小説『名もなき荒野のブッシュ』 第1章:「猟犬と美しき獣」── パート1
オレゴン州ポートランドの秋は、常に灰色と湿気と同義だった。
窓硝子を叩く執拗な雨音を聴きながら、ジェリー・マッケンジー刑事は煙草の煙を吐き出した。指先がニコチンで黄色く染まった彼の右手には、三度も温め直されて酸味の強くなった安コーヒーのカップが握られている。
州警察本部の古びた執務室。天井の蛍光灯が微かにジーという不快なハム音を立てていた。周囲では、数台のタイプライターがガシャガシャと耳障りな音を立ててキーを叩き、紙が引き裂かれるような音が響いている。一九七四年の警察組織には、情報を瞬時に繋ぐ電子の網など存在しない。あるのは紙の山、濁ったインク、そして捜査員のすり減った靴底だけだった。
マッケンジーの正面にあるコルクボードには、五人の若い女性の顔写真がピンで留められていた。
いずれも、現像されてから間もないポラロイド写真だ。彼女たちには奇妙な共通点があった。全員が十九歳から二十二歳までの女子大生で、豊かな艶のある栗色の長髪を、額の真ん中で均等に分けたヘアスタイルにしていた。そして全員が、ある晴れた日の午後、あるいは賑やかな夕暮れのキャンパスから、煙のように姿を消していた。
「またワシントン州から連絡だ、ジェリー」
同僚の老刑事が、カーボン紙の挟まれた捜査報告書の束を机に放り投げた。
「あっちでも先週、同じ髪型の女の子が消えた。シアトル近郊だ。だが、あそこの郡保安官事務所は、ただの家出人扱いにして処理しやがった。連中、隣の州の誘拐魔が越境してきたなんて、これっぽっちも考えてやしない。俺たちが管轄違いの事件に首を突っ込むのを、露骨に嫌がっていやがる」
「……いつものことだ」
マッケンジーは掠れた声で言った。
「州境を越えれば、警察にとっては別世界だ。他人の庭に首を突っ込みたがる奴はいない。特に、死体が出ていないとなればなおさらだ。連中は、厄介な事件を自分の手元に抱え込みたくないだけさ」
彼は椅子を軋ませて立ち上がり、コルクボードの前に進んだ。写真の端が、室内の湿気と古い暖房の熱気で少し丸まっている。
マッケンジーの直感は、これは同一犯による広域連続誘拐、あるいは殺人事件だと告げていた。だが、一九七〇年代の警察捜査は、あまりにもアナログだった。他州の情報を得るには、交換台を通して電話をかけ、相手が不在なら数時間後にかけ直すか、郵送で送られてくる厚い紙のレポートを何日も待つしかない。科学捜査も初期の段階にあり、現場に残されたわずかな繊維や毛髪だけでは、犯人を特定するどころか、同一犯であることを証明することすら困難だった。
この管轄の壁と、テクノロジーの不在。それこそが、姿の見えない「獣」にとって最高の隠れみのになっていた。
マッケンジーの手元には、もう一枚、写真があった。それはコルクボードにはピン留めされていない、引き出しの奥の、古びた手帳に挟まれた一枚だった。
写っているのは、端正な顔立ちをした一人の白人青年だ。
クリストファー・ベネット。二十四歳。
オレゴン大学法学部のエリート学生であり、市長候補の選挙事務所でボランティアを務め、さらには夜間に地域の自殺予防ホットライン(相談窓口)の相談員も引き受けている。誰もが彼を「完璧な好青年」と呼び、将来は優秀な法曹か、あるいは政治家になるだろうと噂していた。
マッケンジーが彼と出会ったのは、二ヶ月前、二人目の被害者である女子大生が失踪した大学図書館での聞き込みだった。クリスは偶然、その日図書館で勉強していた「目撃者の一人」として、自ら進んで警察の聴取に応じたのだ。
「何かお役に立てて光栄です、刑事さん。彼女が無事に見つかることを、心から祈っています」
クリスはマッケンジーの手をしっかりと握り、非の打ち所のない同情の色を瞳に浮かべて微笑んだ。その肌は驚くほど滑らかで、瞳には微塵の淀みもなかった。彼の仕草、声のトーン、わずかな表情の変化に至るまで、すべてが他人を安心させ、信頼させるために計算され尽くしているかのように見えた。
だが、マッケンジーはその微笑みの裏に、奇妙な「寒気」を覚えた。
長年、数々の泥棒、強姦魔、人殺しと対峙してきた刑事の嗅覚が、激しく警告を発していた。あの男の目は、悲しんでいるのではない。ただ、「悲しんでいる人間の表情」を完璧に模倣しているだけだ。悲劇を前にして、内心では狂気じみた愉悦に浸っている。そのガラスのような冷たい瞳の奥には、底の知れない暗闇が広がっていた。
マッケンジーはクリスを疑い、彼の身辺を洗った。しかし、調べれば調べるほど、クリスの経歴は白く光り輝くばかりだった。アリバイは完璧で、彼を直接事件に結びつける物証は一つもない。マッケンジーが同僚や上司に「あのベネットという学生が怪しい」と言っても、返ってくるのは冷ややかな失笑だけだった。「お前は働きすぎて頭がおかしくなったんだ。あんな模範的な青年が人殺しなわけがない」と。
執念は、時に孤独という病を呼ぶ。マッケンジーは、この事件に没頭するあまり、妻に去られ、友人たちからも距離を置かれていた。今の彼に残されているのは、この湿気た執務室と、壁に貼られた犠牲者たちの写真、そして引き出しの中に隠されたクリスの写真だけだった。
「クリストファー・ベネット」
マッケンジーは青年の写真を見つめ、声に出してその名を呼んだ。指先に挟まれた煙草の灰が、机の上の書類に静かに落ちた。
「お前がどれだけ完璧な仮面を被っていようが、俺が必ずその皮を剥いでやる」
雨は激しさを増し、古いビルの窓枠をがたがたと揺らした。マッケンジーの孤独な闘いは、まだ誰にも理解されない暗闇の中で、静かに、しかし引き返すことのできない深みへと始まろうとしていた。




