表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

第一章 人を導きしもの 2

 薄暗い密閉された空間、暗い蛍光灯と色とりどりのランプ、そしてモニターの放つ光だけがそこを照らし出している。その中には五人の男女がいた。全員が二十代前半にみえる。その内のひとり、如月正義だけが空間の中央にシートに座らずに立っていた。正義を中心にシートが半円周上に等間隔にあり、その前はボタンやモニターで埋め尽くされていた。

「ヨトゥンヘイム12沈黙」

シードの専属オペレーターであり正義の副官でもある紫東恵が驚きを隠しきれずに言った。モニターの光に照らされたためなのか、それとも本当にそうなのか、その顔は青白くなっている。

「状況を確認しろ」

正義が落ち着いた声で言う。こういう時、上に立つ者がしっかりしなければ混乱が広がってしまう。そのことを踏まえた上での発言。

「は、はい、11,13状況を報告してください」

恵は落ち着こうと努めて、マイクに問いかけた。

『刀を持った奴が現れた。・・・くっ、うわぁぁ・・・』

 通信が途絶えると同時にモニター上のヨトゥンヘイムが警告表示に埋もれる。

「ヨトゥンヘイム11・・・いえ、11,13沈黙」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

沈黙が続く。重苦しい沈黙だった。ここにいる者は皆自分たちの持つ力を信じていた。だからこそ、それがいとも簡単に崩れたときの衝撃は大きかった。   

沈黙は長くは続かなかった。

「自分が出る。その間にヨトゥンヘイムを回収しろ」

正義が沈黙を破り命令すると、一人部屋を出て、エレベーターに乗った。エレベーターが上り切ると、そこはすでに森の、大地から三メートルほど離れた空中だった。正義は宙に浮いていた。

「アースガルズ、起動」

言い終えるとともに正義は光に包まれた。




「うわ―、倒しちゃたよ」

思わず驚きの声が口から漏れていた。白いファールスにも驚いたが、結城がシードを展開して跳びだして来た時は本当に驚いた。驚きぱっなしである。

(私も行ったほうがいいのかしら・・・?)

真綾はすぐに頭を振ってそんな考えを頭から消した。さっきからの結城の態度に、彼女はかちんときていた。

(待っとけと言われたんだから、待っとけばいいわ)

心の中でそう言って丘の上にどさっと寝そべった。芝生の感触が気持ちいい。朝から硬いシートに座り続けていたり、森を歩いたりしからだろうか。目を閉じると、草のいい香りがした。

「ああ、ほんと、いい気持ち」

背伸びをすると一緒に疲れが消えていく。

突然、風が吹き抜けた。芝生がざわめく。同時に強いジェネシスフィールドの干渉を感じた。反射的に目を開けて風が吹き抜けた方を見る。彼方に赤い何かが見えた。急いで双眼鏡を鞄から取り出して覗き込む。それは人型の赤いファールスだった。白いのとは違って、完全な人型で、両肩に円形の装甲が付いていて、背中のバーニアも上下に二本ずつ四本になっている。しかし、全体的に白いのよりはるかにスマートな印象を受ける。顔にはカメラが目のようにちゃんと二つある。さらに、右手には銃みたいなものまで持っていた。

いきなりその銃から森に光が伸びた。光は森を円形に焼いた。

円周がきれいにこげ茶色になって煙と土煙が上がっていた。圧倒的な破壊力だった。

(アレ、同じシードなら、粒子加速装置を利用したものだろうけど、あの威力はなんなの・・・・・・)

呆然として双眼鏡を見ているとその円の中心に結城がいた。少し離れて見知らない男と女の子が見える。

「ちょっと・・・・・。大丈夫なの、相良君?」



「来る」

ヤクサの小さな呟きはなぜか森のざわめきの中はっきりと結城の耳に届いた。同時にジェネシスフィールドの干渉を感じて空を仰ぐ。そこには赤いファールス――アースガルズが浮遊していた。下界を見下ろすその姿はまさに威風堂々と形容できる。

(さっきのとは違う。新手か?)

一瞬の間もなくアースガルズの右手に握られているライフルから光が伸びてきた。光が視界を真っ白に覆う。同時に凄まじい風が吹き荒れ、木々の倒れる音があちらこちらから聞こえてくる。思わず右手で顔を守った。凄まじい嵐が消えると、結城は腕をどけた。その時にはアースガルズは左手に巨大な刀を握って、結城に迫ってきていた。



「信じられない。あんな装備でヨトゥンヘイムを・・・・」

意外だとわずかな驚きを浮かべていた顔が、すぐに微笑を浮かべる。正義は今まで体験したことのない力と力の激突を無意識に想像し欲望に負けたのだ。正義は戦士だった。右のモニターに目を向ける。そこには久遠を抱いたヤクサがいる。

「高エネルギー反応・・・・。オリジナルはあっちか。―――ヨトゥンヘイムを圧倒した力、試させてもらう」

そう呟くと正義は躊躇う事なくトリガーを引いた。アースガルズのライフルから光が大地に伸びる。

そして光は大地をえぐった。土や木が巻き上がり、視界を濁した。

正義はそれが収まる前に次の行動をアースガルズに指令した。左手に右の腰にあった刀の柄を握らせた。すぐにそれは光に包まれ、刃が構成される。

アースガルズを急降下させて、一瞬で間合いに入り込んで結城に向けて刀を振り下ろす。それを結城は後ろに跳んで避ける。アースガルズはさらに結城に迫って、間髪いれずに切りかかった。

結城はそれをかろうじて斬鉄で受け止めたが、圧倒的な質量の差の前に、結城は後ろに大きく弾き飛ばされる。それでも、結城は地面を転がって衝撃を逃がし、跳ね起きて次に備えて構える余裕を見せた。



(早いっ!斬鉄で受け流すだけで精一杯だ)

その間にもアースガルズが攻撃を仕掛けてくる。結城は振り下ろされた刀を後ろに跳んで避ける。が、アースガルズは刃をまわして切り上げてくる。結城は斬鉄でそれを受ける。

「くっ!」

その衝撃で結城の体が宙高くに浮く。自然と結城の視線が上に向くと、そこにはすでにアースガルズがいた。

さらに振り下ろしの衝撃が斬鉄を通して結城に伝わる。結城は地面に速度を増して落ちる。高さはおよそ七メートル、しかも速度がつきすぎている。このまま地面に激突すればただではすまない。

結城は猫のように体をひねって着地した。後ろに跳ぶ、その直後まるで結城の動きを予測していたかのようにアースガルズの刀が、結城がいた場所をえぐった。


(なるほど、このアースガルズと互角に戦えるなら、ヨトゥンヘイムが遅れるのも無理もない。量産機であるヨトゥンヘイムと試作機であるこのアースガルズでは三倍の機動能力差があるからな。・・・・さっきのあの動きといい、彼の運動能力と反応速度は人間のものを超えているのか?仲間に引き入れられれば心強い戦力になるが・・・・・・)

そう思いながらも正義は攻撃の手を緩めない。

「アースガルズの起動可能時間が、あと五分を切っています。急いでください」

恵の先程と打って変わって落ち着いた声が聞こえた。正義は思わず悪態をついた。

アースガルズのカタログスペックでは三十分以上の戦闘行動が可能なはずなのだ。

(エネルギー変換効率が悪い。まだ未完成ということか。・・・・仕方がない。けりを着けさせてもらう)



(まずいな。あの粒子砲を使われたらもう一つの方も役に立つか。・・・どの道このままだと時間の問題でやられる。どうする?)

結城はあせっていた。さっきから自問自答を繰り返しているが答えが出ない。その間にも、アースガルズの容赦ない攻撃が続いている。

(反撃にまわれない。―――!)

焦りが隙を生んだ。ほんの一瞬結城の動きが止まる。それは隙と呼ぶにはあまりにも刹那の出来事だった。それでも、アースガルズはこれを見逃さない。結城はとっさに斬鉄で防御する。信じられないほど重さを身に受け、結城は弾き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

「うわっ。・・・・ぐっ!」

衝撃を逃がす余裕はなかった。痛みに顔が歪む。その隙にアースガルズが空に後退していく。結城は直感的に粒子砲がくると悟った。

(・・・やられる)

結城は呼吸を整えながら、自分でも驚くほど冷静に死を覚悟した。




「終わりだ」

正義は落ち着ききった声で言うとトリガーにかけている指に力を込めた。


ビーーーー!


突如、警告音が鳴り響いた。弾かれたように、正義は側面のモニターを見る。警告表示が激しく明滅していた。

(高エネルギー反応!)

正義は反射的に照準を反応の方向に変えた。

アースガルズから光が伸びると同時に、地上からもそれを飲み込むほど巨大な光が伸びてきた。次の瞬間、光と光がぶつかった。




ヤクサは膝をついて久遠をそっと地面に寝かせた。久遠の顔は青白い。ヤクサは悲しげな表情で久遠を見つめていた。結城の斬鉄とアースガルズのブレードが激突する音が何度も響いてきている。金属と金属がぶつかる音はまるで久遠を連れに鎌を持った死神が来たようにヤクサには思えた。そう、もう迷っている時間も余裕もない。

(これ以上失うわけにも、失わせるわけにはいかない。久遠のために)

ヤクサは強い光を目に宿し立ち上がった。その目は本当に光っていた。

「昂閃、起動」

ヤクサの両手の肘から先が一瞬、光に包まれる。

光が消えるとヤクサの両手には白銀に光る小手がついていた。そして左手には全長が二メートル程で細長いハネケイソウのような物が握られていた。中央には直径十センチ程のおわん型のへこみがある。ヤクサはそれをまるで弓のように構える。

ちょうど浮かび上がってきたアースガルズがライフルを構えた。

(目標ロック・・・)

同時にアースガルズが銃口をヤクサに向けた。昂閃の中央のへこみに光が宿る。

直後、二つの光は同時に獲物を求めて空を裂いた。・・・・そして、ぶつかっる。

二つの光は互いに干渉しあって、光が拡散していく。それはまるで花火のようだった。もちろん昼間にこれほど鮮明に見える花火があればの話だが。美しい光景だった。薔薇に棘があるように、綺麗なそれには破壊を求める意思が込められていた。



恵の額に汗が浮かんでいる。目には動揺の色が、表情は恐怖にこわばっていた。モニターには信じられないエネルギー数値が表示されている。

(オリジナルコアが出力制御ができなくて調整されていたとしても、今のエネルギー変換が完全でないレプリカコア使用のアースガルズでは十五倍以上の出力差があるはずだわ・・・・・)

背筋が凍るような感覚に襲われた。恵はすぐにアースガルズに通信をつないだ。一刻も早く退かせなければ、アースガルズが負けるのは明らかだった。




アースガルズの目前で光がぶつかって、光の壁を作り出している。加速された粒子同士がぶつかり合うことで拡散しているのだ。光の壁が徐々にアースガルズに近づいてくる。コクピットのあちらこちらで異常を示すレッドランプや警告表示が耳障りな音と共に光っている。特にライフル系統は悲惨だった。もともと未完成な上に、限界スペック以上の連続使用で廃熱が追いつかずに悲鳴を上げていた。そして、エネルギーの残量不足。アースガルズの限界は目前に迫っていた。

『おされてきています!パワーダウンする前に回避してください!』

恵の焦りが伝わってくる。ところが当事者の正義は冷静だった。

(今のアースガルズでは勝ち目はないか)

正義は撤退することを即座に決意した。

「了解。回避を試みる。ミストを散布し、ヨトゥンヘイムを回収し――!」

言い終える前に衝撃がアースガルズを襲った。モニターがノイズに埋め尽くされ、先ほど以上にけたたましい音が鳴り響く。正義は反射的にモニターで被害状況を確認した。息を呑んだ。モニター上の右腕の表示がライフルごと消えている。加えて背部のバーニアの内の右の二つも先半分が消滅している。

「アースガルズ再構成開始・・・」

無機質な合成音が言い、同時にモニターの右上のマテリアル残量を示す値が急速に減っていく。そして、ゼロになる。

「バーニア部、再構成完了。右腕部及びライフルはマテリアル残量不足のため再構成不可。通信装置に障害発生」

再び合成音が言う。戦闘を続行不能なのは変わらない。それでも、飛行できるだけマシだと言えた。正義がすぐにアースガルズを後退させた。回復したモニターには急激に霧に覆われていく森が映っている。

「いいタイミングだ。紫東がちゃんとしてくれたか。・・・こちらも足止めをしておかなければ」

正義は口元に微笑を浮かべ、アースガルズを元来た方向へ向けた。




「あの人のシード、普通の規格じゃない。・・・まさかオリジナル・コア?」

結城は呆然と呟いた。視線は光の延びてきた方向に固定されていた。しかし、霧に妨げられてヤクサは見えない。




結城のいる所から二キロメートルほど離れた所、真綾がいる丘の反対側に森の中に縦横八メートル、高さ三メートルほどの直方体が存在していた。その中に恵達はいた。正義との通信が突然切れた後、恵はあわてなかった。恵は正義の命令を実行しようとした。正義の言動を真似て、できるだけ威厳に満ちた口調で言った。

「ワルキューレ二番機の起動と同時にミストを展開し、ヨトゥンヘイムを回収。その後、この区域を離脱します」

しかし、返事がない。不安な表情で見回すと一同がきょとんとしている。いつもは正義がいるので、恵は副官といっても指揮官らしいことをしたことがなかった。

(私何か間違った?)

恵は不安になって、自分が言ったことを、もう一度頭の中で繰り返す。が、おかしなところはない。・・・と思う。今の状況を作り出した原因がまったく見当がつかない。恵には永遠に思われる沈黙が一瞬できた。それはほんのわずかな一瞬だった。

「了解。ワルキューレ二番機起動準備」

「え?」

「起動と同時にミスト展開します」「ヨトゥンヘイムの回収コースのプランデータを送ります」

続けて復唱される。そして恵の目の前のモニターには回収コースが表示される。突然の事態の推移に呆然としたのも一瞬、安堵感に恵の顔が自然とほころぶ。

(早くしないと!)

今自分が置かれている状況を思い出し、恵は回収コースを確認する。

「P1を採用します。ワルキューレ起動してください」

「ワルキューレ起動」

ワルキューレのシードが光に包まれる。次の瞬間、

胴体が幅広のフォルムの飛行機が現れた。その翼の両端には垂直にエンジンがついている。同時にワルキューレの各部から霧が溢れ出した。

「ヨトゥンヘイムを回収します」

恵の声が内部に凛と響きわたり、ワルキューレの白い巨体が木々をざわめかせ垂直に浮き上がった。そして両翼のエンジンが九十度回転して、推力が後方に向いた。ワルキューレは森の上を滑るように飛んで行く。



―第二射準備完了―

ヤクサは二射目を撃とうとする。しかし、―

(新しいジェネシスフィールドの干渉。まだいたのか)

視界がどこからともなく急速に霧に覆われる。

―目標ロスト―

「この霧は・・・・・、退いてくれるのか」

ヤクサは構えを解き、昂閃は光に包まれて消えていく。


ザワザワ・・・・


ヤクサの聴覚はワルキューレのたてる森のざわめきを捉えていた。



「あの人のシード・・・、赤いファールスの粒子砲を撃ち抜くあの威力・・・。複数のコア?それとも、高純度のコア使用しているの?でもどっからそんなものを――――」

真綾が双眼鏡から目を離さずに、ぶつぶつを呟き続けていると、真綾の目にアースガルズのバーニアが光に包まれて元通りになる光景が映った。

「再生した。・・・すごい!」

この瞬間、真綾は幸せだった。

いろいろなシードを見れた喜びはもうこのまま死んでもいいと思うほどだった。幸せ絶頂の真綾に信じられない光景が双眼鏡を通して目に映った。アースガルズが真綾に悠然と向かってくる。その左手には刀が握られていた。

「えっ、え?・・・え!」

突然、他人事だった恐怖の矛先が真綾に向いた。真綾は動揺してその場から動けなかった。アースガルズ刃が鈍く光る。真綾は生まれて初めて目前に死が迫ってくる感覚を味わった。そんな時でも視界の端にワルキューレが見えると思考がそっちに行ってしまう。洗練されたデザインに、素直に綺麗だと思った。

(こういうの私らしいな)

真綾は恐怖にこわばりながらも、自嘲的な笑みを浮かべてしまった。最後の表情としてはもっといい顔をしたかったが、こればかりはどうにかなるものではない。

アースガルズが目前に迫っている。左手が刀を振り下ろそうとして上げられた・・・・・。




結城は霧に阻まれ見失ってしまったヤクサ達を探して、深い霧に覆われた森の中を歩いていた。斬鉄は元の姿である茶色の手袋の甲についた金属の板に戻っている。結城の動きには不自然なところが見られないどころか、息すらもほとんど乱れていない。

「すごいな、この霧」

森が霧に覆われて十分ほどが経っていたが、いまだ視界は十メートル程しかない。突然発生したこの霧が人工的なものなのは明らかだったし、ヤクサの攻撃の二射目がないことから、この霧はただの目くらましではなく、センサーにもかなりの影響を与えているのだろうと、結城は推測していた。それに加えて、この持続性である。結城は心底感心していた。

五分ほど感を頼りに森の中を歩いていると、右側前方の木々の隙間に丸い塊を見つけた。

結城は迷うことなくゆっくりと近づいていく。近づくにつれてその輪郭がしっかりしてくる。かがんだ人だった。足元には子供が仰向けに倒れている。さっきの二人に間違いはない。

ヤクサは昂閃をシードに戻していた。まだ二人の様子は霧に阻まれてよくわからなかったが、あと三メートルというところまで来て二人の形が鮮明になった時、ヤクサは突然立ち上がって、ゆっくりと結城の方を向いた。

「何が目的だ?答えによっては攻撃しなければならない」

その声には何者も寄せ付けない鋭さがあった。目つきも鋭い。まるで研ぎ澄まされた刀のよう。

「その子を助けたい、ただそれだけです」

結城は即答する。ヤクサは少し意外そうに驚いた。結城は続ける。

「飛行可能なシードを持っています。それでその子を近くの医療施設まで連れていけます」

もちろん結城は医療施設といえば郡山しか知らなかった。決して近くではない。しかし、そうでも言わないとヤクサが着いて来ないだろうと直感的思っていた。

ヤクサの表情は相変わらず厳しい。結城とヤクサの視線が交わりながら沈黙が続く。木々のざわめきすらも静まる。この時になって初めて結城は久遠の呼吸音に気が付いた。一定のリズムで、しかし弱々しい。

(この一ヶ月で久遠はこれ以上の移動を受け付けないほど弱りきっている。久遠のためにも、彼に託すほうが賢明か)

「この子を・・・、久遠を頼む」

そう言ったヤクサの声には、先ほどと変わらない鋭さがあった。ただ、厳しい表情が微妙に緩んだように見えた。まるで刀を鞘に収めたような感じに。警戒心が薄らいだからだろう。しかし、まだ刀自体は手放されていなかった。




 ワルキューレの中で、恵は帰還した正義に現状報告をしていた。

「ヨトゥンヘイムのマテリアル保存率は95%。アースガルズの保存率は65%、目標の攻撃が高エネルギーだったために、マテリアルが変質、分離して、コアのコントロールから離れたようです。アースガルズにはマテリアルの再構成及び補充が必要です」

正義は恵が報告してくるのを聞きながら報告書に目を通している。恵の報告が終わると正義は報告書を机に置き、目を閉じて、腕を組んだ。微妙に眉間にしわがよっている。恵は正義が口を開くのを待った。正義の決断が遅いのは珍しいことだった。その間、全員が作業を止めて待っている。

「現戦力での追撃は無理と判断し、これより帰還する」

正義はよく通る声で言い放つと、

「了解」

同時に復唱される。そして、操舵士はコースを変更し、通信士は状況報告と帰還の旨を報告する。各自が自分のするべきことをし始めた。恵もシードのシステムチェックや必要なマテリアルのリストを作成しようと自分の端末に向かおうとした。

「紫東」

その時、正義に呼び止められた。

「はい、なんです?」

 恵は小首を傾げて振り向く。

「さっきは助かった」

 恵は正義が礼を言うためにわざわざ呼び止めたことに少し驚いた。それが顔に出てしまっていた。

「どうしたんだ?」

 正義は不思議そうに聞いた。

「えっ!・・いえ、如月さんがそんなこと言うなんて思ってなかったから」

 あせって、ついつい思っていたことを素直に言ってしまった。

すぐにしまった、と手で口を押さえたが、もう遅い。抑えた笑い声がそこら中から聞こえてきた。正義が困った風な顔をする。恵は正義のそんな表情を見たのは初めてだった。なんだか悪いことをしたような気がしてきた。

「で、でも私うれしいです。そういう上官の下で働けて・・・・」

 素直に思っていることだったのだが、動揺して声のトーンが明らかにおかしかった。それをきっかけに堪えきれずに笑い声が起こった。


つられるように正義も笑い出した。



・・・・・・・・・・・。静まり返った。

全員が幽霊でも見ているような目で正義を見ていた。それでも正義は腹を押さえて、肩まで震わして笑っている。

「・・・・あの、如月さん?」

 恵が恐る恐る声を肺から絞り出した。

「ああ、くくっ・・・・・すまない」

 正義は笑い続けた。すぐに誰かが笑い出した。後はドミノ式に広がった。残ったのは困惑した恵だけだった。恵の中の理想に上司像の正義が倒れかけているジェンガのように揺れて、――――崩れた。 恵も笑い出した。





 結城は呆然とヒリュウを着陸させた場所に立ちすくしていた。後ろにはヤクサが気を失った久遠を抱えて立っている。その顔に怪訝そうな表情が浮かんでいた。

「ここで待っとくように言ったんですが。・・・・・・どこに行ったんだろう?」

着陸した場所からヒリュウは消えていた。結城は辺りを見まわして少し離れた茂みに転がっている球形の小さな金属球を見つけた。結城は近づいていって、それを拾い上げる。

(これは!)

 シードだった。KORIYAMA LABO SEED HIRYU SERIES NO.01と刻印されている。

(おかしい、あの人がヒリュウをこんな所に転がしておくなんて)

 真綾を探す。周囲には悪夢樹の森が広がっている。ぐるっと見回すとそれは突然途切れて草地になる。今結城達がいるところだ。ヤクサ達のほかに誰も見当たらない。視線は自然と残った眼前の丘の上へと向いた。いた。真綾が丘の頂上に立っている。結城の位置からは背中しか見えなかったが、方向からしてさっきの戦闘を見ていたのだろう。

「いました。呼んできますから、待っていてください」

 ヤクサが無言で頷くのを確認して、結城は真綾が立っている所に向かって走っていった。

 すぐに結城は真綾の様子がおかしいことに気が付いた。真綾はなんというか肩の力が抜けていた。疲れているとかそういうのではない。明らかにおかしかった。結城は心配になってきて、少し遠いような気がしたが大声で呼びかけた。

「神名さん!・・・神名さん!」

 その声は十分真綾の耳に届いているはずだったが、真綾は答えない。反応もなかった。よく見るとだらんと垂れ下がった右手の先に双眼鏡が落ちている。

(おかしい・・・・・)

 結城の中でいやな想像が生まれ、背筋に悪寒が走るのを感じた。あと一歩で真綾に手が届くまできても真綾は何の反応も示さない。結城は覚悟を決めて真綾に手を伸ばす。突然、真綾が振り返った。

「あ、おかえり」

「神名さん・・・・」

 安堵のため息が漏れる。結城は真綾が無事だったことに安心して表情が緩みかけて、途中で止まった。真綾の目線は宙を漂っていた。焦点がどこにも合っていない。いつも好奇心に満ちていて、まっすぐな光を放っている瞳から、それが消えている。たぶん真綾はあのファールスを見たはずだ。それなのにこの目はおかしい。

「神名さん、大丈夫ですか?何か変ですよ」

「私はなんともないわよ」

 真綾の声は、普段からでは想像できないほど抑揚がなかった。

「けど・・・」

「なんともないって!」

 真綾は結城を睨んだ。真綾は続けて何かを言おうとしたが、口を開きかけて、唇を噛んで視線を逸らした。こんな態度をとられて気にするなという言うほうが無理な話だ。どうしたのかと聞こうとした。しかし、真綾が結城が何か言う前に口を開いた。

「さっきに人達はどうしたの?」

 話をそらすためなのは明らかだったが、結城はそれ以上詮索しなかった。久遠が下で待っている。それが今一番重要なことだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ