023
斯くして、嵐の孤島を舞台にして巻き起こった悲劇は幕を閉じた。愛に焦がれ、恋に壊された殺人鬼――佐原愛実の死という結末を以て。
その結末に、僕は微塵の後悔も抱いてはいない。確かにあの島では、失わなくとも良かったはずの多くの命が失われてしまったけれど、それでも。僕は自分の選択を、後悔していなかった。
失った物も多かったが、得る物もまた多かった。悔やんだところで、どうにかなるような問題でもないのだと、前向きに考えることにした。
これから先の一生を、あの島での出来事を背負い込んだまま生きていく。忘れることなく、目を逸らすことなく、逃げずに受け止めて生きていく。
深い眠りから目を覚ますと同時に、その覚悟を決めた――はずだったのだけれど。
「――なにが、どうなって、こんなことになっているんでしょうね」
あの事件から一ヶ月とちょっと。長かった夏休みも終わろうとしている頃になって、僕は病院のベッドの上で暇を持て余す日々を送っていた。
「本当なら、然るべき場所にいるべき人間でしょう、僕は。建物に火をつけて、人を焼き殺してしまっているんですから」
放火は重罪。放ったその炎が人を殺めてしまったとあれば、尚更に。裁かれるべき立場にいるはず、なのだけれど。
「……はあ、またその話ですか。いい加減にしてくださいよ。毎日同じセリフを聞かされる私の気持ち、考えたことありますか?」
ベッドの脇のパイプ椅子に腰かけて、小さな刃物で器用にリンゴの皮を剥いていた彼女――青葉湊は、溜息を吐いて半目で僕を睨み付けた。
「気が狂いそうですよ、私は。顔を合わせれば毎日毎日同じ話ばかりで。耳にできたタコで穴が塞がってしまいそうです」
いいですか、と。器用に兎の形にしたリンゴを僕に手渡しながら、青葉さんは言葉を続ける。
「佐原さんを殺したのは、神崎くんではありません。警察の人も、仰っていたでしょう? あれは誰がどう見ても自殺である、と」
「いや、確かにその通りと言いますか。佐原が自分の腹に刃物を突き刺したのは事実なんですけれどもね、青葉さん。建物に火を放ったのは、この僕なわけで――」
ひゅっと、小さく風を切る音がして。
「いいですか、神崎くん」
刃物の切っ先が、こちらに向けられる。
「何度も言うように、あの建物に火をつけたのは佐原さんなんですよ。貴方に追い詰められて、逃げられないと悟った彼女は火を放ち……自らその命を絶った。事実がどうあれ、あの事件はそういうことになっているんです」
あの事件の後、僕は三日間も眠り続けていた。病院に運び込まれた時には、全治二ヶ月ほどの怪我と火傷を負っていたそうなのだが……。そんなことはどうでもいいとして。
とにかくそうして眠り続けていた僕が目を覚ましたのは、全部が終わってしまった後になってからのことだった。
痴情のもつれ。拗れに拗れた恋模様が殺意となって一人の少女の姿を変え、凶行に及ばせた。三人もの人間を殺害した犯人――佐原愛実は、最後に自らの腹に刃を突き立て、火を放った建物の中で息絶えた。――と、世間ではそういうことになっているらしい。
大きく間違ってはいないのだけれど、すべてが正しいというわけでもなく。建物に火を放ったのは佐原愛実ではなくこの僕であるはずなのだが、どうやらそういうことにはなっていないようで。
警察からの事情聴取で、意識を失っていた僕を除く全員が、火を放ったのは佐原愛実だと証言したのだという。
「言い出しっぺが誰だかは知りませんが、つまりそれは嘘をついて僕を庇ったということでしょう? そんなの認められるわけがないじゃありませんか」
僕自身、根っからの清く正しい人間であるというわけではないけれど。それにしたって、限度というものがあるだろうとは思う。いくらなんでもその程度の良識や常識を持ち合わせていないわけではない。罪を犯したのであれば、それ相応の報いは受けるべきだと考えている。現にその覚悟も済ませていた。
けれど目覚めてみれば、僕は燃え盛る炎の中から青葉湊を救出した英雄のように扱われていて、それがどうにも腑に落ちない。死人に口なしとは言うけれど、佐原にすべての罪を擦り付けるような真似は納得し難いものだった。
「仕方ないでしょう。それを望んだ人間がいて、幸か不幸かその人間がそれを成し得るだけの力を持っていたんですから。そういうことになってしまった以上、そういうことにしておくしかないんです」
「でも……」
「それ以上何か言うようであれば、刺すくらいのことはしてもいいという許可はいただいています。リンゴより先に、神崎くんをウサギさんの形にしたっていいんですよ?」
ちらちらと刃先を見せ付けるようにしながら、声色も変えずに魔女は物騒な台詞を吐く。彼女にそんなことができるはずもないし、するつもりもないのだろうと思ってはいるのだが、そこまで言われてしまってはさすがに言葉を呑み込まざるを得ない。
「ただの高校生と、ただ者ではない高校生。どちらの言葉を信じるか……なんて、言われなくても分かるでしょう。今までだってこうやっていくつもの真実が闇の中に葬り去られてきたんです。今回もそういうことになった、と。それだけの話なんですよ、これは」
分かったような顔で、分かったようなことを言う魔女に、内心穏やかではいられなくなる。が、寝返り一つするのにも介助を必要とするほどの怪我を負ってしまっている僕にできることは、口を尖らせて彼女を睨み付けるくらいのものだった。
「私たちが何を言ったところで、握り潰されてしまうのがオチです。長い物には巻かれろと昔から言うでしょう? 好奇心は猫をも殺す。余計な詮索や行動は死を招くことになるって、神崎くんも言っていたじゃありませんか」
「それは、その……確かに、似たようなことは言いましたけども」
それとこれとじゃ話が違うだろう。というのは、彼女には通用しないのだろう。そもそも、まともに取り合うつもりがない様子だから。
「それに、法で裁かれることだけが贖罪というわけでもないでしょう。そこまでして神崎くんを庇いたかった部長さんの気持ち、少しは考えてあげたらどうなんですか」
面倒くさそうに、何度か耳にした言葉を口にして。青葉さんは深く、それはそれは深く息を吐いた。
「私だって、納得しているわけじゃありませんよ。佐原さんのことは控えめに言って嫌いでしたし、同情の余地なんてないと思ったりなんかはしていますが……。少し、ほんの少しだけ、可哀想だなって思わないわけでもないですし」
でも、それは仕方のないことなんですよ。そう続けて、青葉さんは再びリンゴの皮を剥く作業に戻った。これ以上、その話題には触れたくないということなのだろう。
僕が目を覚ましてから毎日、頼まれたからとかでこうして見舞いに来てくれている青葉さんだが、彼女だって生きるか死ぬかの瀬戸際にあったわけで。事件に巻き込まれてしまった人間の一人であって。真相を目の当たりにした人物なのであって。思うところがないわけではない、のだろうとは思う。
リンゴを剥く彼女の両手に巻かれた真新しい包帯は、あの事件が残した傷跡のひとつでもある。
僕ほど酷いものではなかったそうだが、彼女もまた僕が放った火によって軽くはない火傷を負ってしまっていた。
今の今まで、そのことで僕を責めるような言葉を口にしたことはなかったけれど、まったく気にしていないというわけではないのだろうとは思う。
世間的にそういうことになってしまっている以上、僕に何も言えないというだけのことであって。恨んでいるのかもしれないし、怒っているのかもしれないし、色々あったことで複雑な心境を抱えてもいることだろう。
僕より達観しているというか、諦めているというか、そういう節があるから言葉にはしていないだけで。ただ、それだけのことで。言葉通り、納得はしていないのだと思う。
「……いい意味でも、悪い意味でも、大人なんですね青葉さんは」
返事はない。が、代わりにリンゴの皮をぺしっと投げつけられてしまった。
どうしてだろう。僕としては、褒めたつもりだったのだけれども。何か気に障るようなところがあったとでも言うのだろうか。
「とにかく、今はそんなこと気にしていないで早く体を治しちゃってください。ここまで神崎くんのことを想っている皆さんの為にも。こうして毎日、通い妻みたいなことをしている私の為にも」
人の道に背くような行為を「そんなこと」という言葉で切って捨てて、青葉さんはまたもや半目になって僕を睨んだ。
「部長さんも巫女人先輩も植草さんも緋子奈ちゃんも、もう前を向いて歩き出しているんですよ。折り合いをつけて、上手いことやっているんです。それなのに神崎くんがそんな調子でどうするんですか」
「そんなこと言われたって、無理なものは無理なわけで――」
「えいっ」
「痛いっ! 刺しました!? 今、刺しましたよね!?」
「峰打ちですよ」
「いや刺さってましたよ!? 主に、先っぽが!」
「峰打ちだって刺さる時は刺さりますよ」
「そんなわけあるかっ!」
そもそも果物ナイフで峰打ちってなんだよ。というかこの女、ほんの先っぽだけとはいえ本当に刺してくれやがったぞ。
「こ、殺される……」
「いい子にしていれば、何もしませんよ。痛い目に遭いたくなかったら、その話題にはもう触れないことです」
悪党のような台詞を吐いて、青葉さんは剥き終わったリンゴを僕の口元に押し付ける。
リンゴ、そんなに好きじゃないんだけどな……。なんてことを、言えるはずもなく。僕は黙って、押し付けられた青葉さんの好意を咀嚼し嚥下した。
「どんなに黒いものでも、白と言えばそれは白になる。白にする為に動く人間がいる。黒羽原哀歌の……いいえ、その背景にあるモノの恐ろしさは私よりも神崎くんの方がよく理解しているはずです」
「……それは、まあ。嫌というほど理解しているつもりではありますけど」
「せっかく拾った命なんですから、大切にするべきだと思いますよ。まあ、あの時みたいにどうしても死にたいというのなら、今度は止めたりしませんが」
ちくりと青葉さんの言葉の棘が刺さる。それは今日まで、無意識に避け続けていた話題だった。
「あー、ええと、その……。やっぱり、怒ってます?」
「はい、そうですね。それはもう腸が煮えくり返るレベルで」
そっけない返答に、ぐっと言葉に詰まる。
「私は約束を守らない人が嫌いです。自分の言葉に責任を持てない人が嫌いです。悲しい嘘が、嫌いです。言ってみれば、今の……失礼。あの時の神崎くんは、嫌いの塊みたいなものでしたから。恨んでますし、怒ってます」
あの時、僕は彼女に嘘をついた。必ず帰って来る、と。死ぬつもりであることを隠して、巻き込んでしまわないようにと彼女を遠ざけた。死んでしまえば、後がどうなったって僕には関係のないことだ――。そんな、無責任な気持ちで。軽々しく、いつものように上辺だけの言葉を吐き出した。
それが今、彼女の中に深く突き刺さって残っている。決して抜けない鋭い棘のように、深々と。心に刺さったままになっている。
最低なことをしたとは自分でも思う。あの時の僕はとにかく必死で――佐原と一緒に死ぬことに夢中で、周りのことなんて考えていなかった。残された側の気持ちなんて考えてもいなかったし――考えたところで、誰も僕の死を悲しむ人間などいないと思い込んでいた。
結果、それは僕の勘違いだったわけなのだけれど……。それが勘違いであったからこそ、僕はその話題に触れることができないまま今日を迎えていた。
向き合うということは、とても難しいことだ。勇気がいる。覚悟がいる。傷付けてしまうことも、傷付いてしまうことも、あるのだから。
心の中で、どこか見下していた問題児たち。自分より劣った存在であると思い違いをしていた彼女たち。僕だけが立ち止まっていて、前を向いて歩き出した彼女たちの背中を後ろから眺めている――。そんな負い目も手伝って、僕はまた現実から目を逸らそうとしまっていた。
生きろという佐原の言葉からも、死ねなかったという後悔からも。自分が誰よりも劣っているという、逃れようのない現実からも。逃げて、目を逸らして――それで宙ぶらりんになっている。
時間が解決してくれるわけでもないこと、どうかこのまま風化して消えていって欲しい――と。
姑息にも願って、向き合うことを放棄していた。
向き合いたくなかったからだ。認めたくなかったからだ。思い知りたく、なかったからだ。
結果を。現実を。自分の矮小さを。呑み込みたく、なかったから。そうしてしまえば、覚悟が折れてしまうと思ったから。僕の言う覚悟なんて、その程度のものでしかないことを理解していたから。先延ばしにして、怠った。
本当に、駄目な人間なんだな僕は。
「――嘘つき」
「……え?」
「嘘つき、と言ったんです。嘘つき神崎くんなんて、大嫌いですからっ」
ふんっと、青葉さんは勢いよくそっぽを向く。
「……ぷっ、くくっ」
青葉さんが口にした言葉に、思わず僕は吹き出してしまった。
「何がおかしいんです? 私、怒っているんですけど」
「ああ、いや。すみません。ただ……」
「ただ?」
「青葉さんも、佐原と同じこと言うんだなって、そう思って」
「……佐原さんと、同じ?」
「ええ。佐原がね、言ったんです。あの炎の中で、僕に向かって。嘘つき、って」
舞台から突き落とされる直前。心にもない言葉を口にした僕に、佐原はそう言った。涙を流しながら、笑顔で、嬉しそうに。
嘘つき、と。僕を褒めた。
「人を傷付けるだけの嘘と、人を幸せにする嘘がこの世にはあるそうですが……。僕の嘘って、どっちなんでしょうね」
同じ嘘でも違う嘘。あの頃の佐原が言っていたのは、こういうことだったのだろうか。
「知りませんよ、そんなこと」
ムスッとした顔で青葉さんが言う。それから彼女は大きな音を立てて皿の上にナイフを置くと、勢いよく立ち上がった。
「包帯が汚れてしまったので、取り換えてもらってきますっ!」
「はい。行ってらっしゃい」
足取りも荒く、青葉さんが部屋を後にする。その背中が扉の向こうへと消えていく直前に――。
「どうして――になっちゃたんですかね、こんな人」
小さく何かを呟いた気がしたが、上手く聞き取ることはできなかった。
「嘘つき。嘘つき、か……」
静かになった部屋の中。窓の外に広がる青空に目を向けながら、声に出してみる。
僕という人間の本質を捉えた言葉。神崎千尋を表現する上で、これ以上の言葉はないだろうと思う。
そう、僕は嘘つきだ。
根っこの部分から。どうしようもなく。それこそを息をするように嘘を吐く。
「変われる、のかな……」
答えの出ない自分自答。嘘と虚飾に塗れた人生を振り返りながら。
何はともあれ、もう少し――生きてみようかと僕は思った。




