第136話 ガルデン王への問い①
次の日、イーリスは明るくなってくるや否や両頬を叩いた。
パシンと響く乾いた音が、自分に活を入れてくれる。
「よし!」
昨夜流していた涙も完全に乾いた。
「ここから、なんとかして脱出しないと……!」
(リーンハルトは、無事だったわ)
心配していた刺客はやはり送られているようだったが、昨日はかわしていた。
彼が無事だという事実が、心に力を与えてくれる。
「ジールフィリッド王は、私をエイリーメに連れていくと言っていたわよね」
ここよりガルデンの奥に連れていかれれば、脱出するのがさらに困難になってしまう。それならば、一刻も早く逃げる算段をしなければならない。
「でも、先ずはロジャーを助けないとダメだわ」
顎に握った手を添えながら考える。イーリスとすり替わるために、マーリンがトロメンで入れ替わったリエンラインの騎士。この城で薬物を盛って転がしておいたと言っていたが、敵国で置き去りにされた以上、どんな目に遭っているか――。
「薬物を盛られて意識不明だったのなら、捕らえられている可能性があるわね」
だとしたら、一番に探すべきなのは、牢だろう。
「リエンラインならば、城の北側にあることが多かったけれど、ガルデンではどこにあるのか……」
昨夜も、リーンハルトと会ったあと、こっそりと探れないかと思ったが、扉には鍵がかかっていた。ジールフィリッド王の命令だろう。誘拐した者を、さすがに自由に動けるようにしておくつもりはなかったらしい。
窓から外に出られないかと覗いてみたが、夜は暗くて建物の造りがはっきりとは見えなかった。
「今の時間ならば、明るくなってきたから見えると思うけれど……」
どうか探しに行けますようにと祈って、静かに窓を開ける。小さな音で開いた窓の外は、きらきらと光っていた。ガルデンは、さすが北国だ。日のあたるところの雪は解けても、建物の陰になっているところや日陰の屋根などにはまだ残っている。
そこから解けて流れた水が氷点下にまでなった夜の気温の中で、凍ったのだろう。窓から出られないかと見回しても、下に見える屋根や、壁に張り出した模様のあちこちが凍って光っている。必死になれば、しがみついて歩けるかもしれないところでもだ。
「ダメだわ」
ここで無理をして、壁沿いの模様伝いに下りようとしても、手や足が滑り、庭へと落ちてしまうだろう。
「歩けなくなれば、なおさら逃げられなくなるし……」
ほかにはどこかないかと見渡す。メイドが来る前にと外と中を見回したが、逃げられそうなところはどこにもない。
焦った時、後ろでコンコンと扉を叩く音がした。
「イーリス姫、入っても大丈夫か?」
「ティアゼル姫?」
聞こえた声に、慌てて窓を閉める。
「ええ、どうぞ」
答えると、すぐに入ってきたティアゼル姫は、その瞳を丸く開いた。
「身支度で、なにか必要なものがないかと思ってきたのだが……」
「ティアゼル姫、おはようございます」
なんでもないように挨拶をする。早くに行動を起こしたつもりだったが、冬なので、日の出そのものが、そもそも遅い時間なのだろう。内心焦る前で、姫の目はくるんと丸く開いたままだ。
「どうした? 窓を開けておったのか?」
少し寒いがというのに、外に出ようとしたことを気づかれたかもしれないと思う。少し返事に悩んだが、今この状況で頼れるとしたら、この姫だけだ。だから、素直に話すことにした。
「実は、私と入れ替わった者が、その策を実行するために、先にリエンラインの騎士とすり替わっていたの。そのすり替わった時に、彼をこの城のどこかに置き去りにしたらしいのよ」
「ほう」
ティアゼル姫の目が、ぱちぱちとしばたたいている。
「なんとかして助け出したいのだけれど、どこにいるのかがわからなくて……。姫ならばご存知かしら」
縋るように見つめると、「ふむ」とティアゼル姫は愛らしく首を傾げた。
「そういうことならば、誰かに匿われていなければ、おそらく捕虜用の牢屋だろう。イーリス姫に楽しんでもらえるようなところではないが、よかったらご案内しようか?」
「いいのですか!?」
ティアゼル姫は、ガルデンの次期女王だ。その姫が一緒に行ってくれれば、捕らえられていても牢番も彼を出さざるを得ない。
「ありがとうございます! ロジャーという騎士なのです!」
これでロジャーを助け出すことができると思ったところで、続いて扉がまたコンコンと叩かれた。
「なに用だ?」
怪訝そうに尋ねたのは、ティアゼル姫だ。
「今は、この国の姫である私が未来の義妹との親睦を深めている。つまらない用ならば、あとにしてくれ」
素っ気なく言い放ったが、扉は躊躇することなく開かれた。おそらくティアゼル姫が入ったので、鍵はかけられていなかったのだろう。
「さて。未来の我が妻と娘との会話ならば、俺が入ってもかまわないだろう」
「ジールフィリッド王……!」
現れた姿に、瞬間息を呑む。しかし、ティアゼル姫は、その言葉にも、わずかに眉を顰めただけだ。
「私は、義妹を義母にする気はないぞ。それに姉妹の親睦に、男の父親が交ざるのは野暮だろう」
「相変わらず反抗期の娘は難しい。だが、イーリス姫をエイリーメに連れていくのには、そのドレスはあまりにも薄着なのでな。メイドに手配した厚手のものを渡すために来たのだ」
――エイリーメ!
聞いた地名に息が止まるかと思った。
(日が昇ったら移すと言っていたけれど、まさかこんなに朝早く!?)
これでは、脱出することもロジャーを助けに行く間もない。きっとイーリスが逃げ出そうとするのを見越して、監視のためにメイドを側につけ、同時に様子を確かめるためにやってきたのだろう。
「私は行かないわ!」
話しながら、素早くティアゼル姫に視線を送る。
(お願い、行って!)
このままでは、ロジャーを助け出すことができない。逃げるにしても、彼を置いたままにはできないからだ。
その視線の意味が通じたのだろう。
「父上のセンスの厚手はあてにはできん。父上が側にはべらしている女性に選んだ服で、薄くなかったためしがないからな。私が行って、その服が本当に義妹にふさわしいものなのかどうか確かめてこよう」
そう言うと、苦虫を噛み潰したような顔をしたジールフィリッド王の前で、ティアゼル姫は歩き、扉を開けてパタンと閉めて出ていった。
「まったく……口が達者になって」
呆れたように、見えなくなった後ろ姿に一つ溜め息をついている。
これで、ティアゼル姫が行けば、ロジャーを助け出すことはできるだろう。
(だけど!)
自分のほうの状況は、崖っぷちだ。
(どうしよう……。このままガルデンの奥に連れていかれるわけにはいかないわ!)
だから、瞳に力をこめた。それに、まだティアゼル姫がロジャーを助け出すまでは、気づかれるわけにはいかない。
「私は、エイリーメには行かないわよ」
二つの時間を稼ぐために、はっきりと告げる。そのイーリスの言葉で、ジールフィリッド王の目が、イーリスへと動いていく。
「ほう――」
ティアゼル姫と同じ言葉なのに、不穏な気配は隠しようもない。
燃えるような緑の瞳が、動いてイーリスの姿を捉えた。
ゆっくりと足が近寄ってくる。
「この期に及んで強情なことだ。助けなどあてにできないと話しただろうに――」
それが、リーンハルトを殺すことをさしているとわかる。だとしたら、まだ彼の昨日の暗殺失敗は報告されていないということだ。
だから、こちらを眺めるガルデン王の瞳を、気丈に睨み返した。
「私は、これからもリエンラインの王妃であることを選ぶわ。だから、たとえ両手両足を失おうとも、ガルデンの奥に行くつもりはないの」
どんな拷問をしても無理だ。それを伝えるために、金色の瞳に力をこめる。
すると、近づいてきたガルデン王の足が、急に大股になり、イーリスの前へと迫ってきた。
そして、首をがしっと掴まれる。
「強情なことだ。ならば、最早リエンラインには戻れない体にしてやろうか」
「ぐっ」
苦しさで、咄嗟に言葉が洩れた。
息が、いつもよりは狭まり、開いた目の視界の中で、ジールフィリッド王の顔が、ゆっくりとイーリスに迫ってくる。
「イーリス姫が拒む理由が、あのリエンライン王ならば、この場でこのまま側室にしてやろうか。そうすれば、帰ることも諦めるだろう」
「やめて!」
聞いた言葉に、瞬間的にジールフィリッド王の腕を掴む。なんとか離させようとしたが、その前で、ジールフィリッド王は、目すらもイーリスからは逸らさず、ずっと捕らえたままだ。
「そんなことを……されるぐらいなら……この場で、舌を噛むわ!」
咄嗟に叫んだ。たとえ無事にリエンラインに帰れなかったとしても、このままガルデン王の手に落ちるのよりはマシだ。
そう思ったが、ガルデン王は、そのイーリスの姿を覗き込むように見つめてくる。
「ならば、時空を越える方法を言え。そうすれば、ガルデンの奥には連れていかず、側室にもせずに、解放してやる」
「知らないのよ……!」
「知らないはずはないだろう。ミュラー神の力とはいえ、あのオデルという男が繋げた時、イーリス姫は過去の聖女が時空を飛び越えたことについて、なにかを呟いていたと聞いた。ならば、やはり、ミュラー神の聖女であるお前が、手がかりを知っている可能性がある!」
ぎりっと喉を絞められる。
「本当に知らない……の……」
「ふん、ならば、お前の兄を連れてきて、目の前で拷問をしてやろうか。さすがに兄の命がかかっていれば、イーリス姫もおとなしくエイリーメに行くだろうし、今は知らなくても、時空を繋げる方法を必死で探し出すだろう」
苦しい中で見上げると、緑の瞳は燃える色の髪に包まれた中で、射貫くようにイーリスを見つめている。
(――どうして……)
「どうして……、そんなに……時空を、繋げたいの……?」
細い声でした質問に、ガルデン王の動きが止まった。




