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第40話:境界の宿



王都近くの宿は、思ったよりも小さかった。


石造りの外壁。

古い看板。

門の脇には結界石が一つ、控えめに立っている。


「学園までは徒歩で半刻ほどです。」


じいやが言う。


声はいつも通り穏やかだが、どこか慎重だった。


屋敷を出てから二日。


馬車の揺れにも慣れ、王都の喧騒も背後に遠ざかった。


アルノーは宿の門をくぐる。


その瞬間、わずかな違和感を覚えた。


空気が、僅かに歪んでいる。


不安定というほどではない。


だが。


「……魔法陣が歪んでいる。」


小さく呟く。


じいやは聞き逃さなかった。


「何かございましたか。」


「いえ。」


門の脇に立つ結界石を見る。


魔力が流れている。


だが、線が歪んでいる。


逃がす場所がない。


無駄に圧を溜めている。


宿に荷を置き、夜。


じいやは早くに休んだ。


アルノーは庭に出る。


月は半ばほど欠けている。


完全ではない。


それでも形を保っている。


結界石の前に立つ。


手を触れない。


ただ、魔力の流れを感じる。


人が組んだ術式。


悪くはない。


だが、余白がない。


「……一本。」


小さく線を補う。


ほんのわずか。


魔力が流れる方向を変える。


逃がす。


それだけ。


光は立たない。


音もない。


ただ、空気が静かに落ち着いた。


翌朝。


宿の主人が慌てた声を上げる。


「おかしい……。」


結界石を何度も確かめる。


「昨日まで揺れていたのに……安定している。」


じいやが視線だけを動かす。


アルノーを見る。


「坊ちゃま。」


低く、しかし柔らかく。


「触れずに直されたのですか。」


アルノーは首を傾げる。


「直した、というほどでは……。」


じいやは小さく笑う。


「均等を取ったのですね。」


その言い方に、誇りはない。


ただ理解があった。


宿の主人が言う。


「最近、王都周辺で魔物の動きが活発でして。」


アルノーは空を見る。


昨夜の月を思い出す。


非対称でも崩れない形。


人の結界は、非対称で崩れる。


「人の術は、余白が足りないのかもしれません。」


じいやは何も言わない。


ただ、馬車の準備を整える。


出発の時間だ。


宿を出る。


振り返ると、結界石は静かに立っている。


完璧ではない。


だが保たれている。


「いよいよですね。」


じいやが言う。


アルノーは頷く。


王立学園の塔が、遠くに見えた。


境界を越えるのは、もうすぐだ。


だが、もう一つの境界は、昨夜すでに越えていたのかもしれない。


誰にも知られぬまま。


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