第29話:鉄箱が紡ぐ日常(※別視点)&掲示板
淹れたての珈琲の香りが、魔導コンロの熱に混じって店内に満ちている。
アステリア王都の片隅、路地裏に構えた俺の店「黄金蹄鉄」は、今日も朝から騒がしい。
かつて王宮の厩舎番として、名だたる名馬の尻を拭い、その脚の運びを飽きるほど眺めていた俺が、今やこうしてカウンターの奥で客に珈琲を出している。すべてはあの伝説の「重賞」の日、誰もが見向きもしなかった地元の若駒を軸にした3連単を仕留めたあの日から始まった。
「……マスター、本当にあの時、王宮を追い出されて正解だったな」
常連の商人が、笑いながら声をかけてくる。俺は苦笑いしながら、手際よく豆を挽いた。
そうだ。あの日、俺は「王室の馬の脚に違和感がある。今日の出走は見合わせるべきだ」と進言して、重鎮たちの逆鱗に触れた。伝統に泥を塗る不吉な男だと罵られ、着の身着のままで放り出された時は、もう人生が終わったとさえ思った。
だが、今なら断言できる。あの日、俺の居場所は王宮から「ここ」に変わったんだ。
「王宮じゃ、馬は権威を飾るための道具だった。だが、ゼクスが作ったあの鉄箱の前じゃ、馬は一頭の剥き出しの命だ。血統書の中身じゃなく、今この瞬間に大地を蹴る筋肉の震えだけが、答えを教えてくれる」
俺は店内の壁に埋め込んだ受像水晶に目を向けた。画面の中、アグライアのパドックを歩くアイアンフィストは、確かに他を圧倒する威覚を放っている。だが、俺の目は騙せない。
「旦那、今回のアイアンフィストはやめておきなさい。見てみな。左後ろ脚の踏み込みが、一瞬だけ外側に逃げている。ヴァルガの連中は気合の証だなんて吠えてるが、あんなのはただの疲労だ。アグライアの硬い芝じゃ、後半で必ずガタが来る」
俺の言葉に、店内の客たちが一斉にペンを走らせる。
かつての俺なら、自分の見立てが金に変わるなんて想像もしなかった。王宮じゃ、真実を言えば首が飛んだが、ここでは真実を言えば拍手が送られ、銀貨が舞う。
「マスターのおかげで、昨日も家族に美味い飯を食わせられたよ。ありがとな」
そんな言葉をかけられるたびに、胸の奥が熱くなる。
ゼクスが作ったこの「競馬」という遊びは、俺のような、技術と馬への愛しか持たないはみ出し者に、もう一度立ち上がる舞台をくれた。
「……じゃあ、マスター。あんたの推奨を教えてくれよ」
「フェルディナウィンド。あいつですよ。前脚の柔軟性がこの草原の起伏に完璧に噛み合っている。現在8.5倍。みんなが帝国の名前に怯えてる今こそ、絶好の狙い目だ」
客たちが一斉に表へ飛び出し、広場の鉄箱へと駆けていく。
俺はその後ろ姿を見送りながら、自らも珈琲を一口啜った。
王宮の厩舎で冷遇されていた頃よりも、ずっと忙しく、ずっと不安定な毎日だ。
だが、今の俺は、自分の知恵と馬への眼力だけで、この街の熱狂の一部を支えている。
馬を愛し、その走りに人生を賭ける。こんなに真っ当で、心地よい生き方が他にあるだろうか。
「さあ、ゲートが開くぞ。……今日も草原の女神を、俺たちの知恵で振り向かせてやろうじゃないか」
受像水晶の中で、号砲が響く。
地平線を駆ける馬たちの砂塵を見つめながら、俺は心底思った。
あの日、王宮を追い出されて、本当に良かった、と。
【スレッド名:【情報交換】馬券カフェ『黄金蹄鉄』第12レース予想スレ】
1:名無しの博打打ち
本日も開店。マスターの解析が来たぞ。12レースのアイアンフィストは「消し」だそうだ。
5:名無しの馬券師
マジかよ! ヴァルガの将軍たちがまた給料突っ込んでるから、アイアンフィストが1番人気なのに。
12:情報通の商人
マスターの言うことは信じる価値がある。あの伝説の3連単、アグライアの地元馬を指名した相馬眼は伊達じゃない。
20:名無しのギャンブラー
俺も今カフェにいる。マスターが「血統は誇りだが、筋肉は真実だ」って言い切ってて痺れたわ。
28:没落貴族
……フン、アイアンフィストの筋肉こそ至高。我らヴァルガの誇りが負けるはずがないのだ。
35:名無しの馬券師
↑お、また犠牲者が出る予感。プライドで期待値を捨てるのは一番の悪手だって、この数週間で学ばなかったのか?
42:先を読むギャンブラー
アイアンフィストのオッズが下がれば下がるほど、マスター推奨のフェルディナウィンドの8.5倍が美味くなる。美味すぎる。
50:名無しの博打打ち
俺はマスターに乗るぜ。銀貨5枚、フェルディナウィンドの単一選にぶち込んだ。
58:名無しの新人
カフェの雰囲気が良すぎる。元王宮の厩舎番だったマスターが、今は平民に馬の見方を教えてるんだもんな。人生わかんねえな。
66:名無しの馬券師
ゼクスが作った「鉄箱」のおかげで、マスターみたいな本物の職人が報われるようになったのは良いことだわ。
75:情報屋
ゲート入り。マスターの言った通り、アイアンフィストがゲートで少しチャカついてるな。これは来るぞ。
82:名無しの博打打ち
いけええええええええ!! フェルディナウィンド!! 俺の今晩の酒を高級品に変えてくれ!!
90:名無しのギャンブラー
スタートした! アイアンフィスト、出遅れたあああああああ!! マスター大正解!!
102:名無しの馬券師
フェルディナウィンド、いい位置につけてる。あいつ、草原の起伏を全く苦にしてないぞ。走り方が他の馬と全然違う。
115:名無しの博打打ち
残り200! フェルディナウィンドが伸びてきた! 突き抜けるぞ!!
128:名無しのギャンブラー
決まったあああああああ!! フェルディナウィンド1着! 8.5倍、的中だああああ!!
140:名無しの新人
すげえ……本当に当たった。マスター、あんた神かよ。
155:名無しの馬券師
カフェの中、大騒ぎで草。ハズした帝国の連中も「確かにあの歩様の違和感は見抜けたはずだ」って悔しがりながらマスターの解説を読み直してる。
162:先を読むギャンブラー
これこそが競馬だよ。自分の知恵を磨いて、運命を掴み取る。ゼクス、面白い世界を作ってくれたもんだ。
170:名無しの博打打ち
さて、的中した金でマスターに高い珈琲淹れてもらうか! 今日は祝杯だぜ!!
182:名無しのギャンブラー
あーあ、ヴァルガの将軍が店の隅で頭抱えてるよ。明日もまた、この鉄箱の前で「正解」を探すとしようぜ。
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