36話 『飢餓の新生:B3の断罪』
胸の内側が、もう一度“動いた”。
死んだはずの肺が、再び呼吸を始める。
ぐじゅり、と。
崩壊と再構築が同時に進行する。
(バイオレット……?)
違う。
これは記憶ではない。
呼び出しでもない。
もっと深い。
喰った結果として“残ってしまった機能”の反射だった。
ダリストは理解する。
B4で消えたのではない。
沈められていただけだ。
そして今――三種の劇薬が、それを強制的に浮上させている。
「……そうか」
小さな確信。
次の瞬間。
ダリストは、自分の腹を裂いた。
「あああああああッ!!」
痛みは意味を持たない。
血は抵抗しない。
ただ“開く”。
内部から、それが芽吹く。
再生。
拒絶。
毒。
統合。
三つの暴力が衝突するのではない。
互いを喰い合いながら、一つの“構造”へ落ちていく。
そして――
そこに新しい器官が生まれる。
“口”。
捕食の門。
だが、それは完成ではない。
むしろ逆。
不完全なまま暴走した進化の断面。
「変異種か……!」
ムカデの声が揺れる。
初めて。
評価ではなく、誤差検知ではなく。
“動揺”。
「違う」
ダリストは即答する。
「喰っただけだ」
ムカデが一歩退く。
無数の手足が防御構造を形成する。
「私は研究者だ。お前の状態はまだ未完成だ!」
「制御できる。安定化できる。保存できる!」
「お前はまだ“資源”だ!!」
それは救済ではない。
保存でもない。
管理の言葉だった。
ダリストは一歩踏み出す。
床が沈む。
空間が軋む。
「知らん」
即答。
「お前を喰らえば、それでいい」
間。
「腹が減った」
その一言で、すべてが決まる。
腹部の口が開く。
それは個体の意志ではない。
ダリストの内側に沈んでいた“死者たちの統合機能”が一斉に起動した結果だった。
アストン。
バイオレット。
セドリック。
A。
リナ。
J。
それぞれの“名前”はもう存在しない。
残っているのはただ一つ。
飢餓という単一の意思。
「喰え」
「喰え」
「喰え」
声ではない。
命令でもない。
世界そのものの圧力だった。
ムカデは後退する。
だが恐怖ではない。
観測。
解析。
「なるほど……これが統合暴走の上位形か」
「個体ではない。系だ」
その言葉に、歓喜が混ざる。
ダリストは一瞬で距離を詰める。
ムカデの牙を掴む。
捻る。
破断。
「ぎゃああああッ!!」
だがそれすら“終わり”ではない。
ダリストの腹部が開く。
捕食門。
そこに倫理も、意志もない。
あるのはただ一つ。
取り込みの構造。
引きちぎる。
砕く。
飲み込む。
数百の手足が消えていく。
抵抗ではなく。
“変換”として。
「……うまい」
それは感想ではない。
事実だった。
やがてムカデの肉体は崩れる。
だが完全な死ではない。
仮面の残骸の奥で、まだ“記録者”が生きている。
「成功だ」
「君は想定を超えた。いや、想定そのものを破壊した」
それは敗北ではない。
研究成果の更新だった。
静寂。
残骸。
換気音。
そしてダリストの内側に残る、“一つの空白”。
それは満足ではない。
達成でもない。
ただ――
飢餓の形が変わったという事実だけ。
以前より、より静かに。より深く。より終わりなく。




