031 この世界は知名度がすべて
2022年。年が明けて早々、章は内々にデビューの日を告知した。それは8月28日、2年前に魂狼の最終メンバーが決定した日だった。いよいよ運命の日が定まり、これまで行ってきた活動のギアをさらに1段階上げ、デビュー後に開催するライブに向けて、Small Gateの社員たちは一丸となってより魂狼を印象付ける楽曲制作に注力した。
売れなければ次はない。売れるためには人気を高めなければならない。すなわちこの世界は知名度がすべてだ。効率的に人気を高めたいのであれば、大衆受けを重視するべきであろう。しかし章にはその考えはなかった。自身のスタイルを曲げて進んだ先には、もはやメンバーの才能の死、そして楽曲も空中分解しか待っていない。自主制作の強みは、すべてを己で決められること。魂狼のスタイルと知名度、この折り合いをどこで付けるか、章はメンバー5人の、そしてそれに続く者たちの運命を背負い、慎重な舵取りを強いられていた。
そんな中、2月に入りちょっとした騒動が起きた。蓮の起こした行動が、いわゆる炎上沙汰になったのだ。その火種は、蓮が自身のSNSに投稿した一枚の写真とそこに載せたあるメッセージだった。
"Happy Birthday To You."
そのメッセージと共に投稿された写真は、目を閉じ自身の薬指にはめている指輪にそっと優しく口づけをしている様子を自撮りしたものだった。これまでの配信動画や宣伝活動で、着々とファンの数は増えてきていた。そして彼らの中で、蓮が結成当時からずっと同じ指輪を左手の薬指にはめていたことは、もはや当然の周知だった。しかしそれに対し蓮が触れたり特に取り上げることは一度もなかったため、ファンもそれをありのままのものだと受け止めていた。
(なぜこのタイミングで…。)
詩帆は蓮の突然の行動が理解できなかった。試しに一年前の同じ日の蓮のSNSをチェックしてみた。するとその日に投稿されていた写真は空に向かって伸ばした左手、そしてメッセージは、
"離れていても、空は繋がってる"
と寄せていた。今思えばこの時の投稿も、今回と同じ人に向けてのものだと伺える内容だった。
騒ぎはファンの間だけでは収まらなかった。Small Gateの中でもあからさまにざわめいていた。しかし章はこれに対して一切の口出しをしなかった。そして蓮も、その後も全く悪びれる様子も取り繕うこともなく、いつもと変わらず淡々と自身の役割を遂行していた。
その後数日が経ち、いつも行われている週に一度の定例幹部ミーティングで、章、誠、詩帆、そして蓮というお馴染みのメンバーが章のオフィスに集まった。
「なんであんなことしたの?」
ミーティングの最後に、詩帆はそれまで聞きたくても聞いちゃいけないような雰囲気に呑まれずっと我慢していた質問を蓮に投げかけた。
「あの日が誕生日だったから。」
「んな、そこにあったからみたいな…。」
蓮の安定の飄々返しにさすがの詩帆も言葉に困ってしまった。すると誠が突然大きな声で笑い出した。
「はッはッはッ!!俺はいいと思うぜ。」
「"俺は"とか、そんな小さな括りで話すネタじゃないです。女の子はこういうの、やっぱりモヤってしちゃうんです。こんなんで蓮の印象が下がったら、これまでの苦労が…。」
「こんなんで?」
詩帆がつい口にしてからハッとした言葉に、案の定蓮は食らいついた。
「別に俺はファンに好かれようと媚を売るつもりはない。ただ大切な人に、大切な日に自分の想いを伝えたかっただけ。」
「うん、ごめん。"こんなん"はさすがにちょっと…、ひどかった…。」
「まぁまぁ詩帆ちゃんの貴重な女の子の意見も貴重だよ?」
「すいませんね普段女の子のかけらも無くて。」
「え!そうじゃなくて!俺は詩帆ちゃんのこと、ちゃんといつも女の子って思ってるよ?!な?!蓮!」
「はい?」
「詩帆。」
横道に逸れ始めた話に章の補整が入った。
「今が大事な時で、蓮のことも大事に思っているのは分かる。ただピリピリするな。」
「…、はい。」
詩帆はさすがの章には何も口答えをすることはなかった。
「蓮。お前が大切な人を想ってした行動が、少なからず誰かを傷つけることもある。今後も口出しするつもりはないが、それは忘れないでいてくれ。」
すると詩帆と違い、蓮は言った。
「今だからです。今だからしました。」
そう言った蓮の目は、いつも章が核心を突く時の、あの青白く光りその瞬間一切の言語が無能になる、そんな目だった。章はしばらく黙っていた。誠も詩帆もこの張り詰めた空気の中、ただ黙ってじっと二人の様子を見ている他なかった。しかし章の顔は、次第に穏やかになっていった。その時章は、目の前の霧が晴れていくような、不思議な感覚を覚えた。そして答えた。
「なるほどな。了ー解。」
「…え?」
詩帆はこの会話の着地点が分からなかった。すると誠は先ほどよりもさらに声を上げて笑った。そして言った。
「ハッハッハッ!!やっぱ蓮は最高だな!!」
「あぁ、そういうことだ。」
章も参ったと言わんばかりに苦笑しながら答えた。
「じゃ、俺は行きます。」
そう言うと、蓮はぴょこっと頭を一度下げると、そのまま飄々とその部屋を出ていった。
「もう…。どういうこと?」
少し不貞腐れた様子で詩帆が言うと、章は清々しい顔で言った。
「最初から"ありのまま"でいいんだ、俺たちは。」
(…。)
詩帆自身は納得していないものの、章が納得しているのであれば受け入れるしかないと、詩帆は気持ちをリセットすることに努めた。
その後ミーティングを終え誠と詩帆が部屋を退室すると、誠が詩帆を呼び止めた。
「はい?」
そう言って振り向いたその顔は、すでに何事もなかったかのような、スッキリとしたいつもの顔に戻っていた。
「あぁ、えっとぉ…。何でもない。」
「はい?」
今度はあからさまにイラッとした顔で答えた。
「ははは!じゃ、今日も一日よろしくな!」
そう言うと誠は詩帆と反対方向に歩いていった。
(俺は今じゃない。今じゃないよなーー。)
(…なんだ?変な誠さん!)
しばらく様子を伺っていた詩帆も、くるっと再び前を向き歩き出した。
(俺たちは作り物じゃない。他者と変わらずありのままに存在している。ゆえに誰かに媚びを売る必要もない。それで失うものがあったとしても、それでも俺たちはありのままに生き、その生き様にやがて人々が共鳴する、ただそれだけだ。)
章は守るべき立場の重積で慎重になり過ぎ、どこかで進むべき道を決めかねていた。しかし心は決まった。
章は彼らを選んだ意味を、またメンバーたちも自分たちが選ばれた意味を、より深く真剣に考えるようになった。そしてやがて二極化していたファンも大半が、蓮のその後もブレない生き様に共感する側へと変化していき、気付けば蓮の推しは当時の数十倍にも膨れ上がっていた。




