第116話:崩壊の先の、小さな一歩
旧演習場に、魔力の残滓が白く霞んで漂っている。
リュミエールが放った術式は、確かにこれまでの「爆発的な霧散」とは異なり、標的へと真っ直ぐに届いた。だが、その軌跡はまだ細く、危ういものだった。
「……当たった。けど、思っていたよりずっと、反動が重いわ」
リュミエールは肩を上下させ、荒い息をつく。ルディスの助言通り「一部を捨てる」ことで、術式の自壊は防げた。しかし、それは彼女が理想とする「完全な魔法」からは程遠く、無理やり歪な形に押し込めただけの、不格好な成功だった。
「いいですよ、リュミエール。今はそれで十分です」
アルノーが歩み寄り、彼女の魔力の波形を確認する。「完璧な円を維持しようとする力」を捨てたことで、彼女の回路には一時的な余裕が生まれた。だが、それはあくまで「呼吸ができるようになった」だけで、強大な力を自在に操る段階にはまだ遠い。
「これで……私はレベルアップできたのかしら」
「いえ、正直に言えば、今はまだ『壊れなくなった』だけです。王立の積み上げを捨てきれず、かといって新しい均衡を完全に掴めてもいない。今のあなたは、古い服を脱ぎ捨てて、まだ裸で立ち尽くしているような状態ですから」
アルノーの率直な言葉に、リュミエールは苦笑した。かつての彼女なら激昂していただろうが、今はその「物足りなさ」こそが、地に足のついた現実であることを理解していた。
「……そうね。身体の芯に残るこの違和感が、その証拠だわ。俺ら体術使いから見れば、あんたはまだ『足首の力を抜く』ことを覚えたばかりの赤ん坊だぜ」
ガルドが木剣を肩に担ぎ、厳しい視線を送る。
「ルディスさんのバイパスも、あくまで応急処置です。あなたの魔力出力に対して、この術式構成ではまだ『逃がし』が足りない。……でも、リュミエール、この不格好な一歩がなければ、あなたは一生、前の服の中で窒息していたはずです」
アルノーは地面に膝をつき、不完全なまま終わった術式の計算式をなぞった。
「王国最強なんて、今のあなたには遠すぎる夢です。ですが、少なくとも今のあなたは、自分で自分の『歪み』を観測できるようになりました」
リュミエールは自らの手を見つめる。
輝かしい「セレスティナ」の名に相応しい完璧な魔法ではない。泥臭く、不揃いで、灰棟の仲間たちと頭を抱えて捻り出した、綻びだらけの魔法。
「……ふふ、最悪ね。私、こんな不格好な姿を晒してまで、魔道の入り口に立ち直るなんて」
その声に、卑屈さはなかった。
停滞という名の檻を抜け出し、荒れ果てた野原へ一歩踏み出した。
レベルアップというにはあまりに弱々しいが、彼女にとっては人生で最も重みのある、再生の一歩だった。
それを遠くで見つめる保守派の教師は、彼女の「弱体化」とも取れる不完全な術式を見て、冷酷な確信を得ていた。
「……やはりな。あの落ちこぼれと関わったせいで、セレスティナの才が腐り始めた。試験という場で、その未熟さを公衆の面前に晒してやる必要がある」
リュミエールの「新しい模索」は、まだ始まったばかりだった。




