盗賊狩り
雪はなお降り続いていた。
灰色の空から絶え間なく雪が落ち、冷たい風が街道を吹き抜けるたび、積もった雪が白い煙のように舞い上がる。
冬は日に日に深まっていた。
そして厳しい冬というものは、ただ寒いだけでは終わらない。蓄えていた食料を失った者、戦によって故郷を追われた者、敗戦した軍から離れて行き場をなくした兵士たち。
そうした人間が生きる場所を求めて街道へ流れ出し、やがて食べるものすらなくなれば、今度は通りかかる者から奪い始める。
戦乱が続くこの世界では、それほど珍しい話ではなかった。
ヴァルディア領の北側街道でも、その影響はすでに現れ始めている。
吹雪の中、一台の荷車が街道の真ん中で止まっていた。
馬は白い息を荒く吐き、御者台に座る商人は青ざめた顔で前方を見つめている。
その先では、薄汚れた外套を身につけた七人達ほどの男たちが道を塞いでいた。
手にしているのは錆びた槍や刃こぼれした剣ばかりで、まともな兵士には見えない。
頬は痩せ、衣服も擦り切れているところを見ると、元は周辺領から流れてきた流民なのだろう。
そのうちの一人が剣を構えながら、商人へ低い声を向けた。
「荷を置いて行け。そうすりゃ命までは取らねぇ」
「ま、待ってくれ……!」
商人は震えながら荷車を庇うように立った。
「これは売り物なんだ。これを奪われたら、俺たちだって食っていけない」
「こっちも食う物がねぇんだよ!」
盗賊の男が苛立ったように怒鳴る。
その声には、相手を脅して楽しんでいるような余裕などなかった。
彼らもまた追い詰められている。
食べるものがなく、生き延びる方法がなくなった結果、街道を通る者から奪う道を選んだだけなのだろう。
だからといって、見逃していい理由にはならない。
商人たちが絶望したような顔をした、その時だった。
「その辺にしておけ」
吹雪の向こうから、静かな声が届いた。
盗賊たちが一斉に振り返る。
白い雪の中を、一人の女がこちらへ歩いてきていた。
雪景色の中でも目を引く白銀の鎧に、腰まで伸びる銀色の髪。その腰には細身の剣が下げられ、その数歩後ろからはヴァルディア兵たちも続いている。
リゼだった。
盗賊たちの表情が一気に強張る。
「騎士……?」
誰かが小さく呟いた。
リゼは足を止めると、腰の細剣へ静かに手を添えた。
「武器を捨てろ。今なら命までは取らない」
声を荒らげているわけではない。
それでも盗賊たちは、誰一人としてすぐには動けなかった。
人数だけを見れば自分たちの方が多い。こちらは七人、それに対して相手は騎士一人と兵士が数名しかいない。
普通なら戦えない人数差ではなかった。
だが、目の前の女を見た瞬間に分かってしまう。
『強い』
ただ立っているだけなのに、まとっている空気が違う。
盗賊の一人が無意識に半歩下がった。
しかし、その様子を見た別の男が焦ったように声を張り上げる。
「びびるな! 相手は女一人だ! 囲めば……」
最後まで言わせてもらえなかった。
リゼの姿が消えたように見えた次の瞬間、雪の中へ鋭い銀色の光が走る。
甲高い音が響き、男の持っていた剣が宙を舞った。
数回転した剣は、そのまま雪の中へ深々と突き刺さる。
男は何が起こったのか理解できず、自分の空になった手を呆然と見つめた。
リゼはすでに元の位置へ戻り、細剣の切っ先を静かに下げている。
「次は剣ではなく、腕を斬る」
淡々と告げられた言葉に、盗賊たちの顔色が変わった。
脅しているわけではない。
戦場を経験した者だけが持つ、迷いのなさがそこにはあった。
必要なら本当に斬る。
そのことを理解した瞬間、盗賊たちの勢いは完全に消えていた。
そこへ後方から、低い笑い声が聞こえてくる。
「相変わらず容赦がねぇな」
黒い外套を揺らしながら歩いてきたのはダグラスだった。その後ろには、黒狼隊の男たちも続いている。
彼の姿を見た瞬間、盗賊たちの表情がさらに青ざめた。
「黒狼将……」
誰かが震える声で呟く。
滅んだ国の将軍にして、現在はヴァルディア領に身を寄せている男。
黒狼将ダグラスの名は、この辺境では今なお恐れと共に知られている。
ダグラスは盗賊たちを見渡すと、口元をわずかに吊り上げた。
「どうする?」
大斧の柄へ手を置きながら、楽しそうに続ける。
「まだやるなら相手してやるぞ」
その一言で十分だった。
盗賊たちは次々に武器を雪の上へ投げ捨てた。
「待ってくれ!」
「もう抵抗しない! だから殺さないでくれ!」
先ほどまでの威勢が嘘のように消え、男たちは両手を上げる。
リゼは剣を鞘へ戻しながら、しばらく彼らを見つめていた。
近くで見れば、やはり酷く痩せている。
装備もまともではなく、兵士としての統率もない。どこかの軍から組織的に送り込まれた盗賊ではなく、冬に行き場を失った流民が集まっただけなのだろう。
本来なら、街道で商人を襲った盗賊はその場で処刑されてもおかしくない。
この時代では、それが普通だった。
だがリゼは少し考えたあと、後ろの兵士へ振り返る。
「縛って城へ連れて帰る」
兵士は思わず目を瞬いた。
「処刑しないのですか?」
「私が決めることではない。若様へ判断を仰ぐ」
その言葉に、兵士たちは一瞬だけ顔を見合わせたものの、すぐに命令へ従った。
以前のヴァルディア領なら、おそらくその場で斬っていただろう。
食料にも余裕がなく、捕虜を養うだけでも負担になる。ましてや盗賊など、生かしておく理由がないと考えるのが普通だ。
しかし今のヴァルディア領では、それが必ずしも当たり前ではなくなっている。
レオは人を簡単に捨てない。
黒狼隊を受け入れ、流民へ仕事を与えたように、使える者には役割を与える。それを兵士たちも少しずつ理解し始めていた。
そして数日後。
ヴァルディア領では、本格的な街道警備隊が編成された。
中心となるのはリゼだったが、そこへダグラス配下の黒狼隊とヴァルディア兵が加わった。
元敗残兵と元野盗、それに正規兵。
普通なら互いに信用しない者たちを寄せ集めた、奇妙な混成部隊である。
だが戦力だけを見れば非常に高かった。
黒狼隊は野盗として街道を渡り歩いた経験があり、盗賊が潜みやすい場所を熟知している。
ヴァルディア兵は土地勘があり、周辺の村や街道事情にも詳しい。
そして何より、リゼが強かった。
白銀の鎧を纏った女騎士が吹雪の中でも先頭を歩き、盗賊が現れれば即座に制圧する。その噂は瞬く間に街道沿いへ広がっていった。
やがて城下町の市場でも、その話を耳にするようになる。
「最近、ヴァルディアの街道はまだ通れるらしいぞ」
「本当か? 北側なんて盗賊だらけだって聞いたが」
「こっちは兵が巡回してるらしい。黒狼隊まで出てるそうだ」
「白銀の女騎士が盗賊を一瞬で斬ったって話も聞いたぞ」
噂というものは広がるうちに大げさになっていく。
実際には武器を落としただけなのだが、数日後には十人の盗賊を一人で斬り倒したことになっていた。
それでも、その噂は商人たちを動かすには十分だった。
冬の間は、そもそも行商に出る者が少ない。
雪で道は悪くなり、盗賊も増えるため、危険を冒してまで移動する商人は限られている。
それでもヴァルディア領へ向かう荷車が完全には途絶えなかった。
それだけでも、この冬では十分に異常なことだった。
その日の夕方、巡回から戻ったリゼは、城壁の上から北側街道を眺めていた。
雪はまだ降っているものの、昼間ほど風は強くない。
白く染まった雪原の中を、一台の荷車がゆっくりと城へ向かって進んでいる。
数は少ないが、この厳しい冬の中でも人が動いている。
後ろから足音が聞こえ、振り返らなくても誰なのか分かった。
「どうだ?」
レオだった。
厚手の外套を羽織った少年領主代理は、リゼの隣へ立つと同じように街道へ視線を向ける。
リゼはしばらく雪の中を進む荷車を眺めてから、静かに口を開いた。
「……不思議です」
「何が?」
「盗賊を減らしただけで、まだ人が動く。それだけのことなのに、街の雰囲気まで少し変わりました」
レオは特に驚く様子もなく頷いた。
「そりゃそうだろ」
リゼは少し眉を寄せた。
「ですが普通なら、ここまで街道警備へ兵を割きません」
特に敗戦直後のヴァルディア領では兵士は貴重だ。一人でも多く城に置いておきたいはずだった。
敵が来れば城を守らなければならない。
だから多くの領主なら、街道より城壁を優先する。
だがレオは、最初からそう考えていなかった。
「城だけ守っても意味がないからな」
レオは街道を見たまま答えた。
「道が死ねば商人が来なくなる。商人が来なければ物が入らないし、物が入らなければ市場も止まる。市場が止まれば税も減るし、職人も仕事がなくなる」
そこで一度言葉を切り、雪原の向こうへ目を細める。
「そうなれば、どれだけ立派な城壁が残っていても領地は死ぬ」
リゼは黙ってその言葉を聞いていた。
レオは何か一つだけを見て判断しない。
道があり、人が歩き、荷物が運ばれ、商人が金を使い、その金で別の誰かが食料を買う。
すべてが繋がっている。
レオはそれを、いつも『流れ』と呼ぶ。
雪の向こうでは、先ほどの荷車がゆっくりと城門へ近づいていた。
「商人が来れば物が動く。物が動けば金も動く。金が動けば、誰かの仕事になる」
レオはそう言ってから、城壁の下に広がる街を見た。
市場からはまだ人の声が聞こえている。
敗戦直後には消えかけていた声だった。
「人間は、流れが止まった場所では生きていけない」
リゼはその横顔を見る。
十五歳の少年が口にするには、妙に重い言葉だった。
だが、この数日で彼女自身もそれを実感し始めている。
街道を守れば荷車が来る。
荷車が来れば市場へ物が並ぶ。
市場に物が並べば、人々の顔から少しだけ不安が消える。
すべては繋がっている。
レオは最後に、静かな声で言った。
「俺たちが守るべきなのは、城壁だけじゃない」
雪の降る街道を、一台の荷車が進んでいく。
細く、今にも途切れそうな流れ。
それでも確かに残っている。
「この領地を生かしている流れそのものだ」
リゼは何も答えなかった。
ただ、城壁の向こうに広がる街と、その先へ続く白い街道を見つめる。
そしてようやく、少しずつ理解し始めていた。
敗戦によって崩壊寸前だったこの領地が、なぜ今も立っていられるのか。
レオ・ヴァルディアという少年が、何を見ながら領地を立て直そうとしているのかを。
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