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<EP_001>

∅:空集合(くうしゅうごう、英: empty set)要素を一切持たない集合のこと


鎮魂歌:鎮魂祭 にうたう歌。転じて、死者の霊をなぐさめるために作られた詩歌。レクイエム


世界は光に満ちていた。

だが、街道を歩く、ゼロ・アブソリュートの心は晴れなかった。

王城から追放されてからすでに一週間。森の中の街道を歩くのはひどく面倒だった。

瘴気に満ち、凶悪な魔物が跋扈していると、ゼロを追放した王国の者は口々に言い、街道ではあるものの、すれちがう者は誰もいなかった。

「はぁ、これからどうしよう……」

ため息とともに呟いた。

世界全体が、ブラック企業時代のプロジェクトに見えた。


そんな時だった。森の奥から、けたたましい獣の咆哮と、それに勝るとも劣らない男たちの悲鳴が近づいてきた。

見ると、巨大な漆黒の熊に追い立てられる、みすぼらしい鎧を着た兵士の一団だった。

その熊は、魔物の中でも最高クラスの硬度を持つと言われるコズミックベアだ。

兵士たちは恐怖で顔を引き攣らせ、逃げ惑うことしかできていなかった。

「はぁ、仕方ないなぁ」

ゼロは心底うんざりした。それは彼の静かな思考の時を邪魔する雑音でしかなかった。


「これぐらいで十分かな」

ゼロは地面に落ちている、何の変哲もない小石を拾った。

そのまま、軽く手を振り、数十メートルは先にいる熊に向かって小石を投げた。

ゼロの手を離れた小石は空気を切り裂いた。それはもはや投擲ではない。

小石は初速で音速の壁を遥かに超え、衝撃波を伴い、その質量は宇宙の理を無視した一撃へと変換されていた。

結果は明白だった。小石は逃げ惑う兵士たちの間を抜け、コズミックベアの額に当たった瞬間、衝撃波が周囲の木々を叩き伏せ、熊の頭は破裂した。頭が無くなったコズミックベアは、一瞬立ち尽くすとそのまま轟音とともに倒れていった。

「ふう、完了っと」

ゼロは何が起こったのか分からない様子の兵士たちの間を抜け、コズミックベアの死体の前に歩いて近づく。

(熊肉って食べられるのかな?臭いって聞くけど…)

熊の死体を見ながらそんなことを考えるも、他に食料も無いことから、死体に手をかざした。

熊の死体が一瞬にして解体され、骨と肉へと変わる。

そのままゼロはズタ袋へ無造作に放り込んでいった。

熊の死体を袋に詰めて、振り返ると、兵士たちは未だ恐怖で立ち尽くしていた。

「な、なんだ、あいつは……」

「あ、あいつは、失敗召喚者のゼロだ…」

「何?図体がデカいだけの魔物だったのか。逃げて損したぜ」

彼らのゼロを見つめる視線に、感謝の念は一切なかった。あるのは、「あんな雑魚しか相手にできない奴」という軽蔑の眼差しだけだった。

ゼロは、彼らの軽蔑を当然のものとして受け流し、まるで何も起こらなかったかのように、街道の奥へと歩き去った。


「さてと、これからどうしようかなぁ?働いてた時は明日の家の心配をしないだけマシだったかなぁ?」

森を歩きながらゼロは考えてしまう。

ゼロは転生者であった。

ゼロは転生前は残業が月200時間を越えるのに、残業代は出ないという、いわゆるブラック企業に勤めていた。

その日も日々の残業が終わり、終電を逃したものの、タクシーを使うだけのお金が無いので、歩いて帰宅している途中であった。

自宅まで1時間以上かかるが、帰って入浴できるだけマシと思い、会社に泊まらずに帰ることにしたのだ。

その後、覚えているのは光るトラックのライトだけだった。

気づけば王城の広間に倒れていた。


ゼロが立ち上がると周りからざわめきが聞こえてきた。

「おお、ちゃんと生きていたぞ」

「でも片方はエラく弱そうだな」

「顔色も良くないぞ」

そんな声が聞こえてきたが、広間の高い場所にいる豪華な服を着た男性が厳かな声でざわめきを沈めた。

ゼロは隣に長身の男が立っていることに気づいた。

「勇者たちよ。良く来られた。ワシはこの地を治めるグノーカス王じゃ。名はなんと申す」

「はぁ……ゼロ・アブソリュートと言います」

グノーカスの言葉にゼロは戸惑いながらも答えていく。

「俺はイシキ・タッカーだぜ」

隣の男は堂々と答えていく。

「ゼロとイシキと申すか。ふむ…ではステータスを見せてくれるかな」

(すてーたす?)

グノーカスの言葉の意味がわかりかねて、ゼロは首を捻ってしまう。しかし周りを見れば、どこか中世ヨーロッパを彷彿とさせる衣装を着た人物ばかりで、目の前のグノーカスも王様のような格好をしている。

(ひょっとして、これは、いわゆる異世界転生というやつでは?)

そんな考えに至った。ここが異世界転生した場所とするならばステータスは念じればすぐに出るはずだと考えた。

「ステータス、オープン!」

ゼロが叫ぶと、目の前に半透明のホログラムのような画面が登場する。

LV:000 HP:000 MP:000 STR:000 VIT:000 INT:000 AGI:000 LUK:000 ……

その画面には見事に000が並んでいた。

それを見たグノーカスはため息をついてしまう。

そのままステータス画面を下に見ていくと、スキル:調律と書かれていた。

スキルの欄を見てグノーカスは首を捻ってしまう。

「誰か、調律というスキルの内容を知っておるものはおらんか」

周りにいた人間に声をかけるも答えられるものは誰もいなかった。

ゼロのステータスを覗いてきたイシキがゲラゲラと笑い出す。

「うへぇ、見事にゼロが並んでんな。さすが、名前がゼロだぜ」

そう笑いながら、イシキは自分のステータスをオープンしていく。

LV:52 HP:520 MP:391 STR:100 VIT:100 INT:82 AGI:96 LUK:99 …

このような数字が並んでおり、ステータスの最後にはスキル:剣匠と書かれていた。

その数値を見た周囲の人間たちは驚嘆の声を漏らす。

「なんて数値だ…ほぼオール100じゃないか…」

「しかも、スキルが剣匠だと…」

「これは救国の英雄の誕生だ……」

イシキもゼロを見下した目をしてくる。

「ハハッ、さすが俺様だぜ。しっかり数値が高ぇ」

グノーカスは、歓喜のあまり上機嫌な声を上げた。

「ワッハッハ! これぞ、救国の英雄! イシキ・タッカーよ、よくぞ来てくれた!」

王は、横でただ立ち尽くしているゼロへ、まるでゴミを見るような目を向けた。

「さて、ゼロと申したな。そなたの役目はもう終わりじゃ」

王は一転して冷淡な声になる。

「勇者は一人いれば十分じゃ。見ての通り、そなたのステータスはすべてゼロ。スキルも『調律』などという、何の役に立つのかわからんものじゃ。我々が求めたのは、魔王を屠るための力じゃ! 」

グノーカスは、高らかに宣言した。

「聞け、広間に集いし者たちよ! 勇者ゼロ・アブソリュートは失敗召喚者と断定する! 無用な者に食いぶちを与える余裕は、この国にはない! 今すぐに彼を城下から追放せよ! 二度とこの王都に足を踏み入れさせるな!」

王の怒声とともに、周囲からも「失敗作め」「使えない奴だ」という、嘲りの声が、広間に響いていた。


「あーあ、ここでは簡単にクビだもんなぁ……試用期間ぐらいくれても良いのになぁ」

ゼロは森を歩きながら独りごちてしまう。

そんな中、森の奥から女性の声が聞こえてきた。

「ふにゃー、助けてにゃー」

声のほうへ行ってみると、そこには獣用の罠にかかり身動きが取れないでいる獣人の娘がいた。

彼女の毛並みは茶色く、丸い耳とふさふさした尻尾が、罠のせいで泥にまみれている。

獣人の娘はゼロを見つけると叫んできた。

「にゃー!そこのお兄さん、助けて欲しいにゃ」

獣人娘は涙目でゼロに訴えてくる。

ゼロはため息をつきつつ、獣人娘を縛っていた縄を解いてやる。

全身を解放されると獣人娘はお辞儀をしてくる。

「ありがとう。森にご飯を取りに来たら罠に引っかかたんだにゃ。お兄さんが来てくれて助かったにゃ」

「それは良かったね」

ゼロは素っ気なく言う。

「ねぇ、アタシはターニャ。お兄さんは?」

「ゼロだよ」

「ふーん、ゼロって言うんだ…」

そう言うとターニャのお腹が鳴った。

「お腹空いてるの?」

「うん。ここ2日何も食べてないのにゃ……」

そういうとターニャは鼻を鳴らす。

「お兄さん、いい匂いがするにゃ。少し食べ物を分けて欲しいにゃ」

ターニャは鼻を鳴らしながらゼロのズタ袋に顔を寄せてくる。

ゼロはズタ袋から熊肉のブロックを取り出し、ターニャに差し出す。

ゼロから熊肉を受け取ると、そのままターニャはかぶりついていく。

「美味しいにゃ。決めたにゃ。アタシ、ゼロについていくにゃ」

「ええっ!困ったな……」

ターニャの突然の申し出にゼロは戸惑ってしまう。

「決めたのにゃ。助けて貰った恩もあるし、ついていくのにゃ」

猫の獣人らしい愛くるしい顔でそう言ってくるターニャを見てゼロはそっとため息をついた。

(ま、いっか…)

そう思うと、ゼロはそのまま街道へと戻っていく。

ターニャもまた熊肉を齧りながらついていった。


街道を歩きながらゼロはついてきているターニャに尋ねる。

「ねぇ、ターニャ。この辺りのことについて知ってることを教えてよ」

「良いのにゃ。この街道の先にはボケータ王が治める城塞都市があるのにゃ」

「へぇ、どんな国なんだい?」

「ボケータ国は普通の王様にゃ。今は魔王軍との戦争はグノーカス国で止まってるから平和なんだにゃ」

「そうなんだ……」

魔王との戦いが迫ってると聞き、ゼロは街に入るのは止めたほうが良さそうだと感じた。

召喚された勇者としてステータスを見られれば、追放される可能性があるからだ。

ゼロが浮かない顔をしているとターニャが回り込んで覗き込んできた。

「ゼロ、どうしたにゃ?」

「ん……なんでもないよ」

「そうかにゃ?ゼロはとっても強そうにゃ。だから、どこに行っても歓迎されるはずにゃ」

「そんなことないよ。ステータスだって貧弱だしね」

「そんなことないはずだにゃ。アタシたち獣人族は鼻が利くのにゃ。ゼロからは強者の香りがしてくるにゃ」

「そんなことないって」

そう言ってくるターニャにゼロはステータス画面を見せる。

その画面を見てターニャは目を丸くした。

「す、すごいにゃ…全部000が並んでるにゃ…」

「だろ?全ステータスが0の激弱なんだよ」

ゼロは改めて自分のステータスを見てため息をついた。

「違うにゃ。逆だにゃ。ゼロは伝説の最強勇者だにゃ」

ターニャは目を輝かせて言ってくる。

「え?だって、全部0だよ?」

ターニャは自分のステータス画面を見せながら語気を強める。

「良く見るにゃ。アタシのステータス画面には三桁目に0は無いにゃ。でもゼロは全部000だにゃ。だから、ゼロのステータスは四桁目に突入してるってことだにゃ」

「へ?」

「アタシたち獣人族には『全てのステータスがカンストした伝説の勇者が生まれる』って伝説があるのにゃ。きっとゼロはその伝説の勇者様なのにゃ」

ターニャはそう言ってさらに目を輝かせた。

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