第54話 王都議会、営業停止案
「リリアーナ様、大変です!」
アンナが青い顔で店に駆け込んできたのは、いつもより早い夕方の時間だった。手には王都からの急使が持参したという文書を握りしめている。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「王都議会で、緊急動議が上程されました」
アンナが差し出した文書を見て、リリアーナの顔も青ざめた。
『夜営業事業の営業停止に関する緊急動議について』
「営業停止って...まさか」
「明日の議会で審議されるそうです。可決されれば、即座に全ての夜営業店舗が営業停止になります」
リリアーナの手が震えた。これまで積み上げてきた全てが、一瞬で崩れ去る可能性があるということだ。
(なぜ今なの?国境出店の話が出たタイミングで...まさか)
「動議を提出したのは誰?」
「保守派のマクシミリアン議員です。『魔族との過度な交流は国家の安全保障を脅かす』という理由で」
やはり、魔族との交流が問題視されているらしい。
「他にも理由があります」アンナが続ける。「『伝統的商業秩序の破壊』『既存業者への不当な圧迫』『社会風紀の乱れ』...」
(全部言いがかりじゃない!データではっきり証明してるのに!)
「でも、どうして今なの?これまでは問題なかったじゃない」
「恐らく」アンナが推測する。「国境出店の話が既得権益層の危機感を煽ったのでしょう」
確かに、国境での国際的な商業展開は、従来の商業ギルドや流通業者にとって脅威かもしれない。新しいビジネスモデルが成功すれば、古い利権構造が崩れる可能性がある。
「それに、魔族との本格的な商業提携も、一部の議員には面白くないでしょうし」
リリアーナは深くため息をついた。
(政治って、本当に面倒くさい...)
◇◇◇
その夜、店には重い空気が漂っていた。常連客たちも、既に噂を聞いているらしく、いつもより静かだった。
「店長、本当に営業停止になっちゃうの?」冒険者のディランが心配そうに尋ねる。
「まだ決まったわけじゃないわ。でも、可能性はあるかもしれない」
「そんなのおかしいよ!」衛兵のハンスが拳を握りしめる。「この店がどれだけ街のためになってるか、みんな知ってるのに」
「犯罪も減ったし、夜勤の俺たちにとってはなくてはならない存在だ」ベルトも同調する。
魔族のヴォルガーも、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「すみません...私たちが来るようになったから、こんなことに」
「そんなことないわ」リリアーナがきっぱりと言う。「ヴォルガーさんたちは大切なお客様よ。何も謝ることはない」
「でも...」
「食べ物に種族は関係ない。それは今でも変わらない私の信念よ」
その時、ミアが提案した。
「私たち、何かできませんか?黙って見てるだけなんて嫌です」
「そうだ!」ディランが立ち上がる。「議会に直談判しに行こう」
「でも、一般市民が議会に意見できるのかな?」ロウが首をかしげる。
「嘆願書という方法がある」常連の商人が口を挟んだ。「市民の意見を議会に届ける正式な方法だ」
「嘆願書...」
「でも、個人の嘆願書なんて、議員の先生方が読んでくれるかしら?」アンナが心配する。
「数が多ければ無視できない」商人が断言する。「特に、選挙を控えた議員にとって、有権者の声は重要だからな」
リリアーナの頭の中で、何かが閃いた。
「みんな、本当にこの店を守りたい?」
「当たり前だ!」
「もちろんです!」
「絶対に守る!」
口々に声が上がる。人間も魔族も、みんな同じ気持ちだった。
「それなら、正々堂々と戦いましょう。民主主義のルールに従って」
◇◇◇
翌朝、リリアーナたちは行動を開始した。
まず、冒険者ギルドを訪問。エリオット事務官に事情を説明すると、彼は憤慨した。
「とんでもない!夜営業停止なんて、冒険者の生命に関わる問題ですよ」
「ギルドとして意見していただけますか?」
「もちろんです。正式に支持表明書を提出します」
次に、医師ギルド。夜間医療への貢献を評価してくれていた彼らも、即座に支持を表明してくれた。
「夜間救急医療の改善に、あなたの店は不可欠です」
「統計的にも、夜間事故の死亡率が大幅に改善している」
「政治的な理由で医療アクセスを悪化させるなんて、医師として許せません」
商工会、宿屋組合、果ては王都警備隊まで、次々と支持を表明してくれた。
「治安改善効果は歴然としている」
「夜間経済の活性化に大きく貢献」
「国際親善にも寄与している」
でも、一番の驚きは市民の反応だった。
◇◇◇
「嘆願書?喜んで署名するよ!」
「あの店がなくなったら困る!」
「魔族のお客さんとの交流も楽しいのに」
街角で嘆願書への署名を呼びかけると、あっという間に人だかりができた。
「夜勤で世話になってる」
「子供が迷子になった時、助けてもらった」
「病気の時、薬を分けてもらった」
みんな、それぞれの思い出やエピソードを語りながら署名してくれる。
「政治家の先生方は分からないかもしれないけど、私たちには必要な店なのよ」
年配の女性の言葉に、周囲の人々が深く頷いた。
ミアとロウも、別の場所で署名活動を行っている。
「お店がなくなっちゃうかもしれないんです」ミアの涙声に、道行く人々が足を止める。
「そんな馬鹿な!あの店は街の宝じゃないか」
「議員どもは何を考えてるんだ」
怒りの声も多く聞かれた。
ロウの方は、彼らしく素朴なアプローチだった。
「僕たち、すごく頑張って働いてるんです。お客さんを大切にして、美味しいものを作って...」
その純粋さに心を打たれた人々が、次々と署名してくれる。
「頑張ってる若者を応援したい」
「こんな理不尽な話はない」
夕方までに集まった署名は、予想をはるかに超えていた。
「3000人分!?」
アンナが署名用紙の束を見て驚愕する。
「王都の人口の3%に相当します」
「これだけの署名があれば、議員の先生方も無視できないでしょう」エリオットが太鼓判を押す。
でも、リリアーナはまだ安心できなかった。
(署名だけで本当に大丈夫なのかしら?議員の先生方が民意を尊重してくれるとは限らない)
◇◇◇
翌日、議会当日。
リリアーナたちは嘆願書を議会事務局に提出した後、議事堂の外で結果を待っていた。
すると、驚くべき光景が展開された。
「えっ?なんで?」
議事堂の前に、続々と人々が集まってきたのだ。昨日署名してくれた市民たち、常連客たち、各ギルドの関係者たち...
「みんな、どうして?」
「結果を聞きに来たのよ」署名してくれた女性が答える。
「あの店を守るためなら、私たちも戦う」冒険者のディランが拳を握る。
「議員の先生方に、私たちの気持ちを見せてやる」衛兵のハンスも決意に満ちた表情だ。
気がつくと、議事堂前の広場は数百人の人々で埋め尽くされていた。
「店を守れ!」
「夜営業は市民の権利だ!」
「魔族との友好も大切にしろ!」
シュプレヒコールが響く。
議事堂の窓から、議員たちが驚いた顔で外を見ているのが見えた。
「これほどの支持があるとは...」
「市民がこんなに集まるなんて」
議員たちのざわめき声が聞こえてくる。
そして、魔族のヴォルガーたちも集まっていた。
「人間の皆さんと一緒に戦いたい」
「私たちも、この店を愛している」
人間と魔族が肩を並べて、同じ目的のために集まっている光景。それは、まさに店が目指していた理想の姿だった。
◇◇◇
議事堂内では、予想外の状況に議員たちが困惑していた。
「外の群衆をご覧ください」穏健派の議員が発言する。「これが民意です」
「嘆願書も3000人分届いています」別の議員が続ける。「これを無視することはできません」
「しかし」保守派のマクシミリアン議員が反論する。「一時的な感情に流されてはいけない。国家の長期的な安全保障を考えるべきだ」
「安全保障?」革新派のエドガー議員が立ち上がる。「夜営業によって犯罪が減少した事実をどう説明するのですか?」
「それは一時的な現象に過ぎない」
「統計的に有意な改善が継続している」医師ギルドの代表が証言する。「夜間事故死亡率40%減少は、医学的に見ても驚異的な成果です」
「経済効果も無視できません」商工会の代表も発言する。「夜間経済の活性化で、税収も大幅に増加している」
データによる反論に、保守派も苦しい立場に追い込まれていく。
「では、魔族との交流についてはどうなのか?」マクシミリアンが最後の論点を投げかける。
「それこそが我々の誇りです」外交官のエドワードが答える。「平和的な国際交流のモデルケースとして、他国からも注目されている」
「国境出店計画も、両国の平和構築に寄与する画期的な取り組みです」
議長が発言を求めた。
「外の市民の皆さんの声も聞こえています。この問題について、採決を行います」
緊張の瞬間だった。
◇◇◇
外では、リリアーナたちが固唾を飲んで見守っていた。
「大丈夫かしら...」
「絶対大丈夫だよ」ディランが力強く言う。「これだけの人が支持してるんだから」
「でも、議員の先生方がどう判断するかは...」ミアが不安そうに呟く。
その時、議事堂の扉が開いた。
エドガー議員が現れ、マイクを手に取る。
「市民の皆さん、お疲れさまでした」
群衆がざわめく。
「審議の結果をお知らせします」
シーンとした静寂が広場を包む。
「夜営業停止動議は...否決されました!」
「やったあああああ!」
「勝った!」
「万歳!」
広場が歓声に包まれた。人々が抱き合い、涙を流し、喜びを分かち合う。
「リリアーナさん!」ヴォルガーが駆け寄ってくる。「良かった...本当に良かった」
「みんなのおかげよ」リリアーナの目にも涙が浮かんでいる。「一人の力じゃ、とてもできなかった」
エドガー議員が続ける。
「採決結果は、賛成12票、反対43票。圧倒的多数で否決されました」
「さらに、今回の件を受けて、夜営業事業の公式支援についても検討することが決まりました」
これには、さらに大きな歓声が上がった。
◇◇◇
その夜、店は祝賀会場と化していた。
常連客、署名してくれた市民、各ギルドの関係者、魔族の客たち...みんなが集まって、勝利を祝っている。
「民主主義って、すごいですね」ミアが感動している。
「市民一人一人の声が、政治を動かすんですね」ロウも学んだことを口にする。
「でも、一番すごいのは、みんなが団結したことよ」リリアーナが振り返る。
「人間も魔族も、冒険者も商人も、衛兵も市民も...みんなが同じ目標に向かって戦った」
確かに、今回の騒動で見えたのは、真の意味での市民社会の力だった。立場や種族を超えて、正しいと信じることのために立ち上がった人々の姿。
「これが民主主義の本当の力なのね」
アンナが感慨深そうに呟く。
「数の力だけじゃない。正義の力、みんなの想いの力」
エリオットが乾杯の音頭を取る。
「夜営業の勝利に、そして真の民主主義の勝利に、乾杯!」
「乾杯!」
店内に温かい歓声が響いた。
そして、ヴォルガーが提案した。
「リリアーナさん、今度は私たちの番です」
「え?」
「魔族領でも、あなたのような店を作りたい。そして、両国の友好をさらに深めたい」
「それは素晴らしいアイデアね」
「今回の件で分かったことがあります」ヴォルガーが真剣な表情で続ける。
「食べ物の力は、政治的な力よりもずっと強い。人々の心を動かし、社会を変える力がある」
リリアーナは深く頷いた。
「そうね。今回、それを実感したわ」
窓の外では、夜明けの星が輝いている。今夜は特に明るく見えた。
政治的な危機を乗り越えて、店はさらに強い存在になった。市民の支持という、何よりも強固な基盤を得たのだ。
(これからも、いろんな困難があるかもしれない。でも、みんながいれば大丈夫)
リリアーナは店内を見回した。人間と魔族が仲良く食事を楽しみ、勝利の余韻に浸っている光景。
これこそが、自分が目指していた理想の姿だった。
「明日からも、頑張りましょう」
「はい!」
みんなの元気な返事が、夜の街に響いた。
民主主義は勝利し、友好は深まり、そして新しい挑戦への道筋も見えてきた。
『夜明けの星』は、今夜もまた新しい歴史を刻んだのだった。