第十一話 怒れる幽鬼、気高き勇士
廃城内3階、レエテの居室内――。
滞在していたレエテとホルストースの憩いの場に突如乱入した襲撃者、“幽鬼”副長レ=サーク・サタナエル。その戦闘力は、現在のところ敵2名を相手取ってなお圧倒していた。
ホルストースは彼の攻撃を受けた衝撃により未だ立ち上がることができず――。正面きって対峙しているレエテは、サタナエルのもつ底知れぬ技術を前に完全に決め手を欠いていた。
そればかりか、攻めに転ずれば針の先のブレもない正確無比なレ=サークの攻撃の方は、確実にレエテの身体を削っている。
無傷で息も上がっていないレ=サークに対し、レエテの身体は同胞の同じ結晶手に傷つけられ、徐々に血で赤く染まっていくのだ。
ソガール・ザークを仕留めたレエテをして、歯が立たない難敵。
仲間を助けなければならない自分が、こんなところで消耗戦の末命を落とすのか――。
そう思っていた矢先――。
突然、地鳴りのような凄まじい轟音が廃城中に響き、同時に建物が傾くような巨大な振動が起きたのだ!
「――な、何だ!? 何が起きた!?」
予期しない状況に、やや動揺を見せるレ=サーク。
この轟音と振動は――。時を同じくしてこの廃城下階1階のエントランスホールで繰り広げられているもう一つの激戦、ナユタ対“斧槌”ギルドの闘いによるもの。
ナユタが、エティエンヌを外に送り出すために扉枠と壁に向けて放った、“魔炎旋風殺”の爆発が引き起こしたものだったのだ。
状況は読めないが、ひとまず体勢を整えようとしたレ=サークの身体に、異変が起きた。
今まで感じたことのない、焼けるような熱い鋭い痛みが胸を襲った。
そして視線を落とすと――。
自分の胸の中央部から、鈍色に光る槍の先端が、自分の血をべったりと塗り付かせて突き出していた。
彼はこみ上げる大量の血を口から吐き出しながら、首だけ背後を振り返った。
「ホ……ルストース……き……さま……!!」
そう――。その槍はいうまでもなくドラギグニャッツオ、それを繰り出した張本人は紛れもなく――攻撃のダメージで戦闘不能と思われていたホルストースだったのだ。
「ハッ! やっぱり『想定外の状況』で隙をみせたなあ……。
俺も昔はそうだったからよくわかる。英才教育・温室育ちの甘ちゃん、てなあ思い通りの状況しか知らねえからこういう時に脆いもんさ。実力と自信がありゃあるほどな」
「きさま……あああ!!!」
レ=サークが怒り狂い、何とか後ろ手に振った結晶手をかわしつつ、槍を抜いて後転しつつ距離をとるホルストース。
「あとは残念だったな。俺は見た目以上に身体が丈夫でなあ。あんな程度の衝撃じゃ大したダメージじゃねえくらいには鍛えてんのよ。演技も完璧だったろ……? 動けねえフリして、てめえが隙を見せるまでじっと様子を窺ってたってわけさ」
ホルストースの口上を聞きながら、貫通された胸を思わず右手で押さえるレ=サークの前に、迫るレエテの結晶手。
「レ=サーク――!!!」
「グッ――!!!」
レエテのその鋭すぎる攻撃を、残った左手結晶手で何とか捌くレ=サーク。
そして力を振り絞って跳躍し、己が侵入してきた窓枠の付近まで接近する。
胸からは大量の血液が噴き出し流れてはいるが――。
現時点で死なずこれだけの動きができているところを見ると、ホルストースの背後からの一撃は、レ=サークの心臓を傷つけはしたが貫くには至らなかったようだ。
当然サタナエル一族に対しては、首か心臓を絶たないかぎり、いくら重傷を負わせても殺すことはできない。
さすがは一族のエリート。無意識下の本能で、ホルストースの不意打ちに対してもギリギリの回避を行っていたようだ。
「……この……レ=サークとしたことが……何たる……不覚……!!
ホルストース・インレスピータ……。この恨み……借りは、必ず返す……!!
いずれ貴様をズタズタに引き裂き……、その素っ首を……バレンティンの父親の元に送りつけてくれる……!!!」
苦しげに置き土産の言葉を吐き終えると、レ=サークは身を翻し、侵入してきた窓から外へと飛び降り逃亡した。
レエテはホルストースと目を合わせると、自身は真っ直ぐにレ=サークの逃亡した窓に向かって走った。
「ホルストース!! 助けてくれて礼を云うわ! さっきの音と振動はたぶん、この下でナユタが別のサタナエルと闘っている影響よ! 私はレ=サークをこの窓から追うから、あなたも1階まで降りてきて!」
*
その頃1階エントランスホールでは――。
仲間の復讐に燃える勇猛なる戦闘者と、仲間を守るために命をかける女魔導士の意地のぶつかり合い――死闘が繰り広げられていた。
瀕死の火傷を負いながらも死を覚悟し、一分の躊躇いもなく踏み込み全力の攻撃を繰り出してくるバルテュークスの、二本の斧。
複雑骨折し内臓を損傷しているナユタは、血を吐き激痛に耐えながら、その攻撃をかわし続けていた。
「ぐっ……もういい加減、くたばり……な……!!
“魔炎煌列弾”!!!
…………がっ!!! ぐあああああ!!!!」
右手から爆炎を放った瞬間、損傷していた内臓のいずれかが破裂し、腹腔内に大量出血したのだ。
ナユタは想像を絶するあまりの激痛に再度大量の血を吐き、両目を極限に剥き、腹を押さえて地面にのたうち回った。
放たれた爆炎はやや軌道を逸れ――。バルテュークスの左肩を削り取ったが、この誇り高き勇士の手を止めるにはあまりも小さい損害だった。
「……ナユタ……フェレー……イン。おわり、だ……おぬしをたおし……レエテ・サタナエルを……ころす」
朦朧とする意識で呟くように言葉を発しながら、バルテュークスは地にのたうつナユタに向かって、その両手の斧を、一気に振り上げる。
もはや、無残に叩き斬られて肉片となるしかない状況の、ナユタ。
ようやく激痛が一段落し、目を見上げたときには、もう対処ができる状況ではなかった。
完全に、自分の死を覚悟したナユタ。
その時だった!
「ナユタさん!!!!」
上から降りかかる、若い女性の緊迫した声。
それは、エントランスホールの吹き抜け2階のテラスから、剛弓を構えた――キャティシアが発したものだった。
おそらく彼女の元には刺客が現れなかったと見え、先刻ナユタが発生させた爆発で異変に気づき、弓と矢のみを手に駆けつけたのだろう。廃城にあったと思われるゆったりとした寝間着姿、髪も縛りを解いた状態のままだ。
キャティシアは十分に引き絞ったその一矢を、一気に解放し放った!
矢の狙いが定められたのは――。バルテュークスの眉間だった。
が、ナユタの尋常ではない状態を見て焦り狙いがぶれたのか、矢は狙いを逸れ鎖骨と首の間の部分に突き刺さったに留まった。
即死はさせられなかったが、動脈を寸断し噴血を流させ、命を捨てたバルテュークスといえどもひるませその動きを止めることには成功した。
それを見たユリアヌスは激怒し、血相を変えて走り出した。
「この小娘がああ!!! よくも副将をおおお!!!!」
「ナユタさん!!! 今です!!! 何とか魔導でそいつに止めを刺してええ!!!!」
第二矢の構えに移りつつ、キャティシアが絶叫する。
その叫びと――キャティシア自身に危機が迫ったことが、絶望的な重傷と痛みに支配されたナユタの、最後の背中を押した。
彼女は力を振り絞って立ち上がり、ダガーを構え、後方から前方に突き出しつつ――全力の魔導をバルテュークスに向けて放った!
「今度こそ……死ねえ!! “魔炎業槍殺”!!!!」
絶叫とともに二本のダガーの先から放たれた、地獄の業火で形成された巨大な死の槍は――。
先端がバルテュークスの胸に触れたその瞬間、巨体を一気に強烈な炎の中に包み込み――。
槍状の焔が胴を寸断し、下半身と寸断された上半身が地にずりおちつつ――。
焔の中で焼死体となり、さらに灼き尽くされた、その後には――。
肉を焦がす強烈な異臭とともに残された、いくつかの身体の残骸、勇士の遺物である二本の片手斧が地に転がるのみとなった。
「バ…………バルテュークス副将おおおお!!!!」
エントランスホールの階段を上りかけたユリアヌスは振り返り、勝負が決まり敗北した上官の名を叫んだ。
そして完全に力を使い果たし、床に崩れ落ちつつ意識を失ったナユタに殺到しようとする。
「この魔女がああ!!!! 今度こそ許さん!!! ズタズタに引き裂いてやる!!!」
「ナユタさあああん!!!!」
ユリアヌスとキャティシアの叫びが交錯する中、一人の別の男の叫び声が響いた。
「待て……!!! “斧槌”の小僧……!! すぐに……退却だ。
情勢は決した。無駄に命を散らすな……! それよりも俺に、手を貸せ……!!」
ドアであった巨大な穴の外に立つその男は、重傷を負った胸を押さえた、“幽鬼”副長、レ=サーク・サタナエルだった。
「なぜです!! レ=サーク様!! 今なら此奴を仕留められます!!」
「そんな猶予はない……!! もうすぐに、俺が仕留め損なったホルストースと……レエテがここへやってくるのだ……ここは今すぐ退く!」
「レエテ・サタナエル……!?」
呆然と穴の外を見つめるユリアヌスの視線にハッとしてレ=サークが振り返ると、そこにはすでに――。彼を追跡してきたレエテが結晶手を構えて立っていたのだ。
しかしレエテは目の前の敵よりも――。ホール内で血を吐いて倒れているナユタを目撃し、一気に青ざめて貌を歪めた。そして一直線に、その元に駆け寄っていったのだ。
「ナユタ!!!! ナユタ、しっかりして!!! 大丈夫!?」
そこへ歩み寄る、ユリアヌス。
「レエテ・サタナエル…………貌を上げて、俺の貌と俺の得物を、見ろ」
敵からの声に、鋭い視線で睨み据えながら貌を上げるレエテ。
その視線の先にあった相手の姿と二本のメイスに――何か感じるものがあったのか、目を細めて眉をしかめた。
「記憶にあった像と、多少は重なったか? 俺は貴様がドゥーマで無残にも身体を真二つにして殺害した“斧槌”ギルド副将ガリアン・オクタビアの息子、ユリアヌス・オクタビアだ」
その言葉にレエテは目を見開き、複雑な感情を漂わせながら言葉を返す。
「……覚えている。確かに私が殺した。お前の父は気高い戦闘者で、彼と闘えたことは光栄だった。
それで……父の仇として私に復讐するために、ここへ来たのか?」
「そうだ……貴様と同じだ、レエテ・サタナエル。貴様になら、わかるだろう? その身を引き裂いてやりたい俺の憎しみ、その強さが」
「…………ああ」
「だが残念ながら……今の状況で貴様と闘っても、俺一人の実力では返り討ちになって終わるだけだ。
今ここは、退いてやる……。だが必ず、近い内に……。貴様のその心臓を引きずり出しつぶし、その身体を父と同じく二つに切り裂いてやる……必ずな!」
その言葉と同時に、キャティシアの背後にあったドアが勢いよく開き、階段を駆け下りてきたホルストースの姿が現れた。
「レエテ!! ナユタ!! 大丈夫か!?」
「小僧!!! 早くしろ!!!!」
レ=サークの緊迫した叫びを受け、ユリアヌスは――。一度地獄の焔のように燃え盛る憎しみの視線をレエテに投げかけた後、疾風のように外へ駆け出していった。
「貴様らは今回、さらに俺の掛け替えのない仲間たちを殺した!!! 覚えておくがいい!! 貴様らがやっていることはサタナエルと何ら変わらん!! 理想なき分――貴様らは薄汚れた殺人鬼に過ぎぬということを、肝に銘ずるがいい――!!」
ユリアヌスはレ=サークに肩を貸しながら、足早に逃走していったのだった――。
「野郎!!! 逃がすかよ!!! レ=サーク!!!」
ドラギグニャッツオを手に、逃亡者を追跡しようと駆け出すホルストース。
それにレエテが鋭く声をかけて、押し止める。
「待って!! ホルストース!
お願い……今回だけは……彼を、ユリアヌスという男を見逃してあげて……」
ホルストースは驚愕したのち、貌をしかめて舌打ちする。
「おいおいレエテ。まさかとは思うが、あの小僧が云ったことを真に受けてんじゃねえだろうなあ……。
お前があいつの親父を殺したことが事実でも、それは相応の悪に加担した奴の自業自得で、お前が1ミリも罪の意識を感じるこっちゃねえ。
ましてや、俺らのやってることが奴らと同じで殺人鬼だなんて言いがかり、まともに相手すんのもバカらしい。
はっきり云うが、お前の云ってることはあまりに甘すぎるし、間違ってるぜ、レエテ」
レエテは両目を閉じて、言葉を返した。
「分かっているわ……。それは十分すぎるくらい分かっている……。次に会ったときには、返り討ちにして殺す覚悟はできているけれど……。
同じ復讐者として痛いほど気持ちがわかって……。私の中ではどうしても、強いあなたのようにすべてを割り切ることができない。
私が甘くて弱いのはわかっているけれど……せめて今回だけは見逃して、彼に報いてあげたいの。お願い、ホルストース」
ホルストースは目を閉じて大きなため息をつき、槍の柄の先を床に付けた。
「お前の頼みとあらば聞かねえ訳にはいかねえが……今回だけだぜ。
ホントに甘え、甘すぎる。良く云やあ優しさだが、戦いにはいっさい不必要なもんだ。いずれお前のその性格が致命傷にならないことを祈るぜ」
「バカね。その優しさがレエテさんの人として素晴らしい所で、あんただってそれに惹かれてレエテさんの仲間に加わったんでしょうが」
すでにナユタのもとに駆けつけ、腹部に手を当て体内に法力を注入していたキャティシアが、ホルストースを睨みつけながら云う。
「その優しさ、人間性を失ってしまったら、それこそサタナエルと同じになってしまうわ。レエテさんは、今のままでいいの。それで危ない目に遭わないようにサポートするのが、私達仲間の役目なんじゃないかしら? 違う?」
キャティシアの言葉にぐうの音もでなくなり、貌をしかめて頭をかくホルストース。
「……あー畜生!! お前らはそこでナユタを介抱しててくれ! 俺は外に行ってルーミスの奴を探して連れてくる!」
足音も荒く外に出ていくホルストースを見て、レエテはキャティシアに云った。
「ありがとう、キャティシア。けれどね、ホルストースも言葉は厳しいけどとっても優しい人なのよ。
私のことを心配してああ云ってくれてるのは、わかってあげて」
「ふう。大丈夫です、わかってますよ、そこのところは。あんまりわかりたくはないですけどね。
でも、ルーミスさんのことは心配です。レエテさん、私明日はルーミスさんについて、アルケイディアに行こうと思ってるんです」
「そう。決めたのね?」
「ええ……。廃城に法力使いがいなくなってしまうのは申し訳ないですけど……。私、前からルーミスさんのお役に立ちたくて……。この前の15歳のお誕生日も、ご本人の意向でお祝いできませんでしたし……今回のことは、一番のお役に立てる機会だと思ってるんです。ダメですか……?」
レエテはナユタを抱きかかえたまま、左手でキャティシアの肩を叩いた。
鈍いレエテも、キャティシアの目の輝きには感じ取れるものがあったし、その大事な相手とはぜひ一緒に居させてやりたかった。自分が「大事な相手」と居られない立場であるがゆえに。
「わかったわ。キャティシア。ついて行ってあげて。私も狙われさえしなければ本当は一緒に行きたいんだから。
私達は大丈夫よ、心配しないで。ぜひナユタと一緒に、ルーミスを支えてあげて。私の方から、お願いするわ」




