十一話 深淵へのハッキングと、絡み合う因縁
中学二年生の冬から三年生の春にかけ、季節は音もなく、しかるべき歩みで巡っていった。
どれほどの悪意にさらされ、どれほど理不尽な暴力を大輝たちから受けようとも、高梨蓮は泰然自若としていた。しかし、その仮面の下で、彼は一切の手を抜いていなかった。
夜、彼が自室でパソコンのキーボードを叩く指の動きは、現代の最高峰のハッカーすら凌駕するものだった。
(この世界の『インターネット』という仕組みは実に優秀だ。あらゆるデータが網の目のように繋がり、不揮発性の記録として保管されている。かつて私が異世界ヴァルハイトで行っていた『思念追跡の魔術』よりも、はるかに安価で効率的に標的の息の根を掴むことができる)
蓮は、わずかな小遣いをやりくりして自作した高スペックのパソコンを使い、暗闇の中で自律型追跡プログラム――彼が電子的に編み上げた「使い魔」をネットの深淵へと放っていた。
目的はただ一つ。実母・穂積雫の正確な生存証明と居場所の特定、そして、彼女をどん底へ突き落とした「穂積家」の現在の状況を把握すること。
そしてある夜、画面に表示された膨大な電子ログの整合性を取っていた蓮の手が、ピタリと止まった。
ヘーゼルの瞳が、モニターの青白い光を浴びて、氷のように冷たく細められる。
「……見つけたか。だが、これは……」
雫の直接的な現住所は、依然としていくつかの非公式な「偽名」と、不定期の現金支給仕事の影に隠されていて特定まであと一歩というところだった。しかし、その過程で芋づる式に暴き出された「穂積家」の現在、そしてその人間関係の繋がりが、蓮の冷徹な知性を激しく刺激した。
画面に映し出されていたのは、穂積家の現当主であり、かつて雫を騙し討ちにした伯父の「資産状況」と、彼らが裏で手を回している地方政界・地主グループの闇リスト。
そして、そのリストの末端、資金援助の還流ルートに、見慣れた「名字」が刻まれていたのだ。
――堂島家。
そう、自分を執拗にいじめ続けている堂島大輝の実家であり、地元の有力地主である堂島家は、あの強欲な「穂積家」と、古くから不当な土地取引と裏金処理で強固に繋がっていた。大輝の父親は、穂積家が雫から奪い取ったあの思い出の「洋館の土地」の売却・解体プロセスにも直接噛んでおり、巨額の仲介手数料を得ていたのである。
(何という因果、いや、これはただの必然か)
蓮は、椅子の背もたれにゆっくりと体を預け、暗闇の中でくつくつと低く笑った。
大輝が自分を目の敵にする理由。それは表面上、神童たる自分への劣等感や、綾への病的な執着、ダブルとしての異質な外見への反発だった。だが、より深層のレベルにおいて、彼を支配する「悪意」の根源は、雫からすべてを奪った親族どもの悪意の血脈と、見事なまでに合致していたのだ。
(お前が私を苛み、私の母を奈落へ突き落とした悪党どもの手先、あるいはその子供であったとはな、堂島大輝。……実によい。素晴らしい。これで、一切の慈悲を残す必要がなくなった)
点と点がつながった。
大輝の父親、そして大輝本人。そして穂積家の伯父ども。
彼らは一つの「巨大な悪意の塊」として、蓮の目の前にその全貌を晒したのだ。
そして、時間は無情にも中学最後の進路決定の時期――三者面談の季節を迎えていた。
「蓮。本当に、ここでいいのかい?」
ある夜、リビング。茂が、広げられた志望校調査票を前にして、ひどく心配そうに蓮を見つめた。
志望校の第一希望の欄に書かれていたのは、地元の私立高校「関西栄耀学園高校」の文字だった。
そこは、いじめの主導者である堂島大輝が、すでに父親のコネと地主としての推薦枠を使い、ほぼ内定同然で進学を決めている学校だった。
「君の学力があれば、県外の超名門私立だろうが、国立の付属高校だろうが、どこだって首席で合格できる。大輝くんたちから離れ、自分の将来を一番に考えるべきだ。なぜ、あえて彼らと同じ、それも彼の『ホームグラウンド』とも言える高校に進むんだ?」
恭子もまた、縋るような目で蓮の服の袖を掴んだ。
「そうよ、蓮……。もうこれ以上、あの子たちの近くにいてほしくないの。高校にまで行って、また同じような酷い目に遭うなんて、お母さん、耐えられないわ……」
二人の、胸が張り裂けんばかりの訴え。
蓮は、その温かい言葉に、心からの感謝を込めて、しかしどこまでも静かに、自らの覚悟を伝えた。
「父さん、母さん。信じてください。私は、自ら進んで地獄に身を投じるわけではありません」
蓮は二人を見つめ、そのヘーゼルの瞳の奥に宿る、冷徹極まりない「狩人」の光を隠すことなく露わにした。
「大輝の背後には、母の雫を騙した穂積家が繋がっています。高校というステージは、彼らが社会的な地位や、大人としての利権に片足を突っ込み始める場所。……そこは、彼らが油断し、最も『決定的な尻尾』を出す時期でもあるのです。私が彼らの目の前から消えれば、彼らは警戒を怠らず、証拠を全て隠滅してしまうかもしれない。……ですが、私が彼らの手の届く場所にいれば、彼らは増長し、より過激で、法的に言い逃れのできない決定的な罪を犯します」
蓮の言葉は、完璧な「罠」の設計図だった。
「私は彼らの悪意を、全て電子的、肉体的に記録し続けています。……高校三年間。彼らが最も輝き、自らの未来を確信したまさにその瞬間。私は、彼らの父親も、背後の穂積家も、そして大輝本人も、まとめて奈落の底へ引きずり落とします。そのための『最も近い特等席』が、あの高校なのです」
「蓮……」
弦は息を呑んだ。
目の前にいるのは、単なるいじめられっ子の十四歳ではない。
静かに、そして完璧な報復のプログラムを実行しようとしている、本物の「復讐者」の姿。
「分かりました。私の心は、一ミリも傷ついてはいません。……必ず、全てに決着をつけます。ですから、私に、彼らの滅びのシナリオを最後まで書き上げさせてください」
蓮は優しく微笑み、二人の手をそっと握った。
数日後。
放課後の教室で、進路指導室から出てきた大輝と、蓮はすれ違った。
大輝は、蓮が自分と同じ「関西栄耀学園高校」を第一志望にしていることを聞きつけ、勝ち誇ったような、そしてどこか下品な笑みをその一重まぶたの奥に浮かべていた。
「おい、高梨。お前、頭だけは良いくせに、結局俺と同じ高校に来るんだってな? ……ハッ、諦めが悪いっていうか、つくづく俺の犬になりてぇらしいな」
大輝は、取り巻きたちの前で蓮の肩を乱暴に小突き、耳元で低く囁いた。
「高校に行ったら、中学みたいに生温くは済まねぇぞ。……綾も、同じ高校に来るんだ。お前が目の前でボロボロになっていく姿を、あの女に特等席で見せてやるからな。楽しみにしてろよ、負け犬が」
その言葉を聞いた瞬間。
高梨蓮は、初めて、大輝の目の前で「本物の冷酷な笑み」を浮かべた。
「ええ、堂島くん。……私も、とても楽しみにしていますよ。あなたの、その眩しいばかりの『未来』を近くで見届けられることを」
「あ……?」
大輝は、蓮のその微笑みと、底知れないヘーゼルの瞳に見つめられ、なぜか、背筋に冷たい刃を突き立てられたような、本能的な恐怖に全身を震わせた。
だが、彼はそれをすぐに「気のせいだ」と振り払い、虚勢を張って去っていった。
去りゆく大輝の背中を、蓮は静かに見つめる。
(楽しむがいい、堂島大輝。お前の背後にある全ての闇を、お前の歪んだ自尊心ごと、私がいっ滴残らず刈り取ってやる。……奈落の底で、お前の絶叫を聞く日を、私は心から待っている)




