009.二人の散歩道
体育祭。年に一度の行事だといってもあまりやる気はない。
クラス種目はほとんど負けているし、個人種目も芳しくない。総合でも学年毎の順位でも後ろの方を確実にキープ。
奇跡の逆転劇も起きないまま体育祭終了となり、結果発表にドキドキすることもなかった。
体操着のまま家に帰り、ひとっ風呂浴びたあとに携帯を見ると、姫香からメールが届いていた。
珍しい、いつもは口頭で伝えてくるのにどうしたのだろう。
『しゅーへー、明日って空いてる?』
日曜日の今日が体育祭だったため、代わりに明日が休みだ。誰かと遊ぶ予定はないので『空いてるよ』と返信。
十分後にまた返ってきた。
『もしよかったら、楽譜が置いてあるお店を教えてほしいの』
姫香がメールしてきた理由がわかった気がする。直接頼むとまた歯切れが悪くなりそうだから、淡々と文章化出来るメールにしたんだろう。
すぐにでも『いいよ』と返信したかったが、この町に楽譜が置いてある店があったかどうか思い出す。確かこの町にはないが、隣町には楽器店はあったはずだ。
幼い頃、姉貴に連れて行かれたことがある。なんで連れて行かれたのかは覚えてないが、間違いない。
『わかった。隣町に楽器店があるから、そこに楽譜もあると思う。ちょっと遠いけどそれでもいいか?』
また十分後、姫香からメールが届く。
『本当! もちろんいいよ! ありがとう!』
文字だけなのに、まるで姫香のはしゃいでいる姿が目に浮かぶようだった。
五月中旬ともなればそろそろ暑くなる時期だ。今はまだ熱気は穏やかだが、今後上昇していくと思うと気が重い。やっぱ夏より秋だろ。うん。
姫香との待ち合わせ場所は島枝公園にしておいた。最初は駅前の予定だったが、どうやら場所がわからないようなので一時間前に急遽変更。
引っ越して数ヶ月だと思うが、もしかして方向音痴の類いなのだろうか。
「あ、しゅーへー」
待ち合わせ時刻より十分早めに着いたのだが、ブランコに揺られながら姫香はすでに公園で遊んでいた。
この構図がなんとも似合っ……微笑ましくて思わず吹き出し……和んだ。
桃色の半袖に薄い水色の上着を羽織り、白のロングスカートと合わせて見ると、さながら青空のような爽やかなファッション。
反対に俺は……地味だ。
「それじゃあ今日は道案内お願いしますっ」
ブランコから降りてぺこりとお辞儀。俺のより一回りも二回りも小さいバッグが小さく揺れた。
さてさて二人並んだところで出発だ。
楽器店がある隣町なのだが、道案内するほど大した道順ではない。道中にある島枝駅から乗れば一駅だ。おまけにバスもある。
どうするか聞いてみると。
「ゆっくり街並みも見てみたいし、歩いていきたいな」
と答えたので歩くことに。駅からなら徒歩数十分。まあ、のんびりいこう。
とりあえず最初の目的地として島枝駅に向かう。知っておいて困らない場所だしなにかと便利だろう。
「しゅーへーは隣町よく行くの?」
「あんま行かないな。だいたいはこの街にあるから」
コンビニ、スーパーはもちろん、飲食店や雑貨店も比較的充実している。駅前に小さなデパートもあるし、隣町へ行かなくとも一通りのものは済ませられるはずだ。
ただ、楽譜が置いてある店は隣町にしかない。
「もうここには慣れたか?」
姫香はかぶりを振った。
「まだよくわかんないの。方向音痴みたいで」
歌が上手いのに音痴とはこれいかに。
「でもでも、今日はしっかり覚えるから! せめて楽器店は!」
人一倍興味のあることなら忘れないだろうなあ。興味がなくとも駅の行き方ぐらいは覚えてください。一応。
歩き始めて数分。公園から駅までは十分とないのでもうすぐだ。住宅街から大通りに出れば一本道。右は道路左はコンビニ、薬局、理髪店と進む度にすぐ変わる。左が小料理店になればもうその隣は駅なのだが、そう遠くはない。
横断歩道を渡るとようやく駅が見えてきた。丁度電車がきてたのか、発車音がここからでも聞こえる。
「ここが駅?」
「ああ。やっぱり駅はなにかと便利だから、場所は覚えた方がいいんじゃないか?」
「うん。多分……覚えた、よ?」
そんな自信なさげに言われても。
隣町へ到着。
ここへ来るまで大体三十分弱かかったのだが、雑談を交わしながらだと思いのほか長くは感じなかった。遠いと意識しなければ意外と疲れないものだ。
……足は痛いが。
「ここは人が多いんだね」
感心するように姫香は言う。確かに、俺達の住むところに比べると随分賑わっている。ここの方が建物の数は圧倒的に多い。俺達の町にあってここにないものはまずないだろう。
だからといって俺は率先してここで買い物するつもりはない。必要なものは地元でも間に合うし、そんなに外出もしない。
決して遠出を面倒がっているわけではない。
決して。
混雑とまではいかないが、隣町に来てから老若男女問わず人の流れが多くなっていた。私服だと見分けがつかないが、おそらく牧高の生徒も紛れているはずだ。
……知り合いに出会わないことをなるべく祈る。もう噂はいらん。
「なんだか凄いね。都会って感じがする」
「姫香のいたところはそうでないのか?」
「全然。こんなに建物ないもん」
まず数が違うのか。俺の祖父母は父方も母方も都心に住んでいるので、いまいち地方の街並みというものはよくわからない。
さて、肝心の楽器店だが一応俺なりの目印がある。
「あった。あれかな」
書店の隣にあったことは覚えていたので、書店の位置さえわかっていれば探すのは容易だった。地元に置いていない漫画……もとい本はここならある。
楽器店はお隣の書店と同じような大きさで、ガラス越しに見える金色の楽器達が人の目を引いている。あのでかいのなんて名前だったか。トランペット、チューバ、ホルン……
ふと横を向くと、あの楽器に負けないぐらいに姫香がさも嬉しそうに光り輝いていた。
「しゅーへー、早く入ろ!」
まぶしい。
俺の裾を引っ張って進む姫香さん。わかった、わかったから離そう。
「いらっしゃいませ」
楽器店の中は人が少なく、書店とは違う清楚さを感じる空気を漂わせていた。
楽器はもちろんのことその反対側には数多の楽譜本が棚に並び、教本やら専門書やら音楽家の生涯を綴った本やCD、とにかく音楽に関わるものばかり売られている。まあ、当然か。
その品物の豊富さに圧倒されていたら姫香を見失ってしまった。そう広くはないし、出入り口近くにいればいずれ来るだろう。
待つこと十五分、手提げ袋を片手に満面の笑みで姫香が現れた。
まぶしい。
「お待たせ! ごめんね遅くなっちゃって」
謝っているのに申し訳なさを微塵にも感じられない声のトーンと表情。
まぶしい。
「欲しいものはあったのか?」
袋を見てそう言うと、姫香はそれを両手で大事そうに抱えてみせた。
「うん! いっぱい買っちゃった!」
まぶしい。
名残惜しく外へ出るも、いまもなお姫香のうきうきは継続中。
「姫香はよくこういう店に行くのか?」
上機嫌な姫香さんはいつも以上に饒舌に返してきた。
「うん! でもここ数ヶ月は行ってなかったかなあ。転校してからはもちろんだけど、転校する前も少しばたばたしてたから。だからね、久しぶりに行けてとっても嬉しかったの! えへへ、やっぱりいつ来ても飽きないよね。前から欲しかったのもあったしもう大満足!」
言葉通りよほど嬉しかったのだろう、表情からも顕著に表れていた。
こんなに側で喜ばれるとこっちまでも喜びたくなる。道案内した甲斐があるというものだが……
「ちょっと休まないか? 歩き続けて足が」
「そう? まだ全然疲れないけど」
俺の体力がミジンコなのか姫香が強靭なのか。おそらく両方。
「でも、うん。少し休もっか!」
ということでどこか喫茶店かなんかに寄ろうと思う。