第69話 王家の病と空白
「リリアーナ様、大変なことになりました!」
アンナが血相を変えて駆け込んできた。その手には王都からの緊急便が握られている。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「国王陛下が...ご病気で倒れられたそうです!」
「えぇ!?お父様が?」
思わず立ち上がる。確かに父王とは追放の件で関係が悪化したけれど、それでも血を分けた家族よ。
「容体はどうなの?」
「詳細は不明ですが...意識不明の重体だと」
書状を読むと、確かに深刻な状況のようだった。
「これは...大変なことになりそう」
政治に詳しくなくても分かる。国王が倒れれば、必ず王位継承問題が浮上する。
◇◇◇
案の定、その後の報告は混乱を極めていた。
「王都では各派閥が動き出しています」
ゼルドが情報収集から帰ってきた。
「第一王子派、第二王子派、そして...」
「そして?」
「元第三王女復帰派まで現れているそうです」
「私の復帰派?冗談でしょ?」
でも、考えてみれば不思議じゃない。現在の私の事業的成功と国際的地位を考えれば、政治的な価値も認められているはず。
「でも、政争には巻き込まれたくないわね」
心の底からそう思った。政治的な権力よりも、今の自由な立場の方が遥かに価値がある。
◇◇◇
翌日から、王都の政治情勢は日に日に悪化していった。
「第一王子が軍部を味方につけました」
「第二王子は貴族派を取り込んでいます」
「商業ギルドは分裂状態です」
次々と届く報告に、私は頭を抱えた。
「政治って、こんなにドロドロするものなの?」
前世の政治も酷かったけれど、ここまで露骨な権力闘争は見たことがない。
「でも、我々は中立を保ちましょう」
私はスタッフ全員に宣言した。
「どの派閥からも等距離を保つ。店は政治とは無関係よ」
「でも、圧力がかかったらどうします?」
ミアが心配そうに聞く。
「その時は...適当に理由をつけて断るわ」
◇◇◇
しかし、予想以上に早く圧力がやってきた。
「リリアーナ様、第一王子派の使者が来ています」
マルクが緊張した顔で報告する。
王都旗艦店に現れたのは、第一王子の側近マクシミリアン伯爵だった。
「リリアーナ王女殿下、お久しぶりです」
「今は一般市民です。王女の称号は返上しました」
私は冷静に対応する。
「それは残念です。実は、殿下のお力をお借りしたく...」
「申し訳ありませんが、政治的な件にはお答えできません」
きっぱりと断る。
「我々は商売に専念しております」
マクシミリアン伯爵は困ったような顔をしたが、最終的には諦めて帰っていった。
◇◇◇
翌日には第二王子派の使者も現れた。
「リリアーナ殿下、第二王子殿下がお会いしたがっております」
今度は宮廷侍従のロベルト卿だった。
「申し訳ありませんが、政治的中立を維持したいのです」
同じように丁寧にお断りする。
「商売人として、どの派閥にも等しくサービスを提供するのが我々の方針です」
ロベルト卿も渋々承知してくれた。
「しかし、この混乱の中で中立を保つのは困難では?」
「だからこそ、我々は変わらず店を開き続けます」
私は窓の外を指差す。
「政治がどうなろうと、人々の日常生活は続く。その支えになるのが我々の役目です」
◇◇◇
その後も、様々な派閥からの接触があったが、すべて同じように断った。
そんな中、興味深い現象が起き始めた。
「お客さんが増えています」
エリックが嬉しそうに報告する。
「特に夜の時間帯。普段来ない層の方々も来店されています」
「どんな方々?」
「貴族、商人、官僚...政争に疲れた方々のようです」
なるほど、政治的混乱の中で、我々の店が避難所的な役割を果たしているのね。
「ここだけは政治と関係ない、安心できる場所」というわけか。
◇◇◇
実際に店を訪れてみると、確かに普段とは違う客層が目立った。
「あぁ、やっと静かな場所に来られた」
疲れ切った表情の中年貴族が、温かいスープを飲みながらほっと息をついている。
「政治の話は一切なし、美味しい食事だけ...これが一番だ」
官僚らしき男性も、肉まんを頬張りながらリラックスしている。
「ここは別世界みたいですね」
若い商人が感心している。
「外では血で血を洗う政争が続いているのに、ここだけは平和そのもの」
確かに、店内には政治的な緊張感は微塵もなかった。
◇◇◇
そんなある夜、思いがけない来客があった。
「リリアーナ...いや、店主さん」
声をかけてきたのは、何と元婚約者のローラン王子だった。
「あら、いらっしゃいませ」
私は普通の客として接客する。特別扱いはしない。
「何かお求めですか?」
「...温かいものを何か」
ローランは疲れ切っていた。王位継承争いの渦中にいるストレスは相当なものだろう。
「こちらの『安らぎセット』はいかがですか?」
スープ、おにぎり、そして温かいお茶のセット。心も体も温まる組み合わせよ。
「それでお願いします」
◇◇◇
ローランが食事をしている間、私は普通に他の客の対応をしていた。
でも、時々彼の様子を見ると、本当に疲れているのが分かった。
「美味しいですか?」
「...ああ、とても」
彼は静かに答える。
「ここは本当に...平和だな」
「政治的な話は禁止ですよ」
私は微笑む。
「ここは誰もが平等にくつろげる場所です」
「そうだな...それがいい」
ローランも初めて笑顔を見せた。
「昔の君が正しかったのかもしれない」
「昔のことは忘れましょう。今は店主と客の関係です」
私はきっぱりと言う。過去にとらわれても仕方ない。
◇◇◇
その後、ローランは定期的に店を訪れるようになった。
でも、政治的な話は一切しない。ただ静かに食事をして、ほっと一息ついて帰っていく。
「店が心の避難所になってるのね」
私は満足だった。これこそ、我々が目指していた「誰もが安心できる場所」よ。
「でも、政争はいつまで続くのかしら?」
アンナが心配そうに言う。
「さあ、でも我々には関係ない。ただ変わらず営業を続けるだけよ」
「それが一番ですね」
◇◇◇
1ヶ月後、政争は泥沼化していた。
「もはや国政が機能していません」
ゼルドが深刻な表情で報告する。
「税収は減少、治安は悪化、商業活動も停滞...」
「でも、うちの店は?」
「逆に売上が伸びています。安定した営業を続けているのは、王国でも我々くらいです」
確かに、政治的混乱の中で我々だけが通常通り営業している。
「これって、すごいことよね」
どんな政治的嵐の中でも、変わらず灯りを灯し続ける灯台のような存在。
◇◇◇
そんな中、民衆の間で興味深い動きが起きていた。
「『夜明けの星』支持の声が広がっています」
ミアが報告する。
「政治家は信用できないが、あの店は信頼できるって」
「『嵐の中の灯台』『唯一の安定』『民衆の味方』...そんな評価をいただいているようです」
これは予想外の展開だった。政治的中立を保っただけなのに、結果として民衆の絶大な支持を得ている。
「政治より大切なものがある」
私は窓の外を見る。
「人々の日常生活、安心して食事ができる場所、明日への希望...」
それらを守り続けることこそが、真の価値なのかもしれない。
◇◇◇
その夜、王都旗艦店で興味深い光景を目撃した。
異なる派閥の人間が、同じ店内で平和に食事をしているのだ。
第一王子派の貴族と第二王子派の官僚が、隣のテーブルで何事もなく食事している。
「ここでは政治は忘れましょう」
私がその場の雰囲気を作ったわけではない。自然にそうなったのだ。
「食事をする時くらい、静かにしたいものですね」
第一王子派の貴族が言う。
「全くです。政争に疲れました」
第二王子派の官僚も同意する。
「良い店を見つけましたね」
「ええ、ここは別天地です」
二人は政治的立場を忘れて、普通に会話していた。
◇◇◇
翌朝、驚くべきニュースが飛び込んできた。
「民衆デモが起きています!」
アンナが慌てて報告する。
「でも、暴動ではありません。平和的なデモです」
「何を要求してるの?」
「『政争の停止』『国政の正常化』『民衆生活の安定』...そして」
「そして?」
「『夜明けの星』を政治的中立地帯として認定せよ、と」
「えぇっ!?」
まさか民衆が我々の店の政治的地位を要求してくるなんて。
「つまり、どの派閥も我々の店に政治的圧力をかけてはいけない、という要求ですね」
「すごいじゃない」
民衆の力で我々の中立性が保護されるなんて、予想外の展開だった。
◇◇◇
そして1週間後、さらに驚くべき事態が発生した。
「三派閥が話し合いを求めています」
ゼルドが興奮して報告する。
「会談場所として、国境店舗を指定してきました」
「え?なんで?」
「『政治的に中立で、平和的な雰囲気の場所』として我々の店が選ばれたそうです」
これまでの外交会談の実績が評価されたのね。
「でも、王室内の政争にまで関わるの?」
「民衆の強い要望もあるようです。『信頼できるのは夜明けの星だけ』と」
責任重大だった。でも、断る理由もない。
「お引き受けします。ただし、条件があります」
◇◇◇
三派閥会談当日。
国境店舗には第一王子、第二王子、そして私の代理として参加した宮廷侍従が集まった。
「皆様、ようこそいらっしゃいました」
私は中立的な立場で司会を務める。
「まず、ここでのルールを確認させてください」
「政治的攻撃は禁止。建設的な議論のみ」
「相手の人格攻撃は厳禁」
「食事をしながらの和やかな雰囲気で」
「そして、最終的には国民のための解決策を見つける」
三人とも素直に同意してくれた。
◇◇◇
会談は予想以上に順調に進んだ。
「父上の病状が安定するまで、摂政制度を設けてはどうか」
第一王子の提案。
「それは良いアイデアですね。では、摂政は三人の合議制で」
第二王子も建設的に応答する。
「国政の重要事項は、必ず三人で相談してから決定する」
宮廷侍従も同意する。
「素晴らしい合意ですね」
私は満足だった。対立ではなく協力の方向に向かっている。
「この肉まん、本当に美味しいですね」
第一王子が笑顔で言う。
「政争に明け暮れて、美味しいものを食べる余裕もありませんでした」
「私もです。改めて、日常の大切さを実感します」
第二王子も同感している。
◇◇◇
会談の結果、三派閥は見事に和解した。
摂政制度の設立、国政の正常化、民生の安定...すべてが合意された。
「リリアーナ、君のおかげだ」
第一王子が感謝する。
「この店がなければ、我々はずっと争い続けていただろう」
「私は何もしていません。ただ、美味しい食事と平和な場所を提供しただけです」
「それが一番大切なことだったのかもしれません」
第二王子が深く頷く。
「政治より大切なもの...それを思い出させてくれました」
◇◇◇
その夜、三派閥和解のニュースが王国中に伝わった。
「『嵐の中の灯台』が政治的混乱を解決」
「『夜明けの星』の仲裁で王室和解」
「民衆の味方が王国を救った」
新聞各紙が我々の功績を大きく報道した。
「すごい評価ですね」
ミアが感動している。
「でも、我々は何も特別なことはしてないのよ」
「ただ、変わらず店を開き続けただけ」
「それが一番難しいことだったのかもしれませんね」
アンナが言う。
「政治的な嵐の中で、中立を保ち続ける。誰もができることではありません」
◇◇◇
1ヶ月後、国王の容体が安定し、摂政制度も順調に機能していた。
「政治的混乱は完全に収束しましたね」
ゼルドが報告する。
「そして、我々の政治的地位も確立されました」
確かに、今では『夜明けの星』は王国公認の「政治的中立地帯」として認定されている。
「どの政治勢力も、我々に圧力をかけることはできません」
「これで安心して商売に専念できるわね」
でも、一番の収穫は別のところにあった。
「政治より大切なものがある」
この教訓を、身をもって学ぶことができた。
権力や地位よりも、人々の日常生活を支えること。
それこそが、真の価値なのだと確信した。
◇◇◇
その夜、私は店の屋上で星空を眺めていた。
「政争の嵐は過ぎ去ったけれど、また新しい試練が来るかもしれない」
でも、もう怖くない。
「どんな嵐が来ても、我々は変わらず営業を続ける」
それが我々の使命であり、存在意義なのだから。
「嵐の中の灯台」
この称号を、私は誇りに思っている。
政治的な権力は移ろいやすいが、人々の信頼と支持は永続的だ。
そして、その信頼を築くのは、日々の地道な努力の積み重ねなのだということを、改めて実感した。
明日からも、変わらず店を開き続けよう。
それが、我々にできる最高の社会貢献なのだから。