表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゼクス魔導工房の異世界ギャンブル配信 ―異世界をギャンブル漬けにする救済の物語―  作者: ituswa


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/39

第25話:運命の連動、あるいは熱狂の火種

アグライアの地平線に、沈みゆく太陽が朱色の線を引いていた。かつては風の音と虫の羽音、そして馬の呼吸音だけが支配していたこの静謐な平原に、今は目に見えない術式の糸が張り巡らされている。数百キロメートル彼方の王都と、この大地の速度を繋ぐ欲望の回路だ。


「……お疲れ様。よく走ってくれましたね。あなたのその一歩一歩が、どれほど価値のあるものだったか、分かっていますか?」


ゼクスは、先ほど走破したばかりの若駒、アグライアの部族が育て上げた栗毛の馬に歩み寄った。馬は激しく上下する脇腹を震わせ、鼻先から白い蒸気を吐き出している。ゼクスはその荒い息遣いすら愛おしそうに、自らの手で濡れた首筋を拭った。


普段の、既存の秩序を嘲笑うような冷徹な魔導具師の顔ではない。そこにいるのは、生命という名の極限の造形を前にして、少年のような純粋な羨望と慈しみを隠さない一人の愛好家としての姿だった。馬もまた、ゼクスの手から伝わる温もりに呼応するように、静かに嘶いてその指先を食んだ。


「師匠、浸っているところ申し訳ないですけど、王都側の最終的な数字が出ましたよ。……まあ、お世辞にも成功とは言えませんね。1週間も待たせてこれか、っていう落胆がそのまま数字に出ています」


数歩離れた場所で、魔導端末の光に顔を照らされた弟子が、呆れたような声を上げた。


「結局、最後まで迷わずに銀貨を投じたのは王都全域で52人だけ。投じられた銀貨の総数は68枚です。そのうち、この栗毛の馬が勝つと信じて賭けたのは、たったの1人ですよ。残りの51人は、部族長の馬か、見栄えのいい古馬に銀貨を捨てたことになります」


「52人ですか。ふむ、存外に寂しい初陣になりましたね」


ゼクスは馬の首を優しく叩き、ようやく弟子の方を向いた。その口調は軽やかで、落胆の気配は微塵もない。


「第1回目、それも馴染みのない異国の馬の競走ですからね。人は、理解できないものに金は出しません。ですが、その少なすぎる分母が生み出す結果こそが、明日には王都中の毒になる。さて、今回の清算はどうなっていますか?」


「投じられた68枚の銀貨から、的中者への配当を差し引きます。的中者は1人だけ。その幸運な博打打ちには、今回の全売上の大半……銀貨55枚を吐き出します。残りの端数から諸経費を引いて、部族の手元に残るのはこれだけです」


その時、部族の長が、手元の魔導端末が放つ微かな光を凝視しながら近づいてきた。端末には、今回の「取り分」が記録されている。


「……ゼクス殿。これは、間違いではないのか。我が部族の若者が、この広大な草原を一番に駆け抜けた。その誇り高き勝利の対価が……この銀貨3枚分だけだと言うのか?」


長の声には、落胆の色が隠せていなかった。銀貨3枚。部族にとって決して無価値ではないが、ゼクスが豪語していた「冬を越すための富」や「名馬の血を買い入れる資金」には程遠い。部族の誇りを天秤にかけた結果としては、あまりにも心許ない額だった。


「ええ、その通りです。銀貨3枚。今のあなたたちの走りの、それが現在の市場価値ですよ。期待外れでしたか?」


ゼクスは冷酷なまでに淡々と、しかしどこか楽しげに告げた。


「ですが、長。よく考えてみてください。たった1回の走りで、誰からも奪わず、誰とも争わず、ただ最速を目指しただけで、銀貨3枚が虚空から湧いて出たのです。そして何より重要なのは、王都にいる一人の労働者が、銀貨1枚をこの端末に放り込み、一瞬で55枚の銀貨を手にしたという事実です」


ゼクスは再び、草原の受像水晶が映し出す王都の光景に視線を戻した。


広場では、鉄箱の受け皿から吐き出された55枚の銀貨を、信じられないものを見るような目で見つめている男がいた。彼は、最も人気のなかったあの栗毛の若駒に、自暴自棄に近い気持ちで銀貨1枚を投じたのだ。周囲にいた人々は、彼が手にした「働かずに手に入れた数ヶ月分の給料」という現実を、剥き出しの嫉妬と、そしてそれ以上の飢えた目で見つめていた。


「見てください。あの冷めきっていた群衆の目が、今、ようやく濁り始めた。銀貨1枚が、他人の全力の疾走と重なった瞬間、それはただの映像ではなく、彼らの人生を書き換えるための最短経路に変貌する。今は68枚の銀貨しか動いていませんが、次の競走では、この鉄箱に殺到する手の数は10倍、100倍に膨れ上がるでしょう」


「……あいつら、さっきまで馬が走るのを見て欠伸をしてたのに。的中した男が銀貨の束を抱えて逃げ出した途端、鉄箱の周りで怒号を上げ始めてますよ。次はいつだ、ってね」


弟子が端末を叩きながら呟く。彼女が操作する画面上では、次の開催予定を知らせる掲示へのアクセス数が、数秒ごとに指数関数的に跳ね上がっていた。


「それでいいんです。まずは、欲に忠実な連中から引きずり込む。馬を愛する騎士、確率を計算する商人、そして、今の生活に絶望している労働者たち。銀貨1枚を55枚に変えたという『神話』が王都を一周する頃には、この草原に届く銀貨は3枚どころではなく、300枚、3000枚へと変わっているはずです」


ゼクスは腰を下ろし、誇らしげに首を振る勝ち馬の様子を満足げに眺めた。


「長、約束しましょう。今回の銀貨3枚は、この地を塗り替えるための最初の一滴に過ぎません。あなたたちは、ただ馬を愛し、より速く、より美しく育てればいい。その努力が、王都の連中の欲望を燃料にして、奔流のような富に変わるのですから。その時、あなたたちは私の言ったことが嘘ではなかったと知るでしょう」


長は、手元の端末の微かな光と、遠くで草を食む愛馬の姿を交互に見つめ、深く頷いた。銀貨3枚という現実的な少なさと、それが示唆する恐ろしいほどの拡張性に、彼は本能的な期待と畏怖を感じ取っていた。


「欲望が加わってこそ、生命は完成する。……さあ、準備を急ぎましょう。王都の連中が、次の熱狂を求めて狂い出す前に、次の盤面を整えなくては」


ゼクスは立ち上がり、草原に突き立てられた魔導杭を杖で軽く叩いた。

青い光が地脈を通じて、再び王都へと信号を送る。


広場では、一度は立ち去ろうとしていた人々が、再び鉄箱の前に長い列を作り始めていた。彼らの瞳には、先ほどの冷笑の代わりに、銀貨一枚で掴めるかもしれない運命への、濁った熱が灯っていた。


地平線の向こうで太陽が完全に姿を消し、冷たい夜風が草原を吹き抜ける。だが、ゼクスの周囲だけは、これから始まる巨大な祭典の前触れのような、焦りにも似た熱を帯び始めていた。


「さて。次はどの馬に、誰の運命を乗せてあげましょうか」


ゼクスは不敵に笑い、暗闇の中で再び愛おしそうに馬の首筋を撫でた。

その指先が触れるたびに、生命という名の傑作が、欲望の海へと深く沈み込んでいった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

もし「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の評価欄から★★★★★(星)で応援していただけると、執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ