あと少しで結婚70周年でした。
私が入職した10年ちょっと前は、二人でデイサービス利用され、時々ショートステイ。二人共歩いていたし~お父さんの便秘ぐらいしか問題のないご夫婦でした。ショートステイ入所時に最終排便を聞くといっつも
「ん~ん、十日ぐらいは出ていないんだ」
「何言っているの?自分のが出たことも覚えていないの?」
「いや…」
という掛け合いがあります(笑)
どこかで書いたかと思いますが…
夏になると心配な方々でした。一緒に住んでいる子供がいわゆるネグレクト…どうやら仕事しないでパチンコと飲酒…勿論ご夫婦からそのような訴えはありません。
ショートステイのお迎えに行く相談員さんから
「夏の間、ずっとここってわけにはいかないかな~あのままじゃあ死んじゃうよ」
と、言われたことがあります。クーラー無し…壊れたまま…あの1人10万円もらえた時
「あ、二人で20万!これでクーラー入るね」
だったのですが、どうやら子供が使っちゃったようで…
「お母さん、クーラー買ってもらえば良かったのに~」
と言うと
「あら、家は墓地の隣だから涼しいのよ、心配してくれてありがとうね」
墓地の隣…だからってね~
そんな心配がとうとう現実になりました。
デイサービスでお迎えに行くと、お母さんが反応ありません。汗と尿でぐっしょりの状態でベッドの上。お父さんはどうしていいのかウロウロ、ベッドの横のテーブルには空のコップ…職員で担ぎ出す間も、隣の部屋の子供、手伝わなかったとか。
幸い口から水分が取れ、意識が戻ってきたので、そのまま施設に運ばれてきました。デイサービスの主任がケアマネを呼び出して緊急の担当者会議、ご夫婦出席で行いました。
ケアマネさん曰く、子供とは「共依存」だから~切り離すことが出来ない。ここを利用することで何とか健康が保たれているので、このままと…
「これでいいわけないだろ~!子供は親に依存というか寄生しているけど、親、何もしてもらってないじゃない。悪く言うと庇うけれど、それって、子供に依存しているわけではないよ」
デイサービスの主任さん、かなり吠えていました。
今夜帰せば同じようなことになるから、緊急ショートステイにしようかという話になった時、お父さんが
「体の向きだけでも変えてやろうとしたんだけど、重くて動かなかった…どうかお願いします、俺は何とか大丈夫、こいつだけでもここにおいてやってもらえないでしょうか?お願いします」
と、深々と頭を下げました。
お母さんの状態が良くなってから、火曜から金曜までデイサービス利用して、土曜から月曜日までショートステイということになりました。ご夫婦で。
この頃、お父さんは薬も自己管理。ショートステイに来ると先ず薬の袋からシートの薬を取り出してハサミで切り離し、それを、曜日ごとに、朝昼夕と分けていきます。その作業、かなりの時間集中してやっています。その間、お母さんの方は世間話、まあ、よくしゃべる…お父さん耳が悪いこともあり。会話続かないからか、ここに来るとおしゃべりを楽しんでいました。
朝ご飯に起きてこないから心配して訪室すると
「いや、どっこも悪くない、ただ、こうして毎日朝ご飯を食べていると、家に帰ってからが辛くなる。家では朝ご飯は、ない…」
ん~ん、切ない…
しばらく経ってから、急に本入所の話が…どうやら、同居している子供の生活保護申請が通ったらしく、親、要らなくなった?のかな?
同じ階の別々の四人部屋、食事の時はお隣となりました。
お母さんの方から認知症進んできて、元々腰が悪かったこともあり、車椅子。立位も危うくなり、オムツ対応となってしまいました。それでも、お父さんに対して
「まったくもう!ちゃんと食べないとだめじゃない!」
などなど。まあ、お父さん耳が遠いので、なんとなく頷いて胡麻化しています。
もう、90半ば過ぎ…食事量が減ってくるのは仕方がないのですが、それにしても、食欲がなく、その内お父さんも歩けなくなり、トイレに座るのも難しくなってしまいました。
「そろそろなのかもね、自分から食べたくないって言っているんだから、後は安楽にでいいのかしらね~」
などと、話していました。お母さんも
「しょうがないよ、歳なんだから、好きにさせておけばいいんだ」
と…
そうは言っても、何とかお母さんにお父さんを励ましてもらおうと
「お部屋に行ってお話しする?」
と聞くと
「ここんところ、ご飯の時隣に居ないから、もう死んだと思ってた」
え???なんてことを…
車椅子を押してお部屋に入ると、さすが夫婦、しっかりと目を合わせて微笑んでいます。
「食べたくないの?」
困った顔をされています。
「まったく、世話が焼けるんだから、好きなようにすればいいんだよ、心配することないよ、もう歳なんだよ、こうなるのが普通の事だから」
と、お母さん、私に向かって話されます。お父さん、聞こえているのか聞こえないのか…
「おまえは、元気かい?」
と、一言。
お母さんは両腕を曲げて上下に振って
「あたしは、ほら、この通り、元気元気!」
「そうか、それならいい」
そう言って、お父さん、目をつぶってしまいました。
土用の丑の日、お父さんのケアカルテに好きな物として、「ウナギ」と書かれていたので、お昼ご飯離床してもらいました。
「疲れるから、寝ていたい」
と言っていたのですが、やや無理やり。
お父さん、ちゃんと車椅子に座っていられたのですが、食べようとされません。
「ほら、ウナギですよ」
と言うも、手が伸びません。
「これが?」
そうですよね~今迄普通食だったのに、ペースト状になっていて、なんか~茶色のドロドロとした~とてもウナギとは見えません。そこで、鼻の所に持っていき、香りを確認してもらい、一口。でもやっぱり、ウナギとは思えなかったようで…
「ダメか…」
と思って席から離れると、何とお母さんが自分のウナギをお父さんのお皿に一切れポイ。阿吽の呼吸でお父さんそれをパクリからの笑顔。
その後、他のおかずも少し手を付けてくれました。
そして、スイカ。これもすりつぶしてとろみをつけたものがお父さんについていて
「いらない」と言うとすかさずお母さんが自分のスイカのてっぺんをパキンと割ってお父さんの手に渡しました。美味しそうにかぶりつくお父さん。あまりの笑顔に
「スイカ、残っていませんか?」と厨房に聞いたのですが、残念。
翌日、看護師が家にあったスイカを持ってきて、ご夫婦で食べてもらい、写真に収めました。素敵な写真で、遠くに住んでいる子供が面会に来た時に見ていただきました。
ウナギで勢が付いたのか、その後食事量が回復してきて、トイレにも座れるようになってきました。
しばらくはまた元の様に暮らしていらっしゃいましたが、手が腫れて熱を出したり、痰がらみで咳が続いたりするうちに、だんだん元気がなくなり…
そんな中、敬老の日の写真撮影、二人で手をつなぎニッコリ。これが最後となりました。
今度は食べれるようにはなりませんでした。
亡くなって直ぐ、お母さんを静養室に招くといっぱい泣いた後に
「温かいうちに会わせてくれてありがとう」
と、言われたとか。お葬式に参列するかどうかは
「誰か職員さんが付いてきてくれないと、私達ではオムツ交換できませんし」
と、言われたとかで、参列しないことになったそうです。
亡くなって数日後
「まったく、いつもなかなか起きてこないんだから、しょうがないな、ご飯だっていうのに」
と、隣が空いている席で独り言…あれ?もう、亡くなったこと忘れちゃった?
先日は
「ここに居れば寂しくないよ、みんないるから」
と言われたので
「そうですね、お父さんのこともみんな知っているから、いつでもお父さんのこと話してね」
と言うと
「私はいい奥さんじゃなかったから」
と言われたので
「そんなことないですよ、お父さんいつも「あいつには感謝している、兄弟も母も面倒見てくれた」って言って褒めていましたよ」
「そうか…まあ、そう言うことにしておこうか」
と、笑ってくれました。
今は席替えをして、隣にお話が出来るお婆さんが座っているので寂しくないかしら?
大丈夫、「元気元気」ですよ




