食人鬼
柔らかい風が頬を優しく撫でる。
灯りを持たなくては、手を伸ばした先すらも見えない濃厚な闇。
その中で俺は一人立ち尽くしていた。
ぼんやりとした光を弱々しく放つ和紙と呼ばれる特別な紙に包まれた蝋燭を、片手にその方向に歩いていく。
立ち止まって見えた景色の先には、蹲る女性の姿。
風呂上がりなのだろう。水が滴り落ちる黒髪、赤く上気した頬は淫靡な物を感じさせる。さらに追い討ちをかけるように赤く紅を塗ったかのような唇。
この三種が揃った美女を見て、つい夜伽を命じたくならない者はいない事だろう。
––––ただし、ソレが人間の臓物を咀嚼していないならばの話だが。
唇の紅は、喰われている者の腹から採取した血だろう。月の光に照らされ妖しく艶めく。
ふと虚ろな、光を宿さぬ瞳を開けたまま口をぽっかり開いてる少女の顔が目に入る。
綺麗な切断面から血が抜けたのか、肌は青白く血の気のない色をしている。
「………何のよう?」
食い散らかしている女はふらりと立ち上がり、こちらを狂気に満ちた青緑の瞳で見つめてくる。濡れた漆黒の髪を鮮血で紅く染まった紐で高く結い上げていた。
その容姿は、どこかで見覚えがあった。
その虚ろな瞳をじっと見つめ、そして思い出した。
俺たちを出迎えた旅館の従業員だ。
「邪魔するなら………消すしかないね。」
その女は確実に間合いを詰め、隠し持っていた、うっすらと紅く染まった短刀を振り上げる。
とっさに抜き出した白の剣で受け止め、足払いをかける。女はそれを見越していたようで、ひょいと背後に反るように後ろ向きに回転し、まるで弾力性が非常に強いバネのように弾き、華麗に大地へと着地する。
一介の従業員には到底見えないその身のこなしは、本当に『女』であるかも分からなくなってくるほどだ。
いや、もしかしたら本当に『女』じゃないのかもしれない。
そんなくだらないことを考えている間にも、そいつは短刀で絶え間なく攻撃してくる。ジリジリと壁に追い詰められ、このままだと、逃げ場がない状態へとなりそうだ。
「…………ッ!!」
すぐ後ろに壁があり、逃げる事も出来ない。それなら、攻撃するしかない。
そう思ったので、鳩尾に硬く握り締めた拳を深く打ち込む。
身体を強張らせたその一瞬で蹴り飛ばし、女は地面へと身を放り投げる。
「…………お前は何者だ?」
地面へと這いつくばった女に剣を向け問いかける。
女はいつまで経っても、問いかけに答えようとする気配が見れない。ただ、無感情な瞳でこちらを眺めているだけだ。
「………答えろ。早く答えなきゃ、お前を殺」
鈍い痛みが、脇腹から感じる。
何だろう、と思う間もなく激しい焼かれているような痛みが全身を襲う。
何でこうなった。
その理由なんて簡単だ。
女が腰に下げていた打刀を鞘から抜き出し、俺の脇腹を切り裂いたからだ。
おそらく、打刀には猛毒を塗っていたのだろう。
斬られた鈍い痛みとは違う、焼けるような鋭い痛みはその考えを見事証明している。
目眩と吐き気でよろけ、女に焦点を合わせなくなったのを見計らうように、女は逃げ出す。
「ゲホッ……っうっ」
肺から強制的に空気を排出すると、その空気と共に生暖かい血が吐き出される。
これはやばい、と本能的に察する。
このまま、死んでしまうのだろうか。
それなら、それでいいや、と思い瞼を閉じた。




