アメリカン
そのサラリーマンはメニュー表を片手に軽くネクタイを緩めた。
「この時間にカフェなんて、珍しいですね」
そう言ってじんわりと顔をほころばせる。くたびれた顔だ。外で戦う人が安全地帯に帰るために緊張を解こうとしている、そういう顔だ。と、マスターは思う。
「ここ自体は昼営業のカフェなのですが、夜間だけ自分が借りてやらせてもらっていまして」
「へえ、じゃあ昼間はマスターじゃなくて別の人がやってるんですね」
肯定の意を込めて、マスターはニコリと微笑む。
サラリーマンはメニュー表から飲み物を注文した。
「アメリカン、お願いします」
「かしこまりました」
アメリカン、軽い口当たりで飲み干せる、お客様側からすれば手軽な、しかし奥深いコーヒー。
マスターはアメリカン用の浅煎りブレンド豆を定量、コーヒーミルへ入れる。夜のカフェには電動ミルのその音はいささか大きく聞こえた。
豆は中挽き、ドリッパーにセットしたペーパーへ挽いた豆を入れる。お湯の温度はやや高め、湯量も若干多めにする。
湯気でじんわりとマスターのメガネが曇る。構わずマスターは温まったお湯のケトルを持ち上げる。
お湯を落とし、しばらく蒸らす。一定時間蒸らしたらお湯をさらに入れる。
出来たコーヒーをコーヒーカップに入れ、サラリーマンに出すと、彼は頷いて受け取った。
「ありがとうございます。いただきます」
慎重に一口飲む。それからサラリーマンの男はゆっくりとカウンターテーブルに置いた。
夜の柔らかい静けさの中に互いの沈黙も溶けていく。
マスターはコーヒーの出がらしを専用のゴミ入れに捨て、コーヒーを入れるのに使ったものをこまごまと洗い、片付けていく。
ふと、サラリーマンの男が口を開いた。
「よく『もしこうだったら』という想像をするんです」
「『自分がお金持ちだったら』とか『あの時ああやっておけば』とか、でしょうか」
マスターが聞き返す。初対面で話すには少し突飛な話題に思えた。サラリーマンの男が答える。
「そういう感じです。最近は『もしバトルものの登場人物だったら何で戦うか』を考えていまして」
「思ったより物語ベースの想像なんですね」
マスターが言う。サラリーマンの男は頷いた。しばらくの沈黙ののち、マスターが促す。
「結局『もしバトルものの登場人物だったら何で戦うか』の結論は出たのですか?」
「はい。魔法で肉体強化して戦う魔法拳士がいいなと思いました」
サラリーマンの言葉に、マスターは同意と補足を込めて言葉を紡ぐ。
「ああ、強化魔法はロマンですね。それでいうと武器を強化して戦う系もいいですね」
「基本は強化魔法で肉弾戦だけれど大技は魔法が出てくるタイプもいいですよね」
「戦士系かと思って敵が遠距離攻撃を仕掛けてきたら魔法でやり返すとか、魔術師かと思って接近戦を仕掛けたらガチガチに肉弾戦向きのキャラだったなども旨みがありますね」
ひとしきり盛り上がった後、満足したのかサラリーマンはアメリカンを二、三口飲んだ。
アメリカンの良さはその軽やかな口当たりである。このサラリーマンとの初めての雑談は彼に取って軽やかなアメリカン足り得ただろうか。とカフェマスターは思った。




