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三千界戦:起源  作者: 天上天下天地無双刀
1章 無極城編
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第29話 命より重いもの

「まずい、 ちょうえん!!」


ちょうえんッ!!」


 ――どしゃ降りだった。


 扉が、乱暴に叩き開けられる。


 雨と冷たい風が、一気に室内へ吹き込んだ。


 全身びしょ濡れのまま、 ちょうはくが駆け込んできた。


 呼吸は乱れ、肩で息をしている。


「大変なの!!」


 声が、震えていた。


しんふく様が――危ない!」


 室内。


 火の灯りが、ゆらりと揺れる。


  ちょうえんは、椅子にもたれたまま。


 手には、食べかけの饅頭。


 のんびりと、かじっていた。


 視線だけ、わずかに上げる。


「……は?」


 間の抜けた声だった。


  ちょうはく姫が、一歩踏み込む。


「本当に、まずいの!」


「彼女が――」


  ちょうえんは、彼女の言葉を遮った。


 そのまま、もう一口饅頭をかじる。


 もぐもぐと咀嚼しながら。


「ありえねぇだろ」


 手の甲で口元を拭う。


しん家の屋敷だぞ」


「中には百人以上いる」


「兵も、腕の立つ連中ばかりだ」


「誰が手ぇ出せるってんだ」


  ちょうはく姫の表情が、さっと変わる。


「……自分で見て!」


 乱暴に、手紙を突き出した。


  ちょうえんは、それを受け取る。


 視線を落とし、じっと見つめる。


 数秒。


 ――沈黙。


 室内の音が、消える。


 聞こえるのは。


 屋根を打つ雨の音だけ。


「――ザァ……ザァ……」


 やがて、 ちょうえんは顔を上げた。


「……読めねぇ」


 空気が、固まる。


  ちょうはく姫が、ぴたりと止まった。


 こめかみが、ぴくりと跳ねる。


「――ああもうッ!!」


「そうだった、あんたバカだった!!」


  ちょうえんは、肩をすくめる。


 まったく悪びれずに。


「だったら、読んでくれよ」


  ちょうはく姫は、深く息を吸った。


 感情を押し殺しながら、もう一度紙面に目を落とす。


 それでも、声にはわずかに焦りが混じる。


「無極城に、大きな災いが訪れる」


とうたくの残党が――夜、城を襲う」


 言葉が、わずかに詰まる。


 指先が、紙を握りしめた。


しんふくは――」


 ほんの一瞬、声が揺れる。


「今夜、死ぬ」


 部屋の中が、再び静まり返る。


 雨音だけが、細かく降り続いていた。


  ちょうえんは、口の端を歪める。


「……それだけか?」


 軽く顎で、手紙を指した。


「どう見ても、デマだろ」


  ちょうはく姫が、顔色を変えた。


「信じないなら――」


「私が行く!」


  ちょうえんが、きょとんとする。


 一度、彼女を見て。


「……お前なぁ」


 頭をかく。


 困ったように、ため息を吐いた。


「分かった分かった」


「行きゃいいんだろ、俺が」


 彼は立ち上がり、手にしていた饅頭をそのまま懐へ押し込んだ。


 だが、ふと動きを止める。


 振り返り、彼女を見た。


 先ほどよりも、いくらか落ち着いた声で言う。


「でもな」


「ちゃんと考えろよ」


「今の俺たちは――」


「金もねぇ」


「人もいねぇ」


「後ろ盾になるようなもんもねぇ」


 言葉を切る。


 視線が、わずかに鋭くなる。


「それでも首を突っ込むなら――」


「命、落とすかもしれねぇぞ」


  ちょうはく姫は、迷わなかった。


「それでも、行く」


「必ず、助ける」


 部屋の中が、また静まり返る。


  ちょうえんは、何も言わずに彼女を見た。


 その視線が、ゆっくりと止まる。


 ――その瞬間。


 別の誰かの姿が、重なった。


 かつての ちょう饶。


『いいか、えん


『俺たち黒山軍はな』


『金もねぇ、人もねぇ』


『だがな――』


『情と義だけは、あいつらとは違う』


『金しか見てねぇ連中とはな』


 記憶が、ふっと遠ざかる。


  ちょうえんは、小さく息を吐いた。


 顔を上げる。


 屋根を打つ雨音が、やけに冷たい。


「……情と義、か」


 彼は、ぼそりと何かを呟いた。


 まるで、自分に言い聞かせるように。


 一拍、間を置く。


 やがて、口元に苦笑が浮かんだ。


「まったく――」


「命より、重てぇな」


 ――牢の中。


「それからだ」


  ちょうえんが、ぽつりと続ける。


「お嬢は、毎日その計画を練ってた」


しん家が長く取引してる香の店を割り出して」


「そこで扱ってる檀香を、すり替えた」


 自嘲気味に、笑う。


「正直な話な」


「あの夜だって――」


「やるかどうか、最後まで迷ってたんだ」


「見つかりゃ、首が飛ぶって分かってたからな」


 言葉が、少しだけ途切れる。


「……それでも」


 ばんが、問い返す。


「それでも?」


  ちょうえんは、目を閉じた。


 顔をわずかに上げる。


 記憶をなぞるように。


「――あの夜だ」


「お嬢がな」


しんふくの顔を見たんだ」


 静かに、言う。


「涙、浮かべてた」


「それで――決めた」


 その一言で、すべてが繋がる。


 ばんの脳裏に、あの夜の光景が蘇る。


 灯り。


 人のざわめき。


 そして――


 あの時の、しんふくの表情。


「やっぱり……」


 かすれるような声。


 花火の音に、掻き消されそうなほどに小さい。


「……私……」


 一瞬、言葉が途切れて。


「袁熙様の妻には……」






 なりたくない……





  ちょうえんは、そのまま続けた。


「お嬢はな」


「まずしんふくを九門に連れていくつもりだった」


「そこで落ち着いて、事情を説明するつもりでよ」


「少なくとも、あそこにはまだ俺たちの拠点がある」


 そこで一度、ばんの方を見る。


 わずかに、苦い笑み。


「――で」


「まさかだ」


しんふくの護衛が、あそこまで強ぇとはな」


 肩をすくめる。


「半刻もかからず、こっちは壊滅だ」


 牢の中に、短い沈黙が落ちた。


 ばんは、俯いたまま動かない。


 何も言わない。


 その様子を見て、 ちょうえんの胸に不安が広がる。


 しばらく迷い――


 口を開いた。


「……もし」


「お前でも、この牢を破れねぇなら」


 苦笑が、漏れる。


 声は低く、かすれていた。


「俺たち――」


「誰一人、生きて出られねぇ」

 ばんは、もう一度手首を動かした。


 鎖が、かすかに触れ合う音を立てる。


 ゆっくりと、力を込める。


 ――だが。


 身体が、応えない。


 筋肉が抜け落ちたように、力がまとまらない。


 傷ではない。


 何かに、押さえつけられている。


 命そのものが。


 ばんは、眉をひそめた。


 もう一度、鎖を引く。


 それでも――びくともしない。


 沈黙の中で、時間だけが流れていく。


 やがて。


 牢の外から、足音が近づいてきた。


 重く、揃った足取り。


 鉄の扉が、開く。


 数人の兵が入ってくる。


 無言。


 冷たい視線のまま、まっすぐ ちょうえんへ。


 重い拘束具が取り出される。


 手首へ。


 首へ。


 ――カチリ。


 鉄環が閉じる音が、やけに大きく響いた。


 一人が、低く告げる。


「時刻だ。引き立てろ」


「斬首して、晒す」


  ちょうえんの表情が、わずかに止まる。


 だが、抵抗はしない。


 小さく、苦笑する。


 ゆっくりと振り返る。


 ばんを見る。


 その目は、妙に静かだった。


「……じゃあな、兄弟」


「せいぜい、気 ちょうれよ」


 その口調は、どこか拍子抜けするほど軽かった。


 まるで、どうでもいいことを口にするみたいに。


 鎖が外される。


  ちょうえんは、そのまま兵に押されて歩き出した。


 足音が、遠ざかっていく。


 やがて、扉が閉まる。


 ――重い音。


 牢の中に、再び静寂が戻る。


 鉄格子の窓から、雨が吹き込んでくる。


 冷たい水滴が、床に落ちた。


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