96.待ち人を待つ
白蛇族の集落を出て、三日目の夜。
アーレが命じた戦士たちは、すでに霊海の森を突破していた。
前回はアーレとタタララしか戦士がいなかったが、今回は違う。
優秀な戦士が三人もいる。
戦闘も警戒も安定して余裕があるし、ついでに言えばナナカナの案内も回数を追うごとに正確かつ手慣れたものになっていた。
豪快に咲き誇るキレの花が見える森の浅いところを陣取り、火を起こし、これからしばし人を待つ予定だ。
最長で、一週間から二週間くらいだろうか。
夜は冷え込むが、それ以外は問題ない。雪が降るほど寒くはないし、夜寝てもなかなか目覚めることができない、なんてこともないだろう。冬の野営はそれも起こりうる。だから危険なのだ。
「――いまいちよくわかんねぇな」
森の恵みを集めて夕食を取っていると、ジータがキノコを齧りながら言った。
「俺たちはこれから誰を待つんだっけ?」
一応ちゃんと説明はあったのだが、あまり深く理解していなかった。
人を迎えに行く。
連れて帰る。
レインティエの関係者。
ジータが認識しているのは、それくらいのものだ。
「レインの昔の女……みたいなものだ」
保存食として持ってきた干し肉を炙っているタタララが答える。
「昔の女。ふーん」
反応が薄い。
多妻制の文化に慣れ染まっているジータには、特定の男に複数の女がいると言われても、あまり浮気だなんだという意識がない。
それが原因で色々と揉めたのだが、……頭ではわかっても、どうしてもあまり感情が伴わないのだ。
強い戦士の子供は必要。
多ければ多いほど、将来集落の役に立つ。
――過酷な狩り生活に立ち向かうべく、子供の頃から叩き込まれた常識なので、理解が追いつかないのは仕方ない面もあるのかもしれない。
「ジータ」
持ってきた酒量をものすごく気にしながら呑んでいるカラカロが、静かに語り掛ける。
「今おまえの嫁が他の男に抱かれていると思え。……どうだ?」
「男を殺す。場合によっては嫁も追い出す」
「タタララが今抱いているのはそういう感情だ」
「……なるほど。気に入らねぇんだな」
やはりちょっと感情が追いつかないようで、ピンと来ていない。まあ「そうなのか」くらいは理解できただろうか。
「つーことは、おまえはこの話、最初から腹が立ってんのか」
そしてピンと来てないまま問うと、タタララは「ああ」と干し肉の炙り具合を気にしながら頷く。
「おまえには少し言いづらいがな。私はアーレとレインの仲をずっと見てきた。これ以上ないほど噛み合った、いい番になったと思う。
そんな二人の仲を壊すかもしれない、余計なモノが割り込むのを黙ってみていろと言われると……」
気が進むわけがない。
あたりまえの話だ。
「そうか……そう言われるとちょっとわかる」
少し言いづらい話だけに、さすがにジータにも響いた。
「俺からアーレを奪ったレインが、今更よその女を見るなって話だな。……あぁ……アーレもこんな気持ちになったのか……」
そう。
アーレと番になる約束をしていたのに、ジータは先に他の女と番になった。
多少形は違うが、似たようなものだろう。
季節が巡るほどの時間が経って、あの頃よりは落ち着いたが。
でもアーレを失った喪失感は、今もまだ、ジータの心に大きな風穴を開けている。
「おいカラカロ、おまえこの話わかるか?」
「おまえよりはたぶんわかってる」
「どう思う?」
「よその家のことだしな、正直どうでもいいと思っている。ナナカナが納得しているなら、俺はそれでいい。俺はナナカナの判断を信じる」
カラカロの言葉からは本当になんとも思っていないことが伝わる。
更に続ける。
「ただ、たとえナナカナが納得しなくても、レインの頼みなら俺は聞くかもな。
あいつが来てからの集落は生きやすくなった。死者が減った。怪我人や病人が助かるようになった。
まだ認める者は少ないかもしれんが、族長の嫁の仕事はこれ以上ないほどこなしている。……まああいつは婿だが。
もういないと困るし、これくらいの我儘は聞いていいと思う。恐らくアーレも同じように考えたはずだ」
そう――その辺の思考は、上に立ち集落全体を見る者。族長の意見に近い。
前族長の息子であるカラカロだ。
あまり好きではなかったが、族長である父親の考え方ややり方をずっと傍で見てきた。自然と思考の方向が刷り込まれているのだ。
「確かにレインはなぁ……あいついい奴だもんな。よく働くし。気に入らないけど」
ジータはアーレ関係の個人的な理由から、レインティエのことは好きではない。まあお互い様だが。
「じゃあナナカナは? どう思ってんだ?」
あまり会話に参加せず、その辺で採ってきた野イチゴの選定と実食をしているナナカナに視線が集まる。
「――タタララには悪いけど、私は楽しみだし歓迎してるよ」
と、形と色艶がいい野イチゴを口に放り込む。
「今カラカロも言ったけど、レインが一人来ただけで、いっぱい違う文化が入ってきた。役に立つ、集落のためになる文化だよ。
知らないことを知っている人が来る、そう考えると楽しみでしかないよ。
ただ、性格は気になるよ。族長とぶつかったら殺されそうだよね。族長怒ってたから」
いや、とタタララが即座に言った。
「アーレが手を下す前に私が殺す」
「別に止める気はないけど、決断を早まらないでね。殺しちゃったら元に戻せないから」
そんなことを言いながら、ナナカナは「まあ大丈夫だろうけど」と思っていた。
先にタタララが言った「アーレとレインティエの仲をずっと見てきた」というのは、ナナカナにも当てはまる。
――レインティエはまだまだ軽視されている。
あの男は異文化の知識も技術もあってそちらの方に目を奪われるが、人への接し方も上手いのだ。
相手をよく見て動いている。
対人関係において、接し方を致命的に間違えたことはない。
そんなレインティエが呼びたいという者に、そんなに問題があるとは思えない。
だからそんなに心配はしていない。
「何にせよ、早く来るといいね」
――そんな話をしながら、少し寒い春の夜は過ぎていく。
待ち人がやってきたのは、それから二日後のことだった。




