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第137話 ガルデン王への問い②

 

 ただ不思議で尋ねたことだった。


 なぜそんなに時空を飛び越えたいのか――。


 だが、そのイーリスの目の前で、ジールフィリッド王は動きを止めると、緑の目を大きく見開いているではないか。


 三拍ぐらいそのままの姿勢で時間がたち、やがて太い関節をもった指が、イーリスの喉からゆっくりと離されていく。


 今まで絞められていた気管が急に開放されたので、思わずむせた。その前で、ガルデン王の表情は、まるで動くのを忘れたかのように静かだ。


 ただ、唇だけがその体の中で、動いた。


「――妻を殺された」


「え?」


 妻。その言葉に、一瞬イーリスの動きが止まる。


(誰のこと?)


 今までイーリスにはよく妻になれと言ってきたが、自分のことではないだろう。後宮ならばほかに側室がいてもおかしくはないし、実際庶出の息子がいると聞いた。


(あら、でも、たしかリーンハルトの話では、女性を正式な妻とはせず、愛人として留め置いたまま取っかえ引っかえしているということだったけれど……)


 ――だとしたら。


 急に対象は、一人だけなことがわかった。


「それはティアゼル姫を生まれた……?」


 ガルデン王の嫡妻だったという女性。たしか、リーンハルトの話では、ガルデン王の兄によって殺されたという。


 まだ少し喉が変なまま尋ねると、ガルデン王の顔は、悲痛なものになった。


「そうだ。あれは俺が王弟と言われた頃の話だ――」


 静かに紡がれる言葉に、イーリスはそのまま耳をそばだてた。


 ※ ※ ※ ※ ※


 ガルデン王の話によると、ジールフィリッドが、まだ王弟という位だった頃。


 腹違いの兄は、幼い頃から年の近い弟であるジールフィリッドをなにかと目の敵にしていたが、王位に執着をもっていなかった本人にしてみれば、嫌がらせをせいぜい疎ましく感じるぐらいだった。


 子供時代、北方で新たに領土に加わった一族から、人質として差し出されたソールンという娘と一緒にすごすのが好きだったし、それは成長してからも変わらなかった。


『ジール! またこんなところで寝ているなんて!』


 弾けるような笑顔で覗き込んできたのは、柔らかな亜麻色の髪と、大きなターコイズの瞳。


『不用心だぞ。もしも敵に狙われたら、どうする!?』


 訓練の合間に木陰でうとうととしていると、編んだ髪を美しく結った彼女に、いつも見つけ出された。


『俺がそんなものに負けると思うのか?』


『負けなくても、怪我をしたら大変であろう!?』


 そう言ってくれるソールンの声が心地よくて。


異母兄上(あにうえ)がまた呼んでいたぞ?』


 だから、差し出される手を苦笑しながら掴んだ。


『どうせ、また、どこか鎮圧してこいだろう。よほど俺に早く戦死してほしいらしい』


『おい、そういうことなら、別にすぐに行かなくてもいいぞ? 先週帰ってきたばかりではないか』


 眉を寄せて、はっきりと心配しているソールンに、フッと笑う。


『心配しなくてもいい。ちょっと戦いが続いたぐらいで、俺が負けるか。それに――』


 手を掴んだまま立ち上がり、彼女を逆に上から見つめる姿勢となる。


『あと一回勝てば、ここを出て城を一つもらえる約束を父上とした。だから、それまでだけ待っていてくれ』


 その言葉に目を見開いたソールンの顔は、今でも覚えている。すごく嬉しそうに頷いて。だから、その戦いで勝利を手にすると、すぐにソールンに求婚をして、そこに移り住んだのだ。


 王の息子が、人質の娘となど――という声もあったが、異母兄にすれば、他国の有力な姫や国内の中枢部にいる娘を娶られるのよりは安心できたらしい。なにも反対しないのをこれ幸いと、さっさとソールンを正妻に迎えると、そこで暮らし始めた。


 住まいを変えても、異母兄からは、己よりも戦闘力が高いジールフィリッドの死を願うように、戦地へ向かう命令を出され続けた。


 その間に、ティアゼルが生まれ、父が死んだ。跡を継いだ異母兄にしてみれば、戦いに優れた年の近い弟の存在は、なおさら目障りに感じたのだろう。とはいえ、命じられた戦いで、ことごとく勝利を収めている以上、ジールフィリッドを更迭や左遷する名目がない。そんな異母兄の態度を面倒に感じながらも、ジールフィリッドも、表面上では従うふりをしていた。


 ――九年前のあの日までは。


 あの日、東部地方で反乱が起き、異母兄からいつものごとくその鎮圧を命じられた。


 他国が力を貸していたこともあって、鎮圧には時間がかかったものの、無事平定して、帰途についていた時のことだった。


 疲れ切った騎士や兵たちを鼓舞しながら、所領の城へと向かっていく。見れば、多くの騎士や兵たちは傷ついているようだ。足に巻かれた包帯や、腕の部分が裂かれた服に滲んでいる黒いものは、乾いた血だろう。その彼らの顔を、熟れた色になった太陽が、赤く照らし出している。


 この山間の道を進んで、もう少し頑張れば、ソールンとティアゼルの待っている城へと着く。後ろを歩く傷ついた兵たちの速度に合わせているので、城まではおそらく二時間から三時間。着く頃には、すっかり夜になるなと空を見上げながら考える。


 帰れば、ソールンとティアゼルが待っている。


 それに、疲れている騎士や兵たちも早く休ませてやりたい。そう思いながら、山間に延びる細い道の曲がり角まで来た時だった。


「ジールフィリッド様」


 曲がり角の前で、知っている男が立っている。声をかけてきたのは、ジールフィリッドが城を持ってから、ずっと仕えてくれていた男だ。たしか、二月前に初めての孫が生まれたと喜んでいた覚えがある。


「戦勝おめでとうございます」


 ジールフィリッドとは初対面ではないのに、少し緊張した面持ちだ。


「奥方様からご伝言を預かって参りました。長い戦闘で、皆様お疲れのことでしょう。近くにあります館に饗応の用意を調えましたので、今宵はどうかそちらでお過ごしくださいとのことです」


「ソールンから?」


「はい。大変な戦闘だったと聞き及んでおります。このまま城に向かわれますと、到着する頃には夜になりますので、近くの館で、久し振りに兵糧以外の食事をお召し上がりいただき、早めにお疲れを取ってくださいとのことです。ティアゼル姫も、そこで父上をお迎えされるのを、楽しみにされておられます」


「ティアゼルが? ソールンと来ているのか?」


「さすが奥方様!」


 わっと、騎士たちから声があがった。ソールンは、ふだんから騎士や兵たちともよく交流をしている。それゆえ出た言葉に、ジールフィリッドは空を見上げた。


 視線を上げた先では、空の端に、もう赤い太陽がかかっている。今から城に向かえば、この男の言葉どおりすっかり夜になってしまうだろう。それよりは、ここで一泊したほうが、騎士や兵たちの疲れがとれるのは間違いがない。


 それに、なによりもソールンとティアゼルもそこに来ていると言う。二人に会うのはひと月ぶりだ。


「わかった。では、そちらに向かおう」


 二人の姿を思い出して笑顔で答えれば、後ろにいる騎士たちの顔は、さらに嬉しげになった。


 そのまま真っ直ぐに帰る道を迂回して、迎えに来た男が話した隣の山の麓にある広めの館へと向かっていく。


 ふだんは、ただの広い館だが、必要時には軍の停泊地としても使われる場所なので、連れている騎士や兵たちを全員泊まらせることができる。


 だから、ここを指定されたことにはおかしさを覚えなかったのだが、出迎えた面々が並んでいるのを見て、すぐに眉を寄せた。


「ようこそお越しくださいました」


「ちちうえ」


 四歳のティアゼルを抱えているのは、城に勤めている者の中でも、ついこの間入ってきた青年だ。戦いに出る前に入って、たしか十六歳になったばかりだと聞いている。


「ティアゼル!」


 その青年の腕から下りて駆け寄ってくるティアゼルをすぐに抱き上げた。だが、首を巡らせても、どこにもソールンの姿は見えないではないか。


「ソールンは?」


「奥方様は……少し遅くなられるそうなのです。ですから、姫君と先に行ってほしいと頼まれました……」


 少し焦ったように答える青年の様子に、瞬間的になにかが引っかかった。


 そのままティアゼルを抱えて近づき、青年の襟をぐいっと掴む。


「言え。なぜソールンがいない?」


 襟を掴みながら迫ると、その瞬間、青年の顔が怯えたものになった。


「本当になにも聞いていないのです! ただ、姫君をお預かりして、今日は絶対に戻らせないようにと仰せつかりまして」


 その瞬間、頭の中で警告が走った。


 急いで足を翻して、外へと向かう。


 そして、今着いたばかりの騎士たちの元へと走った。見れば、騎士たちは馬から鞍を外したり、水を飲んだりしている者とさまざまだ。


「あれ? ジールフィリッド様、どうなされました?」


 声をかけてきた姿たちに、大声で叫ぶ。


「今すぐ城に戻る! 用意のできた者から急いで続け!」


「ええっ!? 今着いたばかりですよ!?」


 騎士たちから不満の声があがるが、ジールフィリッドは、その前で飛び乗った馬の走りを止めるつもりはない。


(――なぜ、ティアゼルだけをここに寄越した?)


 自分が疑いもしない長年仕えている者を使って。そして、どうしてまだ一番修行が足りない青年にティアゼルを託したのか?


 父親を出迎えるためならば、母親が一緒に来るのが普通だ。それなのに、自分は遅れるとだけ伝えて、ティアゼルをここに寄越したことが引っかかる。


(まるで……避難させたみたいではないか!?)


 ゾクッと背筋に寒気が走った。


 だとしたら……ここに立ち寄らせたのが、今日自分を城に戻らせないためだとしたら――!


(ソールン!)


 走っている間ですらも心が逸る。館から城までの道のりがひどく遠く感じた。


 それでも、山から続く道を抜け、遠くに帰るはずだった城が見えてくると、その瞬間、自分の違和感があたったことを悟った。


 どうして、いつもは閉じられている城門が開いているのか。


 明らかに槌と斧で破壊した跡がある。


 急いで中に入り、嘶く馬を止めれば、城には多くの人影が倒れているではないか。


 頭から血を流している者、背中からまっ二つに裂かれている者。足を切られただけではなく、心臓にとどめを刺されて倒れている騎士たちの姿を見ると、襲った者たちはおそらく最初から全員を抹殺するつもりだったのだろう。


「ソールン!」


 死体が転がる城の中を急いで走っていく。


 誰の声もしない。


 広いはずの城を包んでいるのは、不気味なまでの静寂だ。それでも廊下に焚かれている篝火が、まだ火がついた状態なままなところを見ると、襲われてからさほど時間はたってはいないのだろう。


 パチパチと一階の端で篝火が転がされているのに気がついた。一つではない。三つか四つ。襲撃が終わったあと、篝火を倒していったらしい。


 石造りだから火はまだそれほど回ってはいないが、このままだとすぐに城中に広がるのに違いない。


 その中を、急いで階段を駆け上った。


「ソールン!」


 嫌な予感が広がる。もし、襲撃があったのならば、彼女がいるのはあそこしか考えられない。


 だから、いつも軍の指揮を執る時に、自分が使う部屋へと駆け込むと、そこには予想どおり彼女の姿があった。


 女城主としての誇りに満ちた姿で。腹と胸を何カ所も刺された亡骸となって。


「ソー……ルン……」


 そっと触ってみたが、体はまだ温かい。


 つい少し前まで彼女が生きていた証だ。


「ソールン……! 目を開けろ……!」


 急いで頬に手をあてたが、彼女はまるで幸せそうに微笑んだまま目を閉じているではないか。


 ――最愛の者を守れた誇らしげな顔で。


(どうして……)


 あの時気がつかなかったのだろう。ソールンは、おそらく襲撃があることを知っていたのだ。戦闘で疲れて帰還し、ジールフィリッドとその主要な配下が、ふだんのようには戦えないタイミングを狙われた。だから、彼らの身を案じ、今日ここに戻らせないようにしたのだ。


 ティアゼルを、生き延びさせるために託して。


 ジールフィリッドたちを襲わせないため、城ともども自らが囮となった。


(俺を殺させないために……)


 そっとまだ体温の残る頬に触れる。


 体はまだ柔らかい。


 つい先ほどまで生きていたはずなのに、もう一度その瞼が開かれてターコイズの瞳が微笑むことはない。


 それを感じて、くしゃっと顔が歪んだ。


 もし、今日ここに帰っていれば、ジールフィリッドは殺されるか、もしくはひどい傷を負い、軍の多くを失うことになっていただろう。その場合、次に襲撃があれば、切り抜けることはできないのに違いない。


 だから、ジールフィリッドを今狙わせないために、帰っていないことを隠して、ソールンと城の警備に残した者が、自ら囮となったことを悟り、嗚咽がもれてくる。


 ぎゅっと彼女の亡骸を抱き締めた。


「――許さない。絶対に――」


 襲った者が誰かなど見当がつく。おそらくずっと自分のことを邪魔に思っていた異母兄だろう。


「ソールン……」


 少しずつ失われていく体温に怒りが止めようもなくこみあげてくる。


「許さない。絶対に、お前をこんな目に遭わせた者を――」


 とめどなく溢れてくる涙を頬に感じながら、ジールフィリッドはただその言葉を繰り返しこぼし続けた。


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