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第11章:「猟犬の賭け」── パート1

オレゴンシティの南端、ウィラメット川の濁流を見下ろす国道九九号線沿いに、粗末な木造モルタル造りの「リバービュー・モーテル」は建っていた。


夜の八時。ネオンサインの「M」の文字だけが接触不良で不規則に瞬き、湿り気を帯びた秋風が、ひび割れたアスファルトの駐車場を吹き抜けていく。遠くのカスケード山脈へと向かう大型トレーラーが幹線道路を通過するたび、地響きとともに、客室のアルミサッシが低く震えた。


マッケンジーは、シボレーのエンジンを止め、冷え切った車内にしばらく留まっていた。

助手席には、停職処分を受けた際に警察署から持ち出した段ボール箱が置かれている。底に忍ばせた私用の大学ノートの角が、古びたウインドブレーカーの隙間から覗いていた。腰のホルスターは空のままであり、トレンチコートの右ポケットをまさぐっても、指先が触れるのは折れ曲がったウィンストンの箱と真鍮のジッポライターだけだった。


ドアを開け、湿った夜気の中へ降り立つ。

マッケンジーは外階段をきしませながら二階へと上がり、最も奥にある十四号室のドアの前に立った。部屋の明かりはカーテン越しに黄色く漏れていたが、テレビやラジオの音は一切聞こえなかった。


彼はノックを三回、等間隔に打ち込んだ。


沈黙ののち、内側の金属チェーンがジャラリと擦れ合う音がした。

ドアが五センチほど開き、防犯チェーンの隙間から、充血した両目が覗いた。


「……誰だ」


「ジェリー・マッケンジーだ。オレゴン州警察の」


「知っているよ。顔を見ればな」


部屋の内側の男──ロバート・グリーン弁護士は、忌々しそうに吐き捨てた。

チェーンが外され、ドアが内側へと引かれる。


「入ってくれ。廊下で目立たれるのは困る。……あんたが停職になったことは、クラカマス郡の保安官補から聞いている」


部屋の中は、チェーンスモーカー特有の重い煙草の臭いと、安物のバーボンの匂いが充満していた。

ツインベッドの片方には、開かれたままのマニラ紙の事件記録と、州警察科学捜査研究所の報告書の写しが乱雑に散らばっていた。小型のポータブル・タイプライターの横には、冷めたピザの箱と、中身が半分残ったペーパーカップのコーヒーが放置されている。


シアトルから派遣された私選弁護人、ロバート・グリーンは、ネクタイを緩め、ワイシャツの袖を肘まで捲り上げていた。五十代半ばの、額の禿げ上がった疲弊した男だった。彼の手元には、大陪審の起訴状の写しが、赤ペンの殴り書きとともに置かれていた。


「何の用だ、元刑事さん」


グリーンはパイプ椅子を引き、マッケンジーに座るよう促すこともせず、手元のグラスに安バーボンを注いだ。


「検察側の証拠開示(ディスカバリー)は昨日の夕方に完了した。バレット検事から届いた証拠物件目録の厚さは二インチだ。手加減というものを知らない男だよ。……もしあんたが、州警察の内輪揉めの鬱憤を晴らしに来たのなら、他を当たってくれ。私は今夜中に、神崎猛の命をどうやって救うか、その計算を終わらせなければならないんだ」


「計算だと?」


マッケンジーは立ったまま、ベッドの上に散らばる鑑識資料に視線を落とした。

十四金ペンダントの写真。二分の一インチのマニラ麻ロープの顕微鏡写真。丸太の打撲痕の断面図。


「司法取引の話か、グリーン」


グリーンの手が、わずかに止まった。彼はバーボンを一気に呷(あお)り、喉を鳴らした。


「現実を見ろ、マッケンジー。これは勝てる裁判じゃない」


弁護士は掠れた声で、書類の一角を指で叩いた。


「排他的支配の及ぶ工具小屋の床下から出た被害者の遺留品。合致するマニラ麻ロープの繊維。遺体の打撲痕と一致する敷地内の丸太。さらに、施設から失踪した少年の件について、神崎本人が『単独脱走』という明白な虚偽の声明を出している。……大陪審の起訴状は加重第一級殺人だ。有罪になれば、陪審員は十対二、あるいは満場一致でガス室送りを勧告する。オレゴン州の陪審員が、東洋人の過激な思想家に対してどれほど無慈悲になれるか、あんたも知っているはずだ」


グリーンは立ち上がり、窓際の重いカーテンの隙間から外の国道を見下ろした。


「バレット副検事と今朝、非公式に接触した。……第二級殺人への訴因変更、および不法拘禁致死罪の併合罪で、仮釈放の可能性を残した終身刑。それが検察側が提示してきた取引の唯一の境界線だ。神崎を説得して有罪答弁(ギルティ・プリー)書にサインさせれば、死刑だけは確実に回避できる。弁護人として、これ以上の選択肢はない」


「それは神崎が女たちを殺したと認めることになる」


マッケンジーの声は静かだったが、低く、室内の雰囲気を当惑させるような響きがあった。


「神崎猛は粗暴で、尊大で、教育という名目で少年を虐待死させた犯罪者だ。……だが、あの二人の女子大生を殺したのは神崎じゃない。あいつは殺していない」


「誰がそんなことを信じる?」


グリーンは振り向き、嘲笑混じりに両手を広げた。


「物証があるんだぞ、マッケンジー! 州警の科捜研のサインが入った本物の物証がだ! 陪審員が信じるのは、法廷の証拠台の上に置かれた十四金のペンダントと、検死官の鑑定書だけだ。あんたの直感や、神崎の『やっていない』という喚き声など、証拠法規(ルール・オブ・エビデンス)の前では一文の価値もない。……あんただって、それをバレットに突きつけられて、バッジを剥ぎ取られたんだろうが」


マッケンジーは何も言わず、持参した段ボール箱の中から、私用の三冊の大学ノートを取り出し、サイドテーブルの上に置いた。

表紙には、黒いインクで『失踪事件捜査記録──非公式』と書かれていた。


「読め」


マッケンジーは短く言った。


「これは、ポートランドとワシントン州南部で起きた過去半年の失踪事件のタイムラインだ。被害者の生活圏、交友関係、最終目撃地点。……そして、そのすべての結節点に存在する、ある一人の男の行動記録だ」


グリーンは訝しげに眉をひそめながら、煙草をくわえ、ノートの一冊目をめくった。

ページには、手書きの精緻な見取り図と、日付ごとのメモが几帳面に並んでいた。


「……クリストファー・ベネット」


グリーンがその名を呟いた。


「あのテレビに出ていたオレゴン大の学生か。……マッケンジー、正気か? こいつは先週、KPL-TVの生放送に出て、警察の不当捜査を告発した被害者だぞ。全米のネットワークがその映像を買い取り、今やハリス議員の選挙事務所の看板の好青年だ。こいつを犯人だと主張することが、法廷でどれほどの自滅行為になるか、あんたには理解できないのか?」


「理解しているさ」


マッケンジーはあっさりと言い放った。


「ベネットは、自分が疑われていることを知っていた。俺が自分の車を監視していることも知っていた。だからこそ、あいつはうってつけの

身代わりを用意したんだ。……トビーという少年が事故死し、神崎がそれを隠蔽しようとしたまさに同じタイミング、ベネットは神崎のアカデミーの境界線へ遺体を運び込んだ。あらかじめ手に入れていたアカデミーのロープを被害者の手首に巻き、丸太で殴打した傷を偽装し、工具小屋の床の隙間にサラのペンダントを仕込んだんだ」


マッケンジーは身を乗り出し、グリーンの目を射すように見つめた。


「……グリーン、お前が司法取引に応じれば、神崎は一生檻の中で過ごし、やがて獄中で死ぬ。そして、本物の快楽殺人鬼は『不当な冤罪に耐え抜いた英雄』として、白日の下で次の獲物を狩り続けるんだ。お前は弁護士として、それを認めるのか?」


グリーンはノートから視線を外し、深く息を吐き出した。

煙草の煙が、薄暗い部屋の天井へと漂っていく。弁護士の顔には、マッケンジーの言葉が単なる奇人の妄想ではないことを理解した者の、意表を突かれたような陰影が差していた。


「……仮に、あんたの言う通りだとしてもだ」


グリーンは乾いた唇を舐めた。


「法廷でどうやってそれを証明する? ベネットを起訴するのは不可能だ。警察も検察も、神崎一人で事件を幕引きにする気でいる。大陪審の起訴状を前にして、陪審員たちに『実は濡れ衣を着せられていたの好青年が真犯人でした』などと唐突に主張してみろ。検察側から『卑劣な責任転嫁』として徹底的に叩きのめされ、裁判長の心証は最悪になる。減刑の道すら閉ざされ、神崎は即座にガス室行きだ」


「だから、賭けをするんだ」


マッケンジーの瞳の奥で、再び執念の火が灯った。


「普通に戦えば、神崎は死刑だ。司法取引を呑めば、終身刑だ。どちらに転んでも、お前の負けだ。……なら、法廷という密閉された箱の中で、真犯人自身に口を割らせるしかない」


「何だと?」


「ベネットを呼ぶんだ」


マッケンジーはきっぱりとした口調で言った。


「裁判所から、正式な弁護側証人召喚状(サブピーナ・アド・テスティフィカンデュム)をベネットに送達しろ。あいつを証人台に立たせるんだ」


グリーンの表情が凍りついた。


「……ベネットを、法廷の証言台に立たせるだと? 正気なのか、マッケンジー。あいつは法学生だぞ。憲法も証拠法も熟知している。宣誓証言の場で、自分が殺人犯だと認めるような間抜けな自白をするはずがないだろう。検察側の反対尋問で、逆に『神崎の弁護団から不当な証人喚問を受け、精神的苦痛を受けた』と涙ながらにアピールされたら、陪審員の同情票は一気に検察側へ傾くぞ」


「あいつは自白などしない。だが、あいつには一つだけ、致命的な弱点がある」


マッケンジーは、テーブルの上の事件記録を指差した。


「自己顕示欲だ。あいつは自分が世界で最も賢く、警察も、検察も、メディアも、すべてを自分の手のひらの上で踊らせていると自負している。……昨日、拘置所の面会室であいつが神崎に見せた態度がその証拠だ。あいつはわざわざ神崎の顔を特等席で見物しに現れた。自分の『芸術作品』を自慢したくてたまらないんだ」


マッケンジーはコートのポケットから、折れた煙草を取り出し、今度は躊躇なく火をつけた。

紫煙が二人の間に立ち込める。


「神崎の小屋から出たペンダントだ。……あれについて、警察もマスコミも公表していない、ある一つの事実がある。俺がそれを使った仕掛けを用意する。法廷の場で、証拠調べの手続きの隙を突き、ベネット自身の口から『真犯人しか知り得ない非公開の事実』を語らせる」


グリーンは呆然としてマッケンジーを見つめていた。

弁護士の額から、じっとりと冷たい汗が滲み出ていた。


「……もし失敗したらどうなる」


「神崎は予定通り死刑になる。俺は司法妨害で豚箱に入る。お前は無能な弁護士として看板を下ろすことになる」


マッケンジーは煙草の灰を床のプラスチックのゴミ箱に落とし、残酷に言い放った。


「だが、成功すれば、神崎の起訴は破綻する。法廷の記録速記官が打つ記録紙の上に、ベネット自身の失言が永久に刻み込まれる。……どうする、グリーン。勝ち目のない司法取引で依頼人を終身刑の檻に縛り付けるか。それとも、この一度きりの賭けに乗るか」


二人の間に、張り詰めた沈黙が流れた。

外の国道を、激しい風雨を切り裂いて走る大型トラックのタイヤの轟音が、薄いガラス窓をガタガタと震わせた。


グリーンは、テーブルの上の三冊の捜査ノートを見つめ、それから手元のバーボンのグラスを握りしめた。

彼の指関節が、白くなるほど強く軋んでいた。


「……召喚状の草案は、私が書く」


長い沈黙の末、弁護士の口から落ちたのは、極めて低く、腹の底から絞り出すような承諾の言葉だった。


「法学部棟に廷吏を差し向ける。逃げられないように、裁判所の正式な令状として手渡しさせる。……だがマッケンジー、そのペンダントの仕掛けとやらが機能しなかったら、私はその場で証人尋問を打ち切るからな」


「それでいい」


マッケンジーは立ち上がり、コートの襟を直した。


「仕掛けは俺が用意する。オレゴンシティの宝飾店と、サラの家族のところへ行ってくる」


マッケンジーは段ボール箱を抱え直すと、一度も振り返ることなく十四号室のドアを開けた。

湿った夜気と雨の匂いが、再び二人の男の体を包み込んだ。

法廷という名の巨大な賭場へ向けて、落ちぶれた猟犬が仕掛けた最初の一手は、こうして人知れず、寂れたモーテルの片隅で静かに打ち込まれたのだった。

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