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帰る空~桜舞う記憶~  作者: 雨宮ぐみ


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16/20

「東京へ」


――あの日、私は知らない青年に「帰ってきて」と願った。

十七歳の夏。

家族旅行で訪れた鹿児島・知覧。

そこで私は、一枚の写真に出会った。

写真の中にいたのは、まだ少年の面影を残した十八歳の青年だった。

知らない人のはずなのに、なぜか懐かしい。

初めて見る写真なのに、ずっと昔から知っているような気がする。

そして、その青年が家族に残した一通の手紙を読んだとき、理由も分からないまま涙があふれた。

――帰ってきて。

心の中で、そう願っていた。

その夜、私は不思議な夢を見る。

戦争の時代。

一つの家族。

そして、幼い少女を抱きしめる青年。

少女の名前は、桜子。

青年は、誠司。

けれど私は知らなかった。

その少女が、かつての私自身だったことを。

そして――

この家族が、もう一度私を必要としていることを。

時代を越えて与えられた、小さな命。

見えるのは、人の心。

そして、まだ決まっていない未来。

けれど、未来を変えるということは、誰か一人を救えば終わることではなかった。

父の葛藤。

母の祈り。

兄の恐怖と覚悟。

そして、幼い妹の「生きてほしい」という願い。

戦争によって引き裂かれようとする家族を前に、桜子は何度も未来を見る。

何度も迷い、何度も涙を流す。

それでも――

「みんな一緒に生きてほしい」

その願いだけは、決して手放さなかった。

これは、過去に生きた一つの家族と、未来から戻ってきた一人の少女の物語。

そして、

「もし、あの時代にもう一度戻ることができたなら――」

そんな問いから始まる、家族と平和の物語です。

過去を変えることはできない。

けれど、過去から受け取った想いを、未来へつなぐことはできる。

この物語を読んでくださるあなたの心に、桜子たちの願いが届きますように。

そして、二度と同じ悲しみを繰り返さない未来を、私たち一人ひとりが願い続けられますように。

第十六話 「東京へ」


昭和三十二年・五月。


汽車は朝霧を切り裂くように走っていた。


ガタン、ゴトン——。


車窓の外では、田んぼが町へ変わり、煙突が増え、人の流れが少しずつ速くなっていく。


十三歳になった桐生桜子は、窓へ額を寄せていた。


「東京……。」


令和では何度もテレビで見た街。


けれど、この時代の東京は初めてだった。


戦争の傷跡を抱えながらも、新しい建物が次々と建ち始めている。


人々の足取りには、未来へ向かう勢いがあった。


向かいの席では、誠司が大きな筒を抱えている。


中には「さくら計画」の設計図。


森本が笑った。


「落とすなよ。」


誠司も笑う。


「命より大事です。」


桜子は、その言葉を聞いて胸が温かくなった。


(今度は。)


(命を守る設計図。)


羽田の風


一行が向かったのは、東京の羽田飛行場だった。


滑走路では銀色の旅客機がゆっくりと動いている。


プロペラが回る音。


整備士たちの掛け声。


誠司は思わず立ち止まった。


「すごい……。」


森本も目を細める。


「知覧とは。」


「違う空だな。」


そこへ、一人の技術者が歩いてきた。


五十代くらい。


白髪交じり。


丸眼鏡。


胸には整備主任の名札。


黒沢健一。


「君たちが九州から来た技術者だね。」


誠司が頭を下げる。


「桐生誠司です。」


「森本清志です。」


黒沢は設計図の筒を受け取り、静かに広げた。


桜の印


設計図を見た黒沢の手が止まる。


翼の端。


小さな桜の印。


その瞬間だった。


「……。」


黒沢の表情が変わる。


指先が震える。


「この印。」


誠司が顔を上げる。


「ご存じなんですか。」


黒沢は長く黙ったあと、小さく呟いた。


「私は。」


「この印を描いた人を知っている。」


桜子の心臓が跳ねた。


(隼人さん。)


黒沢はゆっくり椅子へ座った。


「桐生隼人。」


その名前が東京の空港で響いた。


隼人という青年


黒沢は古い記憶をたどるように話し始めた。


「終戦前。」


「私は航空技術の研究所で働いていた。」


「隼人君は。」


「設計の勉強に来ていた。」


誠司が驚く。


「叔父さんが。」


「設計を?」


黒沢は頷いた。


「飛ぶことより。」


「帰ることを考える青年だった。」


机から古いファイルを取り出す。


黄ばんだ紙。


その端には、同じ桜の印。


「これは。」


「隼人君が描いた。」


誠司は息を呑む。


設計思想。


翼を大きく。


安定性を重視。


乗る人の安心を優先。


「……。」


誠司は設計図を見比べた。


「同じ。」


黒沢は微笑んだ。


「君は。」


「知らずに受け継いでいたんだ。」


桜子の記憶


その瞬間。


桜子の頭へ映像が流れ込む。


若い隼人。


製図板。


鉛筆。


桜の印。


「いつか。」


「人を帰す飛行機を。」


その声。


何度も夢で聞いた声。


桜子は思わず涙を流した。


黒沢が優しく尋ねる。


「どうした。」


桜子は首を振る。


「嬉しい。」


それだけ答えた。


封印された設計図


黒沢は金庫を開けた。


「実は。」


「一つだけ。」


「誰にも見せていなかったものがある。」


古い封筒。


表には。


桐生勝殿


勝。


父の名前だった。


桜子が息を呑む。


黒沢は静かに言った。


「隼人君は。」


「兄へ渡してほしいと頼んだ。」


「でも。」


「戦争で届けられなかった。」


十二年間。


封印されたままだった。


隼人の手紙


勝は震える手で封を開く。


便箋には若い字。


勝兄さん。もし帰れなかったら、怒らないでください。


勝の肩が震える。


続きを読む。


僕は、人を運ぶ飛行機を作りたい。戦争が終わったら、一緒に空港へ行こう。


部屋が静まり返る。


勝は目を閉じた。


「馬鹿。」


涙声だった。


「約束くらい。」


「守れ。」


誠司が父の肩へ手を置く。


「父さん。」


勝は笑った。


「守る。」


「今度は俺たちが。」


第三の約束


その夜。


東京の宿。


桜子は秘密の日記を開く。


文字が浮かぶ。


第三の約束。


その下へ、新しい場所。


昭和三十九年。東京。


「昭和三十九年。」


令和の記憶が揺れる。


(東京。)


(オリンピック。)


新幹線。


高速道路。


空港。


日本中が空へ近づく時代。


日記は最後に一文だけ残した。


約束は、空へ形になる。


夜空の飛行機


宿の窓から夜空を見上げる。


一機の旅客機が羽田へ降りていく。


その灯りを見ながら、誠司は静かに言った。


「隼人叔父さん。」


「見ていてください。」


森本が頷く。


「さくら計画。」


「完成させよう。」


勝は弟の手紙を胸へしまう。


千代美は桜子の肩を抱く。


桜子は小さく笑った。


(もう。)


(約束は夢じゃない。)


(現実になり始めてる。)


東京の夜空を横切る飛行機は、誰かを送り、誰かを迎え、誰かを家へ帰していた。


それは、隼人が見たかった空であり、誠司が守りたかった空だった。


そして、その空はいつか令和の神谷望桜が見上げる空へと繋がっていく。


第十六話 終。





この物語を書き終えて、最後に残ったのは、一つの問いでした。

「命を守るとは、どういうことなのだろう。」

戦争の時代には、多くの人が自分の大切な人を残して、戦地へ向かいました。

そこには、それぞれの覚悟があり、家族への愛があり、そして言葉にできない恐怖もあったのだと思います。

私たちが今、当たり前のように過ごしている日常。

家族と食卓を囲むこと。

「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えること。

好きな人と笑うこと。

明日の予定を考えること。

将来の夢を語ること。

それらは決して当たり前のものではありません。

この物語の中で、桜子は過去へ転生し、未来を変えようとします。

けれど、本当に変えたかったのは、一人の人間の運命だけではありません。

「誰かが犠牲にならなければならない」という未来そのものでした。

兄を救うために父が犠牲になる。

父を救うために兄が犠牲になる。

そんな未来ではなく、

父も、母も、兄も、妹も――

家族全員が生きて、笑って、未来を迎える。

桜子が最後まで願ったのは、そんな未来でした。

そして、物語の中で桜子が持つ「人の心が見える力」と「未来を見る力」は、特別な力でありながら、実は私たちにもあるものなのかもしれません。

誰かの悲しみに気づくこと。

誰かの苦しみに寄り添うこと。

大切な人を失いたくないと思うこと。

そして、

「明日は今日より平和であってほしい」

と願うこと。

それもまた、未来を変える小さな力なのだと思います。

知覧で残された写真や手紙は、過去から未来へ届けられた言葉です。

その言葉を受け取った私たちが、何を感じ、何を未来へ残していくのか。

それは、この物語を読んでくださった皆さん一人ひとりに託されているのだと思います。

最後に。

桜子が願った、

「みんな一緒に生きてほしい」

という言葉が、どうか物語の中だけの願いになりませんように。

戦争を知らない世代から、また次の世代へ。

家族を想う気持ちを。

平和を願う心を。

そして、かけがえのない命の大切さを。

この物語が、ほんの少しでも未来へつなぐ橋になれば幸いです。

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