第19話 模倣の芽
ロウが加わって、1か月ほど経った朝。
「リリアーナ様、大変です!」
ミアが扉をバァン! と開け、店へ駆け込んできた。
「店内は走らない!」
「まだ営業時間外です!」
「床は営業時間を選ばないわ!」
「そんな冷静な床、今はどうでもいいんです!」
どうでもよくはないのだけれど、ミアの顔は本気だ。
一度入口まで戻らせ、今度は早歩きで会計台へ来てもらう。
「それで、何があったの?」
「隣のレッドクリフ村にも、夜のお店ができたそうです!」
持っていた在庫札が、指の間でピタリと止まった。
「市場の人が、スノーベルの店を真似したって。『夜明けの星より安いぞ』って、店主さん本人も話しているらしくて……!」
「そう。ついに、来たのね」
模倣店、早くも登場。
世界初の看板、思ったより賞味期限が短かったわ!
いずれ、同じ時間に店を開く人は現れる。
便利さが本当に必要なら、たった1軒で世界中の夜を支えられるはずもない。
頭では分かっていた。
それなのに、胸へ最初に浮かんだのは誇らしさではなかった。
怖い。
婚約者も、王女の役目も失い、辺境でようやく見つけた「私だからできること」。
それさえ簡単に真似できるなら、私はまた、いてもいなくても同じ人になるのではないか。
「リリアーナ様?」
「ごめんなさい。少し驚いただけよ」
平気な声を作ったつもりだった。
けれど、在庫札は指の力でぐにゃりと曲がっている。
アンナがそれを静かに受け取り、机へ伸ばして置いた。
「店の形が似ても、ここまで皆様と交わした約束まで奪われるわけではございません」
「でも、お客様は奪われるかもしれない」
「その可能性はあります」
慰めだけで否定しない声が、ありがたかった。
ミアが悔しそうに唇を尖らせる。
「うちが苦労して始めたのに、後から同じことをして、しかも安いなんて……ずるくないですか?」
「そう思う気持ちは分かるわ。私も今、心の中で『せめてもう少し後にして!』って叫んでるもの」
「リリアーナ様もですか?」
「当然よ! 心まで無敵の元王女だと思わないで!」
怖い。悔しい。腹も立つ。
でも、その感情だけで値札を変えたら、商売ではなく喧嘩になる。
「怖いまま、調べましょう。噂ではなく、事実を」
◇◇◇
市場で確認できた価格は、具入りおにぎり12銅貨、スープ15銅貨。
『夜明けの星』は、通常の具入りおにぎり15銅貨、スープ20銅貨。
こちらには8銅貨の小さな塩むすびもあるが、量も具も違うので、同じ商品として比べることはできない。
「3銅貨と5銅貨の差……並べると大きく見えますね」
ロウが値札を書き並べる。
「うちも値下げしますか?」
ミアの問いに、心の中の臆病な私が『今すぐ下げて! 全員戻ってきて!』と叫んだ。
分かる。分かるわよ。
値札を3銅貨下げるだけで不安が消えるなら、今すぐ筆を握りたい。
「……全面値下げは、しません」
「価格競争になるからですか?」
「それもある。でも、向こうの12銅貨が無理な値段かどうか、私たちはまだ知らないの」
家賃が安い。
地元で米が多く採れる。
具を1種類に絞り、包みを簡素にする。
効率の違いで、品質や賃金を削らず安くできる場合もある。
「安いだけで悪い店と決めたら、15銅貨を高いと言ったお客様の事情を聞いた意味がなくなるでしょう?」
アンナが店の原価帳を開く。
材料、農家への買い取り、夜間手当、魔石、包材、設備の返済、売れ残り。
具入りおにぎりを一律12銅貨へ下げれば、利益はほとんど残らない。
「ロバートさんへの買い取り価格か、皆の賃金を下げなければ続きません」
「私のお給金もですか?」
「そうよ」
ミアがサッと値下げ案の紙を裏返した。
「全面値下げ、反対です!」
「判断が速いわね!?」
「暮らしがかかっていますから!」
「正しいわ。お客様の財布だけでなく、働く人の財布も暮らしなのよ」
ただし、価格を守ると言って腕を組むだけでは駄目だ。
「包み方や作業手順に無駄がないかは調べましょう。値段を下げるためではなく、同じ値段でよりよい物を続けるために」
競争相手が現れたから意地で値札を守るのではない。
なぜこの値段なのかを、もう一度自分たちで確かめるのだ。
◇◇◇
その夜、ディランが早速その話を持ち出した。
「隣村の店、聞いたか? 向こうの方が安いらしいぞ」
「聞いています」
「大丈夫なのか? あっちはおにぎり12銅貨だって」
「まだ分かりません。利用してみたい方は、ご自分で比べてください」
店内がシン……と静かになった。
「行ってもいいのか?」
「もちろんです。お客様が、店を1軒に決める義務はありません」
口では立派なことを言いながら、胸の中では『でも戻ってきて! できれば今夜も買って!』と盛大にすがっている。
店主の本音と建前、ただいま両腕で引っ張り合い中。
「こっちの方がうまいって、言わないのか?」
「私たちは、ここで出す商品の説明はできます。でも、行ったことのない店を悪くは言えません」
「真面目だなぁ」
「褒めてます?」
「半分は。もう半分は、もっと自信持てって話だ」
ディランの言葉が、思ったより胸へ刺さった。
ベルトが蜂蜜菓子を選びながら笑う。
「給金前は向こうの安いスープ、給金後はここの甘い物って使い分けるかもな」
「それでよいと思います」
「顔がちょっと悔しそうだぞ」
「悔しいですよ! でも、お客様の給金日へ文句は言えないでしょう!?」
店内に小さな笑いが起き、張り詰めた空気がほどけた。
ところが翌週、実際に客数が減ると、笑ってばかりもいられなかった。
いつも来ていた顔がない。
鳴らない扉の鈴が、やけに静かだ。
「売上は、先週より約1割下がっています」
アンナが事実を告げる。
帳簿の空白が、『あなたは選ばれなかった』と言っているように見えた。
「平気なふりをなさらなくて結構です」
「……悔しいわ。ものすごく」
「では、その悔しさを値下げではなく、観察へ使いましょう」
「アンナは、いつも感情の使い道まで現実的ね」
「腐らせるより有効でございます」
悔しさにも廃棄期限があるらしい。
ならば、腐る前に改善へ変えてしまおう。
◇◇◇
秋の作物が揃う時期だった。
ロバートさんと相談し、栗おにぎり、かぼちゃスープ、さつまいもの小さな焼き菓子を試す。
「向こうが真似しにくい商品を作るんですか?」
ロウが栗の殻を見ながら尋ねた。
「それだけなら、また真似された時に同じ恐怖が来るわ。この村で今採れる物を、一番おいしい時期に使うためよ」
「じゃあ、真似されたら?」
「悔しがる!」
私は堂々と答えた。
「そのあと、また次を考える。悔しがることまで禁止したら、私の心が窮屈でたまらないもの!」
「リリアーナ様らしいっす」
ロウが笑い、ミアは栗おにぎりの試作表へ大きな丸をつけた。
個人予約も見直す。
大口注文だけでなく、次の夜に受け取る商品を1人分から頼めるようにした。
『いつもの』だけでは済ませず、商品、数、受け取り時刻を毎回確認する。
「お客様の好みを、もっと細かく記録しますか?」
「本人が登録を望んだ範囲だけよ。競合対策だからと、家族構成や給金まで聞いてはいけないわ」
「顔を覚えてもらえると嬉しいけど、何でも知られていたら怖いですものね」
「そういうこと。温かい接客と、覗き込みすぎる接客は違うの」
ハンスは塩を控えたいと自分から伝えたので記録する。
ベルトは夜勤後半に甘い物を選びやすいが、毎回本人へ確認する。
ディランの遠征予定は、予約へ必要な時だけ聞く。
「待ち時間も測ったっす。午前1時の前後だけ、商品説明と会計が重なっています」
ロウが記録板を出した。
「その時間だけ、説明役を1人増やせばどうですか?」
「いいわね! 新商品を足すだけじゃなく、以前からの不便も直しましょう」
ロウの顔がパッと明るくなる。
加入から1か月。
もう教わるだけの新人ではなく、店の困り事を見つける仲間になっていた。
◇◇◇
1週間後、ベルトがレッドクリフの店へ行ってきたと話した。
「確かに安かった。採石場帰りの客が多くて、量のある塩味の飯が人気だったぞ」
「味や接客は、どうでした?」
ミアが少し身を乗り出す。
「普通だよ。悪くない」
「悪く……ない」
ミアの肩が、分かりやすく下がった。
「ここみたいに、旅の保存期限を細かく説明する店じゃない。でも、あっちは仕事上がりに腹を満たして、すぐ帰る客が多いんだろう」
私は、自分が期待していた答えに気づいた。
向こうはまずい。接客が冷たい。やっぱり『夜明けの星』が一番。
そう言われれば、安心できると思っていたのだ。
なんて小さい。
でも、そう思ってしまった自分まで、格好よく塗りつぶしたくない。
「正直に教えてくださって、ありがとうございます」
「俺は両方使うぞ。採石場へ応援に行く日は向こう。この村で夜勤する日はこっち」
「蜂蜜菓子の日は?」
「もちろん、こっちだ」
「そこ、重要ですよね!」
ミアの機嫌が一瞬で直った。
一人のお客様が2つの店を使い分ける。
それは裏切りではなく、選択肢が増えたということだ。
◇◇◇
次の休業日の夕方、私はアンナとレッドクリフ村へ向かった。
敵情視察――と言うと心が戦闘態勢へ入るので、見学である。
とても冷静な、事実確認のための見学。
「歩く速度が、普段より3割ほど速いですが」
「気のせいよ!」
採石場に近い通りは、スノーベルより土埃が濃い。
仕事を終えた人々の靴も服も白く汚れ、誰もが空腹を隠さず歩いていた。
夜の店は、古い倉庫の一角にある。
棚は2つ。大鍋が1つ。
木札には、大きな塩むすび、豆の煮込み、薄い麦酒とだけ書かれていた。
華やかではないが、採石夫たちは塩むすびを2つ、3つと買っていく。
私たちは名乗らず、塩むすびと豆の煮込みを買った。
塩むすびは、うちの具入りおにぎりより大きい。
米へ麦を混ぜ、包みは紙1枚だけ。
豆の煮込みは香辛料が少ない代わりに、とろみがあり、冷えた身体と空腹に合っていた。
「……おいしい」
その一言を認めるのが、少し悔しかった。
「真似だけで作った味ではございませんね」
「ええ。この土地の人を見て考えているわ」
その時、会計の女性が釣り銭を1枚落とした。
私は、ほんの一瞬だけ安堵した。
向こうにも欠点がある。
これなら勝てる、と。
拾った銅貨を渡すと、女性は何度も頭を下げた。
「すみません。昨夜から、交代できる者がいなくて……」
目の下には濃い隈がある。
店の外壁には、昼の仕込みと夜営業を手伝う人を募る札が貼られ、賃金の欄だけが空白だった。
勝てる、ではない。
この人は、限界に近い。
村を離れてから、アンナが私の歩幅へ合わせた。
「私、向こうが悪い店であってほしいと思っていた」
口にすると、喉が苦くなった。
「そうであれば、ご自分の店がよい店だと証明できる気がしたのですね」
「ええ。失敗してくれたら安心できるって、一瞬……思った。でも、あの2人が倒れて証明される価値なんて、何の意味もないわ」
「競うことと、不幸を願うことは別です」
アンナは慰めず、責めもしなかった。
その静かな声が、胸の痛いところへまっすぐ届く。
「忘れないわ。私にも、あんな醜い気持ちがあることを」
「忘れず、行動を選べるのでしたら十分です」
帰宅後、相手の店で見た工夫も、自分の思い込みも、全員へ話した。
「向こうの大きな塩むすびは、採石場に合っています。うちが同じ物を増やして、客を奪い返す必要はありません」
「では、私たちはどうします?」
ミアに問われ、私は帳簿を開いた。
「うちのお客様が、まだ困っていることを探す。競争相手を見張るより、目の前の声を聞きましょう」
2週間ほどすると、ゼルドから情報が入った。
「レッドクリフ店は、再来店が伸びず、原価にも困っているという話があります。ただし、商隊の噂です」
「本人に確かめるまでは、失敗したと決めません」
私たちは噂を広げず、通常どおり営業を続けた。
◇◇◇
数日後、閉店中の午後に、1人の男性が面談を求めてきた。
「レッドクリフ村で、夜営業をしています」
40代ほど。帽子を両手で握り、目の下には濃い隈が残っている。
「突然、店を真似して……申し訳ありません」
「夜に店を開くことは、私たちだけの権利ではありません」
「でも、値段まで近づけて、そちらの客を取ろうとしました」
男性は悔しそうに帽子をねじった。
「最初は人が来たんです。でも再来店が少ない。12銅貨では思ったほど残らず、私も妻も眠らず働いています」
「先日、奥様と店を切り盛りされていましたね」
男性がハッと顔を上げる。
「あの時のお客様……お気づきだったんですか」
「名乗らずに失礼しました。大きな塩むすびも豆の煮込みも、採石場で働く方を考えた味でした」
張りつめていた肩が、わずかに下がる。
「妻が、『あのお客は味だけでなく、皆の食べ方まで見ていた』と言っていました。それで、こちらへ来る決心がついたんです」
「今日は、何を知りたいのですか?」
「どうすれば、そちらのように愛される店になれますか」
『価格ではなく価値で勝負しましょう』。
口にしかけた言葉を、私は飲み込んだ。
そんな立派な一言だけでは、彼の妻の睡眠は1時間も増えない。
「まず、あなたの村で、誰が、何時に、何に困っているか教えてください」
「採石場の交代が、午後11時と午前5時です。皆、量が多くて安い物を求めます」
「なら、安さはあなたの店の強みです。私たちと同じ商品や接客へ変える必要はありません」
「でも、利益が残らないんです!」
押し殺していた悔しさが、男性の声からあふれた。
「客のために安くした。なのに、売れるほど寝る時間が減る。値上げすれば、また来なくなる気がして……もう、どうしていいか分からない」
その苦しさは分かる。
求められた嬉しさにしがみつき、自分を削ってでも店を開けたくなる怖さを、私も知っている。
「品数を絞り、交代時刻の前後だけ開きましょう」
「夜通し開けなくていいんですか?」
「必要な時間が午後11時と午前5時なら、その2回があなたの夜営業です。私たちの営業時間まで真似る必要はありません」
採石場へ予約数を聞き、大鍋の粥と、具を絞った大きな塩むすびを作る。
包装と廃棄を減らせれば、12銅貨を続けられる可能性がある。
交代時刻の間は店を閉め、夫婦で眠る。
「商品の原価と、2人の賃金を分けて計算しましょう。自分たちの労働を無料にした帳簿では、本当の利益が見えません」
アンナが計算用紙を出す。
「奥様へ渡す賃金も、ですか?」
「もちろんです。家族だから無料、にしたら、奥様の疲れが帳簿から消えてしまいます」
男性はしばらく黙り、ようやく帽子から手を離した。
「俺、妻に『2人の店だから我慢してくれ』としか言ってませんでした」
「でしたら、最初に奥様と話してください。今ここで決めた案を、勝手に持ち帰って命令しては駄目です」
「……はい。妻と決めます」
◇◇◇
「なぜ、競争相手へここまで教えるんですか?」
帰り際、男性が尋ねた。
「最初は、真似されたことが怖かったんです」
私は正直に答えた。
「この店まで奪われると思いました。あなたの店が失敗すればいいと、一瞬思ったこともあります」
男性の目が丸くなる。
「でも、レッドクリフの人が必要とする夜と、スノーベルの夜は違う。あなたの店が続けば、採石場の方は助かります」
「それでも、そちらのお客を奪うかもしれません」
「選ぶのはお客様です。私たちは、選ばれなかった理由を学ぶしかありません」
ただし、何もかも渡すわけではない。
仕入れ価格、安全、衛生、夜間労働の情報は共有する。
互いのレシピや顧客記録は、本人の同意なく渡さない。
協力と競争の境界を、話し合って決めた。
「来月、結果を持ってきます」
「お待ちしています」
その翌月、男性は以前より少し健康そうな顔で戻ってきた。
「営業時間を2つに分け、予約中心にしました。客数は前より少ない。でも廃棄と徹夜が減り、利益が残るようになりました」
「奥様は?」
「『やっと店の真ん中で寝落ちしなくなった』って笑ってます。賃金も、帳簿へ別に書きました」
「よかった……!」
胸の奥に溜まっていた息が、ようやく抜けた。
「採石場の人から、午前5時の粥が助かると言われました」
彼の店は、『夜明けの星』の劣った写しではなくなっていた。
レッドクリフの夜に合う、別の店へ育ち始めたのだ。
こちらの客数も、やがて以前に近い水準へ戻った。
全員が戻ったわけではないし、両方を使うお客様もいる。
それでいい。
「今後、仕入れの危険情報と夜間の治安情報は共有しましょう。新商品の中身は、発売するまで秘密です!」
「競争は続けるんですね」
「もちろん。次の栗おにぎりには自信がありますから!」
「うちも、採石夫向けの朝粥を負けずに改良します」
「受けて立ちます!」
競う声に敵意はなく、どちらも少し楽しそうだった。
「そういえば、店名を聞いていませんでした」
「『夜明け前の休み石』です」
「……長くないですか?」
「採石場の皆には好評です!」
「略すと『休み石』ね」
「もう、そう呼ばれてます……」
男性は少し悔しそうだった。
土地が違えば、便利も違う。
名前の長さと、客が勝手に縮める速さまで違うらしい。
真似されるほど価値がある、と笑うだけでは、私の怖さは消えない。
それでも、便利さを私1人の所有物にしないと決めることはできる。
競争とは、相手を失敗させて自分の正しさを証明することではない。
それぞれの夜に合う灯りを、昨日より少しよくすることだ。
「でも、店名まで同じにされたら怒るわよ」
「そこは真似しません!」
慌てる男性の背を見送りながら、胸に残っていた怖さが少しだけほどけた。
真似されたから走るのではない。
今夜のお客様を、昨日より喜ばせたいから走るのだ。




