第59話 王子、三たび失態
「また来てるわよ、あの人」
ミアが窓の外を指差しながら、ため息混じりに呟いた。店の向かいの路地に、怪しげな人影がこちらを見張っている。ここ一週間、同じような監視が続いていた。
「今度は何を企んでいるのかしら」リリアーナも窓の外を見る。
「でも、前ほど威圧感がないですね」ロウが首をかしげる。「なんというか...必死すぎて、逆に哀れに見える」
確かに、以前のヴェルナー商会による組織的な妨害工作と比べると、今回の監視は素人臭く、稚拙な印象だった。
「リリアーナ様、実は気になる情報があります」アンナが資料を持ってきた。
「どんな情報?」
「最近、ローラン王子周辺で怪しい動きがあるという噂です」
(やっぱり、あの人か...)
ローラン王子。リリアーナを追放した元婚約者で、これまでも様々な妨害工作を仕掛けてきた人物。議会での完全敗北以降、静かになっていたが、どうやら再び動き出したらしい。
「具体的には?」
「密会を重ねているとか、大金を動かしているとか...でも、どれも確証のない噂ばかりです」
「なるほど」
その時、常連の衛兵ハンスが慌てて飛び込んできた。
「店長さん、大変だ!変な噂が流れてる!」
「どんな噂?」
「君たちの店が、実は魔族のスパイ組織だって話だ」
「は?」
リリアーナは思わず声を上げた。あまりにも突拍子もない内容に、一瞬理解が追いつかない。
「誰がそんなことを?」
「分からない。でも、今朝から街角でビラが配られてるんだ」
ハンスが持参したビラを見ると、確かに『夜明けの星』が魔族の工作機関だという荒唐無稽な内容が書かれている。
「これは...あまりにも稚拙ね」
「でも、信じちゃう人もいるかもしれません」ミアが心配そうに言う。
◇◇◇
その日の昼頃、さらに奇妙な出来事が起こった。
「リリアーナ様、税務調査の方がいらっしゃいました」アンナが困惑した表情で報告する。
「税務調査?予告もなしに?」
「『緊急調査』だそうです。脱税の疑いがあるとかで...」
リリアーナは眉をひそめた。彼らの会計は完全に透明で、税務に問題があるはずがない。
「分かりました。堂々と対応しましょう」
税務調査官は3人組で、いかにもお役所仕事といった雰囲気の男たちだった。
「夜明けの星の売上について、詳しく調査させていただきます」
「もちろんです。帳簿も領収書も、全て揃っています」
調査は3時間に及んだが、当然ながら何の問題も見つからなかった。
「...特に問題は見当たりませんね」
調査官も拍子抜けした様子だった。
「それで、誰からの通報だったんですか?」リリアーナが尋ねる。
「それは...匿名でして」
「匿名?」
「『夜営業で不正な利益を上げている』という通報がありまして」
(また匿名か...これは偶然じゃないわね)
その夜、さらに奇妙な事件が起こった。店の前に、王宮の紋章を偽造した偽の営業停止命令書が貼られていたのだ。
「これは明らかに偽物ですね」レオナルドが文書を見ながら言う。
「どうして分かるの?」
「文書の様式が間違っています。それに、印鑑も本物とは違う」
「でも、一般市民には本物に見えるかも」
実際、偽の命令書を見て慌てる客もいた。
「本当に閉店するんですか?」
「大丈夫ですか?何か悪いことをしたんですか?」
「いえいえ、これは偽物です」
リリアーナは冷静に説明したが、内心では怒りが込み上げていた。
(ビラ、税務調査、偽の命令書...全部つながってる。しかも、あまりにも稚拙すぎる)
◇◇◇
翌日、思わぬ展開が待っていた。
「リリアーナ様、大発見です!」
興奮したゼルドが、何かの書類を握りしめて飛び込んできた。
「何を発見したの?」
「昨日の偽命令書の犯人の証拠です!」
「え?」
「実は、偽命令書を作った印刷屋を見つけたんです。そしたら、なんと発注書類がそのまま残ってました」
ゼルドが差し出した書類を見て、リリアーナは目を丸くした。
『緊急印刷依頼書 依頼者:ローラン王子代理 内容:営業停止命令書(王宮様式)』
「これは...決定的な証拠ね」
「しかも、印刷屋の親父さんが『おかしいと思った』って言ってるんです」
「おかしい?」
「正式な王宮文書なら、専用の印刷所があるのに、なんで街の印刷屋に頼むのかって」
なるほど、確かにそれは不自然だ。
「それで、親父さんが証拠を保管していたというわけね」
「はい。『何かあった時のために』って」
その時、常連の商人が駆け込んできた。
「大変だ!ビラの件で新事実が!」
「どんな事実?」
「ビラを配ってた連中が、酒場で口を滑らせたんだ。『王子様から金をもらって配った』って」
「王子様から...」
「しかも、『こんな嘘っぱちのビラを配るのは気が引けるけど、金のためだ』って愚痴ってたらしい」
状況はどんどん明確になっていく。税務調査も、おそらく王子からの偽の通報だろう。
「でも、これだけじゃまだ決定的じゃないわ」
「リリアーナ様」アンナが新しい情報を持ってきた。「もっと決定的な証拠が見つかりました」
「何?」
「王子の侍従の一人が、良心の呵責に耐えかねて証言したいと申し出ています」
◇◇◇
その侍従、エドガルドは30代前半の真面目そうな男性だった。王宮の控えめな応接室で、彼は重い口を開いた。
「私は...もう王子に仕えることができません」
「どうしてですか?」リリアーナが優しく尋ねる。
「王子の命令で、様々な工作を行わされました。ビラの配布、偽の通報、偽造文書の作成...」
エドガルドの声は震えていた。
「詳しく聞かせてください」
「まず、魔族のスパイという内容のビラ。これは王子が自分で文章を考えました」
「王子が自分で?」
「はい。でも、内容があまりにも荒唐無稽で...普通の人なら信じないレベルです」
確かに、あのビラの内容は常識的に考えて不自然すぎた。
「税務調査の件は?」
「匿名で通報するように命じられました。でも、理由は『夜営業だから怪しい』という程度で...」
「それで調査官も困ったでしょうね」
「最後の偽造文書が一番ひどかったです」エドガルドが続ける。
「どうひどかったんですか?」
「王子は『本物そっくりに作れ』と命じましたが、実際の文書を見たことがないので、適当に作るしかありませんでした」
「それで様式が間違っていたのね」
「はい。しかも、印鑑も王子の私印を使えと言われて...」
「私印?公的文書に私印?」
「はい。普通なら国璋を使うべきなのに」
これは決定的だった。公的文書に私印を使うなど、偽造である証拠以外の何物でもない。
「なぜ、今になって証言を?」
「...もう耐えられなくなったんです」エドガルドが顔を覆う。
「王子は『あの女を潰すためなら何でもやる』と言っていました。でも、あなたの店を実際に見ると...」
「どう見えました?」
「本当に人々のために働いている、素晴らしい店でした。それを嘘と陰謀で潰そうとするなんて...」
エドガルドの目に涙が浮かんでいた。
「私は騎士として、正義を守るべき立場なのに」
◇◇◇
エドガルドの証言は詳細な文書にまとめられ、王宮の司法部門に提出された。同時に、印刷屋の証拠とビラ配布者の証言も合わせて提出された。
「これは...決定的ですね」司法官が資料を見ながら呟く。
「王子の関与は間違いないということですか?」
「間違いありません。しかも、偽造、詐欺、権力濫用...複数の重罪に該当します」
翌日、王都新聞がこの件を大々的に報じた。
『ローラン王子、卑劣な陰謀で市民事業を妨害』
記事には、偽造文書の写真、証言者の話、そして王子の一連の行動が詳細に記載されていた。
市民の反応は激烈だった。
「王子がこんなことを!」
「しかも、こんなに杜撰な方法で」
「市民のための事業を邪魔するなんて許せない」
街角では、王子を批判する声があちこちで聞かれた。
「あのビラを見た時から、おかしいと思ってたんだ」
「魔族のスパイって、どう考えても無理がある」
「税務調査も怪しかったよな」
市民の多くが、最初から王子の工作に違和感を感じていたことが明らかになった。
「王子の支持率、急降下ですね」エリオットが最新の世論調査結果を持ってきた。
「どれくらい?」
「5%です。前回の調査では30%あったのに」
「5%って...それは壊滅的ね」
「しかも、『王子に王位継承資格はない』という意見が70%を超えています」
◇◇◇
王宮内でも、王子の孤立は深刻だった。
「もはや、誰も王子の側につきたがりません」宮廷の情報通が教えてくれた。
「それほどまでに?」
「はい。侍従は次々と辞表を提出し、側近たちも距離を置いています」
「王族の方々は?」
「国王陛下は激怒されていますし、他の王族も『恥さらし』と言って相手にしません」
王子の政治生命は、完全に終わったと言って良い状況だった。
「でも、なぜこんなに稚拙な方法を?」ミアが疑問を口にする。
「追い詰められていたからでしょうね」レオナルドが分析する。
「追い詰められた?」
「はい。これまでの妨害工作が全て失敗し、しかも店はどんどん成功していく」
「それで焦ったということね」
「焦った人間は、冷静な判断ができなくなります。結果として、こんな杜撰な計画になったのでしょう」
確かに、今回の一連の工作は、計画性も実行力も以前とは比べ物にならないほど低レベルだった。
「自分の能力を過信して、市民の知性を軽視した結果です」アンナが付け加える。
「市民の知性を軽視?」
「はい。『適当な嘘でも、民衆なら信じるだろう』という思い上がりです」
「でも、市民の皆さんは最初から見抜いていた」
「そうです。現代の市民は、王子が思っているほど愚かではありません」
その夜、店には祝賀ムードが漂っていた。
「ついに決着がついたな」常連のディランが乾杯の音頭を取る。
「悪事は必ずバレるって、本当だったね」
「王子の自業自得だよ」
「因果応報ってやつだ」
客たちは口々に、正義の勝利を喜んでいた。
◇◇◇
数日後、王宮から正式な発表があった。
「ローラン王子の王位継承権を剥奪する」
これは王室史上でも稀な重大な処分だった。さらに、王子は数々の罪状により、王都からの永久追放処分となった。
「これで、本当に終わりですね」アンナがほっと息をつく。
「そうね。長い戦いだった」
「でも、結局は自滅だったじゃないか」ロウが素朴な感想を述べる。
「確かに」リリアーナも笑う。「私たちは何もしていないのに、勝手に自分で証拠を残して、勝手に炎上して、勝手に破滅した」
「王子の能力を見くびっていたかもしれません」ゼルドが皮肉めいて言う。
「見くびっていた?」
「はい。もっと賢い妨害をしてくると思っていましたが、まさかここまで稚拙とは」
「いや、これで良かったのよ」リリアーナが真面目な表情になる。
「どうして?」
「もし王子がもっと巧妙だったら、証拠を掴むのに時間がかかったかもしれない。その間、お客様や関係者に迷惑をかけることになった」
「なるほど」
「杜撰だったからこそ、すぐに真実が明らかになり、被害も最小限で済んだ」
確かに、今回の件で実際の被害はほとんどなかった。一時的な風評被害はあったが、真実が明らかになると、むしろ同情と支持が集まった。
「それに」ミアが付け加える。
「王子の本性が、みんなに知れ渡ったのも良かったです」
「どういう意味?」
「これまでは『王子だから』という理由で、多少の問題行動も見過ごされていました」
「でも、今回の件で、王子の人格に問題があることが明確になりました」
「つまり、王国にとっても良いことだったということね」
その時、エドガルドが店を訪れた。証言をしてくれた元侍従だった。
「リリアーナ様、お邪魔いたします」
「エドガルドさん、いらっしゃい。お疲れ様でした」
「正義のために証言していただき、ありがとうございました」
「いえ...私は当然のことをしただけです」
彼の表情は、重い荷物を下ろしたかのように晴れやかだった。
「今後はどうされるご予定ですか?」
「実は...もし可能でしたら、こちらで働かせていただけないでしょうか」
「え?」
「王宮での仕事は、正直もう続けられません。真の正義を追求できる仕事がしたいのです」
リリアーナは少し考えてから答えた。
「分かりました。でも、一般スタッフからのスタートになりますよ」
「もちろんです。一から学び直したいと思います」
こうして、またひとり新しい仲間が加わることになった。
◇◇◇
その夜、営業終了後にスタッフ全員で振り返りを行った。
「長い戦いが終わったけど、みんなどう思う?」リリアーナが尋ねる。
「スッキリしました」ミアが即答する。
「正義が勝ったって感じですね」ロウも同意する。
「でも、一番驚いたのは市民の皆さんの賢さです」レオナルドが感心する。
「どういう意味?」
「最初から、王子の嘘を見抜いていた人が多かった。民主主義の基盤は、やはり市民の知性なんですね」
「そうね。市民を馬鹿にした王子が、結局は市民によって裁かれた」
アンナが総括する。
「今回の件で学んだことは、『正直が最強』ということですね」
「正直が最強?」
「はい。私たちは何も隠すことがなかった。だから、どんな調査を受けても堂々としていられた」
「一方、王子は嘘に嘘を重ねた結果、自滅しました」
確かに、透明性と正直さが、最終的には最強の武器となった。
「これからも、正直で透明な経営を続けましょう」
「はい!」
全員の元気な返事が響いた。
外では、夜明けの星がいつもより明るく輝いているように見えた。
長い戦いは終わった。そして、正義が勝利した。
『夜明けの星』は、これからも変わらず、人々のために光を灯し続けていく。
悪事は必ずバレる。正直者が最後に笑う。
その真理を、王子の三度目の失態が見事に証明してくれた。
因果応報の完成である。