第五百九十四話 登城~入り口から、並木道
「…………」
うろうろ。
「……………………」
うろうろうろ。
神聖歴1207年の五月。
百年に一人の天才と目されるムーンレイン王国の第四王女殿下が、母親の部屋の中で、隅から隅を行ったり来たりしていた。
うろうろする場所が自室ではないのは、彼女が『お母さん大好きっ子』だからで、公務や勉強の時以外は、大体パウラ王妃のところに押しかけているからだ。
優しい性格で知られるクローステル侯爵の娘さんは、そんな我が子を見て笑っている。
「シーラ、少し落ち着きなさい。大丈夫ですよ、いつも通りに、あの子たちに会うだけなのでしょう?」
「う……っ。は、はい。申し訳ありません、お母様……」
恥ずかしさから赤くなる愛娘を見て、王妃は目を細める。
この母親も、大体我が子のことを許容する。
傍に立つ背の高いヴェールの女性が、そんな親子の様子に微笑んでいる。
第四王女シーラ。
今日は彼女の、『御伽役』が登城してくる日なのであった。
※※※
その兄妹が現れたのは、午後一時を少し回った頃だった。
ちぎれかけのボロ雑巾のような雰囲気をした少年と、お日様のような気配の元気いっぱいな女の子が、仲良く手をつないでいる。
女の子は短い距離の間で、何度も何度もお兄さんを見上げていた。
その表情はゆるみきっており、見上げる度に大量のハートマークがお兄さんに飛んでいく。
そんな兄妹を迎えたのは、一組の男女である。
男性のほうは豪奢な魔道着に身を包み、女性のほうは品のあるローブと長い髪を持った美人であった。
「アルトくん。フィーリアちゃん、こんにちは!」
「あ、フィロメナさん、ご無沙汰しております」
「こんにちはーっ! ふぃー、元気です! にーたが好きです!」
三人は、顔見知りであるようだった。
ひとりだけこの兄妹と既知を得ていない魔道着の男が、心ここにあらずといった様子と哀愁を漂わせた表情で、子どもたちに一礼をする。
「初めまして。私は宮廷魔術師の、クナーティンと云います。初回のみの案内役となるけど、憶えてくれると嬉しいかな?」
本来ならば、爽やか系イケメンなのだろうが、矢張り元気がない。
兄妹のお兄さんのほうは挨拶が終わると、女魔術師に質した。
「フィロメナさん、こちらの方、どうかされたんですか? 具合が悪いとか?」
「ああ、気にしなくて良いんですよ。単なる失恋です」
失恋――。
その言葉に、『こんなイケメンでも振られるのか』とアルトは思ったが、実際は違う。
クナーティンの心に寒波を巻き起こしているのは、人間の女性ではなく、美術品――焦がれるような一品を見て、しかもそれを手に出来る機会がないからなのだと、髪の長い女魔術師は説明した。
「ははぁ……。お皿、ですか」
「そうなんです。うちの副魔導長、骨董品だかなんだかに、すっかり心を奪われてしまったみたいで……」
話し合う少年と女性、そしてしょんぼりとする魔術師の男。
そこに、銀髪の幼女がぽてぽてと歩いて行き、副魔導長の服を引っ張った。
「おにーさん、お皿欲しい? ふぃー、土こねるの好き! 昨日もにーたに、お砂場で遊んで貰った! 泥だんご、ふたりでいっぱいつくった! 楽しかった! だからお皿、なんなら、ふぃーが作ってあげるよ? ふぃー、がんばる!」
見上げる瞳には、純粋な無邪気さだけがある。
これにはクナーティンも苦笑い。
「あはは……。ありがとう。キミは優しいね? でも、違うんだ。私が欲しいのは、あのお皿――あの陶工の生み出した逸品なんだよ……。世に名器は数あれど、今の私は、アレだけに夢中になってしまってねぇ……」
それは、彼なりに幼女様を気遣ったセリフであったのだ。
まさかストレートに、『子どもが遊びでこねている粘土細工とは違う』とは云えない。
「みゅ~……。わかったの。ならふぃー、何も云わない!」
「気遣いありがとね? あ、これアメだけど、食べるかい?」
「ありがとー! ふへへ……っ、ふぃー、甘いの好き! にーたが好きっ!」
笑顔で口内にアメ玉を放り込む、お日様幼女。
この副魔導長は子どもの案内になると聞いて、わざわざ甘味を用意していたのであった。
フィロメナは上司のフォローのつもりなのか、お気に入りの少年に耳打ちする。
「クナーティン副魔導長は、これでも王国屈指の魔術師です。強いんですよ、この人。禁忌領域と奥院所属を除けば、勝てる術者は殆どいないくらいに」
「ほぇぇ……。凄いんですねぇ。でもそこまで云われると、逆にその『殆ど』でない人物が気になりますね。天下の宮廷魔術師様に勝るっていうのは、どんな人なんですか?」
「そう――ですね。たとえば、同じ宮廷魔術師で云えば、グレゴリオ様」
「……ああ、あの」
アルト・クレーンプットの脳裏に、第四王女の近習試験の時に出会った、スキンヘッドの不気味な男が浮かび上がった。
(たしか、魔術至上主義の看板を掲げる胡散臭い集団の幹部だか頭目だか、だったよな……)
しかしあのグレゴリオなる魔術師は、確かにアルトの実技試験の中で、その戦術を見抜いていた。
強いという言葉にも、それなりの信頼性があるのだろう。
敵に回るようなことがないと良いけどな、と、くたびれた雰囲気の少年は呟いた。
「ところで、どうしておふたりが、俺たちの案内役を?」
「もちろん、私が志願したからです! 副魔導長は、知りません!」
その言葉に、上司は苦笑いをする。
『部下が奇行に走って捕まらないか監視するため』――まさかそんな理由を、口にすることも出来なかったのだ。
※※※
「ここから柵の色が変わっていて、仕切り直しになっているだろう? この並木道の先が、第四王女殿下のいらっしゃる建物だよ」
クナーティンは、クレーンプット兄妹にそう説明する。
縄張りが違うのね、と得心する兄と、青いおめめをキラキラさせて並木道に感動しているその妹に、副魔導長は、自分の案内はここまでであることを告げた。
本来の彼は忙しい。
部下が犯罪者にならないかを心配して付いてきただけで、まだまだ仕事が残っている。
今になり何とか、しだらない顔でアルト・クレーンプットの手をひいているフィロメナの様子から、『たぶん大丈夫だろう』との見極めが付いたのである。
(それに、私は派閥も違うしな。第四王女殿下の敷地に入るのは、慎むべきだろう……)
クナーティンは部下を見る。
彼女は良家の子女であり、加えてその実家は、クローステル侯爵家傘下である。
フィロメナ本人もシーラやマルヘリートと仲が良く、二重の意味で、彼女はバリバリの『第四王女派』であった。
(比較的良好な関係の部下とさえ、『力関係』に配慮した対応をせねばならない……。ままならないものだな、貴族社会というヤツは。叶うならば、ひっそり美術品の蒐集と賞翫だけに専念した人生を送りたいものだ……。ああ――あの『皿』の制作者は、今どこで何をしているのだろうか……)
肩を落として、若き魔術師は去って行く。
その背中を、いっぱいのアメ玉を貰った幼女様が、笑顔で手を振って見送っていた。
※※※
「んっふふふ……! 来たわね、アルト!」
地球からの転生者が、『ゼロヨンレースでもやったら盛り上がりそうだな』と考えた広い並木道の先に、一人の少女が潜んでいた。
腰と肩胛骨の中間あたりまである長髪をツーサイドアップにし、やたらと短いスカートをはき、まだ幼い年齢だというのに、ピンクのリップとマニキュアを塗った、もの凄い美少女が、両手に杖を構えている。
少女の名は、マノン。
自らを『伏龍鳳雛』と信じる、無免許魔術師である。
その背後にいるのは、背の高いヴェールの女性。
彼女も二本の杖を持っているが、これは暴走しがちな自身の娘を止めるためのものであった。
「マノン! 大事な殿下のお客人に襲撃を掛けようとは、なんのつもりですか!」
「襲撃じゃないわ、ちょっとした挨拶よ! アルトはまぐれとはいえ、あたしを倒した程の魔術師よ? なら、こんな不意打ちくらい、なんなく躱せるはずだもの!」
水の魔術を空中に作り出し、イタズラっぽく笑うマノン。
その姿は既に、小悪魔のような艶を漂わせている。
一方、母親のほうは、どうして娘がこんな風に育ってしまったのかと頭を抱えた。
「あー、あー……。フィロメナったらアルトの手を握って、ゆるみきった顔しちゃって。まだ私に気付いていないみたいだし、なんならフィロメナにも、ちょっと仕掛けてみようかしら?」
「もう! バカなことは、おやめなさいっ」
ぷんすこと怒る母親を無視し、マノンは『イタズラ用の魔術』を増やしていく。
射撃の例を出すまでもなく、遠方に攻撃をヒットさせることは大変難しいが、幸か不幸か、このませた少女には、それを可能にするだけの技量があった。
「ふふふ……。アルトって、整った顔をしているのに、どこかのんびりした感じなのよね。太平楽って云うか、何と云うか。まるで争いのない、平和な国からやって来たみたいに。でも、油断はダ~メっ。――じゃあこれで、水も滴る良い男になりなさいな!」
「もう、マノンっ。だから、やめなさいと――」
云い掛けて、マルヘリートの動きが止まった。
彼女は娘を叱るよりも、並木道の先をジッと見つめている。
それはマノンの知る、『戦闘モード』へと切り替わったときの母の姿なのだった。
「…………お母様?」
「…………」
マルヘリートは答えない。
静かに、並木道を歩いてくる三人組を見つめ続ける。
その行為が、マノンには意味不明だ。
フィロメナは、彼女たちステーンヴェルヘン母娘と親しい『仲間』というべき存在であるし、彼女に連れられているあの兄妹は、警戒心の欠片もない。今もいちゃいちゃしながら、互いにアメを食べさせあっているくらいだ。
そしてこの場には、他に誰もいない。
一体母は、何に備えているというのであろうか?
こんな有様なので、マノンも『イタズラ』が出来ない。
そうこうしているうちに、隠れ潜んでいるステーンヴェルヘン母娘の前を、三人組が通り過ぎていく。
マノンはそこで、母が警戒してた理由が分かった。
否、分かったと思ったのだ。
「凄いわ! アルトってばこんな場所でも、見えにくい防壁を張って、もしもに備えてたのね! あれじゃあ、あたしがイタズラしても効かなかったでしょうね。やるじゃない! お母様は、だから目を見張っていたのでしょう?」
「…………」
双杖の魔術師は、矢張り答えなかった。
独り言のように、ヴェールの内側から綺麗な声を響かせるのみで。
「……あの様子では、ずっと前から私たちに気付いていたようですね。少なくとも、この並木道に入る前から」
「ん? アルトが? そんな風には、見えなかったけど……?」
「あれ程の者が存在していたとは……。末恐ろしいとは、まさにこのことですね……」
「ふふん、だってアルトは、あたしと戦えるくらい強いのよ? そんなの、今更の話じゃない。――今度、ホントにデートしてあげようかしら?」
マノンは何故か得意げになって、建物のあるほうへと消えていく男の子の姿を見送った。




