020 エントリーNo.21 五十嵐 優
週が明けた月曜日、稑はフリースクールに向かうため駅まで歩いていた。稑は新しく通う中学校は区立に席を置きながら、まずはフリースクールで学力を補うことにしていた。そこは本人の主体性を尊重し芸能活動といった個人の特化した活動も容認しているため、スケジュールは学校、本人、保護者と相談しながらオリジナルなカリキュラムで学習を進めることができる。ひとまず稑は、月曜日と木曜日を原則始業から登校する日とした。
電車の中で、稑はとても濃密だった週末のことを思い出していた。
稑はこれまで身内があれほど一同に会することを経験したことがなかった。父親のことは何も知らず、母親の両親もすでに他界しているため、母親以外で身内と呼べるのは伯父の哲夫くらいだった。自分にもいつかあんな家族ができるのだろうか。稑はプツリと切り取られ突然この世に現れたかのような自分にとって、他人同士が結ばれ紡いだ親子三世代が一同に会し、仲睦まじく過ごす和やかな時間がとても愛おしく思え、これまで思いもしなかった淡い憧れのような気持ちが芽生えていた。
その一方で、詩帆は一昨日のメンバーの中では誰とも血の繋がりはない。しかしもはや家族の一員のようだった。章の言う"家族"があのような形なら、年月は違えど、自分もいつかあそこで詩帆のような存在になれるのだろうか、そんなこともふと思い、稑は清子ママのことを思い出していた。
(この家の詩帆さんは、僕にとっての清子ママなのかな。血の繋がりはないけど僕にとってはおばあちゃんみたいな、そんなかけがえのない人。清子ママ、元気かな…。)
稑は年末帰った時に会いに行かなかったことを、今さら少し後悔した。
AM9:00、スタジオのミーティングルームにはメンバーたちと詩帆がいた。基本的にいつもこの時間に始まるミーティングから始業開始となる。
「はーいおはよー。それでは本日のミーティングを始めまーす。」
詩帆はiPadでスケジュールなどを確認しながら話し始めた。
「えっと稑は今日は学校、っと。それから…、ん?新また検温の入力忘れてるー。」
「えーだってスタジオ入る時も検温してるしいいじゃん。」
「だーめ。万が一陽性になっていた場合、自分のためにも、周りのためにも、一刻も早く気付くことが大事なの。朝体調がいつも通りでも、ちゃんと検温はしてください。まぁ無症状感染って場合もあるけど…、ルールはルールだから!ね!」
「あーぃ。もうほんっとコロナやだ…。」
「もうッ!新はお兄ちゃんなんだからしっかりしなさい!」
「うわーそれ絶対言われたくないヤツー。」
「え?家でもよく言われてたの?」
「いや、僕末っ子。」
「なんだよ紛らわしいんだよ。」
勇が突っ込んだ。
「あー、お兄ちゃん拗ねてるー。こりゃよく言われてた口だな。」
「んだよ言われてましたよ末っ子くぅん。」
妹がおり当事者の気持ちがよく分かるのか、でも勇は半分面倒くさそうに答えた。新はそんな勇の両肩に手を乗せぐらぐらと揺らした。
「はいはい!では今日のスケジュールを確認します!」
詩帆は声のギアを上げ、一旦仕切り直した。
「午前中はかなり変更があります。まず蓮は衣装で確認があるみたいなんで、これ終わったらみどりさんとこ行ってください。フィッティングルームで待ってるそうです。なんかぱっと見稑と衣装が被っててどっちか変えたいらしい。あと勇は章が曲の振付を相談したいって。場所は決まってないから勇から連絡してあげて。」
「りょーかい。」
「新は須藤先生が今日は朝から来てくれてるからボイトレに変更、レコ室向かってください。勇もその打ち合わせ終わったら新のところ合流ね。新、この前言われた課題ちゃんとやってる?」
「任せなサイッ。」
「オッケー。で、優はバラ番収録の勉強会。まだ収録日は未定だけど、今のところ予定されてるゲストの情報をおさらいしないとだね。ここで一緒にやりましょう。」
「はい。お願いします。」
「で、午後は今のところ変更なし。ダンスダンスダンス、ひたすらダンスです。ここに学校が終わり次第稑が合流かな。」
「うぃー。」
「以上!みんなからは何かある?」
「なーーーい。」
そう答えた新を除くメンバーも、ジェスチャーで意思表示をした。詩帆は手元のiPadの画面を閉じた。そしてひと呼吸おくとさらに一段階声のギアを上げて言った。
「おしッ!!
じゃあ今日も1日張り切っていきましょう!!」
メンバーたちの顔は一気に引き締まった。すると、
「しゃあーッ!!!」
と、新の気合の入った声がミーティングルームの外まで響いた。
各々が目的の場所へと向かい、ミーティングルームは一気に静まり返った。
「じゃあ、早速だけど…。優先生!お願いします!」
そう言うと詩帆は優に向かってペコリと頭を下げた。
「もぉ、そんな大袈裟な。先生って何。」
「えーだってもう私の世間知らずでみんなに迷惑かけたくないし、優ほど今現在のリアルな芸能界を知り尽くしてる人なんて他にいないし。」
「まぁ、そうね。」
「でしょ?」
2人はクスッと笑った。
詩帆は昨年末の誠に対する失態はまだ身内だったからよかったものの、場合によってはグループそのものの現在そして今後にまで影響を与えかねないと思うと、念には念を入れずにはいられなかった。
「だいたいこれくらいのこと知っとけばまず大丈夫なはず。今回は芸能界っていうより各業界の有名人が集まる感じだから、僕もそこまで完璧ってわけじゃないけど。」
「いや、そんなことない。やっぱりすごいよ。さすが優!THE DATA BANK!! 元々芸能界で活動してるっていうのもあるけど、ほんっとに周りをよく見てるし記憶力も半端ないよね。」
「ま、僕兄弟が多いからね。そうなると全員にゲームとか買ってもらえたわけじゃないから家でも結構暇な時とかあって、でもそういう時兄弟を観察してる方がむしろ楽しかったんだよね。多分それで人間観察が身についちゃったのかも。」
優は6人兄弟の末っ子だ。"人生は一度きり"がモットーの両親の下で育った影響から、優自身が興味を持った芸能活動に対しても比較的あっさりと容認され、小学生の頃から芸能事務所に所属していた。
バラ番のゲストから実は芸能人と同じくらい押さえておかなければならないプロデューサーまで話は広がり、時間はすでに11時を過ぎていた。
「少し早いけど、もうお昼にしちゃう?」
「うん、そうしよ。」
2人はランチルームに向かった。
そこにはすでに何人かの社員が昼食を取っていた。カウンターで料理を受け取ると、優はわざわざ少し遠い隅っこの方に座ったので、少し違和感を感じながらも詩帆も後に付いてそこに座った。
「いただきまーす。」
2人が席に着くと声を揃えてそう言い、それぞれプレートに乗った料理を食べ始めた。詩帆は黙々と食べる優を少し観察しながら、恐る恐る口を開いた。
「優、最近はどう?」
「うん、やっぱり少しずつ忙しくなってきたよね。結構細かい目標とかが具体的になって来たし、毎日やりがいがある。」
「そう…。」
詩帆とは目を合わせず、優は目の前の料理を淡々と口に運んでいた。
「あの、さ…。もしかして、何か相談したいこととか…あったりする?」
ランチルームに来てからの優の様子があまりにも塞ぎ気味だったので、詩帆はもしやと思い聞いてみた。すると案の定優はパタリと食事を中断し黙ってしまった。そしてしばらくすると、重たそうに口を開いた。
「あのさ…、僕ってやっぱり…、芸能界との繋がりが強いから選ばれたのかな…、って。最近思う時がたまにある…。」
(え!!)
いつも、誰にでもニコニコ明るく振る舞っている優が実はそんなことを思っていたなんて、詩帆は全くの想定外だった。そしてそう思わせているのは自分のせいかもしれないと、急に申し訳ない気持ちになった。
詩帆は一旦箸を置き、話に集中した。
「優、ごめん。私そんな気も知らないで…、いつも頼りっぱなしで。」
「いや、詩帆さんのせいじゃないから。それは本当に誤解しないで。もしそう思ってたらわざわさ本人にこんな話しない。」
詩帆はまっすぐに自分を見てそう話す優の姿から、今自分を責めるのは違うのだと理解した。
「いや、ほらさ、メンバー間で共有してる各レベルのことなんだけど、僕だけ選考終了当時から5が一つもないでしょ。それに最終選考には僕より評価高い人は他にも普通にいたのに…。」
優が言う、メンバー間で共有している各レベルというのは次の内容のことだった。
〈歌唱力〉 〈ダンス〉 〈表現力〉
蓮 : 5、4-、5
勇 : 4-、5+、5+
優 : 4+、4+、4
新 : 4、5、5+
稑 : 5+、3+、4+
この「歌唱力」、「ダンス」、「表現力」の中にもそれぞれ細かい項目がある。例えば歌唱力には音域や肺活量、ビブラート、ラップ、地声裏声など、ダンスには体幹、柔軟性、リズム感、アクロバット、アドリブなどなど、その項目一つひとつに対し各部門のチーフやトレーナーが一人ひとりチェックし、総合的にジャッジした評価が先ほどの数字となる。そして確かに優の言う通り、優以外のメンバーは、歌唱力、ダンス、表現力のいずれかに一つ以上5の評価があるのだ。
詩帆は今目の前にいる優の立場になりiPadで改めてその表を見ると、優の気持ちもわからなくもなかった。しかし詩帆はすぐにその画面を閉じテーブルに置くと、少し前のめりになって話し始めた。
「私さ、このプロジェクトに関わることになった時にはもうメンバーは決まっててさ、いったいどんな子たちで、どんなふうに決まったんだろって気になって、最終選考の時の様子を撮影した動画を見たんだよね。」
「うん…。」
優の顔はまだ曇ったままだった。
「その時の、今でもはっきり覚えてる優の第一印象が、素直で正直な子だなって。」
「ん?」
優はそれって全然レベルの話と違くない?と言わんばかりの顔をしていたが、詩帆は続けた。
「優は自分に足りないものに正面から向き合って、それをちゃんと受け入れて、そしてそれを隠すことなく、向上させるために誰よりも貪欲に周りに意見を求めてた。」
「うん。」
優はまだ、だから何?と詩帆の言いたいことが分からない様子だった。
「あのね、普通これくらいの歳だと、まして周りより少し長けてるものがあると、何かで行き詰まった時、自分は正しいって自負の気持ちが強く出ちゃって、つい周りがおかしいとか、もっと他に自分に合ってるものがあるって、自分を変えるという発想にはなれなくて、人のせいとか環境のせいにしちゃったりするんだよね。ほら、若い子はすぐ仕事辞めるってよく言うでしょ?」
「うん…。」
「んもー!優にとっては自分の行動が当たり前過ぎて分からないんだね。つまりその謙虚な姿勢がすごく印象的で、それを章にも話したんだよね。そしたら章が、」
そこまで言うとさっきまで活力を感じられなかった優の表情がそわそわとし始め、詩帆のその言葉の先が気になって仕方のない様子に変わった。
「俺は選考メンバーの中で、優が一番伸び代があると思ってるって。申し訳ないけど、優が今このレベルなのは、これまで優に関わってきた者たちの指導力の問題で、優のポテンシャルとあの姿勢があれば、ここで飛躍的に進歩できるって。そしてそれは間違いなく、メンバー全体のレベルを底上げする大きな原動力になるから、優は絶対に外せないと思ったって。」
章が自分に対しそんなふうに思っていたことを知ると、優は感慨深い様子になった。
「それに、選考時決定権のある章以外の各セクションのチーフの評価で、優だけが唯一満場一致だったんだって。細かいことでも何でも相談してくれるから安心感と期待感がある、とか、長く一緒に仕事をしたいと思える人だ、とか。」
当時はとにかく結果を残したくて必死だった。今自分が出せる最大限の力を発揮できるように、得られるものは何でも欲しかった。その思いを成し遂げるためにとった優のひたむきで誠実な行動が、チームを全体で捉えより良くしたいと思う共通認識にフィットしたのだ。
優は泣きそうになっていた。
「僕は本当はタレントになりたいんじゃなくて、ずっと歌で生きていくことに憧れてたんだ。だけど、何度オーディションを受けても、ことごとく落ちて、そのうち後から入って来た子が先に決まっちゃったりして…。事務所もそんな僕を見かねて、僕のユニセックスな見てくれにタレントの方が見込みがあるって判断して、いつからかバラエティー番組とかレポーターとかそういう仕事ばかり受けるようになって…。」
詩帆はそれを聞くと、その事務所に対しこの救済処置と見せかけて実は利益重視ともとれるこの対応に複雑な気持ちになった。
(もっと優に寄り添うことはできなかったのだろうか…。)
優はこれまでせき止めていたものを吐き出すかのように続けた。
「章さんのオーディションの話を知った時、ダメ元で事務所には内緒で応募したんだ。でも最初はどこかで落ちても仕方がないって思ってた。だけど章さんや他のスタッフさんと接しているうちに、うわぁー僕絶対にここで一緒に仕事がしたい!これに落ちたら、多分この先受けたいって思えるオーディションにはもう出会えないだろうなって思って、もう本当に必死だったんだ。」
優は最終審査が始まる時にみんなの前で話した章の言葉を思い出していた。
"皆、まだまだ実績のない私に未来を託そうと募ってくれて本当にありがとう。ただそうは言っても、ここに関わることで過ぎてしまった時間は取り戻せない。そしてそこに費やした時間は、君たちにとって人生でかけがえのない時間だ。だからこれからを共に生きていくことが本当に正しいかどうかを、これからの10日間で、君たちもじっくりと私を見極めてほしい。そしてどうか惜しみなく、自分を出し切ってほしい。そのためのサポートを私たちも全力で行います。"
詩帆は、いつもニコニコしていて、気さくで、誰とでもすぐに親しくなれるそんな優に、これまでそんな葛藤があったとは思いもしなかった。
「話してくれてありがとう。」
詩帆は素直な気持ちを伝えた。
「んんん、こっちこそ、詩帆さんしか知らない話を聞かせてくれて、ありがとうございました。話せてよかった。」
そういった優の顔には、もう塞ぎ込むような様子は無くなっていた。
「うん!私も!あ、ご飯冷めちゃったね…。」
「大丈夫大丈夫!いただきます!」
もう一度そう言うと、優は残りの料理をモリモリと食べ始めた。
閑話
普段てるてるの朝食や幼稚園の送迎は総一郎が見てくれているが、月曜日と木曜日は稑がてるてると自分の朝ごはんを作っている。
明「おいしい!!りく、いいおよめさんになるね!」
稑「あ、ありがとう。」
光 : もぐもぐもぐもぐ。
実は家事全般が得意だった稑は、明から太鼓判をもらった。




