第二十二話 少しばかりの休養を
「さて、そろそろ行くか」
ソルフィアが腰を上げた。
私はソルフィアから貰った古冊子を脇に挟んで、少しお祈りする。
私の両親は今生きていたら三十五歳ぐらいだ。
私が研究所に連れて行かれたのは今から約四年前。
六歳の時である。
「…………行きましょう」
お祈りを終え、目を開ける。
途端に明るい日差しが目を焼き付ける。
周りに植えられた白いコスモスが風に優しく揺れる。
私は墓石に背を向けた。
いつかまた来る時があったら。
ずっとこのままであって欲しいと思う。
「次はどこに行くんですか?」
私は聞く。
再びソルフィアが私達の前を歩き出したからだ。
「とっておきの場所があるんだ。商店街でご馳走しようと思ってな。今度行く場所はいいところだ」
「ほんと?」
このメンバーの中ではリアが一番目を輝かせている。まだ『ご馳走する』としか言っていないのに。
ソルフィアが「うん」と頷くと「やったー!」と無邪気に笑った。
「私、知ってるの。あそこの商店街にね、美味しいスイーツ屋があるの!」
スイーツ……か。食べるのは四、五年ぶりだ。
「そこに行くんだよ、リア。勘が鋭いね。よっぽど食べたかったんだな」
「だって私も食べるの久しぶりだもん!それにあそこの商店街のご馳走って言ったらあそこかなって」
リアの頭を撫でるソルフィアの横顔は昨日よりも明るく元気そうで、支配の影響は感じない。
研究員という息が詰まるような言葉、研究所という缶詰のような暗い空間から脱出した昨日のような恐怖心すらも感じられない。
――私の治癒力が効いているのかもしれない。
さっきの路地は通らずに別のルートを歩いて向かう。
ここをよく通るなどと研究員に目を付けられるのを防ぐためでもある。
それに貴重な転移は既に一回使っている。
一日二回までしか使えないそれ。
本当に襲われた時のために安易に使わないと決めているらしい。
「もうすぐ着くよ」
ソルフィアに言われて顔を上げるとラリージャ南商店街という七色の少し古びた大きな看板が見えた。
商店街だというのに辺りは閑散としている。
人影は三十人にも満たないぐらいである。
赤地に白い文字でスーパーセールと書かれたポスターがあちらこちらに大量に貼られているが、それらもただ貼ってあるという具合で寂しさを際立たせている。
「本当にここ、商店街なの?」
辺りを見渡しながらリアが問う。
「…………なんだか、街の様子がさっきからおかしいな……」
ソルフィアの表情が暗くなっていくのが感じ取れる。
「やはり、ウイルスの影響でしょうか……」
ルティアも自身の首に巻かれたリボンを眺めながら言う。せっかく楽しくスイーツを食べようと言うのに静かすぎて気分が上がらない。
「でも、このぐらいの方がいいんじゃないか?混みすぎていたら身動きを取りにくい。万が一のことがあってもこれなら逃げ出せる」
スケールはこう言う時も研究員に出会った時のためなのか逃げるルートばかり考えている。
「せっかくなんだし、とりあえず研究所のことを忘れて少しばかりの休暇を楽しんでもいいんじゃない?」
「リトルは楽観的すぎるよ」
「そんなこと言ったって……」
とは言ったものの、楽観的すぎるというのは正しい。
生きたいと本気で思うなら、もう少し警戒するべきだ。
「ここだよ」
静かすぎる商店街の角。一軒の店の前で足を止めた。
何十年も昔からありそうな、錆びて一部が茶色くなった看板。店名が書かれているようだが色褪せてしまっている。店内もなんだか暗い。
「…………時間が経ってだいぶ変わってしまったな……俺もここに来るのは十年ぶりぐらいだ」
イメージしていたのとだいぶ違った外装。
だが、並べられた食品サンプルはどれも綺麗に並んでおり、柔らかそうなバニラソフトのサンプルはとてもサンプルとは思えない。
食べられそうなぐらいリアルだ。
「何食べたい?どれでも好きなのでいいよ」
そうだな……
どれも美味しそうである。
この星は常に寒い。それに今日は格別に寒い。
最初に目についたのがバニラソフトだったが、正直食べたら体の芯から凍りそうだから暖かいのがいい。
別に風邪はひかないのだけれど……と心の中で思いながらも、私はパンケーキのサンプルに指を刺した。
「じゃあ、私これ!」
と言ってから値札を見た。700ビズ。食べ物にしては高級だ。
「あ……ごめん、ちょっと高い……か」
「大丈夫だよ。それに俺は君達に美味しいと言える味を思い出してほしいんだ」
少し遠回しの表現でソルフィアは言い、私に笑いかける。
「じゃあ、言葉に甘えて……」
次にルティアはチョコケーキ、リアはチーズケーキ、ソルフィアはバニラシフォンケーキを選んだ。
スケールはというと……
「じゃあ俺はこれで」
指差したのはどこにでもありそうなフルーツポンチである。
「本当にこれでいいのか……?なんかその……地味というか……」
流石の選択にソルフィアも言葉を濁らすが、食品サンプルを見つめる青い瞳はブレない。
「……分かった。じゃあ、これで決まりだな」
店内に入ると甘い香りが充満していた。
木製のテーブルや椅子も甘い香りがする。
ただ、周りには私達以外の人影がない。
机の上や店内を照らす黄色い照明が寂しく映る。
私達は窓際の席に座った。
やってきた一人のメイドにさっき決めた料理を注文をして料理が運ばれてくるのを待つ。
「どうして、急にこんなことを?」
不意にルティアが小声で口を開いた。
「…………今だけしか出来ないからだ」
ソルフィアは一瞬考えてからそう口にする。
「俺もいつ殺されるか分からないからな。支配はどうやっても完全に無くすことはできないんだよ」
「リトルの力があっても?」
「ああ……」
私の能力は百パーセントの確率で相手を回復させる能力があるが、それでも効かないとなると……
「だが、糸を引いている長を止めることが出来れば……少し……変わる……かも……」
ソルフィアはそう言いながらまた顔を歪める。
「大丈夫?」
しばらくして私が聞くとソルフィアはゆっくり深呼吸して頷いた。
「本当済まないな……こんな顔ばっかり見せてしまって」
「ううん、大丈夫。でも、我慢しちゃ駄目だよ。痛いなら痛いって言って。対処法はあるんだから」
「ありがとう……」
ソルフィアの目は反射した光で輝いた。
「お待たせしました」
丁度話が片付いた所でようやく料理が届いた。
「やったぁ!チーズケーキだ!」
一番大喜びなのはもちろんリアだ。
机に運ばれてきた料理の甘い香りが食欲をそそる。
二枚重ねの厚めのパンケーキに掛けられたシロップ。その上に厚めに切られたバター。
研究所に連れて行かれる数ヶ月前、家族で食べたパンケーキを思い出す。自然に涙が溢れそうになった。
「ねぇみんな、食べる前に一枚撮らない?」
見るとリアが子供のおもちゃのようなピーズであしらわれたピンク色のカメラを向けていた。
「いいよ」
「うん」
「ああ」
もしかしたら一生の思い出になるかもしれない。
ルティアもスケールもソルフィアも首を縦に振った。
「じゃあ、撮るよ!」
パチっとシャッターを切る。
白黒の写真が現像されて出てきた。
やはりおもちゃというのもあってピントが合っていないが、顔は分かる。
一つ、思い出が出来た。
「これはね、ミラサイトが買ってくれたんだけど使い所が無くってあんまり使ってなかったんだよね」
リアはそう言いつつ大切にそれをポケットにしまう。写真は私にくれた。
「じゃあ、冷めないうちに食べよっか」
私は両手にナイフとフォークを持つ。
熱で少し溶けかけたバターを薄く切りながら表面に塗る。
それからナイフを入れる。
驚くほど抵抗なくパンが簡単に切れる。
口に含んだ途端、さっきまで空気中に漂っていた甘い香りが口一杯に広がった。よくとろける……
「美味しい!!」
そう言わずにはいられないぐらい美味しい。
卵の風味がシロップとよく合う。
「良かった。これもすごい美味しいよ」
全員豪華で、何よりソルフィアのはきめ細かい真っ白のクリームがかかっていてさらに下に隠れているのは柔らかみのあるバニラシフォンケーキ。
「私も美味しい!」
「私も!」
「俺も」
リアもルティアもスケールも大満足。
いつも一緒にいたはずなのに、私はスケールが、ルティアがこれだけ明るく笑っているのを初めて見たような気がする。
ずっと張られていた緊張が体の底から抜けた満面の笑みは、まさに子供そのもの。
すごく勿体ぶって、味わいながらマイペースに食べる。
気づくと最後の一切れで。
この瞬間も終わってしまうと思うと少し悲しくなった。
いや、終わらせない。
早くウイルスを撃退して、またいつか食べに来れるようにする。
私は最後の一切れを口に含んだ。
「ご馳走様。ありがとう、ソルフィア。最高だったよ」
宣言通り、代金はソルフィアが払ってくれた。
「張り詰めていた空気も少しは軽くなったようで良かった」
さっき家族がいないことを知って悲しく思ったことも血文字が踊る恐ろしいノートを見たことも忘れるぐらい、楽しい時間だった。
貸宿に戻ることにはもう日が落ちかけていた。
以外と一日って簡単に潰せるものだ。
今日は受けられる依頼が無かったが、明日は一つぐらいあることを願う。
……さて。
部屋に戻ったらソルフィアの支配対策しなきゃな。
今日も二、三度表情が苦しみからか歪む瞬間があった。言わないだけで支配の影響が現れていることは見て分かるほど。
それを完全に止める術は無い。
でも私達には治癒力がある。
街中で使うことは制限されているけれど、少しでも私はソルフィアの苦痛を和らげたいと思う。
今後も少しだけですがライト回が続く予定です!




