第140話 罠への対抗②
暗闇の中で前を走る女性から、ハアハアと息の切れる音が響くかのようだ。
ふだんは騎士たちが見張りで歩くところも、今日はマーリンを泳がせるために砦の中で待機をさせているので、庭は夜のしめやかな静寂だけが支配をしている。
窓から見た姿に気取られないように、物陰からリーンハルトが跡をつけていると、城門のところで一瞬だけマーリンが足を止めた。おそらく自分の姿を隠すものがないのが気になったのだろう。
牢の鍵がきちんと閉められていないのに気がついて、兵たちがいない隙に慌ててここまで逃げ出したので、姿を隠す布を捜す時間さえなかったのに違いない。
困ったように足を止めたあと、慌てて自分の髪を整えている。
月明かりがわずかに照らしたその顔に、遠くからリーンハルトは、目を見張った。
イーリスの姿だ。
今でも偽物だと知らなければ、本物だと思ってしまいそうになるぐらい似ている。
その顔で思案をすると、少し俯いた。
(イーリス……)
違うとわかっているのに、思わず目を吸い寄せられそうになってしまう。
だが、次に顔を上げた時には、その容貌は、以前ガルデンの庭で見た女官のものに変わっていた。
(――やはり)
わかっていたはずなのに、衝撃が拭えない。目の前で消えたイーリスの姿に、思わず唇を噛みしめる。
(偽物で間違いなかった!)
ぎゅっと拳を握り締める。
おそらく、今城門から出るために、疑われないように仮面の顔を変えたのだろう。
そのままリーンハルトが息を呑んで見つめていると、突然後ろから声がかけられた。
「陛下」
聞き慣れてはいるが、今ここにいるとは思わなかった声に、咄嗟に後方を振り返る。
砦の中から走ってきたのは、見慣れた神官の姿だ。運動が苦手なくせに、ひどく慌てたように、こちらを見つめているではないか。
「先ほど、上からイーリス様が歩いて行かれるお姿をお見かけしたのですが……。こちらのほうにおられるのですか?」
そのギイトの質問に、チッと舌を鳴らした。
「いや、ここにはいないが」
まさか、この忌ま忌ましい神官が今やってくるとは思わなかった。咄嗟にとぼけたが、ギイトはいつもの人畜無害な表情だ。
「それでは、今からイーリス様にお会いに行かれるのですか? よかったら、お元気かどうか、私もご挨拶だけでもさせていただきたいのですが」
昨日からお姿をお見かけしていないので気になってと、首を少し傾けながら、いつもの笑顔で尋ねてくる。
(まったく……、こいつはイーリスのこととなると……)
夫となる自分が安全な場所に連れていったと伝えたはずなのに、なにが心配だというのだろう。それともウィルソンに託した言葉はまだ聞いてはいなかったのかと、腕を組んだ姿で、いらいらと肘の上を指で叩いてしまう。
(こいつ――本当に不敬罪で、死刑にしてやろうか?)
口実さえあれば、いつでもしてやるものを――とは思うが、今はその時間がない。
「会えるようになったら考えておいてやる。今は時間がない」
そう言い放つと、そのままマーリンを追いかけて歩き始めた。
「あ、お待ちください。イーリス様の側に行かれるのでしたら、一目だけでも大丈夫ですので……」
そう言いながら追い縋ってくるが、無視してそのまま騎士たちと合流をする。
見れば、顔を変えたマーリンは、もうすでに砦の入り口を出ていったようだ。わざと隙を作るようにと伝えてあったので、おそらく入り口にいる人影もまばらになっていたのだろう。姿に気がついても、わざと見逃したのかもしれない。
「誰かにあとを追わせているか?」
小声で尋ねると、側にいた騎士団長が囁くように返事をする。
「信頼できる騎士の一人に追わせております。本人かどうかは、陛下の誕生日に持ち寄らせた花の種類で確認をしましたので」
「そうか」
あの誕生日のプレゼントは、認めるべきではなかったと後悔することも多かったが、意外な使い道があったらしい。
(それならば、これからも花ぐらいは認めてもいいか……)
国の重鎮たちに跪かれて、次々と花束を差し出される光景は、気持ちはありがたくても、視覚的には我慢大会に近かったのだが――と思い出したとき、ふとその騎士が用意したのがなんの花だったのかが気になった。
「ちなみに、彼が持ってきた花はなんだったのだ?」
騎士ならば、騎士団の花飾りに入っていたのだろうと思ったが、騎士団長はあっさりと言葉を返す。
「ドクダミです。薬効が多いのでと申しておりましたが……、匂いが強いので騎士団で贈呈した誕生日のプレゼントには入れられず」
「折角の贈り物なので、陛下には、あとでお茶にして飲んでいただきました!」
「……そうか……」
にこにこと付け加えるウィルソンと騎士団長の返事に脱力をしてしまう。
「ちなみに、ドクダミの利用方法は、イーリス様に教えていただいたものです」
いろいろと胸の内に去来するものはあるが、とりあえず彼にとってイーリスは恩人であるらしい。それならば、今は信頼しても大丈夫だろうと、部下の自分へのプレゼントの選択についてはあえて考えず、今は彼に任せることにした。
そのままマーリンは、暗い国境沿いの街の中を、月明かりに照らされるのですら避けるかのように建物の陰を移動していく。
昨日爆発が起こったばかりなこともあるのだろう、街全体が静まり返り、警戒しているかのようだ。表通りや、少し入った道の脇にある酒場などは、明るい光を灯しているが、今夜外に漏れてくる声はそれほど多くはない。
たまに扉が開いて人が出てきても、入っていく人の姿をあまり見かけないのは、みんな家族のことが心配だからなのだろう。
走っていく通りの窓にはたくさんの明かりが灯っている。ただ、はしゃぐような声は聞こえず、街全体がどことなく萎縮して緊張しているかのような静けさだ。
その中をマーリンは走ると、灰色の石の建物がいくつも連なった通りに入っていった。少し離れたリーンハルトから見えるのは、マーリンのあとを追いかけている騎士の姿だけだ。その騎士の体が、まるで前を走っている人物が、足を止めて周囲を見回しているかのように、ある建物の玄関の陰でひそめられると、しばらくして首を出した。そして、少し歩き、その先にある狭い路地へと入っていく。
少しして、追っていたリーンハルトたちへ道を示すように、奥から戻ってきた彼が手を出して振った。
リーンハルトが騎士たちと一緒に近づくと、彼は、暗がりの路地の奥にある古い建物を指しているではないか。
「あそこに入っていきました」
囁かれた扉のある建物は、相当年数のたったもののようだ。周囲にも建物はあるが、人通りが少ない路地なためか、昔は店をかまえていたと思われるところも空き家になって、明かりすら灯っていないものが多いように見える。
「ここは?」
小声でその建物について尋ねると、一緒にいた騎士たちの一人がそっと近づいてきた。三十人ほどいるこの騎士たちは、みんなリーンハルトの誕生日に持ち寄った花で、ガルデンの者が変装したのではないと確認された騎士たちなので、安心しても大丈夫だと言われている。その花がなんなのかは知らないが、『聞かないであげてください。身元確認に使えるほど独創的なセンスでしたので――』と言われたので、ドクダミではすまないほどのものなのだろう。
それでも、騎士団長によって選ばれただけあって、一緒にいるのは、騎士たちの中でも特に精鋭揃いだ。
見れば、暗がりのその扉には、小さなカードと石のようなものが描かれている。
「占い屋です。おそらくここを連絡場所にしていたのでしょう」
「なるほどな」
騎士の言葉に頷く。
「占い屋ならば、顔や姿を隠した者たちが出入りをしていても不審には思われない。不特定多数の者たちが、こっそりと出入りをしていても、誰にも怪しまれなかったということか」
「はい、入ったあと、扉に近づいてみましたが、どうやら複数の者たちが中にいるようです」
その言葉に、足音を立てないようにして、そっと扉へと近づく。
聞き耳を立てると、どうやら中では何人かが話しているようだ。
その中で、一際はっきりと覚えのある声が聞こえた。
「どういうことなの!?」
先ほどまではイーリスの声を偽っていたのだろうが、今はより知っている声になっている。
レナだ。そして、思い返せば、昔会ったマーリンもこういう声だった。だが、その話している言葉は、リエンラインのものではなくガルデン語で、近づいた騎士たちの全員が耳を澄ましている。
扉越しに再度レナの声が聞こえた。
「どうして、リーンハルト様に刺客が送られているのよ!? 私があの女と離婚させる話のはずでしょう!?」
「落ち着いてください。それにはこちらの事情がありまして――」
これも聞き覚えのある声だ。当時とは言語が違うが、たしかレナの侍女がこんな声をしていた。
「どんな事情よ! 私があの女のふりをしてリーンハルト様に近づき、離婚をさせる! それが、あなたたちの王が私に持ちかけた計画よね!?」
「ええ、もちろん――。ですから、私たちもそのために、こうして行動を」
そう繕う侍女の声は、突然のマーリンが訪れてきたことに、明らかに戸惑っているようだ。
その返事に納得できなかったのだろう、マーリンの声が聞こえた。
「それならば、これは一体どういうことなの!? この街で爆発を起こして、リーンハルト様を帰国させ、その際私があの女に成り代わって、二人を離婚させる! そして、ガルデン王は、名実ともにあの女を手に入れ、私は次に陽菜の姿になって、自由になったリーンハルト様と結婚をする! そういう計画だったのに、どうして刺客なんて送られているのよ!?」
一瞬、扉の向こうに対して目を見開いてしまった。
(まさか、イーリスのみならず、陽菜にまで成り代わろうとしていたとは――)
瞬間、脳裏に向こうの世界に帰れるかもしれないと喜んでいた陽菜の姿と、そのことを一緒に喜んでいたイーリスの姿が甦る。
(どこまで身勝手な計画を――)
腹の奥から怒りがこみあげ、唇を噛んでしまう。すると、中にいる別の人物が声をあげたのが聞こえた。
「もちろん、計画はそのままです! ですから、我らはそのとおり、この街で爆発を起こして――」
こちらもガルデン語だ。耳に入ったその言葉に、咄嗟に、側にいた騎士団長と頷き合った。
間違いない。完全に証言が用意できた。見回せば、近くにいた騎士たちにも、はっきりと聞こえたようだ。
薄く扉を開ければ、奥では十人ほどの男たちと二人の女性が立ち、言い合うようにしている。
「どうだ、奴らの姿は?」
「爆発現場の近くで目撃された犯人と服装などが一致している者たちがいます。犯人で間違いはないかと」
「よし」
ガルデン王の計画という証言が手に入り、さらにガルデン語を話す実行犯も掴めた。
(これで、今回のことはガルデンが仕組んだリエンラインへの敵対行為だと、はっきりと示すことができる!)
騎士団長を見れば、この建物の周りを取り囲んだ騎士たちも、突入の準備ができたようだ。
「準備ができました」
その言葉に強く頷く。
次の瞬間、リーンハルトが手を挙げると同時に、騎士たちがいっせいに扉からなだれ込んだ。
「かかれ! 全員を取り押さえろ!」
乱暴に扉の開いた音が中に響いた瞬間、こちらを見たマーリンが驚いたように大きく目を見開いた。




