第64話 魔法冷蔵の共同特許
「冷却持続時間、従来型の5倍。消費魔力は3分の1です」
魔術師ギルドの研究員エルデンが、分厚い測定記録を机へ置いた。
「すごいじゃない!」
椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「五倍! 三分の一! なによその数字、寝不足が一瞬で吹き飛ぶじゃない! 昨日まで棚に『ちゃんと冷えなさい』って説教していた私が馬鹿みたい!」
「棚へ説教を……?」
「そこは忘れて。今すぐ。永久に」
声を上げたあと、私は表の端へ目を移した。
「どんな条件で?」
「同じ大きさの試験箱、同じ量の水、外気温を一定にした室内です。5回のうち4回は近い結果でしたが、1回は循環弁が詰まり、3倍で停止しました」
「故障した時、箱の中は?」
「警報石が赤くなり、従来型の補助魔道具へ切り替えました。切り替えなければ、2時間ほどで基準を越えていたはずです」
5倍という数字は華やかだった。
でも、食品を守るのは、最も良かった日の数字ではない。壊れた日に、誰が止められるかだ。
「研究所の分離保冷庫で試しましょう」
魚、野菜、乳製品を別々の棚へ入れ、扉を開ける回数も実際の厨房に合わせる。温度石だけでなく、手動の記録札も置く。
「半年かけた成果です。早く発表したい気持ちはありますが……」
エルデンは、羊皮紙の束を抱え直した。
「実用の条件で確かめてからにします」
「本当は、今日にでも新聞社を呼びたい?」
エルデンは黙った。
腕の中の羊皮紙が、ミシッと鳴るほど強く抱き締められている。
「……呼びたいです」
絞り出した声は、ひどく正直だった。
「半年です。何度も回路が焼けて、仲間が『もう普通の冷却箱でいい』と言って、それでも作り直した。五倍という数字を見た時、やっと自分たちの半年が形になったと思いました。だから早く、誰かに見てほしい」
「うん」
「でも、焦って食品を傷ませたら、世間が覚えるのは研究者の名前ではなく事故だけです。……それは、もっと嫌だ」
「じゃあ、喜ぶのは今日。発表は試してから。悔しいけれど、それでいきましょう」
「はい。ものすごく悔しいですが」
「気が合うわね。うちの研究所、悔しがる人ばかり増えていく」
その声には、誇りと不安が同じだけ混じっていた。
◇◇◇
研究所での7日間の試験では、3つの問題が見つかった。
扉に近い棚は、開閉のたび温度が上がる。魚用の棚へ冷気を多く送ると、葉野菜が凍る。夜間に補充する担当者が警報音を聞き逃し、光の表示で気づいた例が1回。
「装置そのものは、試験箱より悪くなったのでしょうか」
ミアが尋ねる。
「いいえ。使い方が複雑になったんです」
エルデンは冷気の流れを示す細い布を棚へ結んだ。
「箱一つを冷やすなら、同じ温度を保てばよい。でも実際の店には、凍らせたくない物と、低く保ちたい物が一緒にあります」
循環口を3つに分け、棚ごとに流量を調整する。扉の開閉が続いた時は、装置を強くする前に補充方法を変える。警報は音と光の両方にし、夜勤者が一人で判断せず、責任者へ連絡する。
再試験では、魚棚と野菜棚の温度差を決めた範囲へ保てた。
「これなら完成ですか?」
「実用試験には合格です」
エルデンは慎重に答えた。
「完成という言葉は、修理が必要になった日に困ります。定期点検と、交換部品が供給できることまで含めて運用です」
「完成って言わせてくれないのね、この世界」
「言った瞬間に壊れる気がして」
「やめて! 装置の前で不吉な研究者あるあるを言わないで!」
ミアが慌てて木机をコンコンと叩いた。
その直後、警報石が赤くチカッと光る。
「ひゃあっ!?」
「扉の閉め忘れです」
「心臓に悪い完成度です!」
「だから、完成ではなく運用なんです」
私はうなずき、彼の名が書かれた表紙を見た。
『魔法冷蔵循環システム 共同研究代表 エルデン』
「この技術を、どう守りましょう」
◇◇◇
魔術師ギルド長マーリンを交えた会議で、私は前世の制度を説明した。
「発明した方法を公開する代わりに、一定期間、使い方を許可する権利を守る制度です。前世では、特許と呼んでいました」
「秘密にしておくのではないのですか?」
ミアが首を傾げる。
「秘密にすれば、作った人しか直せません。それに、誰かが似た物を別に作り、先に自分の物だと言うかもしれない」
「でも、公開したら盗まれるっす」
ロウの疑問に、マーリンが髭を撫でた。
「だから、公開と引き換えに権利を認めるのですな」
「はい。ただ、権利を持つ人を決めるところから必要です」
前世の仕組みを思い出したのは私だ。
研究の資金と、実地試験の場所は夜明けの星が出した。
魔法回路を設計したのはエルデンたち。循環弁を加工したのは工房。安全試験には研究所と物流担当が関わった。
「共同名義なら、リリアーナ様と魔術師ギルドでよろしいでしょう」
エルデンが言う。
「発明者欄には?」
「ギルド名で」
「あなたたち個人の名を入れましょう」
エルデンの指が止まった。
「新聞は、どうせ『追放王女の新発明』と書きます」
冗談めかしていたが、笑えていなかった。
「それで客が増えるなら、仕方ありません。ギルドの研究員なんて、記事の最後に小さく載ればいい方ですから」
「仕方ないって顔じゃないわ」
「……顔に出ていましたか」
「出てる。悔しい、でも目立ちたがりと思われたくない、けれど半年を無かったことにされたくない。全部」
エルデンはうつむいた。
「研究者が名前を欲しがるのは、みっともないでしょうか」
「いいえ。手柄を独り占めするのはみっともない。でも、自分が作ったものへ自分の名を残したいのは、誇りよ」
「私も、誰かの言葉だけで役立たずと決められたわ。今度は私の名前で、ほかの人の仕事を消したくない」
追放の日、私から王女の名も、積み上げた仕事も剥がされた。
悔しくて、腹が立って、だからこそ別の誰かへ同じことをする自分にはなりたくない。
「新聞が私だけを大きく書いたら?」
「訂正文を求めます」
「一度で直らなかったら?」
「研究員全員で新聞社へ行きます」
「よし。その時は私が先頭で扉を叩くわ。ドンドンドン! 発明者の名前が三行抜けていますけどー! って」
「元王女が新聞社へ殴り込み、という見出しになりませんか?」
「……もっと穏便な抗議方法を考えましょう」
設計者、試験責任者、製作工房を記録する。権利収入は、研究継続費、発明者への分配、保守網、夜明けの星の投資回収に分ける。発明者がギルドを辞めても、名前と分配権は消えない。
「特許って、作った人の名を消さず、使う人の責任も決める約束なんすね」
ロウが言った。
「それが、一番分かりやすい説明かもしれないわ」
◇◇◇
この王国には、商品の印や工房秘伝を登録する制度はあった。
けれど、技術の仕組みを公開し、期間を限って守る制度はない。
私たちだけの申請を通すため、新しい役所を一週間で作ることはしなかった。
商務部、魔術師ギルド、工房組合、商業ギルド、利用者代表が、3か月にわたり公開検討を行った。似た仕組みを以前から使う職人の権利、秘密を公開したくない者の選択、危険な技術を誰が止めるか、料金を払えない小さな工房をどう扱うか。
その上で、既存の技術登録窓口を独立させた『技術保護庁』が発足した。
最初の申請の一つが、魔法冷蔵循環システムだった。
申請書には、魔術師ギルドと夜明けの星を共同権利者として記す。エルデンを含む設計者4人、工房の製作担当者2人を共同発明者・製作者欄へ記載した。
「従来技術との差は?」
審査官が尋ねる。
「冷却魔法を強くしたことではありません」
エルデンが答えた。
「冷気を循環させ、棚ごとの流量を調節し、戻った冷気を再利用する回路です」
既存の冷却箱、鉱山の換気魔法、温室の風魔法について先行技術を調べた。似た部分は申請範囲から外し、新しい組合せと制御方法だけを権利対象にする。
第三者の工房が、公開された説明から小型試験機を再現した。動かなければ、社会へ教える代わりに権利を得るという約束にならないからだ。
異議申立期間の12日目、北部の氷室職人から一通の書状が届いた。
「冷気を回す輪なら、うちでは20年前から使っている、とあります」
アンナが読み上げる。
職人の氷室では、地下の冷気を木の筒へ通し、天井から戻していた。魔法ではない。けれど「冷気を循環させる」という考え自体は、私たちよりずっと前に存在している。
「申請を取り下げますか?」
エルデンの顔から血の気が引いた。
「二十年前……」
唇がかすかに震える。
「もし同じなら、僕らは半年もかけて、誰かの仕事を作り直しただけです。新しいと思って胸を張って……っ、何も知らずに」
「まだ同じだと決まったわけじゃない」
「違ったとしても、知らなかった事実は消えません」
その悔しさは、言い訳でなだめていいものではなかった。
「だから調べるのよ。怖いままでも、見に行く。似ていたら認める。違うところがあれば、そこだけを私たちの成果として残す」
「全部を失うかもしれません」
「その時は泣く。盛大に泣く。半年分なら、三日は許す」
「三日で足りますかね」
「足りなかったら四日目から新しい研究をしながら泣きなさい。手は動かせるわ」
エルデンは泣きそうな顔のまま、ほんの少し笑った。
半年の研究が、誰かの真似だったと言われる恐怖。
私には、その痛みが少し分かった。
「まず、見せてもらいましょう」
技術保護庁の審査官、エルデン、工房職人と一緒に、北部の氷室を訪ねた。
木筒の中には、風向きを変える薄い板がある。動力は温度差と煙突の上昇気流。棚ごとの調整も、戻った冷気を魔力へ再利用する機構もない。
「全部、違う仕組みです」
エルデンが安堵しかける。
「でも、循環という考えは、この方が先です」
私は申請書の最初の文を指した。
『冷気を循環させる冷蔵方式』では広すぎる。
権利対象を、魔法回路による流量調節、戻り魔力の再利用、異常時の分離機構という3点の組合せへ狭めた。木筒、自然対流、従来の換気方法は対象外だと明記する。
「狭くしたら、まねされやすくなりませんか」
ゼルドが尋ねる。
「私たちが作っていない物まで、自分たちの物にするよりいいわ」
氷室職人は、異議を取り下げる代わりに金を求めなかった。
「名前を残してくれ。昔の職人が、何も考えていなかったことにされたくない」
先行技術一覧へ、氷室の構造と職人一族の記録を加えた。
エルデンは帰りの馬車で、修正後の申請書を何度も読んだ。
「権利が小さくなったのに、前より自分たちの発明だと言える気がします」
「境界が正しくなったからよ」
守るべきものは、大きな言葉ではない。
誰が、どこを考えたのかという線だった。
安全審査と30日の異議申立期間を経て、共同特許が認められた。
期間は8年。
永久に冷蔵を支配する権利ではない。
◇◇◇
次に話し合ったのは、業界標準だった。
「標準規格を我々の特許へ合わせれば、基本技術を握れます」
ゼルドが、原案の利点を説明する。
同じ寸法の箱。同じ接続部。同じ温度表示。どの倉庫でも載せ替えられれば、物流は速くなる。
「でも、標準を守るだけで、必ず私たちへ料金を払う仕組みになったら?」
私が尋ねると、物流業者組合長ゼラルドが腕を組んだ。
「選択肢のない税と変わらなくなる」
そこで、安全と互換に必要な規格は、誰でも無償で使えるよう公開した。
箱の接続寸法。温度石の色と図形。警報の意味。点検札の項目。異常時に手動で切り離せる構造。
独自の循環回路を使い、持続時間と消費魔力を改善したい事業者だけが、特許ライセンスを結ぶ。
「料金は一律ですか?」
小規模運送組合の代表が尋ねる。
「箱2個の業者と、大倉庫を同じ料金にはしません」
設備容量に応じた段階料金。保守研修込み。部品の供給が止まった場合の返金。救護所と災害輸送には低額または一時無償の枠。安全違反時には利用を止めるが、競合だから停止することはできない。
「いっそ無償で公開すれば、一番早く広がるのでは?」
若い研究員が言った。
マーリンは、すぐには否定しなかった。
「わしも研究者としては、そうしたい。知識は広がるほど次の知識を生むからの」
「では――」
「だが、壊れた循環弁を誰が直す? 交換部品を誰が作る? 事故が起きた夜、研究者へ『善意で今すぐ来い』と言うのか?」
若者は口をつぐんだ。
「無料は、費用が消える魔法ではない。見えない誰かへ押しつけることが多いのじゃ」
「……研究員のお腹も、無償では膨れませんしね」
「そうじゃ。誇りは食えるが、腹いっぱいにはならん」
「ギルド長、それ研究者の前で言うと妙に悲しいです」
権利は、弱い相手から高く取るためではない。
作り続け、直し続ける費用を、使う人と分け合うために使う。
◇◇◇
最初の正式利用申請は、ヴェルナー商会物流部から届いた。
「まさか、あちらが最初とは」
アンナも驚いた。
ヴィクター・ヴェルナー本人ではなく、物流部の責任者が面談へ来た。
「王都支店の閉鎖後、当商会は品質と運用の見直しを進めています。冷蔵輸送の記録が、支店ごとに異なることも分かりました」
「技術を使えば、自動的に信頼が戻るわけではありません」
「承知しています。だから、保守と記録の研修も受けたい」
私は、ほかの申請者と同じ料金表、監査条件、事故報告義務を示した。
正直に言えば、胸の奥で小さな私が腕を組んでいた。
ほら見なさい。散々邪魔をした商会が、今はこちらの技術を借りに来た。
ここで一言くらい、気持ちよく言い返しても罰は当たらないんじゃない?
――いや、当たる。たぶんアンナの雷が。
「ずいぶん静かですが」
物流部責任者が身構えた。
「頭の中で、性格の悪い勝利演説を最後まで聞いて、ゴミ箱へ捨てていたところです」
「正直におっしゃるのですね」
「口に出さずに済んだだけ、褒めてください」
相手の口元が、ほんのわずかに緩んだ。
「以前の対立を理由に高くはしません。でも、安くもしません」
「それを聞いて安心しました。罪悪感で安くされれば、次の交渉でも対等には戻れません」
「仲良しになる契約ではないもの。安全に荷物を運ぶための契約よ」
「それで結構です」
これは白旗ではない。
同じ安全基準の中で、もう一度商売をするという契約だった。
2か月で、大手商会3社、中堅物流業者7社、新興の運送組合5社、合計15件の申請が届いた。
すべてが稼働した場合の契約見込額は、月200万銅貨相当。そこから保守部品、研修、技術保護庁への登録費、研究者と工房への分配を引く。丸ごと利益ではない。
試験導入した港町―王都便では、同じ季節の比較便で傷みにより販売から外した箱が10箱から1箱へ減った。90%減だが、一つの経路、一つの月の結果である。
「廃棄が、ずっと9割減ると宣伝しますか?」
ゼルドが尋ねる。
「しません。温度逸脱が何件あったか、売らずに止められたかを続けて見ましょう」
◇◇◇
魔術師ギルドで、共同特許の小さな祝賀会が開かれた。
マーリンは、研究者と工房職人を一人ずつ壇上へ呼んだ。
「この技術の名は、誰か一人の名ではありません」
エルデンは自分の名前が記された証書を、何度も見返していた。
「これで、研究を続けられます」
「次は何を?」
ミアが尋ねる。
ゼルドが一枚の提案書を出した。
「一定の温度と時間を守る、調理補助の魔法装置です。誰でも同じ品質を作れるように――」
「自動で料理が完成する装置、ではないわね」
「まだ、火を止める試験すらしていません」
全員が笑った。
調理自動化は、研究提案として安全試験から始める。料理人の判断や雇用を消す道具にはしない。
国外からも技術評価の問い合わせが来ていたが、修理する人、部品、事故時の法的責任が決まるまで輸出契約は結ばない。
「立ち止まったら負け、ではありません」
エルデンが言う。
「止まって測るから、次へ進めます」
半年前なら、私が言っていたかもしれない言葉を、研究者から教えられた。
◇◇◇
翌朝、大型物流センターから最終確認の伝令札が届いた。
半年間建設してきた専用施設。
最初の改装倉庫で試した光る集品路、荷札、積載計算、在庫表示に、新しい循環冷蔵区画を加えた場所だ。
建物、安全検査、夜勤交代、避難訓練、3週間の半量試運転。
すべての必須項目へ、確認印がそろったという。
「明日、稼働開始です」
ゼルドは、完成図ではなく、故障時の停止手順を最後まで読み返した。
技術を守る制度ができた翌日、その技術で商品を守る大きな建物が動き始める。
特許証より重い責任が、夜の王都郊外で扉を開けようとしていた。
「性能五倍、消費は三分の一」
ミアが嬉しそうに復唱する。
「故障一回、補助切替まで二分。そちらも一緒に覚えてね」
「夢の数字だけでは駄目なんですね」
「壊れた日の数字が、店を守るもの」
エルデンが特許証の横へ停止手順書を置いた。
華やかな五倍の隣に、地味な二分。
どちらも同じ大きさの文字で残すことにした。




