第五百九十三話 率土之浜に、鳴り響く
「例の神童――確か、アルトとか云ったか。今月からだったね。彼がシーラ殿下の御伽役として、登城してくるのは」
豪奢な魔道着に身を包んだ壮年の男が云った。
嬉しそうに「はい!」と応じたのは、長い髪を持った端正な容姿の女魔術師、フィロメナである。
「クナーティン副魔導長、アルトくんの案内役は、この私にお任せ下さい!」
「いや……。案内役って、それは王家の方々か、王女殿下の御意志、或いはクローステル侯爵家がお決めになることで、我ら宮廷魔術師が決定することではないだろうに……」
宮廷魔術団の№2は、顔を引きつらせた。
彼は自分の部下の『特殊な趣味』を知っている。
尤もフィロメナはギリギリ犯罪者になっていないので、口を出すつもりもないが。
(良家の子女で、他の女性がうらやむ容姿に加えて魔術の才能まであるのにな……。あの嗜好さえなければ、縁談・見合いも引く手あまただろうに……)
そう考えるクナーティン自身、道楽に『時間と金』をつぎ込むタイプなので、偉そうなことは云えない。
尤も両者の趣味は、世間一般に高尚か低劣かの評価が分かれるという違いはあったが。
フィロメナは副魔導長に、Vサインを作った。
「大丈夫です! 王女殿下とマルヘリート様には、既に許可を取っております! なのでこちらでの勤務中に、彼が来たときだけ席を外すことを認めていただければ、後は何の問題もありません」
「……根回し済みなのか。その執念と熱意には、頭が下がるよ……」
彼女の趣味は兎も角――と、クナーティンは考える。
(噂の天才を、我ら宮廷魔術師の手の届く範囲で見ていられるのは、寧ろ僥倖か。その子どもが真っ当な精神の持ち主ならば良いが、異常者の類であったら、対処はこちらがせねばならなくなるしね)
副魔導長の脳裏に、『白い子ども』の姿が浮かんだ。
あれは間違いなく異物だ。
それも、瘴気を放つ。
「フィロメナ」
「はい」
「キミの目から見て、アルト少年はどうかな?」
「もの凄く可愛いです! と云うか、好みです! 叶うならば、連れて帰りたいです!」
「……そういうことを訊いているんじゃないだけどね」
クナーティンが云うと、フィロメナは冗談はさておきといった様子で、薄い笑みを浮かべた。
それは『趣味人』の顔ではなく、ひとりの『戦魔術師』としてのそれである。
「――アルト・クレーンプットは、一代の天才。稀世の大魔術師です。年少にしてその魔力量、操魔技術、そして機転と戦いのセンスは、この国の大半の魔術師を上回ることでしょう」
「キミとアルトが戦ったら?」
「勝てそうにありません」
「段位宮廷魔術師フィロメナに、そこまで云わせる程の者か」
「正当な評価です。誰に聞いても『山は高い』と答えるのと同じく」
アルト・クレーンプットがこの場にいれば、過大評価はやめて欲しいと本気で思うであろうその言葉は、しかしクナーティンに受け入れられた。
「さもあろう。彼は、宮廷魔術師三人を向こうに回して、歯牙にも掛けなかったのだからね。それに、ロルフを惨敗させた、あの『白い子ども』を打ち破ってもいる」
「そこは、少し違います」
「ほう?」
「残念ながら、現状ではアルトくんよりもピュグマリオンのほうが、魔術師として遙かに勝るでしょう。あの白い子どもは異常です。本気で対処なさるのであれば、『禁忌領域』に出馬願うくらいでなくてはならないと考えます」
「それ程の者か」
「マルヘリート様は、あれとの戦いを真剣に考察されております。その一事だけでも、察せられるものがあるかと」
真剣な眼差しで、虚空を見つめる宮廷魔術師二名。
そこには一種異様な、張り詰めた空気があった。
――その時、午後三時を告げる鐘が打ち鳴らされた。
途端に、両名の顔が、しだらなくゆるみ出す。
それはまさに、豹変と云っても過言ではない変わりようであった。
実はこのふたり、今日は私用で早退を申請していたのである。
それぞれが、各々の趣味のために。
「…………」
無言でイスから立ち上がる副魔導長。
フィロメナもフィロメナで、帰り支度は済んでいる。
この部屋を出れば、荷物を回収して立ち去るのみだ。
クナーティンは云う。
「そうか……。キミも今日は、早退だったな」
「ええ。今度この王都に、セロからゾン・ヒゥロイトがやって来ますので、同好の士と共に、その打ち合わせを。副魔導長は、『王国審美会』の会合で?」
「ああ。同士が見せたいものがあるというのでな」
冷静を装いながら、ウキウキと答える副魔導長。
なお『王国審美会』とはご大層な名前だが、公的な機関や組織ではなく、単に好事家が、自分のお宝を自慢し合うだけの、しようもない集いであった。
なおこの副魔導長。
美形に属する外見と若さと地位を持つが、結婚はしていない。
その理由は、『家庭を持つと、趣味に時間とお金が掛けられなくなる』という、人としてダメダメな動機からであった。
もしもこの場にアルト・クレーンプットがいれば、
「大丈夫なのか、宮廷魔術師」
と危惧を抱くであろう人々は、満ち足りた笑顔で別れを告げ合うのであった。
※※※
「おお、クナーティン副魔導長! いらっしゃったか!」
「スメット伯、お久しぶりでございます」
王国の魔術師は、現れた貴族と手を握り合った。
スメット伯ヨドクス。
メンバーの中でも指折りの審美眼を持ち、また多数の優れた美術品も納める、有力者であった。
クナーティンは、伯を尊敬している。
次に彼は、伯と一緒にいた人物に頭を下げた。
「アントニウス卿! 本日は、貴殿もおいででしたか!」
「スメット伯に、押し切られましてな……。まだ決裁中の案件があったのですが……」
アントニウスと呼ばれたのは、長身痩躯の人物であった。
眉間に深い皺を刻んだ悲観そうな顔つきをした男だが、卓抜した処理能力と深い見識を有する有能な政治家である。
その性格を反映してか、審美眼はそれ程でもないが、会合に出てくる作品の歴史的背景や素材、そして金銭的価値などをよく理解する人物でもあった。
「アントニウス卿も、もっと積極的に会合に出て欲しいものなのですがな」
伯爵に云われ、悲観そうな外見の貴族は肩を竦めた。
「流石に仕事を放棄して、趣味の集まりばかりに出ている訳にもいきませんからね。そもそも私は、皆様よりも所持する美術品の数も質も、だいぶ劣りますゆえ」
「何を仰る! 王国審美会において、かの天才発明家、シャール・エッセンの『瓶詰めの船』を最初に手にしたのは、貴殿ではありませんか!」
クナーティンが叫ぶように云うと、ヨドクスも同調した。
「左様、左様。卿があれをこの場で披露したときのメンバーたちの慟哭を、よもや忘れたとは云わせませぬぞ!?」
そんな伯爵に、アントニウスは困った風な顔を作る。
「しかし、スメット伯。結局貴方も、後日『瓶詰めの船』を手に入れているではありませんか」
「苦労しましたぞ、あれには」
伯の呟きを、副魔導長は、心底羨ましく感じる。
何せメンバー中でエッセン作の名物を持つのは、このふたりのみなのである。
叶うことなら、自分も『瓶詰めの船』を所持したい。
けれども出回っている数がおそろしく少ない上に、所持者は決してそれを手放そうとしないのだ。
この、ふたりのように。
クナーティンは云う。
「かのエッセンの作品は、あのブレイスマ将軍ですら欲したとの噂ですからね」
彼の呟きに、アントニウスは肩を竦める。
「『瓶詰めの船』は、分かりやすいものですからね。あの男は、芸術を解する心を持ちません。余った資金があれば、美味しいものを食べて回る、そういうタイプです。まあ、脳筋の一種ですな。……アレが『船』を欲しがったのは、子どもがオモチャを欲しがる心理に近いのでしょう」
辛辣な口ぶりだが、そこに悪意がないことを彼らは知っている。
アントニウスとブレイスマは、旧知の仲なのである。
『王国最強の剣士は誰か?』という議論が出たとき、必ず名前が挙がる天下の猛将と、この痩身の貴族は、何故か馬が合うようであった。
――この『王国審美会』は、人間だけの組織ではない。
美を愛し、その保護と保全に努める心がある者であれば、誰もが加わる資格を持っている、とされている。
……尤も、正式なメンバーになるには、推薦や審議が必要にはなるのだが。
そして審美会には、『人間族以外の者』も、当然いる。
「おう、ヒョロヒョロども! 久しいな!」
「ああ、酒飲みがやって来ましたな」
彼らのもとに歩いてくるのは、背が低く頑強な体つきをした男である。
名を、ゴゴル。
種族はドワーフ。
彼は大きな声で云う。
「美術品を品評するのであれば、それは我らドワーフ族こそが最も相応しかろう!? 何せ俺たちは、物作りのエキスパートだからな!」
「そうは云うがな、ゴゴル殿。貴殿の本懐は武具の作成であって、細工物ではないではありませぬか」
「分かっておらんな! 真なる名器は、即ち美術品よ!」
彼は、『ゼノン』と呼ばれるドワーフの一門に属する。
ゼノン一門は、ガド一門に比する一派であった。
つまり、人口に膾炙している。
質実剛健。
武器はその機能性こそを追い求めるものだとするガド一派とは違い、ゼノン一派は、
「良き武器であるからこそ、見た目にも拘るべきであろう」
そう考え、壮麗・華麗な武器を次々と生み出している。
物を作ることに執念を燃やすドワーフたちには、思想的にもガド派、ゼノン派に分かれやすい。
時には殴り合いのケンカになる程に。
もしもアルト・クレーンプットと親しい、あるドワーフの鍛冶士がその辺のことを訊かれれば、
「作りたいものを、勝手に作れば良いじゃねぇか。強制する物でも、されるもんでもないだろうよ。鍛冶仕事って、手前ェが納得できる物で良いんだろうが」
と、呆れた風に答えたであろうが。
ともあれドワーフ族の作る武器の需要は各所で高いが、貴族は往々にして、ゼノン一門のそれを求める傾向にあった。
……その後、『王国審美会』のメンバーが、徐々に集まってくる。
この集団は『暇人の集まり』と世間では看做されているが、実際は忙しい者が多い。
最後に現れたのは、暗い雰囲気を持ち、おどおどとした態度のエルフであった。
スメット伯が頷く。
「ふむ。今回の参加メンバーは、これでそろいましたな。では、開会致しましょうか」
その言葉を皮切りに、彼らは持ち寄った名品の披露――と云う名の自慢――を始めた。
「ほほう! これは、バダナの名画ですか! いや、実に素晴らしい!」
「こちらの銀の髪飾りは、ドワーフ族の作ですな!? 何と繊細で美しい……っ! 人間族では決して届かぬ、優れた仕事をされますな!」
「いやぁ、まさか貴殿が、かの芸術家の作を手に入れておられたとは……!」
「いやいや貴殿こそ、最近では有望な若手のパトロンになったと聞きましたぞ?」
雑談と品評と自慢と妬心の入り交じった会話が、あちらこちらから聞こえてくる。
そんな波濤の中を泳いだクナーティンは、あるエルフの前で足を止めた。
いや、止まってしまったのだ。
「……イェット殿、それは……?」
「……ぅ、こ、これは、お、お皿、です……」
美形揃いで知られるエルフ族の中にあって、一際地味な気配のハイエルフは、ひとつだけ、品を持ってきていた。
目立たぬように、会場の隅で、ひっそりと。
それは彼女の言葉の通り、皿である。
しかし、丸くない。
厚手の長方形であった。
もしもこの場に日本人がいれば、
「高級料亭で、刺身とか盛りつけるやつだ!」
とでも思うことであったろう。
事実、この皿の制作者は、角平皿の知識と実物を知る『実兄』から着想を得て、そしてこね上げたのだから。
「…………」
クナーティンは、見入っている。
努めて派手さを求めたようなものではないのに、そこにあるのは、明らかな輝き。
文様すら無い四角い皿は、けれどもこれでもかと云う程の存在感を放っていた。
美しい――のである。
小手先の派手さ、華美とは違う、内包された美があった。
技術ではなく、圧倒的なセンスによって、その平皿は芸術品として成立しているのである。
彼は、一目でその平皿の虜となった。
それ程までの逸品。
まさに、魔性の一品。
吸い込まれるように皿を見つめるクナーティンの背後から、震えるような声がする。
「ま、まさか、その皿は……っ!?」
声の主は、スメット伯であった。
彼は愕然とした瞳で、陰キャハイエルフを見た。
「い、イェット殿……! この皿の制作者はもしや、ショルシーナ会長の所持される、あの丸皿の制作者なのではあるまいか……っ!?」
「ぅ、ぅぅ……。の、ノーコメント、です……」
『王国審美会』には、暗黙のルールがある。
美術品の『出所』を黙秘した場合には、それ以上追求してはいけないという決まりが。
尤もその取り決めは、大抵において無意味だ。
何故なら所持者は美術品を自慢したいから持ってくるのであって、従ってどこで手に入れたものなのかも、ペラペラと勝手に話し出す場合が多いからだ。
しかしイェットの場合は、いささか事情が異なる。
この皿の制作者を漏らせば、間違いなく商会長に処罰をされる。
場合によっては、あの高祖様からも。
だから云えない。
絶対に云う気はない。
けれどもこれほどの逸品を、自分だけで楽しむことが出来なかったのだ。
やがて、その平皿の前に、王国審美会のメンバー全員が集まっていた。
その素晴らしい出来映えは、瞬く間に彼らの心を奪ったのである。
「これは、いつの時代の作品だ!? かなり新しく見えるが!?」
「初めて見る作風だぞ!? 無名の者がこれを!?」
「どこだ!? これはどこで手に入れたのですか!?」
「ドワーフの作風? いや、違うな、けど、近い……。クソッ、わからねぇ!」
質問攻めにあったイェットは、沈黙することには成功したが、疲れ果てている。
審美会に持ち込んだことを、後悔し始める程に。
そうこうするうちに披露の場が終わり、審美会の集いが解散になった。
参加者たちの大半の心に、あの平皿がたゆたっている。
『持ち主』が出所をついに語ることがなかった為に、彼らは帰宅後、その『陶芸家』を探すために奔走することになる。
けれども、ある家庭の幼女様が趣味でこねているだけで、売りに出されることがないと来ては、見つけることなど出来ようはずが無い。
彼らの血眼は、だから噂だけとなる。
けれどもその噂の出所は、かの王国審美会。
王国各地の道楽者が集う場所。
結果、ごく一部の好事家たちに知れ渡る。
誰も知らない、優れた陶工がいることを。
ともあれ、こうして作者不明の角皿は、密やかに国中に知れ渡り始めたのであった。
 




