第131話 偽物との対決②
「それは……」
イーリスが微笑みながら口にした言葉に、リーンハルトの体が強張ってしまう。
偽物だと思っているのに、あまりにも本物そっくりな楽しそうな笑みに、目が引き寄せられて逸らすことができない。
「……どうして……」
ほんの短い言葉を出す間も、喉がひりついていくかのようだ。
(――なぜ!?)
イーリスになりかわったのなら、どうして別れを言い出す。
「私、あなたのその態度を見て、やはり別れたほうがいいと思ったの。もうじき百日目がくるし――」
そう笑いながら言うイーリスに、リーンハルトの頭の中がぐらぐらとしてくる。
目の前にいるイーリスの笑みが、あまりにもいつもどおりで、本当に偽物かどうかがわからなくなってくる。
「私、やっぱりあなたを愛していないって気がついたの。だったら、もうここで別れて、それぞれの道を進んだほうが、お互いに幸せになれるとは思わない?」
「イーリス……」
呼ばないと思っていたはずなのに、その名前が唇からこぼれでた。
(いや、これは本当に偽物なのか?)
あまりにも自然な笑みだ。まるでイーリスが、歴史について語るときのような――。嬉しくてたまらないことを目にしたときのように、楽しげに離婚について語っている。
ドクンと心臓が跳ねた。
(もしも勘違いで、本物だったのなら……)
やり直せていると思っていたイーリスは、実はやっぱり別れたいと考えていたことになる。
脳裏で、昨年の十二月にシュレイバン地方の館で再会した夜のことが甦る。
――あの時も、イーリスは離婚について、元気に語っていた。
違う、あのイーリスではないと思うのに、あまりにもあの夜と酷似した状態に、頭の中が混乱してくる。
(もしも、イーリスが本当に俺との離婚を考えているのだったら……!)
嫌だ、考え直してくれと叫ぼうとしながら駆け寄りかけて、先ほど壁際に置いた通信装置が光っているのに、ハッと気がついた。
(あれは……!)
あの装置のもう片方は、イーリスが持っているはずだ。魔力がたまる期間が必要と言っていたから、オデルの可能性は低い。
(だとしたら……このイーリスは、やはり本物ではない!)
装置が知らせた真実が、リーンハルトの頭の中で動揺を急速に鎮めていく。
「あら?」
壁際でなにかが光ったのに気がついたのだろう。イーリスの目が、そちらに動いたのに、慌てて手を伸ばしてさりげなく腕の下に隠す。
(今、たしかに一瞬こちらを見たのに、この装置がなにかは気がつかなかった――)
そして、目の前にいるこのイーリスは、今操作されたはずの通信装置を持ってはいない。
(ならば、やはり偽物!)
頭の中で、おそらくと思っていたことが確定となる。
リーンハルトの焦っていた気持ちが急速に澄みきり、頭の中が冴え渡ってくる。
(そうか……)
相手が、偽物のイーリスを寄越してきた真意が見えた。おそらくジールフィリッド王の差し金だろう。
イーリスを攫いそれを隠すために身代わりを用意したのかと思ったが、真髄は、イーリスをリーンハルトと離婚させ、合法的に手に入れることだったのだ。
(俺と離婚すれば、たとえ誘拐したのであっても、後宮に妃として捕らえておくことができるからな)
結婚の名目ならば、他国も文句はつけられない。それに、リーンハルトが偽物と知らずに離婚をしたのなら、なおのこと、誰も干渉することはできないだろう。
(小賢しい真似を――)
よくもと思うが、ここは相手の正体を暴く好機だ。
ちらりと腕の下を見れば、リーンハルトが応答しなかったので、装置の明かりは、今は点滅をやめている。
くっと唇を噛んだ。そして、気取られないように装置を剣の後ろに隠しながら、偽物のイーリスを見つめる。
「愛していない? やり直すと決めてから、二人で少しでもそれらしくなろうと頑張ってきたのに。今さら、周囲の者が納得して再婚の準備を止めると思うのか」
だが、それを偽物はどう聞いたのか。いや、おそらく勝手に誤解をしたのだろう、先ほどのリーンハルトとの態度で。目の前で、明るく笑っている。
「そうね、頑張ってきたわ。でも、やはり未来は、本心に戻って選ぶべきだと思うの。あなたも私も」
「それで、俺を愛していないと言うのか? あんなに何度も愛していると言っていたのに」
(いや……言われたのは、紙に書いてもらった一度だけか……)
こんな状況だというのに、頭の中ではつい冷静に数えてしまう。悲しい現実が、余計に心を冷静にさせた。
「ええ、でもやはり愛せなかったのですもの。だから、もう別れましょう」
それだけに、その言葉に余計に腹が立った。
「だったら」
近くにあった紙をバッと手に取る。
「用意させている再婚式の中止の連絡を書け。今までの言葉は嘘で、本心では俺を愛してはいなかったとな!」
ダンと、それを偽物が座っている前のテーブルに叩きつければ、相手は嬉しそうに笑う。
「ええ、いいわよ。あなたと別れられるのなら――」
そう楽しげに微笑むと、側にあったペンを手に取り、サラサラと白い紙に書きつけていく。
そして、書き上げた手紙をリーンハルトへと渡した。
受け取ったそれをザッと読み、頷く。
『今までリーンハルトとやり直そうと自分を偽ってきましたが、やはり彼を愛してはいないと気がつきました。よって再婚式の準備の中止を命じます』
そこに綴られているのは、簡潔な文章だ。
筆跡も、よくイーリスの癖を捉えている。だが、おそらくイーリスが一度も書いたことがなかっただろう綴りだけが、微妙に違うではないか。
「やはりな――」
見た瞬間、クッとリーンハルトの唇の端が上がった。
その姿になにか妙なものを感じたのだろう。
「リーンハルト?」
相手が不思議そうな顔をしている。
だから、リーンハルトは、それを目の前にいる偽物のイーリスの前に、バッと突き付けた。
「よく真似ているが、筆跡が違う。イーリスが書く『愛している』の字は、こうだ!」
そして、胸の内ポケットにお守りのように入れていた一枚を取り出す。
それは、イーリスが馬車の中で、初めてリーンハルトへのラブレターとして書いてくれたものだ。おそらく公文書や貴族たちへは一度も使うことのなかった単語だったから、今までその筆跡を見たことはなかったのだろう。
二枚の並べられた紙にある「愛して いる」と「愛して いない」の「愛して」の綴りの違いに、偽物のイーリスは座ったまま目を見開いた。




