第85話 ミア店長の閉店命令
その夜の一号店を、私は見ていない。
見られなかった。
伝令石は何度呼んでも、ザザッ……という雪混じりの雑音を返すだけ。
「ミア、聞こえる? 一号店、応答して!」
返事はない。
呼び続けても、私の声だけが会議室へ戻ってくる。
閉めた? 魔石は足りる? 避難所は?
任せると決めた人間が、伝令石へ張りついて八時間。格好悪い!
「リリアーナ様、石を握っても通信は早まりません」
「分かってるわよ。でも離した瞬間につながったら悔しいでしょう!」
アンナは何も言わず、私の冷えた手へ温かい布を巻いた。
吹雪で中継杭が凍り、本部からスノーベル村への連絡は、午前零時四十二分に途切れた。
次にミアの声を聞けたのは、八時間後。
それまでに、一号店は開き、客を入れ、そして、本部の許可なく閉店していた。
「記録を送ります」
通信が戻ったとき、ミアの最初の言葉は謝罪ではなかった。
時刻表、魔石残量、販売数、避難所からの要請、閉店判断。
それから、店内の録音石。
「先に、聞いていただけますか」
ミアの声は固かった。
「謝る前に?」
「はい。先に謝ったら、私が悪かったと決めた状態で記録を聞かせることになります。言い訳にしたくないので」
十六歳の言葉に、私は背筋を伸ばした。
「分かった。最初から全部聞くわ」
「ええ」
私は大型センターの会議室で、録音石を再生した。
雪が窓を叩く音。
客のざわめき。
そして、十六歳の店長代理が、私の返事を待つ声が残っていた。
◇◇◇
『午前零時四十二分。本部との連絡が切れました』
録音の中で、ミアが報告する。
『一号店の主魔石、残量六十八パーセント。通常営業を続けた場合、午前六時前に最低線へ到達します』
一号店の一般営業時間は、午前零時から四時。
準備と片づけ、冷蔵箱、会計灯を含めれば、魔石は閉店後も必要になる。
『避難所から、温食四十人分の要請。治療所から、緊急連絡石の中継維持を求められています』
店内には、保存食の買い占めを抑えた前夜の余韻が残っていた。
棚は半分空いている。
それでも、吹雪の中を来た客が二十七人待っていた。
「本部へ、もう一度」
新人店員が言う。
「呼んでいます。返事がありません」
「リリアーナ様なら、どうしますか」
「開け続けると思います」
「どうして?」
新人店員が尋ねる声も残っていた。
「吹雪で来た人を追い返したくないと言うからです。あと、売れる商品があるのに閉めたら商売人の魂が泣く、とか……」
録音石の前で、私の頬が熱くなった。
言う。絶対に言う。今も心で言った。
アンナがこちらを見た。
「何も言わないで」
「まだ何も」
「顔に全文が掲載されてる!」
自分で言ってから気づいた。これ、いつも私が言われるやつだ。
でも笑えたのは一瞬だけだった。
ミアは私を信じ、開け続ける私を止める役まで背負おうとしていた。
録音の中で、ミアは迷わず答えた。
その言葉を聞いた私は、胸の奥が痛んだ。
◇◇◇
午前一時、ミアは第一節約段階へ移った。
看板を消灯。
客席の照明を半分。
自動保温鍋を止め、販売中の鍋だけを人が火加減する。
冷蔵箱は、薬品と乳製品を一台へ集約。空いた二台を停止。
『残量六十一パーセント。通常営業換算、四時間五十分。節約状態、七時間二十分』
時刻と数字を、ミアは十五分ごとに声へ残した。
「まだ、朝まで持ちますね」
新人店員が言う。
「店だけなら」
「避難所へ届ける温食は、店の商品です」
「作る魔力と、運ぶ人が必要です」
避難所は村役場の集会所。
店から徒歩十分だが、吹雪では二十分以上かかる。温食を作れば、保温鍋と湯に魔石を使う。
「一般販売を続けながら、四十人分を作れませんか」
「作れます」
ミアが答えた。
「一回なら。でも次の要請が来たとき、何も残りません」
できるかどうかではない。
できたあとに、何が残るか。
録音の向こうで、ミアは私が何度も遅れて学んだ問いを、自分へ向けていた。
◇◇◇
午前一時二十分、避難所の担当者が店へ来た。
「人数が五十八人へ増えました」
「体調の悪い方は?」
「高齢者が九人。乳児二人。濡れた服の子どもが三人います」
「治療所へは?」
「重症者はいません。だが、温かい物を入れたい」
「食物制限は分かりますか」
「乳が駄目な子が一人。肉を食べない人が三人。詳しくは、名簿を」
「名前は要りません。必要な食事の数だけください」
ミアは、豆と野菜の粥五十八食を選んだ。
乳と肉を材料に使わない。同じ厨房で扱っていることは、避難所の札へ記す。
重いアレルギーがある人には、未開封の表示済み保存食を別にする。
「店で売る分が、ほとんどなくなります」
新人が小声で言う。
「売るための在庫です」
「なら、避難所へ無料で渡すのは」
「自治体との災害供給契約です。あとで請求します。慈善で、帳簿を消しません」
「こんな時まで請求するんですか」
「こんな時だからです」
ミアの声が強くなる。
「無料で頑張ったことにしたら、次の吹雪では食材も人件費も残りません。助けた五十八人を“善意”の一言で帳簿から消したら、働いた人まで消えます。請求書は、次も温かい粥を出すために書くんです」
創業時は硬貨を数えて目を回したミアが、請求書をこんなに頼もしく語っている!
ミアは、五十八食の受領札を用意した。
助けるときも、作った人と働く人の費用を、なかったことにしない。
◇◇◇
一般販売の列は、午前一時半で三十九人へ増えた。
温かい粥の匂いが厨房から流れ、客の視線が鍋へ集まる。
「それを売ってくれ」
先頭の男性が言った。
「避難所へお届けする分です」
「金は払う。二倍でも」
「販売できません」
「俺たちも吹雪の中を来た」
「分かっています」
「避難所に入った者だけが、温かい物をもらえるのか」
店内の空気が強張る。
ミアは、入口の雪を見た。
「こちらにいる方も、避難所を利用できます。買物のために外へ出続けるより、安全です」
「店を閉めるつもりか?」
その質問に、ミアはすぐ答えなかった。
「午前二時に、営業継続を判断します」
「四時まで開く店だろう」
「通常は。でも、今夜は通常ではありません」
客へ約束した営業時間。
避難所へ渡す温かさ。
治療所をつなぐ連絡石。
同じ魔石から、三つを同時に取ることはできなかった。
◇◇◇
午前一時四十五分、ミアは残量表を三通りで計算した。
一般販売を四時まで続ける。
午前二時で一般販売を終え、避難所の粥を作る。
直ちに閉店し、魔石を治療所と避難所の暖房へ渡す。
第一案では、午前五時四十分に最低線。
第二案では、午前十時まで緊急連絡と一台の冷蔵を維持できる。
第三案なら、正午を越える。
「すぐ閉めますか」
新人が尋ねる。
「今、列にいる人へ、乾燥食を一回分ずつ販売します」
「一般枠の上限より少ないです」
「避難所へ行かない人もいる。朝までの一食を選べるようにします」
長期保存分を抱え込む販売は止める。
でも、目の前の夜を越す食事まで一律に断らない。
『午前一時五十分。閉店予告を掲示。午前二時で一般販売終了。列の最後尾へ番号札四十七を配布。それ以降の来店者には、避難所と次回更新時刻を案内』
録音された声は、まだ震えていた。
決めたから怖くなくなったわけではない。
◇◇◇
閉店予告に、客は怒った。
「本部の命令か」
「本部とは連絡が切れています」
ミアは隠さなかった。
「では、誰が決めた」
「一号店の店長代理として、私が決めました」
「子どもが?」
「はい」
「子どもの気まぐれで、三十九人を追い出すのか!」
男の声が店内へ響いた。
「“夜でも開く店”を信じて来た。王女様なら客を捨てない。それを代理の娘が勝手に閉める? 明日、本部に叱られたら開け直すのか!」
ミアの呼吸が、録音石へ小さく入った。
「怖くないのか、と聞かれれば怖いです」
今にも泣きそうな声だった。
「リリアーナ様に『なぜ閉めたの』と言われるのも、お客様に嫌われるのも、店長代理を外されるのも怖い。でも、怖いから午前四時まで開けたら、私は何のために数字を記録してきたんですか」
「口答えをするな」
「口答えではありません。閉店予告です。番号札四十七まで、一回分を販売します。その後は避難所へ案内します。怒ってくださって構いません。でも、午前二時に閉めます」
「リリアーナ王女なら、客を雪へ出さない」
録音石の中で、長い沈黙があった。
私は、思わず再生を止めたくなった。
でも、ミアが残した言葉から逃げるわけにはいかない。
「リリアーナ様なら、開け続けようとすると思います」
ミアは言った。
「だから、今は私が決めます。この店を四時まで開けて、朝に治療所の連絡が切れるほうが危険です」
「王女に逆らうのか」
「違います。任された基準を使います」
第一優先、治療、避難、緊急連絡。
第二優先、安全な照明、必要最低限の冷蔵。
第三優先、一般販売。
昨日、私たちが公表した順番だった。
その順番は、私の許可を待つために作ったものではない。
◇◇◇
午前二時、最後の客が会計を終えた。
閉店札を出す。
ただし、入口の避難灯は消さない。
店内にいた人へ、集会所までの道を図で渡し、希望者は店員二人が分かれて案内した。
ミアは店に残り、粥を五十八食へ分ける。
『午前二時十五分。主魔石四十八パーセント。一般照明停止。避難灯、厨房一台、治療所中継を維持』
「ミアさん、休んでください」
録音には、新人の声もある。
「粥を渡してから」
「さっき、リリアーナ様なら開け続けると言いましたね」
「言いました」
「それを止めるなら、ミアさんが働き続けるのも止めます」
「私は店長だから」
「店長が倒れた後の判断を、誰がしますか」
ミアは黙った。
その言葉は、どこかで私たちがロウへ言ったものに似ている。
「十五分だけ、座ります」
「三十分です。粥は私が見ます」
「店長命令です。十五分」
「安全手順です。三十分」
「私が責任者です!」
「だから休んでください! ミアさんが倒れたら、私が一人で五十八食と避難所と治療所を判断するんですよ。そんなの無理です!」
新人の声も震えていた。
「私だって怖いんです。店長だけ格好よく全部背負わないでください!」
しばらく沈黙が続いた。
「……分かりました。三十分。戻らなければ起こしてください」
「戻らなくても、三十分は起こしません」
「それは起こして!」
こんな夜なのに、録音の向こうで誰かがクスッと笑った。
その笑いが、新人を“手伝う人”から、“店長を止められる人”へ変えた気がした。
「焦がしたら?」
「自動鍋の停止条件どおり、止めて呼びます」
店長代理は、新人に止められた。
役職が上がることは、止められなくなることではなかった。
◇◇◇
閉店したからといって、客を全員同じ場所へ送れたわけではない。
「家へ帰ります」
一人暮らしの女性が、避難所への案内を断った。
「道は吹雪いています」
「家に猫がいます。置いていけません」
「店で待っていただくことは」
「閉めるのでしょう」
一般販売は閉める。
避難灯と連絡拠点は残す。
でも、店内を待機場所として開け続ければ、暖房と見守りの人員が要る。
ミアは、簡単に「お気をつけて」と送り出さなかった。
「お家は、どの道ですか」
「粉挽き小屋の裏です。普段なら七分」
「警備員が巡回する道から、一本外れますね」
「猫を連れたら、避難所へ行きます」
村の警備詰所へ連絡し、女性の名前ではなく、外套の色、行く道、戻る見込み時刻を伝えた。
本人の同意を得て、新人店員一人と警備員が途中まで同行する。店員は猫を捕まえるため家へ入らず、外で待つ。十五分で戻らなければ、警備員が声をかける。
「そこまでしなくても」
「吹雪だから、そこまでします。でも、避難所へ行けとは命令しません」
女性は二十分後、籠の中で鳴く猫と一緒に店の前へ戻った。
そのまま避難所へ向かい、午前三時の人数は五十九人と一匹になった。
『閉店後外出、一名。同行二名。全員帰着。個人名は警備記録のみ』
ミアは録音へ付け加えた。
店を閉める判断は、扉へ鍵を掛ければ終わりではない。
閉じたあとに、客がどこへ行けるかまで考えなければ、危険を店外へ押し出すだけだった。
◇◇◇
午前三時、粥と保存食は避難所へ届いた。
戻ってきた店員は、集会所の様子を報告する。
「五十八食、受領。乳不使用食四、未開封保存食一。残りはありません」
「温度は?」
「最初の器六十二度、最後五十六度。基準内です」
「食べられなかった人は?」
「一人、香辛料の匂いで食べられず。乾燥粥へ交換しました」
「記録して。次は香辛料を最後に分けられるようにします」
成功した五十七食だけでなく、食べられなかった一人を残す。
午前三時二十分、治療所から緊急中継が入った。
避難所の高齢者一人が胸の痛みを訴え、医師の往診を求めている。
一号店の連絡石が、治療所と避難所をつないだ。
医師は安全な近道を聞き、村の警備員二人と集会所へ向かった。
『連絡中継、成功。主魔石三十七パーセント』
もし店を四時まで開けていたら、この時刻の残量は二十パーセントを切っていた。
連絡一回で足りたかもしれない。
次が来れば、足りなかったかもしれない。
ミアは、その不確かさのために店を閉めた。
◇◇◇
通信が戻った午前八時四十二分、主魔石は二十九パーセント残っていた。
治療所の中継は維持。
避難灯も点灯。
一般販売は六時間四十二分、停止したまま。
「以上が記録です」
録音を聞き終え、私は伝令石の向こうのミアを見た。
寝ていない顔だった。
「申し訳ありません」
ここで初めて、ミアは謝った。
「何に?」
「全部です」
ミアの声が、とうとう崩れた。
「お客様を怒らせました。十九件も苦情が来た。売上もなくした。新人へ強く言った。閉めたあと、本部につながったら『やっぱり開けて』と言われる気がして、ずっと怖かったんです!」
涙が頬を伝った。
「朝、魔石が二十九パーセント残っていたら、『残しすぎたのでは』と思いました。もっと売れた、もっと粥を作れたかもしれない。何が正しかったのか分かりません」
「それでいいのよ」
「よくありません!」
「分からないから、記録を残したのでしょう。閉めた瞬間に未来まで見えたなら、店長ではなく予言者よ。そんな人材、いたら私が高給で雇いたいわ!」
ミアが涙のまま、ふっと息を漏らした。
「営業時間を守れませんでした。お客様から苦情が十九件。売上損失は、概算で二百四十金貨です」
「決めてくれて、ありがとう」
ミアが目を見開いた。
「正しかった、と言わないのですか」
「今すぐ“満点、正解、すごい!”って言いたいわよ。ものすごく言いたい。私の最初の仲間が、本部なしで店と避難所を守ったんだもの。自慢して王都中を走りたい!」
「でも、褒めたい気持ちで検証を飛ばしたら、怒りたい気持ちで処分するのと同じでしょう。だから判断は皆で見る。決めた勇気には、今ここでありがとうを言う」
「正しかったかは、数字と影響を皆で検証する。でも、私の返事がない中で、誰かが決めなければならなかった。決めて、記録して、残してくれたことに、まずお礼を言いたい」
「怒られないんですね」
「私なら開け続けるって、言ったでしょう」
ミアは気まずそうに目を伏せる。
「はい」
「私も、そう思う」
「では、閉めてよかったです」
ようやく、少し笑った。
◇◇◇
検証では、閉店判断を妥当とした。
午前二時の残量、避難所人数、治療所中継の需要は、事前の第二節約段階に達していた。
改善点も三つ。
閉店後に避難所へ向かった客の人数を記録していなかったこと。
店員の休憩開始が二十分遅れたこと。
香辛料を避ける食事を、最初から分けなかったこと。
「処分は?」
ミアが尋ねる。
「ないわ。改善計画を店長会議で共有する」
「店長代理のままですか」
「そこは、本人に聞きたい」
私は伝令石へ近づいた。
「ミア。一号店の正式店長を、引き受けてくれる?」
「今ですか?」
「今夜の閉店命令を、名前だけ代理の人へ背負わせたくない」
「私、十六歳ですよ」
「知ってるわ」
「失敗したら、“やっぱり子どもには早かった”と言われます」
「言う人はいるでしょうね」
「リリアーナ様も、そう思いませんか」
「思わない。今までの仕事と今夜の記録を見て頼んでいる。ただし、十六歳の勤務上限まで店長職で消さない」
「偉くなったら、長く働けるわけではない?」
「むしろ皆があなたを頼るぶん、先に休む責任が増えるわ。嫌?」
「……面倒です」
「でしょう? 店長って格好いいだけの役じゃないのよ。書類と苦情と休憩命令がセット。今なら返品可能よ」
ミアは涙を拭い、少し考えるふりをした。
「返品窓口は、どちらですか」
「私」
「では、返品しません」
ミアは、後ろの新人たちを振り返った。
「条件があります」
「何?」
「店長も、閉店も、休憩も、ほかの人に止めてもらえること」
「もちろん」
「それから、私が間違えたとき、最初から子どもだからと決めないこと」
「約束する」
「では、引き受けます」
十六歳のミア店長は、最初の正式な命令として、午前中の一般営業も休止した。
店員全員を交代で眠らせ、午後の再開判断まで魔石を残すためだった。
その直後、共同在庫板へ、夜明けの星ではない店から申し出が届き始めた。
『当店の魔石、四個を融通可能』
『乾燥麦、五十袋。看板は違うが、引換札を受け入れる』
『薬舗の待合室を、夜間避難場所として開ける』
ミアが一つの店を閉めたから、ほかの店の扉が開こうとしていた。
私は返信欄へ『承認』と書きかけ、筆を止めた。
それでは、また私が上から点をつける形になる。
線を引き、『本部記録――ミア店長の判断により、人員休息と魔石備蓄を確保』と書き直した。
「満点、とでも書くかと思いました」
アンナに先を読まれた。むむむ。私の単純さ、もう取扱説明書にできるのでは?
「書こうとはしたわよ。でも、これは私の試験じゃないもの」
ミアは許可を待たずに閉めた。
だからこそ今、四十八もの別の扉が、彼女の判断へ応えるように開いていた。




