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村を少し便利にしただけなのに、魔法文明が終わりそうです   作者: Miris


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【挿絵付】女神さま、謝罪が雑


 目を開けた瞬間、まず音の少なさに気づいた。


 寝る前の部屋なら、冷蔵庫の低い唸りとか、窓の外を走る車の音とか、そういう生活の気配がどこかにあるはずだった。けれど、ここには何もない。床も壁も天井も白い。白すぎて距離感が溶け、私は自分が立っているのか浮いているのかさえ、足裏の感触でようやく判断していた。


 その白の中央に、銀色の髪をした女の人がいた。長い髪は光を含んだ糸みたいで、伏せた横顔だけでも整いすぎている。普通に立っていれば、古い神殿の壁画から抜け出してきた人みたいに見えただろう。実際、人間ではないのだと一目で分かる空気があった。


 ただし、その人は正座していた。しかも、額を床にこすりつける寸前の角度で。


「本当に申し訳ありませんでしたあああああ!」


「……はい?」


 第一声が、それだった。


 いや、ちょっと待ってほしい。私はついさっきまで自分の部屋にいたはずだ。明日は休みだったから、少しだけ夜更かしして、そろそろ寝ようかなと思っていた。スマホを充電器につないで、部屋の明かりを落として、布団に入ったところまでは覚えている。


 それが今、真っ白な空間。


 目の前には、土下座寸前のきれいな女の人。


 状況が分からない。いや、分かりたくもない。分かった瞬間、面倒なことになりそうな気配がしている。


「あの、まず説明を」


「はい! 説明します! しますので、どうか落ち着いて聞いてください!」


 女の人は勢いよく顔を上げた。涙で潤んだ目が、こちらをまっすぐ見ている。あまりにも必死なので、むしろ私のほうが一歩引いた。


「落ち着いてないのはそっちでは?」


「うっ」


 女の人の肩がびくっと跳ねた。その反応を見て、私はなんとなく理解した。


 これは、たぶん、面倒なやつだ。


 逃げたい。白い空間だから出口は見えないけれど。


「私は、この世界と、これからあなたが行く世界を管理している女神です」


「女神」


「はい。女神です」


 女神さまは胸に手を当て、神妙にうなずいた。神々しい仕草のはずなのに、正座したままなのでありがたみが少し迷子になっている。


「女神さまが、どうして床に額をつけそうになっているんですか」


「それは、その……」


 女神さまは視線を落とした。白い床に指先を置き、何かを言おうとして、言葉を選ぶように唇を震わせる。その沈黙が、私の中の嫌な予感をじわじわ育てていった。


 聞きたくない。


 でも、聞かないわけにもいかない。


「言ってください」


「手違いで、あなたを死なせてしまいました」


「…………」


「…………」


 白い空間に沈黙が落ちた。落ちた、というより、沈黙そのものに押しつぶされた気がした。


 私は一度まばたきをした。女神さまも、つられるようにまばたきをした。


「今、なんて?」


「手違いで、あなたを死なせてしまいました」


「聞き間違いじゃなかった」


 私は額に手を当てた。熱はない。息もできる。足も震えていない。なのに、死んだらしい。


 不思議と実感は薄かった。痛みもないし、苦しさもない。ただ、明日の朝に食べようと思っていたパンのことだけが、やけにはっきり頭に浮かんだ。


 あれ、賞味期限今日までだった。


 死ぬ前に食べておけばよかった。


「死因は?」


「上位管理層の座標処理に誤差がありまして」


「分かる言葉でお願いします」


 女神さまは一瞬だけ口を閉じた。きれいな顔が、言いにくさで少し曇る。私はその表情を見て、さらに嫌な予感を深めた。


「落ちるはずの星の欠片が、あなたの部屋の上に落ちました」


「星」


「はい」


「欠片」


「はい」


「私の部屋に」


「はい」


 私は深く息を吸った。白い空間なのに、息は普通に入ってくる。こういう変なところだけ丁寧なのが、余計に腹立たしい。


「謝罪の規模が雑」


「本当に申し訳ありません!」


 女神さまは、また勢いよく頭を下げた。銀色の髪が床に広がり、光を薄く反射する。きれいだな、と思ってしまった自分が少し悔しい。


 謝ってくれているのは分かる。分かるけれど、星の欠片で死にましたと言われて、はいそうですかとはならない。ならないが、怒鳴る元気もなかった。だって、もう死んでいるらしいし。


 怒っても、部屋は戻らない。パンも戻らない。私も、元の世界には戻れないのだろう。


「それで、私はこれからどうなるんですか」


 喉の奥に引っかかっていたものを飲み込んで、私はできるだけ平らな声を出した。ここで騒いでも話は進まない。話を進めないと、私はずっとこの白い場所で、土下座寸前の女神さまと向かい合うことになる。


 それは嫌だ。


「本来なら輪廻の流れに戻るのですが、今回は完全にこちらの過失ですので、お詫びをさせてください」


「お詫び」


「はい。新しい世界で、望むだけ平穏に暮らせるようにします」


 女神さまは急に顔を上げた。さっきまで涙目だったのに、今度は妙にきりっとしている。反省とやる気が同じ顔の上で混ざっていて、私はまた一歩、心の中で後ずさった。


「まず、肉体は二十一歳相当で再構成します」


「あ、そこは元の年齢なんですね」


「はい。ただ、外見は十六歳前後に見られやすい形になります」


「なんで?」


「かわいらしいほうが、周囲に受け入れられやすいかと」


「判断基準が軽い」


 女神さまは、手元にどこからともなく光の板を浮かべた。板の上では、見たことのない文字が水面みたいに流れている。読めない。たぶん、読めなくていい。読めたら読めたで、余計な不安が増えそうだった。


「お名前は、ミリィ・ルナベル。現地で自然に使えるようにしておきます」


「名前も決まってる」


「はい。かわいい響きにしました」


「やっぱり判断基準が軽い」


 ミリィ・ルナベル。


 口の中で、そっと転がしてみる。悪くはない。むしろ、かなりかわいい。だから余計に、なんだか負けた気がする。


「それから、生活に困らないよう、魔法の才能を付与します」


「魔法」


「はい。あなたが行く世界には魔法があります。ただし、多くの一般市民は魔法を使えません。魔法石を借りて生活を補っています」


「魔法石?」


「便利な石です。照明や暖房、浄水などに使われます」


「へえ」


 そこは少し面白そうだった。中世っぽい世界に、魔法の道具。不便なのか便利なのか、判断に困る。でも、暗い夜に明かりがあるのは大事だ。寒い冬に暖房があるのも大事だ。私は文明のありがたみを、わりと正しく理解している。


「魔法を使える者はメイジと呼ばれ、公共機関に属しています。人々から敬われていますが、社会は一般市民との相互依存で成り立っています」


「なるほど」


「なので、あなたにも魔法を」


「ちょっと使えるくらいでいいです」


 私が先に釘を刺すと、女神さまの指が光の板の上でぴたりと止まった。


 止まった。


 今、嫌な止まり方をした。


「最強クラスの魔女と同等にしておきました」


「人の話を聞いて」


 早い。決定が早い。しかも重い。


 女神さまは、私の視線から逃げるように光の板を操作しながら、平然と続けた。


「攻撃、防御、治癒、結界、解析、飛行、物質干渉、魔力感知、魔力石加工など、主要な系統は扱えます」


「扱えなくていいものが混ざっている気がします」


「大丈夫です。扱えます」


「大丈夫の意味が違う」


 言葉を返しながら、私は頭の中でその単語を並べた。攻撃。防御。治癒。結界。飛行。物質干渉。どれも、静かな暮らしから遠いところにありそうな響きだ。特に攻撃と飛行はよくない。便利そうな力ほど、人は理由をつけて使ってしまう。


 女神さまは、さらに明るい声で言った。


「さらに、半永久的な寿命も付与します」


「待って」


「はい」


「今、さらっとすごいこと言いましたよね」


「半永久的な寿命です」


「聞こえてます。聞こえてるから止めてるんです」


 女神さまは不思議そうに首をかしげた。悪意は見えない。たぶん、本当に私のためだと思っているのだろう。でも善意というものは、たまに箱が大きすぎる。しかも、開けたら最後、戻せない。


「平穏に暮らせるように、強い力と長い命を」


「平穏って、力を盛れば盛るほど遠ざかるものでは?」


「えっ」


「えっ、じゃないです」


 想像してみる。


 最強クラスの魔女。半永久的な命。魔法石も作れる。そんな人間が、のんびり暮らせるだろうか。


 無理だ。


 面倒ごとのほうから、笑顔で歩いてくるに決まっている。


「あの、私、争いごととか嫌いなんです」


「お優しいのですね」


「いえ、面倒なので」


 女神さまが黙った。白い空間の静けさが、少しだけ気まずくなる。


「面倒なので」


 大事なことなので、もう一度言った。


 正義感に燃えて世界を救うとか、理不尽な悪を倒すとか、そういうのは向いていない。人助けが嫌いなわけではないけれど、できれば穏やかに、静かに、快適に暮らしたい。できれば昼寝の時間を守りたい。


 ここは譲れない。死んだあとにまで忙しくさせられるなんて、あまりにも割に合わない。


 私は息を吸い、女神さまの目を見た。


「なので、その力、基本的には使いませんよ」


「えっ」


「えっ、じゃないです」


「でも、最強クラスですよ?」


「だからこそ使いません。絶対に話が大きくなるので」


 女神さまの指が、また光の板の上を迷うように動いた。


「魔法石も作れますよ?」


「自分の分だけにします」


「量産すれば、人々が助かるかもしれません」


「量産したら、絶対に偉い人と商人とメイジが来ます」


「来るでしょうね」


「認めた」


 女神さまは視線をそらした。やっぱり来るらしい。


 危ない。今、かなり危ないことを、さらっと押しつけられるところだった。


「とにかく、私は目立ちたくありません。平穏。静かな暮らし。できれば寝床。まず寝床」


「寝床」


「大事です」


 女神さまは真剣な顔でうなずいた。そこは分かってくれるらしい。神さま相手に寝床の重要性を説くことになるとは思わなかったけれど、死後の交渉としてはかなり重要な項目だ。


「転生先は、山奥の小さな村の近くにしておきます。基本的には平和です。魔物はたまに出る程度で、小さなギルドもあります」


「たまに出るんですか、魔物」


「たまにです」


「出ないに越したことはないんですけど」


「平和なほうです」


「比較対象を聞くのが怖い」


 女神さまは光の板をなぞり、白い空間に小さな風景を浮かべた。山に囲まれた村。煙突の煙。小さな畑。細い川。見た目だけなら、静かで、素朴で、昼寝に向いていそうだった。


「商人も月に一度は来ます。農地も最低限の食糧には困りません」


「それはいいですね」


「ただ、冬になると雪で三か月ほど閉ざされます」


「急に不便」


「山奥ですので」


「でしょうね」


 山奥の村。平和。商人が月一。冬は三か月閉ざされる。


 不便そうだ。でも、都会の騒がしさよりはましなのかもしれない。人が少なくて、静かで、空気がよくて、昼寝に向いていそうなら、それでいい。


 問題は、女神さまが用意した力がまったく静かではないことだけだ。


「そういえば、服はどうなるんですか」


「新しい肉体に合わせて、動きやすい服を用意しています。身体に沿う上着と、膝より少し上のスカートです」


「山奥ですよね?」


「動きやすいです」


「山奥ですよね?」


「かわいいです」


「そこを優先しないで」


 女神さまは、また視線をそらした。


 分かった。この女神さま、きれいだけれど、判断がだいぶ雑だ。いや、もしかすると神さまというのは、だいたいこうなのかもしれない。規模が大きすぎて、細かいところの感覚がずれている。


 星の欠片で人を死なせるくらいだし。


 そう考えると、胸の奥にあった怒りが、少しだけ形を変えた。怒鳴りたい気持ちが消えたわけではない。ただ、怒鳴ったところで何も戻らないことも、もう分かっている。


「分かりました」


「本当ですか?」


「元の世界には戻れないんですよね」


 女神さまの表情が、そこで初めて静かに沈んだ。さっきまでの慌ただしさが消えて、白い空間の中に、彼女の伏せたまつげだけが細く影を落とす。


「……はい。肉体も、環境も、すでに修復ができない状態で」


「じゃあ、行くしかないです」


 口に出すと、自分で思ったより胸が重くなった。戻れない。部屋も、パンも、明日の休みも、もうない。


 けれど、ここで立ち止まっても何も変わらない。


 私は息を整えて、もう一度女神さまを見た。言っておくべきことがある。これを言わずに流されると、たぶん後で大変なことになる。


「ただし」


「はい!」


「余計な使命とか、神託とか、世界を救えとか、そういうのはなしで」


「ありません」


「本当に?」


「本当にありません。あなたは、好きに生きてください」


「平穏に?」


「平穏に」


「静かに?」


「静かに」


「寝床優先で?」


「寝床優先で」


 よし。


 そこまで言うなら、信じることにしよう。私は新しい世界で、静かに暮らす。魔法は使わない。使っても最小限。魔法石も作らない。作るとしても自分の分だけ。争いごとは避ける。面倒ごとも避ける。


 まず寝床。


「では、転生を始めます」


 女神さまが両手を重ねると、足元に淡い光の輪が広がった。白い空間が、さらに白く染まっていく。身体がふわりと軽くなり、足裏から床の感触が薄れていった。


 その瞬間、女神さまが「あっ」と小さく声を漏らした。


 私は光の中で、全身の血の気が引くのを感じた。今の「あっ」はよくない。何かを忘れた人の声だ。しかも、規模の大きい人が何かを忘れた時の声だ。


「何ですか」


「いえ、転生地点が少し山の上になりそうで」


「少し?」


「少しです」


「その少し、女神さま基準じゃないですよね?」


 女神さまは、にこりと笑った。


「……よい旅を!」


「答えて!」


 私の叫びは、白い光に飲み込まれた。


 ******


 風の音がした。


 耳元を抜けていく冷たい風に、私は反射的に肩をすくめた。白い空間の無音に慣れかけていたせいで、草木を揺らすざわめきがやけに生々しい。


 目を開けると、青い空が広がっていた。


 白い空間ではない。本物の空だ。雲が流れていて、太陽がまぶしい。鼻の奥に、土と草の匂いが入ってくる。どこかで鳥の声がした。生きている世界の音が、いっせいに戻ってきたみたいだった。


 私は立っていた。


 いや、正確には、空うん浮いていた。


「……うん?」


挿絵(By みてみん)


 足元を見る。


 地面がない。


 ずっと下に、木々の緑が見える。山の斜面だ。かなり高い。風に揺れる木のてっぺんが、小さく波のように動いている。鳥が下のほうを飛んでいた。


 私のほうが高い。


「少し、山の上?」


 女神さま。


 これは少しではない。


 腹の底がひゅっと冷えた。身体が傾き、視界がぐらりと回る。落ちる、と思った瞬間、私は反射的に手を伸ばした。


 すると、身体の奥から温かいものが広がった。胸から腕へ、腕から指先へ。見えない糸に支えられたみたいに、ふわりと姿勢が安定する。


 落ちない。


 どうやら本当に飛べるらしい。


「……便利」


 言ってから、すぐに口を押さえた。


 危ない。便利だからといって、使いすぎるとよくない。こういう力は、調子に乗ると必ず面倒を呼ぶ。とはいえ、今は使わないと落ちる。


 これは緊急避難。うん。緊急避難なら仕方ない。


 私はゆっくりと高度を下げながら、自分の身体を確かめた。手足は軽い。指は細く、腕を動かすと、前の身体より少しだけ重心が違う気がする。髪は長く、風にさらわれて頬に触れた。服は女神さまが言っていた通り、身体に沿う上着と、膝より少し上のスカートだった。


 動きやすい。


 たしかに動きやすい。


 でも山の上で目覚める前提なら、もう少し布地に相談してほしかった。


「あとで絶対、上着を足そう」


 ひとりでそう決める。決めたところで、手元には何もないのだけれど、決意は大事だ。寒さ対策も大事だ。


 高度を下げるにつれて、山の形が少しずつ分かってきた。斜面の途中に細い獣道があり、その先に小さな村が見える。煙突から細い煙が上がっていた。畑があり、柵があり、川らしきものも見える。


 たぶん、あれが女神さまの言っていた村だ。


 静かそうだ。


 小さそうだ。


 何より、屋根がある。


「まず寝床」


 私はそうつぶやいて、村へ向かってゆっくり飛び始めた。


 最強クラスの魔女になったらしい。半永久的な命をもらったらしい。名前も、身体も、世界も変わったらしい。


 でも、そんなものは今のところどうでもいい。


 大事なのは、今日眠る場所である。


 世界を変える予定なんて、もちろんない。魔法で大活躍する予定もない。偉い人に会う予定も、商人に囲まれる予定も、メイジに追いかけられる予定もない。


 私はただ、静かに暮らしたいだけなのだから。


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