第40話 彼女のためにできること
その日から、俺は悠香の家に毎日通い続けた。
放課後になると悠香の家に向かい、母親から断られる毎日。最初の内はモニターホン越しに応対してくれたけど、三日も経つと返事すらしてもらえなくなった。
それでもめげることなく、雨の日も風の日も通い続ける。
そんな日々が一週間ほど続いたある日のこと。
「日が暮れる前には着きそうだな」
放課後、日直の仕事で遅くなり着いたのは十八時半頃。
今日くらいは行かなくてもいいんじゃないかと思ったけど、その一日で誠意を量られるかもしれない。そう思うと自然と足は悠香の家へと向かっていた。
なにより悠香と約束した以上妥協はできない。
「今日もダメか……」
そんな覚悟とは裏腹に今日もモニターホンは空しく響く。
諦めて帰ろうと思い、振り返った時だった。
目の前にスーツ姿の男性が立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは……」
笑顔で挨拶をされて反射的に応える。
「天崎凛久君だよね?」
「はい……どうして俺のことを?」
「悠香から君のことはよく聞いているよ」
悠香から——じゃあ、この人は悠香の父親?
どこかで会ったことがある気がしていたけど……そうだ、悠香が猫まみれで倒れて病院に運ばれた日、帰り際に病室の前ですれ違った男性で間違いない。
時間的に仕事を終えて帰ってきたところだろうか。
「悠香に用事があって来たのかな?」
「いえ。お母さんとお話がしたくて」
その一言で察してくれたのかもしれない。
「この後、少し時間はあるかい?」
「えっと……はい。大丈夫です」
「近くに喫茶店があるんだ。少し話そうか」
まさかのお誘いに驚いたけど断る理由はない。
むしろ俺の方からお願いしたくらい。
「はい。お願いします」
父親の後に続いて訪れたのは、自宅兼店舗と思われる個人経営の喫茶店。
ドアベルを鳴らしながら店内に入ると、悠香の父親と同世代くらいの店主が出迎えてくれた。遅い時間にも拘わらず店内には数人のお客さんの姿があった。
俺たちは窓際の二人掛けの席に向かい合って腰を下ろす。
「ここは私がご馳走する。好きな物を頼むといい」
「ありがとうございます」
お互いに注文を済ませると、父親は穏やかな笑みを浮かべる。
その表情から母親のような敵意や拒絶の意思は見て取れない。
「病院で会った時は、ずいぶん大人になっていて気付かなかったよ」
「俺のこと、昔から知ってるんですか?」
「悠香の迎えは妻に任せていたけど、私も何度か行ったことがあってね。君に挨拶をしたことはなかったけど、悠香から初めての友達だと教えてもらっていたんだ」
初めての友達……か。
「みんなで猫まみれの再建をしているんだって?」
母親には秘密にしていたと聞いていたけど。
「お父さんは聞いているんですね」
「君も知っての通り、妻は少し厳しくてね……その分、私には色々聞かせてくれるんだ。年頃の娘を持つ父親としては嬉しい限りだけど、よほど君と再会できたことが嬉しかったんだろう。誰かに話さずにはいられなかったんだと思う」
不意に父親は頭を下げる。
「いつも悠香と仲良くしてくれてありがとう。それと改めて、先日の件もありがとう。大事に至らなかったのは、君が適切に介抱し救急車を手配してくれたおかげだ」
「お礼なんて……そもそも倒れたのは俺のせいです」
俺は父親よりも深く頭を下げる。
「悠香さんに無理をさせてすみませんでした」
両親にとって大切な一人娘を危険に晒したんだ。
一度や二度謝ったくらいで許されるなんて思ってない。
どれだけ責められようとも謝り続ける覚悟だったんだけど。
「君が責任を感じる必要はない。悠香は君に病気が治ったと伝えていたし、治ったとはいえ、身体が弱いままなのを伝えていなかったんだ。むしろ責任は悠香にある」
俺の覚悟とは裏腹に、悠香の父親は穏やかに理解を示す。
どうも俺が思っていた父親像とは違う印象を受けた。
「でも、お母さんはそう思ってないですよね」
父親は難しそうな表情を浮かべて頷く。
「知りたいんです……お母さんが俺を嫌う理由を。いえ、違います……嫌われる理由なんてわかってる。俺が知りたいのは、お母さんが『また』と言った理由です」
「……昔話も交えながらだ。少し長くなるけど許してほしい」
そう前置きすると父親は運ばれてきたコーヒーを口にする。
ひと息吐いた後、ゆっくりと語り始めた。
「君も知っての通り、悠香は幼い頃から病気を患っていた。具体的には先天性の心疾患——そのため、物心つく前から入退院を繰り返していたんだ。妻は必死に看病しながら悔やみ続けていた……元気に産んであげられなかった自分のせいだと」
心疾患……それも先天性の。
母親が過保護なまでに怒りを露わにする理由がわかった気がした。
「小学生になっても悠香の病状に改善はなかった。そんなある日、悠香の病気を専門としている先生に診てもらえる機会があってね。時間は掛かるが、治療に専念すれば完治できると言ってもらえた。それは私たちにとって希望そのものだった」
「…………」
「通院のために病院のある他県へ引っ越す必要があった。地元を離れることに抵抗はあったけど迷わず決めたよ。しばらくして、引っ越しを控えたある日のことだった。悠香の体調が急変してね……引っ越しよりも早く入院することになったんだ」
「そう……だったんですね」
「その後、治療の甲斐もあり病気は完治したが虚弱体質は変わらなかった。それでも日常生活に支障がないまでに成長したある日——悠香は倒れ、あの頃と同じように傍には君がいた。妻はショックのあまり君のせいにせずにはいられなかったんだろう」
そこまで話すと父親は俺よりも深く頭を下げた。
「とはいえ君を責めるのは筋違だ。妻の代わりに謝らせてほしい」
「顔を上げてください。俺にも責任の一端はあったんですから」
「それでも、当時小学生だった君が取るべき責任なんてものはない。八年間……君にも悠香にも辛い思いをさせ続けたと思う。本当に申し訳なかった」
父親は人目もはばからず謝罪の言葉を口にする。
その姿を見て考えずにはいられない。
事情があるとはいえ、大の大人が高校生を相手に頭を下げる意味を。
なかなかできることじゃなく、それだけで父親の人間性が伝わってくるようだった。悠香が素直で裏表のない女の子に育ったのも、この人が父親なら頷ける。
そして本当は母親も同じくらい素敵な人のはずなんだ。
「俺……悠香のお母さんと話がしたいです」
したいじゃなくて、しなくちゃいけない。
「悠香と約束したんです。俺が猫まみれの再建メンバーに戻れるようにするって。悠香は言ってました……お母さん心配させたくないし、俺を悪者にもしたくない。そのためには自分がメンバーから抜けるしかないって。俺はもう悠香になに一つ諦めてほしくない」
それに、父親の話を聞いていて思ったんだ。
最悪、俺が母親に嫌われたままでもいい。
でも——。
「大切に想い合う母と娘が、すれ違ったままなんて悲しすぎる」
おこがましい話だと思うけど、俺は母娘の関係も改善したい。
自惚れじゃなく、それができるのは原因である俺だけだ。
「わかった。私が妻と話す場を作ろう」
「本当ですか!?」
「今度の日曜日、うちで待っているよ」
「……ありがとうございます!」
気づけば七月上旬——あの日、悠香と一緒に行くことは叶わなかった夏祭りが月末に迫る中、父親の計らいで母親と対峙する機会を得ることができた。




