第50話 政治の匂い濃く
「えっと...これって、政治的な呼び出しってやつよね?」
リリアーナは手元の文書を見つめながら、思わず苦笑いを浮かべた。羊皮紙に書かれた文面は丁寧すぎるほど丁寧で、かえって不気味さを醸し出している。
『夜営業事業の社会的影響について意見交換をしたく、明日午後にお時間をいただければ幸甚に存じます』
差出人は宮廷官のエドガー・ホワイトフィールド。名前だけは聞いたことがある。確か...政治の世界では結構な実力者だったはず。
「リリアーナ様、これは...」アンナが心配そうに文書を覗き込む。
「まぁ、いつかは来ると思ってたのよ。事業が大きくなれば、政治家の皆さんも黙ってはいられないでしょうし」
実は、最近になって妙な前兆があった。常連の衛兵ハンスが「最近、上の方がやけに店のことを聞いてくる」とぼやいていたし、ギルドのエリオットも「政治関係者が夜営業について色々と質問してくる」と教えてくれていた。
(来るべき時が来た、って感じね。でも、政治の世界に足を突っ込むのはちょっと...)
前世でも、コンビニ本部の偉い人たちが政治がらみの話をしているのを小耳に挟んだことがある。複雑で、面倒で、しかも一歩間違えると大変なことになる世界。
「とりあえず、話だけは聞いてみましょう。でも、変な約束はしないわよ」
◇◇◇
翌日の午後、リリアーナは指定された王宮の一角にいた。思っていたより小さな部屋で、豪華さはあるものの、どことなく密室感が漂っている。
「お忙しい中お越しいただき、ありがとうございます」
エドガー・ホワイトフィールドは50代前半といったところの、如何にも政治家らしい洗練された男性だった。笑顔は完璧だが、目の奥に計算的な光がちらついている。
「こちらこそ。お話があるということでしたが...」
「実は、あなたの夜営業事業について、王宮内でも大変注目が集まっておりまして」
エドガーはお茶を勧めながら話を続ける。
「特に、治安改善や経済効果については、素晴らしい実績をお持ちですね」
「ありがとうございます。でも、それは私一人の力ではなく、スタッフみんなと、お客様、そして地域の皆様のおかげで...」
「謙遜なさらずに。実際、犯罪発生率の大幅な減少、雇用創出、税収増加...これらはすべて数字で証明されています」
エドガーは手元の資料を示す。リリアーナが見たことのない詳細なデータが並んでいた。
(うわぁ、こんなに詳しく調べてるのね。流石は政治の世界...情報収集能力が半端ない)
「それで、お話というのは?」
「実は」エドガーは声をひそめた。「あなたの事業を、より大きな政策の一環として位置づけることができれば、さらなる発展が期待できるのではないかと」
「政策の一環...ですか?」
「はい。例えば、『夜間経済活性化政策』の旗印のもと、王国全体で夜営業を推進する。当然、その先駆者であるあなたには、特別な地位と支援を...」
リリアーナの頭の中で警報が鳴り始めた。
(これ、いわゆる政治利用ってやつよね?確かに支援は魅力的だけど、代償は何かしら?)
「それは光栄なお話ですが...」
「もちろん、見返りもお約束します。税制優遇、優先的な営業許可、競合他社への規制強化...」
話が進むにつれて、リリアーナの違和感が強くなっていく。
「すみません、ちょっと確認したいことが。その政策に賛成しない政治家の方もいらっしゃるのでは?」
エドガーの表情が一瞬強張る。
「まぁ、政治の世界ですから、様々な意見はありますが...」
「では、その方々は私の事業をどう思っていらっしゃるのでしょう?」
「...いくつかの保守派からは、『伝統的な商習慣を破壊する』といった声も」
(やっぱりね。つまり、私は政治的な争いの道具にされようとしている、と)
「エドガー様、率直にお聞きします。この話は、王宮内の派閥争いと関係がありますか?」
エドガーが完全に固まった。数秒の沈黙の後、苦笑いを浮かべる。
「...さすがですね。商才だけでなく、政治的な嗅覚もお持ちとは」
「答えになっていませんね」
「実際のところ、王宮内では『革新派』と『保守派』の間で、あなたの事業をどう扱うかで意見が分かれています」
ついに本音が出た。
「革新派は、あなたの成功を新しい王国の象徴として活用したい。保守派は、従来の秩序を脅かす存在として警戒している」
「なるほど」
「で、私たち革新派としては、あなたに味方になっていただければ...」
「お断りします」
即答だった。
◇◇◇
「え?」エドガーが目を丸くする。
「政治的な派閥には、どちらにも与しません」
「しかし、保守派が本気で潰しにかかってきたら...」
「それはその時に考えます。でも、政治の道具になるつもりはありません」
リリアーナは立ち上がった。
「私の事業は、政治のためではありません。困っている人を助け、便利さを提供するためです」
「あなたは政治を甘く見ている。保守派の力を侮ってはいけません」
「では、保守派の方々にも同じことを言います。私は中立です」
エドガーの顔が青くなる。
「それは...非常に危険な選択ですよ」
「危険でも、それが正しい道だと思います」
リリアーナは部屋を出る前に振り返った。
「ちなみに、エドガー様も一度お店にいらしてください。肉まんとスープ、きっと気に入っていただけますよ」
「え?」
「政治は政治、お腹がすいたら誰でもお客様です」
◇◇◇
王宮から店に戻る途中、リリアーナの頭は整理でいっぱいだった。
(やれやれ、ついに政治の世界と関わることになっちゃった。でも、どちらかの派閥につくなんて絶対にダメ。お客様には革新派も保守派もないもの)
店に着くと、ミアが心配そうに駆け寄ってくる。
「リリアーナ様!王宮のお話はどうでした?」
「まぁ、色々とね。でも心配しないで。お店は今まで通りよ」
「本当ですか?なんだか最近、変なお客様も増えてるみたいで...」
確かに、ここ数日、普段とは違うタイプの客が増えていた。服装や話し方から、明らかに宮廷関係者と思われる人々。彼らは店の様子を観察するように見回し、時には店員に質問をしていく。
「ロウはどう?変な質問とかされてない?」
「あ、はい」ロウが振り返る。「昨日、立派な服の人が『この店の経営方針について聞かせてくれ』って言ってきました」
「で、何て答えたの?」
「『お客様を大切にして、美味しいものを提供することです』って答えました」
「それで?」
「『もっと具体的に』って言われたので、『具体的には、笑顔とありがとうございます、ですね』って答えました」
(...ロウの天然ぶりが、逆に政治的な質問を無効化してる。ある意味、最強の対応かも)
「良い答えね。これからも、そういう風に答えて」
その時、店の扉が開いて、見知らぬ男性が入ってきた。30代後半くらい、エドガーとは対照的に、どことなく古風で厳格な雰囲気を漂わせている。
「いらっしゃいませ!」ミアの明るい声が響く。
「...これが、噂の夜営業店舗か」
男性は店内をじっくりと見回す。その視線は鋭く、まるで査定でもしているかのよう。
(この人も政治関係者ね。しかも、さっきの革新派とは明らかに雰囲気が違う。もしかして...保守派?)
「何かお探しでしょうか?」リリアーナが声をかける。
「君がリリアーナ・フィオーレか」
「はい、そうですが」
「レオナルド・ブラックソーンだ。宮廷顧問をしている」
やっぱり政治関係者だった。しかも、ブラックソーンという名前には聞き覚えがある。確か保守派の重鎮のはず。
「何かご注文はいかがですか?」
「注文?」レオナルドが眉をひそめる。「私は客として来たのではない」
「でも、ここはお店ですから。お客様でない方のご用件は、営業時間外にお願いします」
「...なるほど、確かに筋は通っている」
レオナルドは少し考えてから、カウンターに近づいた。
「では、その『肉まん』とやらを一つもらおう」
「はい!熱々をご用意します!」ミアが元気よく応答する。
◇◇◇
肉まんを受け取ったレオナルドは、しばらくそれを眺めていた。
「これが、王都で話題の...」
一口食べる。その瞬間、表情が変わった。
「...これは」
「いかがですか?」
「確かに...美味いな」
(あ、落ちた。肉まんの威力はやっぱり絶大ね)
「それで、ご用件というのは?」
レオナルドは肉まんを食べながら話し始めた。
「君の事業についてだが、我々保守派の中には懸念の声もある」
「どのような懸念でしょうか?」
「従来の商習慣の破壊、既存業者への悪影響、社会秩序の混乱...」
「なるほど」
「だが」レオナルドは続ける。「実際に来てみると、そこまで危険なものには見えない」
「ありがとうございます」
「むしろ、治安改善に貢献しているという話も聞く」
「おかげさまで、夜間の犯罪は大幅に減少しました」
レオナルドは少し考えてから、リリアーナを見つめた。
「君に提案がある」
(また政治的な話かしら?)
「我々保守派との協調路線を取らないか?急激な変化ではなく、段階的な改革として位置づけることで...」
「お断りします」
またしても即答。レオナルドが驚く。
「理由を聞かせてもらおう」
「先ほど、革新派の方からも似たような提案を受けました。でも、私は政治的な派閥には与しません」
「...革新派からも?」
「はい。でも、どちらも同じようにお断りしました」
レオナルドの表情が複雑になる。
「それは...賢明とは言えない判断だな」
「そうかもしれません。でも、私は政治家ではありません。ただの店長です」
「ただの店長が、これほどの社会的影響を...」
「社会的影響は結果であって、目的ではありません」
リリアーナは真剣な表情でレオナルドを見つめた。
「私の目的は、困っている人を助けることです。夜勤の方、急病の方、道に迷った方...誰であろうと、困った人を助ける。それが私の仕事です」
「...」
「革新派でも保守派でも、困っていれば助けます。お腹がすいていれば、美味しいものをお出しします」
レオナルドは黙って肉まんを食べ続けた。しばらくして、ぽつりと呟く。
「...確かに、これは美味い」
「ありがとうございます」
「だが、政治の世界は君が思うほど甘くない」
「承知しています」
「本当に、どちらにもつかないつもりか?」
「はい」
レオナルドは深くため息をついた。
「分かった。君の考えは理解した」
立ち上がろうとして、ふと振り返る。
「ところで、この肉まんは何時頃に作っているんだ?」
「だいたい夜の8時頃から仕込み始めて、9時には蒸し上がりです」
「...9時頃にまた来てもいいか?」
(あれ?もしかしてお客様になってくれるの?)
「もちろんです!いつでもお待ちしております!」
「では...また来よう」
レオナルドは最後に小さく笑って、店を出て行った。
◇◇◇
その夜、店は普段以上に賑やかだった。常連客に加えて、明らかに宮廷関係者と思われる人々が数人混じっている。
「なんか、今日はお客さんの層がいつもと違いますね」ロウが首をかしげる。
「政治の世界の人たちが、お店を見に来てるのよ」
「えっ、政治って何ですか?」
(...ロウの天然さに癒される。でも、説明が大変そう)
「えーっと、王様とかの偉い人たちが、国をどうするか相談してる世界のことよ」
「へー。じゃあ、そういう偉い人たちも肉まん食べるんですね」
「そうよ。偉い人でも、お腹はすくものね」
実際、店内では面白い光景が展開されていた。革新派と思われる客と、保守派と思われる客が、同じカウンターで隣り合って肉まんを食べている。
最初はお互いに警戒していたようだが、熱々の肉まんと温かいスープに、だんだん表情が和らいできた。
「この出汁は何を使っているんだ?」保守派の客が尋ねる。
「企業秘密ですが」ミアが笑顔で答える。「愛情をたっぷり入れてます!」
「愛情か...確かに、それが一番大切な調味料かもしれないな」
隣にいた革新派の客が笑う。
「私もそう思います。どんな立派な政策も、愛情がなければ意味がない」
「...君は確か、エドガー派の?」
「ええ。そちらはレオナルド派でしょう?」
「そうだが...ここでは、ただの肉まん好きの客同士だな」
二人は顔を見合わせて笑った。
(すごいわ...肉まんが政治的対立を和らげてる。食べ物の力って、本当にすごい)
その時、常連のハンスが声をかけてきた。
「店長さん、最近政治の偉い人たちがよく来るけど、大丈夫なの?」
「大丈夫よ。お客様はお客様。政治家でも冒険者でも、同じように接するだけ」
「でも、なんか面倒なことに巻き込まれそうで心配だよ」
リリアーナは微笑んで答えた。
「ハンスさん、私たちの仕事は何だっけ?」
「えーっと...お客さんに美味しいものを出すこと?」
「そう。それ以上でも、それ以下でもない」
「なるほど...確かにそうだね」
その時、レオナルドが約束通り肉まんを買いに来た。彼は昼間とは打って変わって、リラックスした表情をしている。
「約束通り来たぞ」
「いらっしゃいませ!肉まん、蒸したてですよ!」
レオナルドは肉まんを受け取ると、店内を見回した。革新派と保守派の客が和やかに会話している光景を見て、感慨深そうに呟く。
「...不思議な場所だな、ここは」
「どういう意味ですか?」
「政治的な立場を超越している。まるで中立地帯のようだ」
「ここはお店ですから。政治は持ち込まないでください」
レオナルドは笑った。
「君の言う通りだ。ここでは私もただの客だ」
◇◇◇
夜が更けて、政治関係者の客たちも帰って行った。店内には再び、いつもの平和な雰囲気が戻る。
「今日は疲れましたね」ミアがカウンターを拭きながら言う。
「でも、面白かったわ。普段は対立してる人たちが、肉まんで仲良くなるなんて」
「食べ物って、すごい力がありますね」ロウが感心したように言う。
「そうね。食べ物に政治はないから」
その時、アンナが心配そうに尋ねてきた。
「リリアーナ様、本当に大丈夫なのですか?政治の世界の方々を敵に回すことになりませんか?」
「敵になんてならないわよ。だって、みんなお客様になってくれたもの」
「でも...」
「アンナ、心配してくれてありがとう。でも、私たちは正しいことをしてる。困ってる人を助けて、美味しいものを提供する。これ以上正しいことはないわ」
リリアーナは店内を見回した。温かい灯りに照らされた店内は、平和そのものだった。
「政治より大切なものがあるの。それは、人々の日常の幸せ」
その時、扉が開いて最後の客が入ってきた。深夜勤務の衛兵だった。
「いらっしゃいませ!お疲れ様です!」
「ああ、今日も一日疲れたよ。いつものスープセットをお願いします」
「はい!温まってくださいね!」
ミアが手際よくスープとおにぎりを用意する。衛兵は一口スープを飲んで、ほっと息をついた。
「やっぱり、ここのスープが一番だ。疲れが吹き飛ぶよ」
「ありがとうございます」
リリアーナはその光景を見ながら、改めて思った。
(これよ。これが私たちの本当の仕事。疲れた人を癒し、お腹をすかせた人を満たし、困った人を助ける)
政治がどうであれ、派閥がどうであれ、この基本は変わらない。
「政治の世界がどんなに複雑でも、私たちのやることはシンプル。お客様を大切にして、美味しいものを提供する」
アンナが安心したような表情を見せる。
「リリアーナ様らしいお考えですね」
「でしょ?難しく考える必要はないのよ」
その後も、夜遅くまで様々な客が来店した。冒険者、商人、職人、そして時々政治関係者も。でも、店内では誰もが同じ「お客様」として扱われ、同じように温かい食事と笑顔でもてなされた。
深夜になって、ようやく客足が途絶えた時、リリアーナは一人考えた。
(政治的な圧力は、これからもっと強くなるかもしれない。でも、私は絶対に中立を保つ。お客様に政治的立場は関係ないもの)
翌朝、店を閉める時間になって、リリアーナは改めて決意を固めた。
「私たちは、政治の道具にはならない。でも、政治家の方々も、困った時は助ける。それが、本当の中立よ」
外では朝日が昇り始めていた。新しい一日の始まり。きっと今日も、様々な立場の人々が店を訪れるだろう。でも、それでいい。
店の看板に朝日が当たって、『夜明けの星』の文字が金色に輝いていた。
(政治より大切なもの...それは、人々の笑顔と、日常の小さな幸せ。私たちは、それを守り続けるだけ)
リリアーナは満足そうに微笑んで、店の扉に『本日の営業は終了いたしました。ありがとうございました』の札をかけた。
政治の嵐がどんなに吹き荒れようとも、『夜明けの星』は変わらず灯り続ける。それが、リリアーナの出した答えだった。