32.提案と約束
アレンの執務室。
の、ソファがこんなにも落ち着かないとは思わなかった。
「なぜ、魔法を使って執務室の様子を確認していたんだ?」
「王子が何をしているのか気になったから」
「では、執務室の会話を聞いていた理由は?」
「どんな話をしているのか気になったから」
「ふむ……」
アレンからの問いに、私はすらすらと答えた。
別にやましいことはない。
だってアレンは私の夫で、私は離宮に暮らしている。
様子が気になって何が悪いのか。
(……そうよ、何が悪いのよ!)
私はちょっと強気になってきた。
考え込んでいるアレン。
と、その隣にいるマリアをちらっと見てみる。
マリアの勢いに押されてしまったけれど、私は悪いことなんてしていない。
確かに王室付き魔法使いであるマリアに配慮していない魔法の使い方はしたけど、それだけ。の、はず。
「レヴィリア」
「なによ」
「なぜ、直接ここへ?」
アレンの問いに、先ほどまでとは違って即答できなかった。
言い訳を探そうとしたけど、マリアからの視線が痛くて集中できない。
「……き、気になったから」
子どもみたいに、さっきまでの答えをそのまま口にした。
アレンは少し困った顔をしている。
「そうかい?」
アレンの声は優しい。
白い結婚を突き付けてきた王子と、同一人物とは思えないくらいに甘い声だ。
上を向いて下を向いてアレンを見て、マリアを見て、そして天井を睨みつけた。
「わかったわよ、白状する。……マリアが化けていた女にイライラしたの」
溜め息交じりに言うと、アレンは少し目を丸くした。
「その、なんていうの。世継ぎがどうのとか言ってたじゃない。なんか、イラッときちゃって」
我ながら子どもじみている。
本当にずっと子どもっぽい。
とても幼稚な反応だとは分かっているけれど、それ以外に言いようもなかった。
「邪魔してやろうと思って、こっちまで来たのよ」
そこまで言い切ると、アレンがすっと立ち上がった。
そして、私が彼に視線を向けられずにいたら、すぐ傍に膝をついて「レヴィリア」と囁いた。
「嬉しいよ、レヴィリア」
「……は?」
「私と女性の会話を聞いて、妬心を抱いたのだろう?」
「へ? ……や、違っ、違う違う違う! ムカついたの! これは苛立ち! 怒り!」
慌てて立ち上がろうとしたら、アレンに手を取られた。
「レティは仕事ができないみたいな言い方されて腹が立ったの! 悪口を言われたら、誰だってイライラするでしょ!」
必死になって弁解しながらも、頭の中でぐるぐると色んな考えが巡った。
私が嫉妬したなんて。そんなこと、有り得ない。
アレンは確かに私の夫ではあるけど、あくまでレティとしての夫だし、表向きの結婚だし。
「な、なんかこう、腹が立つから、つい、つい来ちゃっただけで!」
「それでも嬉しいよ。私のことを気にかけてくれていたんだろう?」
「いや、だからその、違うってば! 王子はレティの夫なわけで……」
「そうとも」
アレンは薄く微笑んで頷いた。
「私はレティと結婚した。そして、レティは君だ」
「知らなかったくせに……」
「だが、もう知っている。私は君と、本当の夫婦になりたいと願っているんだ」
「……私にはそんなつもりないのよ」
「わかっている。だから、君の決断を待つよ。そう言ったろう?」
私の手をそっと解放したアレンは、静かに立ち上がった。
マリアはずっと、私たちのやり取りを眺めている。
本当にただ、眺めているだけで口を出すことはしない。
まるで私たちだけの問題だと、一線を引いているかのように――。
(……実際、私とアレンの問題、でしかない)
これでは堂々巡りだ。
パトロンだと思って良いとアレンは言っていた。
でも、今の私はそれで良いのだと割り切ることができていない。
魔法の研究に必要な時間も、場所も、資金も、すべてアレンが提供してくれている。
実際、離宮での時間は有り余っていて、何不自由なく暮らせていて、不足しているものだってない。
私が考え込んでいると、アレンは一枚の紙を差し出してきた。
見れば、それは何か、建物の見取り図のようなものだ。
「離宮の一角に、温室を作ってはどうだろうか。魔法に必要な植物を栽培しておけば、採取の手間がなくなるだろう?」
アレンの言葉に私は耳を疑った。
そんなの、最高すぎる。
マリアが管理しているような温室を保つことは難しくても、使う頻度の高い植物を栽培できるスペースは嬉しい。
「いいの?」
「もちろんだとも。離宮の敷地内にはまだ、十分なスペースがある。大きな動物の飼育は難しいが、植物くらいであれば」
「いや、でも」
「表向きは、レティの心身を癒すための薬草や気分転換のために使うとでも言っておけば良い」
願ったり叶ったりすぎる。
アレンが口実まで用意してくれるなら、レティとして私が侍従たちに説明する手間もない。
そこまでさせるのは悪いなという気持ちと、できれば絶対に獲得したいという気持ちがせめぎ合う。
「ただ……」
「……ただ? なによ?」
アレンが言葉を切ったことに、思わず身構えてしまった。
「たまには、訪ねても良いだろうか」
深刻そうな調子で言われたけど、何ということもない要求だった。
そもそも、今だってたまに離宮に来ている。
今さら、許可を求められても困るくらいだ。
「別に構わないけど」
「そうか! なら、良かった」
私が適当に承諾すると、アレンは顔を明るくして嬉しそうに笑った。
まるで無垢な少年のような、笑顔だ。
既に公務も受け持っている大人なのに。
このときの私は、まだあんなことになるなんて全くもって予想していなかった。




