032 突然のオファー
季節は巡り、慌ただしい日々の中気付けば今年ももう7月も下旬を迎えていた。世の中のコロナへの対応は、感染力が強いがゆえ人々は徐々に耐性を持つようになり、容態の急変には引き続き注意が必要なものの、5月から5類感染症の扱いとなった。これにより世間は徐々に新たなフェーズへと生活のスタイルを移行していった。
"収益よりも才能を死なせない"
章たちは変わらず魂狼の存在意義と向き合い続け奮闘していた。そもそもまだ立ち上げたばかりの小さな会社でできることなど限られているのではないか。他であればそうかもしれない。しかし章には誰よりも味方でいてくれる、そして絶対に裏切らないビックスポンサーがいた。
"必要なら利用する。それがここに生まれた使命。"
しかし章にあるのは決して資金だけではなかった。専門学校を卒業後、いや、その前の、この道に進むと決めた時から、海外を含め章が起業するまでに築き上げてきたネットワーク、いわゆる人脈は、この業界では誰にも負けない自負があった。たとえ実績がなくても、彼らは章の人柄と、その強い信念に基づく志に温かく賛同していた。
「章ぁー入るよー。」
"ガチャッ"
本格的なデビューまでまもなく1ヶ月を切ろうとしていたある日、その日は土曜日にも関わらず詩帆は突然朝から章のオフィスに呼ばれた。部屋に入ると、そこには詩帆以外の幹部3名、そしてさらに部屋の中央には勇が立っていた。
「ん?どした?」
「予想外の出来事が舞い込んだ。」
「ん…?予想外?」
このタイミングでこの面子、詩帆はそれがただならぬものだと瞬時に察した。話を聞いてみると、それはアメリカの某有名歌手からの、野外フェス前座の依頼だった。
「え…?すごいじゃん。でも何?このお通夜みたいな空気は…。」
すると誠が重たそうに口を開いた。
「そのフェスまでは、もう2週間を切ってる。」
「えぇ?!」
「加えてうちが依頼を断った場合は、その歌手もフェスの出演自体を辞退すると言っているらしい。」
「はぁ?!」
(なんっじゃそりゃッ。)
「しかも…、その歌手様はうちに声を掛けたことをすでにインスタで呟いてる。」
詩帆はすぐにその歌手のインスタグラムをチェックした。すると誠の言った通り、それらしき投稿を見つけた。
"It seems that the boys group from Japan will enliven our stage. Its name is Soul Wolves."
「…。」
絶句とはまさにこのことだと、詩帆は身をもって体感した。当日まで2週間を切っているということは、調整や移動などを考えたら、まず現実的にはあり得ない期間だった。どうやら元々出演予定のバンドが急遽頓挫してしまったらしいが、それもその歌手と何かトラブルがあったらしい。
「え、待って。そもそもなんでうちなの?だってまだデビューもしてないし、正直ワールドツアーこなしてる歌手の前座が私たちなんて、観客は納得するわけ?なんかすごい話なのに全然喜べないんだけど。」
すると先ほどから黙っていた勇が口を開いた。
「俺が…、そいつのバックダンサーをやってたから…。」
「そいつ?」
「ニッジの。でも正式にはまだだったけど。っていうか、オファーをもらっていて、俺はそれを蹴って日本に帰ってきた。」
「はぁ〜?!」
詩帆の驚きと嘆きはMAXに達していた。
「ちょ、ちょっと座ってもいいですか…、なんか軽く目まいが…。」
章たちはとりあえず応接スペースに移動した。
「えっと、話を整理すると…。」
「ニッジと出会ったのは俺が9歳の時で、街でやってたダンス大会で優勝した時にニッジの目に止まったんだ。それから俺は彼のお抱えダンサーの一員になった。」
「俺がアメリカに滞在していた時、そんな話を聞いたことがあったんだ。同じ日本人として誇らしく、興味が湧いてすぐに調べてみたが、結局当時詳しいことは何一つ分からなかった。それをさっき思い出して、まさかと思って聞いてみたら、」
「ビンゴォーーー!!それが勇だったってわけ。お前相当大事にされてたんだな。」
「どうして今まで黙ってたんだ。」
「俺はゼロからやり直したかったんだ。過去のしがらみのない、純粋な俺自身を見てもらいたかったから…。」
「あんたさっきオファーを蹴って帰ってきたって言ってたけど、そもそも契約とかは大丈夫だったの?!こんな理不尽な無茶振り、どう考えても円満解除じゃ無さそうだけど。」
「俺はダンサーとしての契約は元々してなくて。」
「え、どゆこと?」
「んー、完全に好意だったっていうか…。その頃ニッジはまだ人気が出始めたばかりの頃で、俺自身もそれがどういうことかまでは深く考えてなかったんだけど、でも親がこんなチャンス滅多にないって、ツアーの帯同とかも全面的に協力してくれて…。」
「お前相当大事にされてたんだな、2回目。」
誠の嫌味は完全なひがみでしかなかった。
「え…、じゃあ何。そんなに手厚く見てくれてた人のオファーを断って、ニッジさんとは…、ちゃんと話は付いてるの?」
「うーん…。あの時はコロナでざわつき始めてて、もう出国自体危うくなってきてたからとりあえずメールだけして、でも結局それっきりで…。」
「はいこれで嫌がらせ案件確定ーー!!」
「誠さん…。」
勇の表情はみるみる青ざめていった。
それも当然のことだった。この野外フェスはライブ配信はもとい、観客動員数も桁違いの歴史あるフェスだった。失敗すれば、場合によっては目指していた未来は大きく別の方向に変わってしまうかもしれない。
(ニッジ…、これは本当に嫌がらせなのか?あるいは試しているのか?俺を、俺たちのことを…。)
勇はアメリカのシビアな世界の現実を知っているからこそ、安易に首を縦に振ることはできなかった。章はそんな勇の心情を察していた。
「確かにそのやり方はまずかったな。コロナは言い訳でしかない。ただおまえが日本に帰ってきた理由はなんだったんだ?今日を迎えるまでのおまえの行いは、ニッジに恥ずべき日々だったのか?」
「それはない。」
勇は力強く答えた。
「だったらこれは、それを証明するチャンスなんじゃないか?」
勇はニッジのことを思い出していた。そんな勇に章は続けた。
「俺もニッジの気持ちが少し分かる気がするんだ。散々手塩に掛けて、ましてニッジは、おまえの才能が誰にも気付かれないようにひた隠しにし続けた。そしていよいよ自身と共に世界デビューを果たそうとしていた矢先に姿を消され、数年後に別の親から産み落とされる。それがどういうことなのか。」
勇は黙ってきゅっと唇を噛み締めた。
「ただ、どうかな…。俺も最初は理不尽な嫌がらせだと思っていた。でも、勇の話を聞いてそれは違うと思った。これは言うなれば、"最高のお膳立て"なんじゃないかって…。」
オフィスの中は一瞬静まり返った。すると誠がぼそっと呟いた。
「お前…、相当大事にされてんだな、今も…。」
(彼は実力のない者は認めない。あんな行いをして、とっくに忘れられ見捨てられ、過去の者にされていてもおかしくないのに…。)
勇の目にはじんわり涙が浮かんでいるように見えた。
「俺は今度こそ裏切らない。俺は、俺たちは、そこで最大限の実力を出し切る。」
勇は込み上げるものを押し殺すように言った。しかしその直後に、勇の表情は少し不安気な様子に変わった。
「ただ…、これはこれで、日本のファンを裏切る気がするんだ。デビュー前から、結成当時からこれまでずっと応援して来てくれたファンを…。」
狼魂は、1ヶ月後のデビューに向けてある秘策を用意していた。それは5人のレベルがオール5となったパフォーマンスを初披露し、鮮烈なデビューを果たすことだった。それを日本の彼らの前でなく、自分のせいでこれまで全く縁のないアメリカで、しかもデビュー前にそれを披露することに、勇は少なからず抵抗があった。
するとその時、章と誠と詩帆のiPadが同時になった。バックオフィス専用のグループチャットに広報の木瀬さんからメッセージが届いたのだ。
"えっとぉ章さん"
"なんか仕掛けました?"
"検索ワードで魂狼関連がなんかバズってます。"
"野外フェスってなんのことっすか?"
どうやら世間もニッジの呟きを嗅ぎつけすでにざわつき始めているようだ。しかし勇はまだ煮え切らない様子だった。すると蓮がスマホで何かを調べ始めた。そして画面を見ながら呟いた。
"ライアン・ニッジの前座!"
"ヤバい!嬉し過ぎて手が震える!"
"やっぱり俺の目に狂いはなかった"
"現地行っちゃおうかな"
「裏切られたと思ってる人はあまりいないようだけど。」
「まぁ書き込まれた意見がすべてではないけどな。」
誠が水を差したが蓮は続けた。
「勇、おまえ"俺のせい"とか思ってるのか。逆だよ、勇のおかげでしかないよ、こんなチャンス。ファンを裏切るかどうかは、俺たちのステージが終わった後に決まることだ。」
「ハッハッハッ!!その通りだ!!やっぱ蓮は最高だな!!」
オフィス内の空気が一気に変わったのを皆肌で感じた。米国で認められたグループ、それはファンにとって最高の勲章なのではないか。しかしそのためには、どんな条件であろうと出演し成功を納める、その一択しかない。
(俺たちに誇りを持ってもらえたら…。)
「やります。このオファー、受けさせてください!」
勇の心は決まった。
ニッジは自分と勇との関係には一切触れていなかった。章たちも、勇に余計な気遣いをさせないためにこのことは伏せることにし、章の伝手ということにした。幸い章には現地に心強いスタッフが存在した。
「誠さん、現地のフェスに関するやり取りはこのスタッフと連絡を取り合ってください。若手のホープ。俺のアメリカでの武者修行時代、切磋琢磨した数少ない戦友です。」
「了ー解。」
「蓮と勇はすぐに残りのメンバーを集めて第一スタジオに向かってくれ。勇、アップを頼む。」
「はい!」
「詩帆は残りの全スタッフをミーティングルームに招集。それから今後のスケジュールでフェスと被るものの調整を頼む。」
「了解!」
皆一分一秒を取りこぼさないように動き出した。
「蓮、ありがとな。」
第一スタジオに向かう中、勇が蓮に言った。
「何言ってんだよ。それはこっちのセリフだよ。いつも通り、しっかり楽しもうぜ。」
(本当に蓮はカッコいいな。やっぱりいいな、チームって…。)
勇は心強い仲間の存在を噛み締めながら言った。
「おうッ!」




