1話『異形誕生』
――「絶対に、戻ってきてね」
その声だけが、焼き付いている。
名前も顔も思い出せないのに、その言葉だけが、喉の奥に刺さったまま離れない。
――破裂音が、静寂を切り裂いた。
世界のどこかに打ち捨てられた、死臭の漂う廃工場。 最奥で、古びた培養カプセルが内側から弾け飛ぶ。
粘液が溢れ、冷え切ったコンクリートを這い、広がっていく。
その中心から――“それ”は生まれた。
毒々しいほどに深い青の皮膚。 額から突き出た二本の角。 背には脈打つ巨大な蝙蝠の翼。
そして――闇の中で爛々と輝く赤い瞳。
誰が見ても、それは人ではない。
――悪魔だった。
「……ここは、どこだ……?」
喉の奥で獣が唸るような、濁った声。 それが自分のものだと理解するのに、数秒を要した。
「俺は……誰だ……?」
足元はおぼつかず、重い身体が軋む。
視界の端に、ひび割れた姿見が映った。
引き寄せられるように近づき――その姿を見た瞬間、思考が止まる。
二メートル近い巨躯。 黒く鋭い爪。 意思とは無関係に揺れる尾。 口元から覗く、獲物を裂くための牙。
鏡の中の怪物が、同じように絶望に目を見開いていた。
「……違う……」
こんな姿ではなかった。
温かい肌があった。
――“戻らなければならない理由”があった。
だが、その中身が思い出せない。
名前が、喉まで出かかって――消える。
記憶は泥のように濁り、掴めない。
代わりに――
腹の奥から、何かが込み上げてきた。
「……っ、が……!」
それは空腹などという生易しいものではない。
自分という存在が、内側から崩れ落ちていくような感覚。
満たさなければ壊れると、本能が叫んでいる。
そして、理解してしまう。
この飢えを満たす方法を。
人間に戻るために、必要なものを。
――人間を、喰わなければならない。
その時――
重厚な鉄扉が、錆びついた悲鳴を上げてこじ開けられた。
差し込む光の中、ひとつの影が滑り込んでくる。
――異形。
それは、生き物の形を嘲笑うような姿をしていた。




