り入れ、駄目なものは「なぜ駄目と思う?」とまた聞きなさる。
鶏たちは、見る間に変わりました。
羽艶が良くなり、鳴き声が穏やかになり、卵は一日一籠が、二籠に。
街で「ノーテルの卵」といえば、今や飛ぶように売れるそうで。
あの気位の高い雌鶏の親分――お嬢様を追いかけ回した張本人――でさえ、お嬢様が土に魔法を流し始めると、止まり木の上からじいっと見守るのです。
まるで、仕事ぶりを検分する親方みたいに。
そしてあの日。
竜が、来ました。
よりにもよって、わしの……いえ、お嬢様の鶏舎に、卵を産みに。
後から聞けば、幸福の竜は、穢れた場所には決して卵を残さんそうです。
つまり、この鶏舎は、竜のお眼鏡にかなったということで。
わしは、その晩、一人で鶏舎の掃除をしながら、ぼろぼろ泣きました。
二十年、誰にも顧みられなんだこの場所が、国王さえ尊ぶ竜に選ばれたのです。
お嬢様は今、遠くの村で、また何やら新しいことをしておられるとか。
戻られたら、伝えねばなりません。
親分鶏が、お嬢様を待ちわびるように、ずっと出入り口を見つめていることを。
このトマス、どこまでも、お嬢様の味方です。
鶏どもと一緒に、お帰りを待っとります。




